第五十一話 『新たな』
海賊とは何かにつけて酒を浴びるように飲みたがる生き物のことだ。理由の大小なんて気にも留めない。酒を飲むための理由を無理矢理こじつけ、酒が飲めたらそれでいいと思っているような異常者どものことだ。
「おーい、ジン。そんなに怒るなよ。アイツらも悪気があったわけじゃねぇ」
「……ああ、吐かれたのが制服じゃなくてよかったよ」
不機嫌そうな顔をしたまま吐き捨てるように俺はそう呟いた。
ヒュドラ討伐後、俺が泥だらけになった制服をカーリが洗ってくれると言ってくれたので、その言葉に甘えて制服を預けた。その間ずっと裸では寒いとホヴズが服を貸してくれた。本当にあの夫婦には頭が上がらない。
だけど、ヒュドラ討伐を記念して行われた三度目の宴で事件が起きた。いや、というか俺たちエルフの里でどんだけ宴してんだよ。ほとんど他人の家みたいなものだぞ……
まぁ、関係ない話はここまでにして一度話を戻すとそこで事件が起きたんだ。ノギさんに、いや、ノギの一派に誘われて前と同じように火を囲んでいたんだ。もちろん酒は飲んでいない。事前に断った。
俺にとっては勇気ある決断だったがすんなりと受け入れられた。言葉にすれば伝わると分かり嬉しかった。上機嫌だった。肩にゲロをかけられる前まではな!!
左肩に流れる熱い液体の感覚と酸っぱい胃液の臭いは絶対に忘れない。
「あのぐらい飲み会の洗礼みたいなものだろ。許してやれって」
「嫌だよ、そんな汚い洗礼。洗い流せたのはホヴズの服だけだろ!」
「ちげぇねぇな!」
「………ちなみにシュテンがされたらどうする。笑って受け流すのか?」
「あ、ぶん殴るに決まってるだろ」
「さっきまでと言ってることが違いすぎるだろ!」
深い溜め息が出た。ツッコミをするのも体力を使う。シュテンにはこう言ったが別に今も怒っているわけではない。いや、吐かれた時には怒っていたし、未来永劫許さないと思っていた。でも不思議なことに時間が経つと怒りは薄る。そして、今は気だるさが身体に圧し掛かっていた。
昨日も丸々一日、砦に置いたままの大砲を船まで戻すという作業をしていてみんなヒュドラ討伐の達成感に浸る暇もなかったはずだ。疲れが溜まっている。
そして一番心残りなのはヘルがの話を聞けなかったことだ。
ヒュドラに襲われる前、いや、泥まみれになる前に『ワタシね、一つ決めたことがあるの! それをアンタには、アンタにだけは先に伝えておきたいって思ったの』と真剣な顔つきで告げてきた。あれの内容を結局エルフの里から帰ることになるまで聞けなかった。
というかヘルガは出航の時の見送りにすら来てくれなかった。
いや、別に来て欲しいわけじゃないけど。やっぱりそういうのは禍根を残すからちゃんとした方がいいっていうか……まあ、でもしかたがない。
彼女のたった一つの夢だったエルフの魔法が使えたんだ。きっと人生で最も幸せに違いない。ホヴズに少し気になって彼女が何をしているか聞いたところヨルズ様という方に空の飛び方を教わっているらしい。
だから、今度俺がエルフの里に来た時に聞けばいい。何も死に別れたわけじゃないんだ、この船に乗っていたらいつかまた会えるだろう。
「……うん? アリアさん! それにヒビキも! いつの間にここへ?」
人の気配を感じて振り返ると新たに二人が立っていた。
「ボクが次いで扱いなのは気に入りませんが、いつの間かと聞かれるとジン君が船尾で黄昏ている間にと答えるしかないですよ」
「そ、そうか」
「あ、あの、お兄さん、私もいますよ」
「レインちゃんも!? なんで?」
楚々としたアリアさんの背後に隠れてレインちゃんもいた。
「ジン君が船尾で落ち込んでいると聞いて、様子を見に来ました」
「アリアさん……いや、ときめいてる場合じゃないな。お疲れ様です。今更ですがエルフの里では忙しくてちゃんと言う機会がなかったので」
「はい、ありがとうございます。ところでジン君はなんで船尾に?」
「ああ、いや、さすがにちょっとだけ、名残惜しいなって」
自分で言っておいてなんだが俺が名残惜しさを感じるのも仕方がないと思う。だって、俺にとっては黄泉の国よりもエルフの里に滞在した期間の方が長いからな。三日と約一ヶ月の差だ。そりゃあ誰だってエルフの里に愛着が湧くだろう。
「……そうですね。なら、また来ればいいですよ」
「また来ればですか、そうですよね。彼らの笑顔を見れただけでもヒュドラを討伐できて良かったと思います」
「……ですね、故郷を失うというのはとても辛いことですから」
緊張する中でもどうにか明るい話に持っていこうと頑張って話を振ったのだが、アリアさんの青い瞳が悲し気に揺れた気がする。寂しそうで、俺の好奇心で気軽に触れてはいけない話題だと理解した。
人から聞いたことだがアリアさんはエルフの里で大活躍していたようだ。後方の状況なんて俺が分かるわけないが、その働きは昨日の彼女の姿を見ただけでも。鬼気迫る顔で医療現場の指揮を執るいた。『私は専門的な知識はないですし、戦闘では役に立てません』と語っていたが、そんなことは絶対にない。
絶対に役に立っていたと胸を張って俺が言おう。しかし、他の人の活躍を聞くたびに今回の自分はどうだったのかという疑問が頭をよぎる……
「……結局、俺は何の役にも立たなかったな」
「それはただの結果論ですよ」
「でも、結果を残さないと誰も評価してくれないじゃないか」
「……それが現実というものです」
したり顔でそう言うヒビキに俺は何も返すことができなかった。レナティウス大陸から黄泉の国まで船で大きな海に白線を引くように船が進む。帰るために船を進める。俺はこれ以上考え込んでも気分が落ち込むだけだとマイナス思考を止めるためにボーっと海を眺めていた。すると――
「あ、ジン。あなたたちもこんなところにいたのね! 探したわよ」
「リーネもなんで?」
「それだけお前が愛されてる証拠だろ?」
「………ッ…」
シュテンの余計な一言で急に照れくさくなった俺は黙ってエルフの里があるシュティレ大森林を眺めることにした。霊樹と呼ばれる大きすぎる樹々は海に根を張っている。いや、というか海からも霊樹は生えている。今見ても凄い光景だ。
とても不気味で静かな森だった。だけど、二週間ずっと初めてする体験ばかりで毎日のように常識が覆された。グリフォンの肉も食べたし、エルフの生活もこの目で見た。空も飛んだし、泥まみれになるような幼稚な遊びをした。それに初めて……いや、もういいや。過去を思い出すのは年を取ってからでもできる。それよりも黄泉の国で何をするかに思いを馳せよう。
いや、待て。ああ、そう言えば最後にリーネに聞きたいことがあったんだ。
「報酬で貰ったユニコーンの角は………あれで良かったのか?」
「ええ、あれで良かったのよ。あれはかなり昔のものだから効能にも期待できないし、それに私もいつか”魔女の瞳”ってやつを見てみたいの。カーリが素直に褒めるなんてよっぽどよ?」
リーネはヒュドラ討伐を手伝う報酬としてエルフの里にあったユニコーンの角を貰うと言っていたが、その契約は果たされなかった。いや、正確には半分しか果たされなかった。これはカーリが反故にしたわけではなく、リーネから言い出したのだ。
『私たちは報酬としてこのユニコーンの角を貰っていくわ! これはもう私たちのもの。つまり、使い方も自由よね?』
そう言うとリーネはヒビキに頼んでユニコーンの角を真っ二つにした。そして半分にした角の根本の方をカーリに差し出した。
『これをヒュドラが住んでいたヴァイト沼地、いえ、レルネーの沼に埋めておいてくれるかしら? これは契約よ! え、意味がない? 確かにそうなるかもしれないわね。でもこれが魔素まで浄化してくれるならヒュドラによって荒らされた大地も元通りになる可能性はゼロじゃないわ!』
どこまでも前向きなリーネに戸惑いながらもカーリはどこか嬉しそうに微笑み『ああ、我らが責任をもって契約を果たそう』と言った。うちの船長の行動はいつも突発的で先が読めない。俺はまだユニコーンの角の価値を正確に理解できていないが、アリアさんが少しだけ落ち込んでいたからきっとかなりの額なのだろう。
だけど、リーネの突発的な行動をすぐに『しょうがないですね』と許してしまうアリアさんにも責任の一端はあると思う。
「そうか、魔女の瞳か。そんなに綺麗なら一目見てみたいよな」
「そうでしょう! そうよね!」
俺はまだあまり距離が開いていないレナティウス大陸を見つめてリーネに告げる。はっきり言えば痛快だった。ヒュドラが齎した被害はなくならないかもしれない。魔女の瞳を見ることができないかもしれない。だけどそれでもいい。俺はリーネのあの決断がとても痛快だったんだ。みんなで笑ってしまうぐらいに……
彼女に誘われて、船に乗ったことを正解と思わせてくれる。こいつの後をついていきたいと感じた。
さてと、次はどんな冒険になるんだろう?
ロバーツさんが報告会の時にドワーフの遺跡の調査を手伝って欲しいと言っていたな。なら、カツキとアセビ、あの二人とはまたすぐに会えそうだ。振り返るとあの二人にはとてもお世話になった。黄泉の国に来て初めてできた友達かもしれない。仲間ではなく友達という距離感がしっくりとくる。
それにロバーツさんの船には俺と同じ境遇であるトールという少年がいるらしい。学生服を着ているらしいから年も近いだろう。
「あ、なんだ?」
呆けたようなシュテンの声で俺は現実に引き戻された。シュテンが指を差す方向を目を凝らして見るとシュティレ大森林から鳥か、何かが羽搏いたのが見えた。
いや、鳥にしてはデカいな。もちろんグリフォンにしては小さい。
「……ああ、本当に来たのね」
大きめな海賊帽が風に飛ばされないように押さえてリーネはそう言った。リーネの言葉を咀嚼し終えた俺はまさかと思い飛び跳ねるように身体を揺らし、シュテンが使っていた望遠鏡を借りた。
左目を閉じて右目で覗き込む。遠すぎるのか、ピントが合わないのかボンヤリとした姿が見えた。ギリギリだが人の形をしているのが分かる。エルフだ。風に乗るように飛んでくるエルフの少女の姿がそこにはあった。
距離が縮まるごとにはっきりと見えてきた。
大自然を思わせる翡翠色の瞳に燦燦と輝く太陽の光を反射して虹色に光っているように見える金緑色の髪を併せ持っている。妖精のように可愛らしい顔立ちにちょっぴりと尖がっている耳が彼女のエルフとしての矜持を示している。
そんな少女、いや、ヘルガが空を踊るように舞ってこちらに勢い良く向かってきている。向かってきて、向かってきて、突っ込んできた!?
「どいて、どいて!!!!!」
「あっ、ぶねな!!」
「きゃ!」
シュテンとレインちゃん、俺が船尾で左右に離れる。すると次の瞬間、ゴッツと鈍い音がした。木製の壁に思いっ切り頭をぶつけたヘルガが低い呻き声を上げながら俺たちの方を振り返った。
「やっぱり着地が上手くいかなのよね。あ、ちょっと、リーネル! 言っておいたのになんで置いて行くのよ!!」
「……あなたがいなかったんでしょう。出航の時刻は前もって教えておいたのに桟橋にいなかったからもう来ないのかと思っていたわ」
「少しぐらい待ってなさいよ。ワタシはみんなに挨拶して回ってたのに、いや、でもさすがにヨルズがあそこまで止めて来るとは思わなかったけど……」
「それは……同情するけど私たちの船は時間厳守よ! あ、あとこれから仲間になるのなら、私のことはリーネルじゃなくて、リーネって呼んでくれる。これは船長命令よ!」
「あ、えっと、二人とも落ち着いて……」
いきなり現れたヘルガが首根っこを掴むような勢いでリーネに詰め寄る。リーネはそれを眉間を押さえて、頭が痛そうな顔で対応していた。グリフォンやヒュドラをこの目で見てきた俺でもさすがにこんな急展開にはついていけない。
「お、おい。ヘルガ? お前なんで……」
「なんでって、アンタがワタシに言ったんでしょ? 仲間にならないかって?」
「いや、言ったけどお前はあの時断ったじゃないか」
「ワタシは断ってないわよ。『考えといてあげる』って言ったはずよ」
「そうだけど、社交辞令みたいなもんじゃ……というか先に言っとけよ! 事前に分かってたらここまで驚かなかったのに」
「ジンに決めたことがあるって言ったじゃない。それなのにアンタがいつまでも聞きに来てくれないからさ、こっちから切り出すのはなんか癪だし、せっかくだから驚かせてあげようと思って! どう? 驚いたでしょ?」
「…ッ………ああ、すごく驚いたよ」
「そうでしょ!」
俺はヘルガに対して言葉を呑み込んだ。無邪気で悪気を感じさせない彼女の笑顔に毒気を抜かれてしまったからだ。ヘルガはそれをいいことに手摺りの上に乗り、俺たち全員の顔を見渡して――
「今日からよろしくね!」
と言った。初対面の頃はムスッとしていたのにあの時の彼女からは考えられないほど明るい笑顔だ。同一人物とは思えない。なんだヘルガもちょっとずつ変わっているじゃないか。少し前、俺に変わったことが羨ましいみたいなことを言っておいてこれだもんな……
まあ、理由は何でもいいか。何はともあれヘルガが新たな仲間になった。
この海賊船の一員となったのだ。このことを今は心の底から祝おう。ノギさんに聞いた海賊とはなにか今でも俺は良く分かっていないが、この喜びは素直に彼女に伝えておこう。自分の心に素直になると決めたんだから。
「よっし、じゃあ、今から歓迎のために宴でもやるか!!」
「やらねぇよ!!?」
意気揚々と声を上げたシュテンに思わず俺はツッコんでいた。ヘルガに素直に喜びを伝えると言ったが、それとこれとは話が別だ。というかさっき俺が宴でゲロをかけられた話を聞いて慰めてくれてたのはお前じゃないのか、シュテン?
………ああ、邪魔が入ってしまったからもう一度だけ言う。
ヘルガが新たな仲間になった。今はそのことを心の底から祝おう。もちろんできるだけ酒が絡まない方向でな。




