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第三十話  『水清ければ魚棲まず』


 俺がリーネたちの勢いに飲み込まれ何も言えないまま大広間での話し合いが終わった。新入りの定めというべきかこの手の昔話にはついていけない。そんなことにどうしても一抹の寂しさを感じてしまう。


 大きな円卓を囲んでいても途中から話し合いに参加できず除け者になっていた。だって俺にはまだこの船での明確な役割というものが決まっていないんだ。


 レインちゃんやアリアさんにヒビキやシュテン。みんな何かしらの自分の役割を担っている。例えば伝書鳩を送ることは誰にでもできるが先ほど真っ先にリーネから頼られたのはレインちゃんだ。 


 誰にでもできる仕事を真っ先に頼まれるのは舐められている人か、信用されている人のどちらかだけだ。まあ、この場合は言うまでもなく後者だろう。動物の世話を長くしてきたレインちゃんだからリーネに信用されて仕事を任せられたんだ。俺も早くみんなと同じぐらい信用されたいな。そんなことを考えて俺は床に就いた。


 そのせいかエルフたちに俺たちは歓迎としてもてなしを受けたが、そこで食べた梨のような不思議な果実に淡白だった大蛇の味も今朝起きた頃にはもう覚えていなかった。


 いや、まあ、そんなことは重要ではない。今重要なことは何日でヘンリーさんが増援を送ってくれるかということだ。


 レインちゃんはエルフの伝書鳩を使ったそうなので三日で黄泉の国にいるヘンリーさんに連絡が行くそうだが、その後のヘンリーさんの迅速な対応次第で俺たちがエルフの里にどれぐらい滞在するのかが変わってくる。アリアさんの予想では最低でも一ヶ月はかかるそうだ。


「なぁ、シュテン。この船での俺の役割って何だと思う?」 


「あ? 知るかよ、焚火係とかじゃねぇか?」


「……そうか」


 そんなわけでシュテンと一緒に朝食を摂りながらダラダラとしている。


 ヒュドラ討伐に向けての準備をすると言ってもアリアさんの予想通り増援が来るのに一ヶ月もかかるのなら俺たちは何もすることがない。ヒュドラの監視は他の里のエルフたちがしているらしいし、運んできた荷の中には最低限の武装しかない。


 なのでこれは言い訳ではなく俺たちには本当にできることがなにもないのだ。


「なぁ、シュテン。何かすることはないのか?」


「なんだよ、ジン。さっきからうざってぇな! オレは昨日から機嫌が悪いんだよ。やることがねぇなら魔法で縄でも出してろ。ここは魔素が多いんだから船のときみてぇには倒れねぇだろうよ」


「……そうだな。あれもやらないとな」


 あーあ。そういえばそんなのもあったな。あれって量的に終わる気がしないので感覚的には夏休みの宿題みたいなんだよな。でもロバーツさんからお金を貰うんだしちゃんとしないとな。はぁ、やる気が出ない……


「さてと食い終わったし、オレはアリアにこれからの予定を聞いてくる。ジン、お前も暇してんなら来るか?」


「大人しく縄を出してロバーツさんからの頼みごとをしてるよ。あ、そうだ。シュテンはカーリと仲直りした方がいいんじゃないのか?」


「あ、なんでだよ。そもそも喧嘩なんかしてねぇよ」


「でも昨日……」


「昨日? あー、あれはいつものことだよ。ジン、お前風に言うならあれがオレの役割ってやつだ。心底気に食わねぇやつだが昔っからずっとこんな関係なんだよオレたちはな」


 そう言い残してシュテンは椅子から立ち上がって外へ出かけてしまった。


「役割か……。まあ、取り敢えず俺は自分の仕事するか」


 俺もシュテンに続くように椅子から立ち上がるとシュテンの分の食器も下げて部屋に戻った。あー、縄を出すのって気持ち悪くてやりたくないんだよな。身体が未知の感覚に痒くなるんだよなー。



 ※※  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「まあ、一先ずはこんなところかな」


 俺は三つの木箱パンパンに魔法で作った縄を入れると同時にドアを開けて外の空気を吸いに部屋を出た。相変わらず縄を手足のように動かすと背筋にぞわぞわとした気持ち悪さが広がるが、今日は調子がいいようで三箱分はノルマをこなした。いや、俺の調子は関係なくこの森のおかげかもしれないな。


 魔素が多いおかげか船の上では二箱で倒れてしまったが、三箱分の縄を出してもまだ少しだけ余裕がある。むしろ目標が結構すぐ達成できそうなので晴れ晴れとした気持ちだ。


 まあ、シュティレ大森林では大きな葉っぱに空が隠れてしまい太陽は全く見えないんだけどな……


 さてと気を取り直して散歩でもしようか。どうせこれ以外やることがないんだから少しぐらい身体を動かしても罰は当たらないだろう。


「これからどうしようかな」


 散歩って言ってもこの森の景色はあんまり変わらないしな。あ、そうだヘルガが案内してくれた水場まで行こう。あっちにずっと真っ直ぐ歩いていけば着いたはずだ。蛇とかも怖いがあんなに大きな蛇ならば警戒していれば気付くだろう。


 そんな楽観的なことを考えて一歩踏み出した瞬間――


「うん、ジンか? こんな何もないところでどうしたんだい?」


「ああ、ホヴズ。ちょっとそこら辺を散歩でもと思ってな」


 ホヴズに話し掛けられた。昨日と同じように綺麗な髪を後ろに流している。ただ昨日とは違い弓を背中に背負って武装していた。


「そうか、気をつけなよ。この森で迷子にでもなったら目も当てれないからね」


「心配してくれてありがとう。ところでその手に持っているのは何だ?」


 俺は観察するようにホヴズを見ていると片手に持っている袋が目に付いた。ゴツゴツと硬い何かが入っている袋特有の出っ張りがある。


「……これは魔光石だよ。よかったら見てみるかい?」


「え、これが? 見てみたいです!」


 そう言うと同時にホヴズは馬のような毛皮でできた袋をゆっくりと開いて中身を俺に見せてくれた。だが、彼が見せてくれた魔光石は俺の知っている魔光石とはかなり違っていた。いや、まったくの別物だった。


「これって魔光石じゃなくて蛍石じゃないのか?」


「うん? ホタルイシ? ジン、すまない。オレの知識にはない単語だ。ホタルイシというのは魔光石の別名かい?」


「いや、違うよ。蛍石はただの鉱石だよ。でも俺の知っている魔光石よりもそっちに似てたからさ、紛らわしくして悪かったな」


 目の前に出された魔光石は緑に紫や青などが複雑に絡み合って淡い光を纏っていた。黄泉の国にある街灯などでよく使われる魔光石ではないようだ。


「……ああ、そういうことか。ジン、魔光石っていうのは水に反応してこうなるんだよ」


「あ、そうなのか。これって同じなんだ」


 これが魔光石なら俺は見たことがある。というかそこら辺の樹の根っこを見渡せばタケノコのように生えている。いや、魔素が段々と蓄積することによってできているんなら氷柱や鍾乳石と表現した方がいいのか?


 まあどうでもいいか。でも、魔光石の原材料が至る所に生えていると考えるとやっぱり少しだけ感動が薄れてしまうな……


「いや、というかこれって何に使うんだ? この森には街灯なんて必要がないだろ?」


 エルフたちが暮らしているシュティレ大森林ではただでさえ昼と夜の境界が曖昧だ。カーリが霊樹と呼んでいたここの樹々は魔素の影響か微かに発光している。なので森全体がいつも薄暗いだけで真っ暗になることはない。


 昨日、丸一日ここで過ごしたが夜になっても明るさが変わらなかった。


「……カーリとの話し合いのときに大広間がある樹に魔鉱石を飾っていたのを見ていないか?」


「それなら見たけど」


「あれは墓標だ。共に生きてきた同胞がこの森で安らかに眠れるように、また迷わずに帰ってこれるようにとオレたちはあそこに魔光石を置いているのだ。この前もオレの友がヒュドラに二人殺された」


「…そうか」


 こんなとき何と声を掛けていいのか分からない。若干の気まずさを誤魔化すように顔を振り――


「なら、俺も頑張って力になるよ。微力だけどね」


「………ありがとう」


 そう口にした。俺がまだ子供だからか、ホヴズがヒュドラに対してどんな感情を抱いているのか分からない。友を理不尽に失ったことへの怒りか、憎しみか、それともまったく別の感情なのか。


 俺には何も分からない。だが、ホヴズの胸のつかえが下りたような顔を見る限り俺が投げ掛けた言葉は間違ってはいなかったようだ。


「…じゃあ、オレは大広間のある樹に行ってくる。ジン、オマエにはこれを渡しておくから迷子になったら吹くがいい」


「…ああ、ありがとな。じゃあ俺もそろそろ行くよ」


 ホヴズから嘴のような笛を片手で受け取るとお互いに逆の方向へと歩き出した。一歩、二歩と足を動かす。しかし、途中で何かに引っ張られるように後ろを振り向くとホヴズの姿はもうそこにはなかった。




 ※※  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




「……はぁ、は……あれ、こんなに遠かったけ?」


 ヘルガと歩いて来た時よりも遠く感じる。水場までの代り映えのない道のりをまっすぐ歩いていたはずなのにこの前よりも長く歩いた気がする。


 いや、だがもう水場は目の前だ。迷子になってホヴズに面倒を掛けなかっただけでも及第点ということにしよう。そんなことを考えて進んでいると――


「……アンタ、何やってんの?」


 静寂を破った無法者を睨むようにヘルガがこっちを見下していた。樹の根の上に立ち弓を片手に持っているということは俺のことを昨日の大蛇にでも間違えたのだろう。


「いや、散歩がてら水でも飲もうと」


「フン、魔法が使えるんだからここじゃなくてもいいんじゃないの?」


「あれ、なんで知ってんだ? 俺そんなこと言ったけ?」


「昨日ホヴズに聞いたのよ」


 今日のヘルガはテンションが低い。昨日のみたいに『ニンゲン! バカ! バカ!』といった勢いが感じられない。なんだかやりづらいな……


「それでヘルガはここで何をしてたんだよ? 魚でもいるのか?」


「何だっていいでしょ。それにここには魚なんていないわよ」


「え、何でだよ。こんなに綺麗な湖なのに」


 大きな樹の根に凭れ掛かるように座るヘルガの横に歩いて並ぶ。眼鏡越しにでも澄んでいるのが良く分かる湖にはヘルガの言う通り生き物の気配は感じられない。不思議なものだ。ここまで美しいのなら魚も好んで暮らしそうなものだが。


「ここは湖じゃなくて、ただの水溜まりだもの。ユニコーンの角が浄化してニンゲンも飲めるぐらい綺麗になっても所詮はただの水溜まりにすぎないのよ。それにニンゲンの言葉にもあるはずよ。綺麗すぎる水には魚は住めないのよ」


 えっと、それって確か、孔子の『水清ければ魚棲まず』だったけな。あまりに清廉すぎる人はかえって人に親しまれずに孤立してしまうって意味のはずだ。


 いつもの俺には決して当てはまるとは思えないその言葉がなぜか胸に引っかかった。魚の骨が喉に刺さったような感じだ。船の中でも決まった役割がなく、一人宙ぶらりんの状態だと孤独感がすごい。俺はまだまだ仲間にはなれていないのだと言われているみたいで正直参っていた。


「綺麗な水には魚が住めないか、確かに生きずらいよな……」


「ニンゲン、アンタ急に一人で何言ってんの?」


「あ、いや、実は悩んでいることがあってな……」


「悩みごと?」


「ああ、ちょっとな。ずっと俺は中途半端なんだなって思ってさ」


「……フン、知らないわよ。ワタシには関係ないでしょ」


「ああ、もしかして関係ないから話せるのかもな。暇つぶしに少しだけ俺の話に付き合ってくれよ」


 俺は不機嫌なヘルガに頼み込みように軽く両手を合わせた。


「…なら早くしなさい。ワタシはニンゲンに構うほど暇じゃないのよ」


「確かに時は金なりって言うしな、できるだけ早く済ませるよ」


 ニンゲンが嫌いと言っていても何やかんやで話は聞いてくれるんだな。そんなことを思ったが口には出さずに話を続ける。


「俺ってお前も気付いていたけどリーネの船に乗ったばかり、つまり仲間になってそんなに日が経っていないんだよ。だからまだ自分の役割っていうのが分かっていなくてさ。昨日の会議でそれを見せつけられたような気がしてさ」


 これはレインちゃんだけの話ではない。今思えばシュテンはたぶんヒュドラ討伐にわざと反対してカーリと対立することでリーネが断りやすい憎まれ役を買って出ていたのだろう。ヒビキは朝早くからカーリのところで戦術の助言をしていると聞いた。アリアさんを交渉役としてリーネと共に他の里長のところに連れていった。


「いや、分かってんだよ。もうとっくにさ。俺って本当に何もできないんだ。現世にいたときからそうだったんだ。俺は兄貴にすべてにおいて遠く及ばなかったし、どんなことをしても勝てなかったんだ。そんなことをみんな、自分の親すら当たり前のように分かっていたんだ。俺以外はとっくの昔にさ。だからもうそのことに俺が気付いたときには誰にも期待すらされていなかったんだ。でも――」


「くだらない悩みね」


 俺はまだ誰にも言っていなかった悩みをヘルガによって一刀両断された。俺は驚いてヘルガの方へと顔を向けたが俯いている彼女がどんな表情をしているのか見えない。


「聞くに堪えない。ワタシには自慢にすら聞こえたわよ。アンタはニンゲンの中でも魔法を使えるんでしょ。その時点で特別じゃない! そもそもの話アンタは海賊になってまだ日が浅いって言ってたわよね。綺麗な水には魚が住めない、生きづらいってここにいるってことはアンタが自分で勝手に選んだことでしょ? そんな、そんな奴が期待されていないなんて軽々しく口にしないで!! 本当に腹立たしいわ!!」


「………ああ、悪かったよ」


 俺は自分の本音が無下にされたことよりもヘルガの変わりように戸惑っていた。ここまで怒気を剥き出しにされた経験はない。普通ならビビッて逃げてしまうようなこの場面で俺は全く違うことを考えていた。もしかして、こいつ――


「はぁ、はぁ、それで、何でワタシにそんな話をしたの? ワタシじゃなくてホヴズ兄の方が良かったじゃないの」


 彼女は怒りのあまり息も絶え絶えになっていた。


「あ、ああ。そうかもな。でもヘルガは他の人たちとは違う感じがしてさ……」


「は? 他の()たちとはって何? どういうこと?」


「え、うん? 何でそこまで怒ってんだよ? 俺が何かしたか?」


「そういうことね! ホヴズ兄にワタシのことも聞いていたのね! だからさっきからワタシの癇に障るようなことばかり、不快だわ!」


「いや、ちょっと待てよ、俺は―――」


「うるっさい!!!!」


 俺がヘルガに向かって伸ばしたはずの手は彼女自身によって払いのけられた。鋭い痛みが走る。だが、そんな痛みよりももっと痛そうで、涙をこらえているようなヘルガの表情に引き付けられた。だから、俺はそれ以上の言葉を発することができず彼女が走り去ってしまうのを見送るしかできなかった。


 俺は初めて喧嘩をした。いや、これは喧嘩じゃないな。初めて怒らせてしまった。根っこが優しい彼女を怒鳴らせてしまうほど怒らせたんだ。これはたぶん俺のせいだ。俺が悪いんだ。だから、また明日にでも謝ろう。


 そんな決意を固めて帰路についた。しかし、俺はエルフの里に戻ってもヘルガと一言も会話ができなかった。明日こそ、明日こそ、と視線すら合わせない日々が続いていき、あっという間に二週間が経過してしまった。


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