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第四十一話 『接敵、そして……』


 これは俺に笛の音が聞こえてくる数分前。


 前線では俺たちがいる補給地点とは比べ物にならないほど会話が少ない。エルフたちは霊樹の太い枝を足場にして見下すようにヒュドラの姿を探していた。


「おい、ホヴズ。そっちは何か見つけたか?」


「何もいないよ。こんなに数がいて蛇の尻尾を見つけることができないなんて情けない話だけどね」


「まあ、そうだよな。”風の妖精”とまで呼ばれた最強の種族である我々がここまで見つけられないとはな。ヒュドラとは存外小物のようだ」


「ハッハッハ、それは言えているな。だけどあんまり油断するべきじゃないよ。ニンゲンの教えの中には蛇は罰として地を這う愚かな種族に変えられたと聞いたことがあるが、曲がりなりにもオレたちの相手は神話の怪物だ。蛇の形を借りただけの化け物だよ。みんなで帰るために慢心だけはしないようにしよう」


「……頭では分かっているがな。分裂してしまった里のみんなが、いや、我らエルフの同胞が再び一堂に会しているのだ。ここまでして勝てぬ相手がいるとは到底思えないんだがな」


「そうかもね。そうだったらいいな」


 オレの弱気な物言いが気に入らなかったのか青い瞳を持つ同胞はムッとした表情を浮かべた。


「お前は考えすぎなのだ。里は別れてもオレたちはこの森に住む同胞であり家族だろうが。オレの言うことを信用しろ。よくそんな気質の者がカーリの伴侶になれたものだな? 正直今もあの婚礼はオレの夢だったのではないかと思っているぞ」


「カーリがなんでオレなんかを選んだのかは理解できていないよ。ただ選ばれたからには答えたいって思っているだけだよ。オレが頑張っている理由はただそれだけだからね」


「……心構えだけは立派なものだな。それで里で最も風の精から愛されているのだからオレたちの立つ瀬がないは! オレはお前ら特に夫婦には期待している。共に同胞を殺した憎き蛇を打ち倒そうではないか!」


 オレに対して意気揚々と宣言してきた目の前の同胞、いや、古くからの友であるリサナウトをオレはどこか冷めた目で見守っていた。


「……ねぇ、リサナウト。君はみんなで一緒に見た魔女の瞳を覚えているかい?」


「ああ、何だよ突然。覚えてるに決まってるだろ。オレたちがまだ未熟だった頃にみんなで一緒に見た景色だろ? とっても綺麗だったよな……」


「そうだね、とても綺麗だったんだよ。ヒュドラによって魔素が枯らされ、荒れ果てた大地になるまでね」


「………分からねぇな。結局お前は何が言いたいんだよ? 思い出話なら後にしてくれると嬉しいが」


「間違えてはいけないということだよ。オレたちの目的は故郷を守ることだろ。このシュティレ大森林をあのレルネーの沼の二の舞にしないことだ」


「だからなんだよ、結果は同じだろうが。オレたちはこの森を守る。そのためにヒュドラを殺す。そうすることで同胞の敵が取れる。オレは何か間違っているのか?」


「リサナウト、今の君は復讐に目がくらんでいる。故郷を守ることと死んだ同胞への餞を同列に考えてはいけないよ。オレはオレたちの故郷をあんな悲しい景色にしたくない。次世代のために残してあげたい。そのために戦うんだよ。君も最初はそう意気込んでいたはずだろ?」


「でもよ……」


「わかってるよ。オレたちは友を殺されたんだ。君の気持ちは誰よりも分かっているつもりだ。だけど大義だけは忘れてはならない。オレたちは本心から故郷を守りたかった。だからカーリも海賊たちの、いや、ニンゲンも力を借してくれたんだろ? その意味をオレたちは考えないといけないと思うんだよ」


「……フン、言うことだけは一丁前になったな。あの”泣き虫”だったホヴズが。だけどお前の言い分は理解はしたぞ。確かにオレの方が大義を疎かにしていたのは事実だ。……まあ、一つ言わせてもらうとニンゲンなんぞの力など借りずともオレたちだけでどうにかなりそうだがな。現にオレたちエルフに前線を任せてニンゲンどもは後ろで怯えているだけではないか? 協力とは名ばかりだ」


「……それは仕方がないよ。ニンゲンもどきのような例外もいるが、ニンゲンという種族は基本的に他の種族とは違い特筆した力を持っていない。強いて言うなら数が多いのが唯一の利としてあげられるぐらいだね。オレたちと違い精霊様の加護がないニンゲンたちにオレたちと同じ活躍を強いるのはどうかと思うよ? このグリフォンの矢を届けてくれただけでも喜ぼうよ」


 そう言ってオレは腰から黒々とした矢じりを手に取る。ヒュドラと交戦して逃げて戻った同胞が言うには土の精の力で霊樹に干渉して造った矢じりはヒュドラ相手にまったく通用しなかったみたい。そいつも後方で独り恐怖と戦っている。せめて持ち帰ってくれた情報だけは役に立てないとそいつも、死んでいった同胞も、みんなが報われない。


「確かにそれもそうだな。あの土塊でなくともこれほどのものが造れるのだな。ニンゲンという種族の特技は真似事なのかもな。……あ、そうだった。ニンゲンと言えば、あのジョンの娘が参戦しているのだろう? 名前は何と言ったか、そうだリーネルだ。ジョンの娘はオレたちと同じように火の精の力を宿していると聞いたな。オレたちの家族であるヘルガは精霊様の加護を受けれずに苦しみ、ニンゲンの子は火の精の加護を得ている。なんというか、まあ……」


「そこまでにしろ」


 いつの間にかオレたちの背後まで飛んできていたカーリはいつもよりも厳しめな口調でリサナウトを咎めた。


「……悪かったよ。だが、勘違いしないでくれよ。オレもヘルガのことを家族として心配しているだけなんだ。いつまで経っても頑張っているあの子が精霊様の加護を得られないなんて、やっぱりニンゲンの血が混じったことがダメだったんだ」


「あまり憶測で物を言うな。ヘルガも一応魔法は使える」


「だけどよ。それってニンゲンの魔法だろ? オレたちエルフが精霊様から授けられた純粋な魔法じゃない」


「二人とも一度止めよう。少しだけ感情的になっているよ。それじゃあ、議論にならないだろ? それにあまり他所の里長の前で取り乱すべきじゃない。ほら、ずっと君たちの醜態をしっかりと彼女は見ているよ」


 オレが指をさす方向にカーリは鷹揚とした動作で振り向いた。


 するとそこには――


「…………ヨルズ姉様」


「ああ、カーリ。貴様も変わりないようだな」


 こちらに青く冷たい目を向けているエルフがいた。カーリの実の姉であるヨルズ様だ。


「さきほど貴様ではなく愚昧な妹の顔を見てきた。ボーっとしていて訳が分からぬ顔をしていたが捜索は順調そうだったぞ。貴様は愚妹と違い遊び惚けているように見えるが捜索は順調か?」


「安心するがいい。我らが里は優秀だからな。それで、要件はそれだけか?」


「ああ、そうだ……」


「……」


「……」


 二人の間に沈黙が流れるのを見て、オレの口からは無意識のうちに溜息が零れ落ちていた。やっぱり顔を合わせて話すとこうなるんだね。昔はとても仲が良かったはずなのに……


「………」


「………」


「……時にヘルガはどこだ? この辺りには見当たらないが? ホヴズの近くにいるのではないのか?」


「……心配しなくともあの子は前線にはいない。ニンゲンと同じく下がらせてある」


「ニンゲンどもだと?」


 『ニンゲン』と口にした瞬間ピリっとした眼力がカーリのことを射抜いた。


「ああ、そうだ。我らと心を同じくするニンゲンたちと―――」


「ふざけるなよ、貴様!!!」


 ヨルズ様が大気を震わす。ヨルズ様の冷たい青い目とは対照的に怒りの発露したかのような真っ赤な炎火が彼女の身体の周りで燃え盛る。すべてを焼き尽くす悪魔のような焔だった。


「……戦う力がないものは後方へと下げるべきだろ? ヘルガも昨夜それで納得してくれた。伝達しなくとも良いと判断したから姉様には伝えていなかった。その点は悪かった」


「そこじゃない! なぜあんな醜い種族の中にヘルガを置いておく。いっそのこと後方へと下げ、同胞たちの傍らにいさせてやればいい! もともと私は豚にも劣る下等な種族の力を借りること自体反対だったのだ! やつらが目の前にいるだけで骨の髄まで燃やし尽くしてやりたくなる。きっとヘルガも同じ気持ちのはずだ!」


「……過去のことを水に流せとは言わない。だが、姉様は一度でいいからニンゲンたちと交流を持つべきだ。森の外には悪いニンゲンもいる。だけど良いニンゲンもいる。当たり前のことだ。なぜ理解しようともしない?」


「貴様よりも遥かに理解している! やつらはどうしようもない、年中発情期し、争うことにしか脳を使えない猿であることをな!」


 ヨルズ様のニンゲンが嫌いは相変わらずのようだ。


 まあ、実の妹があんな目にあったのだから仕方がない。かつてはオレたちの里は一つだったのだが、カーリとヨルズ様が”ヴァイキング”の件以降方針が変わり対立することが多くなっていった。いや、ヨルズ様のニンゲン嫌いがより苛烈になったと言った方がいい。


 その結果が今の三つに別れた里だ。だけどオレの記憶にはいつまでも仲の良かった四姉妹が刻まれている。彼女たちが喧嘩している姿を見かけるだけで胸が苦しくなってしまう。ああ、あの頃に戻れたらどれだけよかっただろうね。


 オレがそんなことを考えて再び溜息をつく。その時だった――背後から何かに見られているような薄気味悪さを感じた。


「警戒しろ!!」

 

 リサナウトもオレと同じ視線のようなものを感じ取ったのか隣から叫び声が聞こえた。


「ヒュドラはいるか?」


「いや、それは姿を確認してからだ」


 オレが咄嗟に今朝ジンから返してもらった笛を口にくわえるとカーリから静止するようにと笛を持っている手を掴まれた。さっきまで喧嘩していたのに二人はもう冷静さ取り戻している。


 二人の言葉に従うように四人で背中合わせに周囲を警戒する。


 息を殺して周囲を深く観察する。


 しかし、樹々に囲まれ思うように視界が取れない。


 次第に苛立ちが積もっていく。


 なぜオレたちが追い詰められているのだろうか?


 追い詰めていたのはオレたちの方ではなかったのか?


 そんな疑問を抱いた瞬間――シュルシュルという音が聞こえてきた。


 ゆっくりと、ゆっくりと、視線だけを横にずらす。

 身体はいつでも動かせるように意識しておく。


 すると目が合った。


 蛇の目だ。

 

 冷たい。瞼がないことではっきりと飛び出ていることが分かる真丸の眼球が、罅割れたかのような縦長の眼光がオレたちをジッと見つめている。


 動と静の動きを繰り返し、音も立てずに近づいてきたのだ。俺たちを喰い殺すために……


 天性の暗殺者だ。この弱肉強食の世界で一方的に獲物を(おそ)うために捕食者が鍛え上げた技術だ。最強と自負していたエルフの身体は硬直してしまっている。オレたちはいつの間にか狩人ではなく、獲物に変わってしまった。まさに蛇に睨まれた蛙だ。同胞が喰い殺された理由が今なら分る。


 怖い。


 心に恐怖が生まれる。


 生まれて初めて味わう恐怖だ。


 オレは笛を吹かないといけない。それが役目だ。ここにヒュドラがいると全員に知らせないといけないのに、身体が、腕が、指先すらも自分の意志で動かせない。


 動かさないと、いや、逃げなければ命がない。


 逃げなければ!


 そして知らさなければ!


 そんな使命感よりも恐怖が勝る。オレは身動きを封じられてそのまま見ているだけしかできないかった。


 ヒュドラの口が動けぬ獲物を嘲るように開いた次の瞬間――


「見つけたわよ!! 化け物!」


 とあるニンゲンの少女の声がした。


 つられるように声のした方へと視線を向けると予想通りサイズの合っていない海賊帽を深く被った少女がいた。その少女が腰にぶら下げていたサーベルを抜いて、照準を合わせるかのようにヒュドラの頭に切先を向けた。


 するとサーベルの先から色が生まれた。炎だ。少女の瞳と同じ色の炎火がヒュドラを目掛けて襲い掛かったのだ。


「先陣は切ったわ! 全員私の後に続きなさい!!」


 その少女の力強い声に、炎に、呼応して、オレたちの金縛りにあったかのように強張った冷たい身体は力を取り戻した。


 いや、ちょっとだけ違うね。たぶんオレたちでなくともエルフなら彼女の後ろ姿を見ただけで、闘志を奮い立たせていたことだろう。炎と踊る少女の姿がまるで戦いを司る火の精に見えてしまったからだ。先代から脈々と語り継がれてきた火の精にだ……


 いや、彼女の姿に目を奪われている暇はない。オレたちも自分の役割を果たさないといけない。


 リサナウトとカーリ、そしてヨルズ様に視線を合わせる。三人はオレの考えを汲み取ってくれたのか霊樹から地面に風を纏って素早く降りる。


 よし。三人を見送った後、オレは震えていた指先に力を込めて笛を握る。


 やることを一度頭の中でタスクを整理する。


 この化け物の首を斬り落として、傷口を燃やす。そのためには各地に散った同胞を笛で集めて、足止めをしなければならない。これ以上里には近づけさせない。

 

 うん、もう大丈夫だ。ボクはもう”泣き虫”なんかじゃない。

 オレはもうエルフの里の戦士だ。


 震えの止まった指先を顔に近づけ笛を口に咥える。

 歯に硬いものが当たり口に咥えたのと同時、耳を劈くほどの音が周囲に響いた。


 オレが出した合図だ。

 

 ヒュドラがここにいるという合図だ。


 すぐさま扇状に広がった捜索班の全員がここに集結することだろう。


 オレはもう祈ることを止めていた。ここで怪物(ヒュドラ)を確実に仕留める。そのことだけに意識を集中させた。


 ――こうしてオレたちのヒュドラ討伐作戦は始まった。


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