表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/97

第二十八話 『頼み事』


「はぁ、はぁ、死んだかと思った。いや、もう死んでるけど」


 地面に再び足が着いた瞬間、俺はその場にへたり込むように座った。心臓がまだバクバクと暴れている。いや、暴れ回っている。エルフたちの風の魔法による空中移動は、想像以上にスリル満点だった。ついつい口から恨み言が出てしまうほど、スリル満点だった。もう二度と体験したくない。


「ハッハッハ、大袈裟だな。四大精霊様の加護を与えられたオレたちが、この程度の魔法で失敗するはずがないだろう?」


 ホヴズは笑いながらも、どこか誇らしげに胸を張っていた。確かに、彼の魔法はスゴかった。ヘルガと歩いたときには三十分以上かかった道のりを、ほんの数分で戻ってこれたのだから。エルフたちの魔法による飛行って、もうほとんど車みたいなものかもしれない。まあ、ホヴズに必死になってしがみつかないといけないので、安全性はゴミみたいだったけど。


「面白いことをしていますね? ぜひ一度、ボクも体験してみたいです」


 突然、背後から聞きなれた声が耳の届いた。振り返ると、そこにはやはりというべきか、ヒビキが立っていた。相変わらず仮面のように胡散臭い笑顔を貼り付けていて、どこか他人事のような口調だった。


「ああ、ヒビキか」


「うぇ、ニンゲンもどきだ……」


 俺とホヴズは、いきなり現れたヒビキをそれぞれ異なる表情で迎えた。俺はもう慣れたので、特に感情も湧かず、ほとんど無表情。だが、ホヴズというと……はまるで家でゴキブリを見つけたかのような、あからさまな嫌悪感を顔に浮かべていた。嫌悪感が丸出しな表情だった。


「なあ、ヒビキ。ホヴズに何をしたらこんな表情(かお)されんの?」


「さぁ? ボクって彼に何かしましたっけ?」


 とぼけたように首を傾げるヒビキ。悪意のない、無邪気な態度にホヴズは苛立ちを隠す様子もなく、眉間がぴくりと動かした。


「惚けるなっ! オマエはボクと――オレと初めて会った時に、いきなり木刀で襲いかかってきたニンゲンだろうが!」


「ああ、そういえば……すいませんでした。似たようなことが多すぎて、ボクももう覚えきれないんです」


 似たようなことが多いって、こいつ……もしかして初対面の強そうな相手にはとりあえず斬りかかってるんじゃないだろうな。やってることは、ほとんど通り魔だぞ。というか、恨まれる行為だって知ってるんなら止めろよ。無駄なトラブルを生もうとするな。俺がそんなことを考えていると、ヒビキはさらに言葉を続けた。


「ですが、当時のボクが貴方を襲ったということはこの里で一番強いと見込んだ相手です。誇りに思っても構いませんよ?」


「え、ホヴズってこの里で一番強いのか?」


 俺は思わずホヴズの方を見る。彼は少しだけ眉をひそめ、溜息を吐き、肩をすくめた。スゴイことなはずなのに、彼はあまり答えたくない様子だった。


「……オレは魔法の使い方が大雑把なだけだよ。繊細さに欠けるから、強そうに見えるんだ。それに、この里で誰が一番強いかなんて興味がない。オレは家族と力比べなんて、するだけ無駄だと思っているからね」


「それもそうですね。ですが、ボクは貴方の風の魔法がこの里で一番だと信じています。相対したボクのこの刀が、そう言っていますからね!」


「適当なことを言うな! すべて躱したくせに……」


 ホヴズは顔をしかめながらも、どこか照れくさそうに視線を逸らした。嫌いな相手でも、褒められたら嬉しいものなんだな。というか、ヒビキがここまで言うってことは、本当にホヴズって強いんだな。優しそうで穏やかな見た目からは、まったく想像できない。でも、そういうギャップがあるからこそ、逆に彼の強さに妙な説得力があるのかもしれない。


「風の魔法って、そういえば俺まだ他も魔法をまだ見たことないな」


「そんなんですね。なら彼に見せてもらいましょうか?」


「構わないけど、オマエが言うな……」


 心の底から湧きあがる何かを我慢するように、ホヴズは深い溜息を吐いた。そして彼は、両手をそっと開いた。どうやら、魔法を見せてくれるようだ。


「いいかい、ジン? オレたちエルフは、古の時代に地・水・風・火の四大元素を司る四種類の精霊の力によって魔法の力を授けられたんだ。彼らは目には見えないが、確かにそこにいて、オレたちの生活を助けてくれるんだよ。こんな風にね!」


 ホヴズが指先を軽く動かすと、空気がわずかに震えた。次の瞬間、彼の周囲にふわりと浮かび上がるように、水と火の小さな球体が現れた。水の球は、透き通った青色で、まるで湖面を掬い取ったように静かに揺れている。火の球は、小さく燃えながら、赤い光を放っていた。どちらも彼の周囲をゆっくりと回転しながら、ふわふわと揺れ動いていた。まるで自分の意志を持っているかのように漂っている。


「エルフは、種族として四つの魔法を使えるんですよ」


「火はリーネと同じなんだな。というか、四つ? 風と火と水と……あとは土だっけ?」


「そうだよ。まあ、土の魔法は魔素を含むものの形を変えるんだけなんだけどね」


 ホヴズが地面に視線を落とすと、近くに樹々に巻き付いていた太い蔦が、まるで生き物のように動き出した。その蔦は、ゆっくりと俺とヒビキを囲むように伸び、柔らかく揺れながら近づいてくる。俺は恐る恐るその蔦に触れてみた。いたわるように、優しく触れる。しっとりと冷たい感触が指先に伝わる。だが、次の瞬間――


「え、お、おい、何やってんだよ」


 ヒビキが伸びてきた蔦を、あっさりと斬り落としてしまった。まるで迷いもなく、当然といった態度で、今、俺が触っていた蔦を容赦なく断ち切った。


「この蔦を斬ると、飲み水が手に入るんですよ? ほら?」


 ヒビキが手渡してきた蔦を見てみると、その綺麗な切断面から透明な水分がじわりと滲み出してきた。まるで新鮮な野菜のように瑞々しく、切口からは水滴が零れ落ちてきた。『これって本当に飲んで大丈夫なのか?』と、チラリとホヴズの方を伺うと、案の定というべきか、彼は複雑な表情を浮かべていた。口には出さないが、あまり気乗りしていないようだ。


 まあ、でもせっかくだから飲んでみるか……


 先程、ヘルガのおかげで水分補給をしたはずなのに、ホヴズの魔法のせいで、やけに喉が渇いていた。緊張と恐怖のせいで口の中がねばねばとしている。悲鳴を上げ過ぎたみたいだ。だから俺は、ヒビキから渡された蔦に口をつけ、ごくごくと音を立てて飲んでみた。


「……うん、美味しいけど、少しだけ青臭いような?」


「どこまでいこうと蔦ですからね。少しぐらいは我慢しないと」


 確かに飲めなくはないけど、ヘルガに連れて行かれたユニコーンの角が沈んでいるあの湖の水には遠く及ばない。それに、さっきかなり水を飲んでしまったので、正直に言うともういらない。喉を少し潤せればそれで十分だった。


「ああ、ジン。あまり飲みすぎてはいけないよ。ニンゲンが飲みすぎると、『魔石病』になってしまうからね」


「それは大丈夫ですよ。ジン君はボクと同じく魔法を使えますから」


「……そうなのか、なら、うーん。でも、飲みすぎは危険だよ」


「え、待て待て待て、魔石病って何だよ? そんなに危険なのか?」


 ホヴズがさらりと口にしたその言葉に、俺の手がピタリと止まる。魔素とか、発狂するとかはシュテンから道中で聞いたが、『魔石病』なんて単語は初耳だ。聞いたことがない。というか、聞いていたら絶対に水を飲む前に確認していたはずだ。喉の奥に残る冷たい感触が、急に不気味なものに思えてきた。


「ジン君は気にしなくてもいいですよ。魔法が使えるんですから」


「だが、説明しておいても損はないはずだろう? 魔石病とは、ニンゲンやドワーフが魔素の多い地域にいるとなる奇病のことだね。身体に魔素が溜まり、魔石と呼ばれる特殊な鉱石が、身体の内部から突き破ってくるんだよ。魔法を使えるなら大丈夫とは思うけど……ジンも気を付けてね?」


「いや、軽く言うなよ。怖えよ!」


 思わず声を上げてしまった。そんな大事なこと、もっと早く教えてくれよ。いや、俺が魔法が使えるから、みんな教えなかったのかもしれない。わざわざ恐怖を感じさせる必要はない、と判断されたのだろう。ヒビキやシュテンの話では、魔法が使えると魔素が身体に溜まらないので、魔石病にならないという理屈らしい。まあ、なら別にいいのか。そう思って、少しだけ安心しかけたそのとき――


「あ、そんな所であなたたち何をしているの? 二人とも探してたのよ!」


 大きめな海賊帽子を揺らしながら、リーネがこちらへと歩いてきた。足取りは軽やかだが、どこか急いでいるようにも見える。そして、彼女の後ろには、眠たそうに欠伸を噛み殺しているシュテンの姿もあった。どうやら俺たちのことを本当に探していたみたいだ。


「ボクはこの里の大広間まで本を運んでいましたよ。彼らはとても賢いですね。本が一冊あるだけで、ボクたちの言葉を覚えてしまうんですから」


 ヒビキが誇らしげに胸を張って言う。まるで自分がエルフたちに読み書きを教えたかのような口振りだった。彼らの努力を掠めとるなよ、と内心でツッコミを入れつつ、俺は思わず苦笑した。


「………俺はホヴズと水場から帰ってきたところだ」


 俺も淡々と報告する。というか、ちゃんと働いてたのかよヒビキのヤツ。俺なんてアリアさんに言われた荷解きが終わった後は、寝っ転がって水飲んでただけなのに……なんだか少しだけ、気まずいな。だが、リーネは気にも留めていない様子で、くるりと踵を返した。その背中からは、せっかちな性格が滲み出していた。


「そうなの、まあいいわ。二人とも暇ならそのままついてきなさい! カーリのところに行くわよ! いつまでも待たされたくはないしね!」


「いつまでもって、まだ二時間ぐらいしか経ってないだろ?」


 俺が思わずツッコミを入れると、リーネは振り返りもせずに答えた。


「まだって、もうすぐで夕食よ? 私はご飯を食べながら仕事のことに悩みたくないわ。……それにカーリは決断が速いから、頭の中ではもうとっくに結論が出ているはずよ。急かさないと、エルフ時間で待たされるわ」


 疲れたように語るリーネの背中を見ていると、今まで半永久的に生きると言われているエルフとの価値観の相違に、彼女がどれだけ苦しんできたのかが、少しだけ伝わってくる気がした。エルフの時間感覚って、どれぐらい人間と差があるんだろうな。百年が一瞬に感じるような生き方をしている彼らにとって、『急ぐ』という感覚は、どれほど遠いものなのだろう。俺がそんなことを考えていると、リーネが「ほら、早く」と言いながら、すでに歩き出していた。


 俺はリーネについていこうかと一歩踏み出しかけたが、ふと足を止めた。この場に残されてしまうホヴズのことが、どうにも気になったのだ。


「どうした? オレのことはいいから早く行くといい。それともまだ何かあるのかな?」


 ホヴズが優しく問いかけてくる。その声には、どこか穏やかな余韻があった。まるですべてを受け入れるようなこの森の深さを思わせる対応だった。


「いや、ただお礼を言いたくて……送ってくれて、ありがとうございました」


 俺は素直に感謝を口に出し、頭を下げた。この森で出会ったばかりだが、彼にはもう色々と迷惑をかけてしまった。だが、ここまで自然に感謝の言葉が出てくるとは、自分でも少し驚いた。いつもなら、感謝はしてもわざわざ頭を下げるまでいかなかったはずだ。それだけ、彼の存在が俺の心に残っていたのだろう。


「……ハッハッハ、驚いたね。ニンゲンにお礼を言われたのは初めてだよ。思い返してみれば、こんなことしたことがなかったな。こちらこそありがとう、嬉しいよ、ジン。こんな当たり前のことを、思い出させてくれて」


 ホヴズはどこか遠くを見るような目をしていた。その表情には、懐かしさと、少しの寂しさが混ざっているように思えた。長い時間を生きてきた彼らの感情なんて、俺にはまったく分からない。けれど、彼の表情は何か大切なものを思い出しているみたいだった。少なくとも、俺にはそう思った。


「は、はぁ? それなら、よかったです。……あ、そうだ、ついでといったら何ですけど、ヘルガにも俺が感謝していたと伝えてくれませんか? 雑用を押し付けるみたいになってしまいますが……」


「構わないよ。オレは今機嫌がいいからね。しっかりとヘルガにも伝えておくよ」


「ありがとうございます。それじゃあ俺も行きますね!」


 俺はホヴズに再びしっかりと頭を下げ、リーネたちが消えた方へと急いで向かった。背中に、ホヴズの視線を感じる。振り返ると、彼はまるで憑き物が落ちたような、にこやかな笑みで見送ってくれていた。彼のその笑顔は、シュティレ大森林の静けさと同じくらい落ち着いていて、優しくて、温かった。




 ※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「悪い遅れた!」


 息を切らしながら駆け寄ると、リーネが振り返って俺を見た。その目には、どこか安心したような色が浮かんでいたが、すぐに鋭い眼差しに戻った。


「ジン、やっと来たのね。それじゃあ行きましょうか」


 俺がホヴズに礼を言って別れてから、そう時間は立っていなかった。一分も経っていない。それでも、リーネたちはすでに次の行動に移る準備を整えていた。相変わらず、行動が速い。彼女たちが立っていたのは、エルフの里の中でも一際目立つ、頭一つ抜けた巨大な樹の前だ。そこで、俺を待っていてくれた。その樹には、この里では珍しい両開きの重厚な扉が構えられている。他の建物と比べても、明らかに格式が違う。他の建物が自然と調和するような造りであるのに対し、この扉は明らかに異質だった。たぶんここが、ヒビキが言っていた『大広間』だろう。そうじゃないと、もう他には候補がない。


 シュテンの背中に続いて扉の中に入る前に、俺はもう一度この樹を見上げるために足を止めた。本当にデカいな。見上げるほどに高く、幹は太い。もはや”樹”じゃなくて、自然が作った”塔”のような雰囲気だ。魔素の影響で育ったと聞いたが、何千年の月日が過ぎれば、ここまで巨大に育つんだろうな。圧倒的な存在感に、俺はしばし言葉を失っていた。俺は一人取り残されたまま、この樹の迫力に圧巻されていると、真中辺りでキラリと何かが光ったのは見えた。


 視界の端で、キラリと光ったものの正体を探るように、眼鏡の位置を直すと大広間がある樹の中腹辺りに、過度に装飾が施された石が柔らかく光っているのが見えた。あれは……魔光石。おそらくそうだ。禊木町で見かけた街灯の明りに似ている。自然と人工の境目のような、不思議な光を放っていた。


「お前何やってんだよ、早く来いっ!」


「——ああ、ちょ、力、つよっ!」


 目を凝らしながら考え込んでいた俺の腕を、怒ったシュテンが無造作に掴んだ。引きずり込まれる。引きずり込まれる。そのままの勢いで、俺は大広間の中へと引きずり込まれてしまった。天然の床はほんのりと温かく、頬に柔らかな感触が伝わってくる。扉の中は、ひんやりとしていた肌寒かった外とは別の静けさが広がっていた。冷たいのは空気ではなく、間抜けな姿の俺に注がれる視線の方だった。


「……ずいぶんと派手な入り方だな」


 転がるように大広間に入室した俺を見て、カーリが目を丸くしていた。入室の仕方がよほど派手だったんだろう。どんどんと視線が集まるのを肌で感じた。彼女の表情は、普段の冷静さからは想像できないほど驚きの色が滲んでいた。恥ずかしい。俺は咄嗟に背筋を伸ばし、何事もなかったかのような顔をして立ち上がる。


「お兄さん、何をしているんですか?」


「ジン君、大丈夫ですか?」


「……はい、ごめんなさい」


 アリアさんとレインちゃんは、すでに大広間の中にいたらしい。大広間の中心には、報告会のときと同じように大きな円卓の机があった。それを囲むように、三人が静かに座っている。カーリとレインちゃんとアリアさんの三人だ。リーネがカーリの正面に座るのを見て、俺は空いている席に滑り込むように座った。椅子の脚が床を擦る音が、やけに大きく響いた。それだけ、この空間が静まり返っていたのだ。


「さてと、カーリ、みんな揃ったことだし、さっき言いかけてた重要な要件っていうのを話してくれないかしら?」


 リーネは腕を組み、真っ直ぐに正面に座るカーリを見据える。燃えるような彼女の目には『もう、面倒くさいから早く話してくれない』という絶対に逃げ場を与えない強い意志が宿っていた。というか、リーネにしては珍しく、感情的に……いや、感情的なのはいつものことなのだが、今は苛立ちを隠そうともしれない。彼女がここまで怒りの感情を露わにしているは、本当に珍しい。俺は、これまで不機嫌そうな彼女の姿を見たことがない。


「……相変わらずニンゲンは生き急いでいるな。特にリーネル、貴様はニンゲンの中でも一際慌ただしい。貴様も海賊の頭として、少しは我らエルフのように余裕を持つべきだ」


「あなたたちエルフを基準にしてたら、私は一瞬でおばあちゃんになってしまうわ。それに、あなたは私たちとそんな言い争いをしたいわけじゃないでしょ? 早く要件を話してちょうだい」


 リーネの声は冷静だったが、その奥にはわずかな苛立ちが滲んでいた。彼女の言葉は、ただの催促ではないと俺も今初めて分かった。それは、この場に漂う曖昧な空気を、はっきりとした言葉で断ち切ろうとする意志の表れのように思えた。カーリは呆れるように小さく溜息を吐いた。そして、彼女は細い肩をわずかに落とし、視線を一瞬だけ宙を彷徨わせる。


「……我らにもう少しだけ悩む時間をくれという意味で貴様らに身体を休めろと言ったつもりなのだが伝わらなかったのか?」


 凛とした彼女の声には、どこか自嘲めいた響きがあった。エルフとしての誇りと、長寿ゆえの慎重さ。それが彼女の言葉を重く、心の決断を遅らせている要因になっているのだろう。


「伝わったわよ! でもね、結論が出ていることを先延ばしにされている状況が私は嫌なのよ! 無駄な抵抗は止めてさっさと話して楽になりなさい!」


 リーネの声が一段強くなる。まるで閉ざされた扉を何度も叩くように、彼女の声はまっすぐにカーリへと向けられていた。


「あなたは悩んでいる時点で、もう頭では結論を出しているんでしょ? 私が知ってるあなたは、そういうタイプよ。だけど今は、それを少しでも先延ばしにしているのよ。邪魔しているのは、あなたたちのプライドだけ。後は私たちを信じて頼るだけ、違う?」


 リーネの言い分は、ただ我儘を言っているだけのようにも聞こえた。だけど、彼女の言葉には確かな熱がこもっていた。彼女の真っ直ぐな想いが、大広間の空気を震わせる。その熱に押されるように、カーリの視線がわずかに揺れる。


「……確かに、貴様の言う通りだ」


 カーリの声は、静かに、しかし確実に変化していた。声の質といえばいいんだろうか。彼女の言葉には、これまでのような距離感や形式ばった響きはなかった。だから俺には、これこそが隠していた彼女の本心のように感じられた。


「我らが貴様らに頭を下げて頼めないのは、偏にエルフとしての矜持(ほこり)があるからだ。それにこの件には、このシュティレ大森林に住まうすべてのエルフが関係している。だから、我らの里の一存で貴様らに――」


「だから! 御託はいいのよ!」


 まだもったいぶるようなカーリの口調に、リーネがバン、と机を叩くように立ち上がった。その音が大広間の鋭く響き渡り、空気が一瞬で張り詰める。だけど、彼女の燃えるように赤い瞳だけは何も変わらずに、カーリのことをまっすぐに射抜いていた。


「私が言いたいのあなたたちに助けがいるのかってことよ! エルフだの人間だの、そんなことは二の次よ! 助けがいるなら、私たちが絶対に助けてみせるから!」


「だが――」


「どっち!!」


 彼女の一言は、まるで刃のように鋭く、カーリの胸に突き刺さった。リーネから二択を強制させられて困ったように眉尻を下げる。その表情には、誇り高いエルフの長としての威厳と、彼女個人の弱さが交差しているみたいだった。大広間の空気が凍り付いたように静まり返る。集められた誰一人として、彼女たちの間に口を挟めない。挟むべきではないと思った。カーリはしばらく沈黙し、目を伏せたまま動かなかった。だが、やがて小さく、しかしはっきりと口を開いた。


「………助けが欲しい」


 彼女の言葉は、まるで重い扉がゆっくりと開かれるかのようだった。リーネの燃えるような赤い瞳に気圧されたのか、カーリはさっきまでのもったいぶるような口調を止め、素直に助けを求めてきた。カーリのその言葉を聞いたリーネは満足そうに微笑んだ。


「最初からそう言えばいいのよ。それで何に困っていたの? あなたが私たちに頼るなんて、よっぽどのことなんでしょ?」


 リーネの声は、先程までの鋭さがすっかり消えていた。完全に和らいでいる。だが、彼女の瞳の真剣さだけは変っていない。俺はそこで、彼女が何に腹を立てていたのか、ようやく理解した。リーネは信用されていないことに腹を立てていたんだ。対等な存在として遠慮などせずに、彼女はただ信じて欲しかったんだ。それだけだったのだ。


「リーネル、貴様はシュティレ大森林の北にある沼地を知っているな?」


「『ヴァイト沼地』のこと? それって商人が絶対に近づかないぐらい大きな沼地のことでしょ?」


「ああ、そうなのか。かつてのニンゲンどもは、確か『レルネーの沼』と呼んでいたのだがな……」


「へぇー、そうなの? はじめて知ったわ!」


 リーネが軽く肩をすくめるように言うと、アリアさんがすかさず口を挟んだ。


「リーネ、その話は後でも出来ます。私たちはそれよりも先に、カーリさんの重要な要件を聞かなければなりません」


 黙って聞いていた俺たち全員の気持ちを代弁するように、アリアさんが冷静に場を整える。彼女の声は落ち着いていて、場の流れをきちんと整える力があった。彼女の一言で、脱線していた話し合いが、再び本題へと戻った。


「ええ、そうね。アリアの言う通りだわ。そもそも私たちはヴァイト沼地で何をすればいいの?」


「そうだな。前置きが長くなってしまったが……単刀直入に言おう」


 カーリの声が、再び静かに響いた。だが、その声には先ほどまでとはまったく違う。彼女の声音には確かな怒りと決意が込められていた。彼女の翡翠の瞳はもう揺らいでいない。今度は彼女の方がまっすぐに、俺たちのことを見据えていた。その視線には、もう迷いはなかった。


「ヴァイト沼地で長く眠っていたはずのヒュドラが目を覚まし、我らエルフの同族を食い殺し始めた。我々はシュティレ大森林に住むすべての同胞に語り掛け、ヒュドラ討伐を計画しているのだ」


 彼女の口からその言葉が放たれた瞬間、大広間の空気が一変したのを肌で感じ取った。ピリピリとした緊張がカーリから大広間全体に広がっていく。静かなカーリの口調からは想像できないほど、感情が込められていた。俺は思わず息を呑んだ。呼吸の仕方を忘れるとは、このことだろう。カーリは自身を落ち着かせるように、数回深く息を整えた。そして――


「そこで貴様らには、そのヒュドラの討伐に力を貸して欲しい」


 カーリは静かに頭を下げた。ホヴズと同じ、綺麗な緑色の耳飾りが彼女の動きに合わせて静かに揺れる。自身の弱さを曝け出すのは、並大抵の決断ではなかったはずだ。それは、震える指先を見れば一目で分かる。俺たちに頼むその声色は、いつもと同じく冷静に聞こえた。だが、カーリの見えない表情からは隠しきれないほどの激情が伝わってきた。怒り、悲しみ、そして仲間を失った心の痛み。それらがすべて、ヒュドラへの憎しみになって彼女の口から零れ落ちた。これはただの依頼ではない。カーリたちにとって、これはヒュドラへの怒り――エルフたちの、魂の叫びだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ