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第二十七話 『散策』


「さすがに喉が渇いたな…」


 荷解きが終わり、エルフたちが用意してくれた樹の家の一室で、俺は寝っ転がって身体を休めていた。森の中では時間の流れが曖昧で、太陽の位置すら分かりづらい。だから、昼夜の感覚があやふやになってしまう。だけど、たぶんまだ夕方にもなっていないだろう。まったく眠くならないしな。体感的にもそこまで時間が経っていると思えなかった。というか、まだ何もしていないのにそこまで時間が経っているなんて思いたくもない。


 俺は、寝っ転がっていた身体に力を込めて、勢い良く立ち上がる。床とベットはしっかりとしていて、軋む音ひとつ立てない。そしてそのまま部屋を出ると、木の幹に沿って作られた螺旋階段を下りていく。エルフたちが暮らしているこの樹の家は、まるで森に溶け込んだマンションのような構造をしていた。三十人近くいるリーネの海賊団に、一部屋ずつ割り振れるほどの広さがある。それでも驚くべきことなのに、建物全体が一本の巨大な樹木できているというのだから、なおさらだ。


 一本の樹でこれだけの居住空間を確保できるのだから、エルフの里はかなりデカいのかもしれない。人数に反して規模が大きい。見た限り、エルフの人数は百人もいない。五十人もいれば多すぎるくらいだろう。それだけの人数に、これだけの空間を用意しているということは……凄まじいことだ。もしかして魔法に力だろうか。四つも魔法を使える種族なんだから、その中の一つが建造に応用できる魔法だったのかもしれない。それだと、やってることはエルフじゃなくてドワーフっぽいけど。


「これって、どうなってんだ?」


 それよりも、この樹の家そのものが気になって仕方がない。中身をほとんど刳り貫いて、俺たちが暮らせるような居住区になっているのに、まだ生きているみたいだ。手で壁をそっと撫でると、かすかな鼓動のようなものが伝わってくる。まるで、樹そのものがゆっくりと肺呼吸をしているかのようだった。触れた場所から、絶対に枯れることがないという確信めいた感覚が流れ込んでくる。奇妙な感覚だった。少なくとも、現世では体験したことがない。


「いや、それよりも……水ってどこにあるんだ?」


 荷解きという、そこそこ大変な仕事を終えた後だからか、喉が渇いて仕方がない。やけに喉が渇いている。森の空気が乾いているわけでもないのに、身体が水分を欲している。だけど、他の部屋に勝手に入るのも気が引けるし、外に出ればきっと誰かしら知り合いがいるだろう。そんな軽い気持ちで、一階にある円形のドアを開けた。お洒落だな、なんて思いながら、円形のドアを跨ぐように外に出ると――


「アンタ、何やってるの?」


 第一村人、発見。都合よく、ヘルガがドアの目の前を通りかかった。まるで、待ち伏せていたかのようなナイスタイミングだ。いや、彼女が俺なんかを待ち伏せにする理由なんてないから、本当にたまたまなんだろうけど。でもまあ、ばったり会ったのも何かの縁だ。一期一会ってのはちょっと意味合いが違うけど……せっかくだし、ヘルガに水飲み場の場所を聞いてみよう。里なんだから、井戸か何かがどこかにあるはずだ。


「喉が渇いたんだけど、水ってどこで飲めるのかなって……」


 俺がそう言うと、ヘルガは怪訝そうな顔をして眉をひそめた。その表情は、まるで『何でそんなことも知らずに生きていられるの?』とでも言いたげだった。


「アンタたちって、確かユニコーンの角を持っていたはずよね? あれさえがあれば、どんなに汚い泥水でも、海水でも、飲み水に変えてくれるはずよ?」


「……新入りだから何も知らなくてさ。できれば案内して欲しいんだけど」


 ユニコーンの角って何だっけ? いや、覚えているけど……覚えているけどさ。やっぱり、まだ聞きなれないな。というか、ユニコーンの角ってそんな水筒感覚でいいのか。もっと神聖なものってイメージがあるんだけど。いや、これはまだ俺がこちらの常識に馴染めていないだけだ。現世の常識を捨てないと、もっと頭をおかしくしないといけない。頭のネジを意識して緩めないといけない。そうしないと何時まで経っても、俺は彼らの仲間じゃなくて、お客様のままだ。もっと頑張らないとな。


「はぁ? なんでワタシがアンタのためにわざわざ道案内しないといけないの!? 暇そうにしている他のニンゲンをあたりなさい!」


「いや、ヘルガだから頼んでるんだけど」


 アリアさんに頼まれたこともあって、ヘルガともう少しでもいいから話してみたいと思ったいたんだ。彼女と仲良くなってみたい。彼女が本当に人間嫌いなのか知りたいんだ。俺はどうもそうは思えないから。だから、リーネやアリアさんの言葉を理解するためにも、俺はもっと彼女と話してみたかった。


「………フン、アンタ、ついに他のニンゲンに見捨てられたの? まあ、最初から役立たずみたいだし? 見捨てられるのも時間の問題だったかもしれないけどね? でも、いくらなんでも速すぎない?」


「やっぱり、ダメならいいけど」


 どうやら、ヘルガは機嫌が悪いみたいだ。触らぬ神に祟りなしってやつだ。残念だけど、彼女が嫌なら別にいい。無理強いしようとまではとは思わない。正直、ヘルガじゃなくてもいいからな。リーネか誰か、目立つ輩を見つけてそいつから飲み水の場所を――


「……連れっていてあげてもいいけど、少しでも遅れたら置いていくから」


 その言葉に、俺は思わず口を閉ざした。何だこいつ、という目で彼女のことをじっと見る。だが、ヘルガは俺の視線など気にも留めず、くるりと踵を返して歩き出してしまった。俺を置いて。だけど、なんやかんやで連れて行ってくれるあたり、優しいというか、わかりやすいというか。まあ、いい。もしアリアさんが言う通り、彼女が本当に人間嫌いだとしても構わない。哀れみでも、気まぐれでも、こうして俺なんかと話してくれるだけでもありがたい。それだけでも。少しは距離が縮まる気がするからだ。


「遅い!」


「……は、はい」


 そんなことを考えていると、数十歩先を歩いたヘルガが振り向きざまに鋭い声を飛ばしてきた。俺は何も言い返せず、慌てて彼女の後を追う。というか、遅れたら置いて行くって自分で言ったはずなのに、俺が遅れたら怒るってどういうことなんだよ。こうして、俺たちは並んで……いや、俺が一歩後ろを歩く形で、エルフの里を進んでいった。




 ※※  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




「ニンゲン。アンタって、本当に体力がないのね。見ているだけでも哀れになるわ」


 ヘルガは、振り返りざまに俺に向かって呆れたような声音でそう言ってきた。その背中からは、明らかに『こんなことで音を上げるなんて信じられない』と言いたげな雰囲気が漂って……いや、直接似たようなことを言ってきたな。


 だけど、これは仕方がないだろう。単純に、環境の差だ。ゲームではよく『森人』と表記されることもあるエルフと、数か月前までただの学生だった俺だ。しかも中学生の頃までは頑張っていた空手部を辞めてからは、高校では最低限の……体育の授業でしか運動をしていない。強いて言えば、あいつらとバッティングセンターぐらいにしかよく行っていたたくらいだ。


 そんなヤツが、森に住むエルフと体力勝負で勝てるわけがない。


 何本ものマンションのような構造をした馬鹿デカい樹々を抜けると、どうやらエルフの里を抜けたらしい。上がった息を整えるように空を見上げると、そこにはもうツリーハウスも橋も何もなかった。ただ、空と葉の隙間からさあ仕込むわずかな太陽の光が、静かに揺れているだけだった。


 行き道と同じように、どこにいるのか分からなくなるほど、景色はどこまでも似通っている。それにしても、もう三十分は歩いた気がするけど……水場にはまだ着かないんだろか?


 我が儘を言うようで彼女には申し訳ないが、いい加減、本当に限界だ。喉が渇いた。この森に住むエルフたちは、水が飲みたいと思ったら、こんな道のりを毎回頑張って歩かないといけないのか? 彼らの苦労を想像するだけでも同情してしまう。……いや、彼女たちはこの森を魔法で自由に飛びながら移動しているから、問題はないのか。そう考えると、エルフの性能ってやっぱりすごいな。


「ほら、着いたわよ。ここが水場よ」


 樹の根を横切ると。ヘルガの言う水場が見えた。だが、それは水場というよりも、水溜まりに近い小さい池だった。顔よりも大きな葉っぱがいくつも浮かんでいて、水面に波紋を広げるように、風に揺れている。頭上の樹々の隙間から、珍しく太陽の光が差し込んでいた。ここからなら、青い空が見える。


「……なあ、これって本当に飲んでもいい水なのか? 煮沸とかなくても飲めるのか?」


 今度は俺が眉をひそめながら、池の水を覗き込んだ。見た目は確かに澄んでいるが、天然の水をそのまま口をつけて飲むのは、さすがにちょっと怖い。


「失礼ね、ここにはユニコーンの角が湖に深くに沈んであるの。だから飲んでも大丈夫どころか、この大陸で一番綺麗な水よ! 嫌なら、そのまま干からびればいいじゃない」


 ヘルガは両腕を組んで、そっぽを向いてしまった。俺はそんな彼女を横目に、水場をじっと観察した。ユニコーンの角というのは、まだ一度も見たことがないんだが……確かに、この水は驚くほど澄んでいる。澄んでいるように見える。手のひらをお椀のように丸めて水を掬ってみると、ひんやりと冷たくて、透き通るような感触が指先に伝わってきた。美味しそうだ。というか、喉の渇きが限界だし、彼女を信じてみるか。


「本当だ、冷たくて美味しい」


 そっと口に含んだ瞬間、冷たい水が喉を潤し、全身にじんわりと染み渡っていくのが分かった。生き返るという表現は、きっとこの時のためにあるのだろう。いや、実際に俺はもう一度死んでしまったから、生き返るって表現は間違っているような気がするが、本当に生き返ったかのようだった。


「当たり前でしょ! ワタシたちエルフの水場だもの!」


 ヘルガは得意げに胸を張った。その姿はまるで『どう? すごいでしょう!』と言わんばかりだ。俺は、彼女の喜ぶ姿を横目で見ながら水を飲んでいると、ふと何か光るものを見つけた。彼女から湖の中心に視線を向けると、白く清らかな何かが水の底で淡く光を放っていた。水面の揺らぎに合わせて、ゆらゆらと揺れる光。煌々としていて、神秘的で、どこか神聖な気配を感じさせた。あれが、ユニコーンの角ってやつなのだろうか。そう確認しようとヘルガの方に顔を向けた、その瞬間――矢が飛んできた。俺の頬を掠めるように、鋭い矢が風を裂いて通り過ぎた。


「うわ、ッぶね! 何すんだ!」


 俺は思わず身を引いた。矢は俺のすぐ横を掠め、背後の茂みに突き刺さった。俺は矢の飛んできた方向――つまり、ヘルガの方を睨みつける。だが彼女は、すでに弓を下ろしていて、まるで何事もなかったかのような表情で立っていた。


「何よ、助けてあげただけじゃない。ほら後ろを見なさい!」


 彼女の言葉に促されて、振り返ると、そこには……蛇がいた。いや、大蛇と呼んだ方が正しい。俺の胴体を軽く絞め殺せるほどの太さで、鱗は周囲の樹と同じような色合いをしていた。擬態しながら、音もなく近づいてきていたらしい。まったく気づかなかった。もしヘルガが矢を放っていなければ、今頃、俺は――


「何か言うことがあるんじゃない、ニンゲン?」


「あ、ありがとうございます」


 ヘルガは、矢が突き刺さった大蛇の頭を見下ろしながら、流れるような目線をこちらを向けてきた。その目にはどこか得意げで、その行動には少しの優しさが滲んでいた。だから、俺は素直に頭を下げた。命を救われたのだ。余計な意地を張る理由なんて、どこにもない。そこまで恩知らずではない。


「……フン、それでいいのよ」


 ヘルガはそう言って、大蛇の目と脳を貫通していた矢を引き抜いた。その動作は慣れていて、無駄がなく、静かだった。彼女の手際の良さから、こんなことが日常茶飯事に起こっているのだと理解できた。やっぱり危ねぇよ、この森。俺みたいな普通の人間がたった一人でこの森に入ったら、迷子になるどころの騒ぎじゃない。蛇に食われて、誰にも知られずに死んでしまう。 


「それにしても……蛇ね……」


 そんなことを考えていると、ヘルガが何かを苦々しく噛みしめるように呟いた。その声は小さく、どこか遠くを見ているかのようだった。勝気な性格をした彼女の表情に、どこか影が落ちている。彼女の中に、何か思い出したくない記憶でもあるのだろうか。俺は、そっと彼女その横顔を見つめた。


「ヘルガってもしかして蛇が嫌いなのか?」


「……大っ嫌いよ、でも美味しいからね」


 ヘルガはそう言うと、大蛇を軽々と背負い、歩き始めた。嫌いでも、美味しいから持って帰る。その逞しさに、俺は思わず感心した。エルフって種族は、ずいぶん頼もしいな。いや、昔の人間もそうだったのかもしれない。現代に生きる俺は、嫌いだからと遠ざけすぎているのかもしれない。好き嫌いができる環境って、とても幸せなことだったんだな。俺も、彼女たちのように生きてみたいものだ。こっちで頑張っていれば、いつかは逞しい男になれるのだろうか?


「あ、ちょっと、置いてくなよ」


 俺は大慌てでヘルガの後を追う。気付けば彼女は、すでに大蛇の頭を落とし、尻尾までの皮を剥ぎ、水で洗っていた。何度も繰り返してきた作業のようだ。あの一瞬で、彼女は下処理をすべて終わらせていたようだ。俺の太腿にあるヒビキと買った短剣で……


「これ、返すわ」


 ヘルガは無造作に短剣を差しだしてきた。もう一度言うが、俺の()()の短剣を。


「……うん」


 別にいいんだけどさ。助けてくれたし、ここまで案内してくれたしね。だけど、一言ぐらい欲しかったな。『借りるわよ』とか『悪くなかったわ』とか、そういうの。新品の消しゴムの角を使われたような気分だった。短剣の初めてを奪われてしまった。ボクが先に捌きたかったのに。


「もう帰るのか?」


「ええ、そうよ」


「……そうか」


 会話が続かない。まず、話すことがない。現世の話はさっきしたし……蛇をどう料理するのか聞くか? いや、二言ぐらいしか続かないだろうな。それに、さっきまでと異なり、ヘルガの雰囲気が明らかに変わっていた。大蛇と見てから、さっきまで彼女が宿していた愛嬌というべき柔らかさが消えてしまった。ピリピリとした緊張感が漂っている。


 というか、エルフとの話題なんて分かるわけがない。今思っても、すごい状況だな。そうか、俺ってエルフと話しているのか。現世の俺の腐れ縁の友人たち……日向はともかく、葦原は血の涙を流して羨ましがるだろうな。周囲を警戒しているのか、彼女のちょっとだけ尖がっている耳がピクピクと揺れている。こいつの耳って、カーリと比べて小さくて可愛いな。


 ……いや、こんなことを考えている場合じゃない。アリアさんとの約束もあるし、このまま無言で帰るのはかなり気まずくてなんか嫌だ。エルフとの話題って何があるだろう。現世の話をしようにも、彼女は俺の話を嘘だと思っているみたいだし、こっちに来てから日が浅い俺には、おもしろい話の一つもない。話題の手札がなくて詰んでいる。会話のデッキがない。こうなれば、最終手段だ。天気の話でも……いや、そうだ。こっちにはエルフだけじゃなくて、ドワーフもいると聞いたな。これなら――


「……なあ、ヘルガ。エルフって俺たちみたいにドワーフと交流ってあるのか?」


「はぁ? 急に何? ドワーフたちと交流なんてあるわけないでしょ?」


 唐突な問いかけに、ヘルガは再び綺麗に整った眉をひそめた。その表情はまるで『何を言い出すんだ、こいつは?』とでも言いたげだった。というか、さっきからこんな表情しか向けられていないな。俺って、そんなにおかしなことを言っているのだろうか。


「いや、俺たちとはあるからドワーフたちともあるのかなって、素朴な疑問?」


 ヘルガは一瞬だけ黙り込むんだ。けれど、すぐに鼻を鳴らして高らかに言い放つ。


「……アンタたちが特別なだけでワタシたちは他のニンゲンとも交流はないわよ。だからせいぜい私たちと話せることをありがたく思いなさい!」


「はいはい、そう思ってますよ。…………エルフとドワーフって違うんだな」


 ボソッと小声で呟いたつもりだったが、ヘルガのちょっとだけ尖がっている耳は聞き逃さなかったようだ。


「ちょっとアンタ、今なんて言ったの? 聞き逃さなかったわよ! ワタシたちエルフと、ドワーフがなんですって?」


「え、何って……エルフとドワーフってそこまで違うんだなって」


 いや、エルフとドワーフが種族的に違うなんてことは、もう当たり前のように分かっている。でも、俺にとってはどちらも実在するファンタジーだ。アリアさんの言う『偏見を持っていない』とはこのことかもしれない。


「全然違うわ!!」


 ヘルガは振り向きざまに、こちらの顔を指差して声を荒げた。その勢いに、俺は思わずたじろいてしまう。


「そんなに怒ることかよ……」


「当たり前でしょ! あんな耳を切り落とす種族と一緒にしないで」


「み、耳を? 何で?」


 エルフ特有の価値観なのかもしれない。だけど、耳や鼻を切り落とすという行為は、戦国時代には首の代わりになっていたし、他にも多くの場合に、刑罰として行わてきたと聞いたことがある。いや、それが異常だと判断できる彼女の方が、むしろ正常な感覚なのかもしれない。耳を切るって確かに恐ろしいな……痛みを想像しただけで、涙が出そうになった。


「知らないわよ! 話したこともないしね。だけど昔っからいい噂は聞かないわ」


「噂は噂だよ。そんなことより、皆で仲良くできたほうがいいと思うけどね」


「フン、ニンゲンであるアンタたちがそれを言うの? アンタたちは、ずっと争いが絶えない種族じゃない。それにね、教えといてあげるけど……噂を立てられるっていうのは、それ相応の理由があるからよ! 甘いのは、その締まりのない顔だけにしなさい!」


 ヘルガがそう言い放った瞬間、風が巻き起こった。ふわり、ふわり、と全身を包み込むような優しい風。これは、彼女の怒気によるものではないと瞬時に分かった。何が起きたと、風が吹く方へと顔を向けると、上空から一人のエルフが舞い降りてきた。風を纏いながら、ゆっくりと俺たちの間に降りてくる。彼の顔には、見覚えがあった。解体したグリフォンが入った箱を運んでくれとエルフだ。


「ヘルガそれは言い過ぎだよ。知りもしないことを決めつけて話すのは愚かな行為だ。少なくとも、ドワーフのことはオレたちよりもニンゲンたちの方が遥かに詳しいはずだ。オレたちは森の外の事情を何も知らない。まずは、そのことを自覚しなければ……彼らと良き隣人関係を築くことはできないよ?」


 声は穏やかで、けれどしっかりとした芯のある響きを持っていた。彼女を注意しているこの人は、サラサラとした髪をオールバックにしている。エルフだからと言うべきかその微笑む姿には中性的な色気があり、とても美人なエルフだった。まるで、どこかの美術館に展示されてある絵画からひっそりと抜け出してきたみたいだ。


「さっきのニンゲンだな。名前は?」


 ヘルガに向いていた翡翠の瞳が、ゆっくりと俺の方へと向けられる。その視線は柔らかく、けれどどこか見透かすような深さがあった。


「平坂仁です。仁って呼んでください」


「ああ、よろしく。オレはホヴズだ」


 そう言って、ホヴズと名乗ったエルフの青年は、右手を差し出してきた。その仕草は自然で、人懐っこさすら感じられる。とても爽やかだ。雰囲気はどこか、カツキと似ている。これは、イケメンだからか。イケメンにしか許されない空気感。俺は少し戸惑いながらも、その手を握り返した。まあ、ただの握手だ。


「そうだ、カーリがオマエのことを探していたぞ? 早く帰った方がいい」


「……ええ、分かったわ。ワタシの代わりにそのニンゲンをお願い」


「ああ、任せておけ」


 ホヴズとの会話を終えると、ヘルガは一度もこちらを振り返ることなく、里の方角へと走り去ってしまった。その背中が樹々の間に消えていくまで、俺たちはしばらく無言で見送っていた。彼女の姿が完全に見えなくなったとき、ホヴズがふっと微笑んできた。


「さてと、まずは君にお礼を言わないといけないね。ジン、ヘルガと仲良くしてくれてありがとう。ヘルガは素直じゃないから、大変だろう?」


「……はい。でもやっと彼女との関わり方が分かってきました」


「それなら良かった」


 ホヴズの声は森の風のように柔らかく、心にすっと抜けていく。耳に心地よく響く。自然とこちらの肩の力が抜けていくのだ。なんでエルフたちの声って、こんなにも心地良いのだろう。話していると、不思議と落ち着く。彼の理知的な雰囲気もあるかもしれないが、そもそも声がいい。心の底から羨ましいと思ってしまうくらいには、声がいい。


「それより、カーリさんの用事って何でしょうね。もしかして、俺たちって来るタイミングが悪かったですか?」


「……いや、そんなことはないよ。オレたちもオマエたちが来ることは事前に分かっていたしね。むしろ、嬉しいくらいだよ。……ヘルガには内緒だが、カーリはたぶんオマエたちをもてなす宴の準備を手伝わせようとしているんだよ。ニンゲンのために、なんて言ったらヘルガが素直に手伝うとは思えないからね」


「あー、なるほど。確かにそうですね」


 ホヴズさんの言う通り、ヘルガが俺たちのために何かをしてくれるなんて、ちょっと想像できない。『はあ? 何でワタシがニンゲンなんかをもてなさないといけないのよ!』とか言いそうだ。いや、絶対に言う。断言してもいい。その光景を頭の中で想像し、思わず笑ってしまった。そこで、ふとホヴズさんの片耳に耳飾りが目に入った。繊細な細工が施されたそれは、彼の雰囲気にぴったりすぎて、思わず見入ってしまった。


「……そのイヤリング、とても綺麗ですね。凄く似合っています」


「うん? ああ、この耳飾りのことかい? それはありがとう。これは妻から貰ったものなんだよ」


「えッ! 奥さんがいらっしゃるんですか? まだ、すごく、若く見えますが」


「……エルフとニンゲンの基準を同じにしない方がいい。オレたちは身体が狩りができるほどの大きさに成長すると、ニンゲンと違って年を取らなくなる。つまりオレたちは、半永久的に若い姿のままなんだ。この姿のまま、何百年、何千年といった長い時間を仲間と過ごす。だから、見た目でオレたちを判断することは浅はかと言わざるを得ない行為だ」


 ホヴズさんは困ったように、綺麗に整った眉を下げて俺に注意をしてきた。その言葉には、エルフという種族への誇りが滲んでいた。


「それはすいません。まだ、こっちに慣れていなくて……」


「いや、怒っているわけではないよ。ただ気になっただけで……ああ、またか、ごめんね。普通に話しているつもりだったのだけど、ニンゲンの言葉には慣れていないせいか、どうも微細な意味合いを伝えるのが難しい。妻からも『怒っているように見える』って言われていてね。気を付けてはいたんだけど……不快にさせたのなら謝るよ。ごめんね?」


 彼はさっきまでとは打って変わり、親に叱られる子供のように頭を抱えて「本当にごめんよ」と何度も繰り返し謝っていた。可愛いな、このエルフ。


「気にしてないですよ。そのくらい。ちなみになんですけど、奥さんって……もしかしてカーリさんのことですか?」


「え、よく分かったね! オレって、そんなに分かりやすかった?」


「いや、カーリさんの名前が出たときだけ、何というか……雰囲気が優しくなった気がしたというか、えっと……そんな感じです」


 理知的で相手を落ち着かせる雰囲気があるホヴズさんだけど、カーリさんの名前が出たときだけ、口元がふっと緩んだ。ニヤケているように感じたんだ。俺はずっと人の顔色を伺って生きてきたから、そういう変化には敏感だ。まあそれでも、ホヴズさんはかなり分かりやすい方だと思う。


「そうだよ。カーリは()()の妻なんだ。あ、あと”さん”付けはやめて欲しい。あまり慣れていないんだ。なんだか心が、くすぐったくなる」


「……え、あ、はい」


 今更かよ、と内心で思ったが、そういえばカーリも嫌だと言っていたな。社交辞令みたいなものかと勝手に思っていたけど、やっぱり、慣れないと嫌なものなのか?


「この耳飾りはね。カーリがオレに『夫になれ』と渡されたものなんだよ。あ、知ってるかい? エルフ(ボクたち)はね結婚相手に自分がつけているのと反対側、もう片方の耳飾りを渡すんだ。結婚している証として、また、死がふたりを分かっても心は常に共にあると示すために。男が左耳、女が右耳につける場合が多いかな? ニンゲンにも似たような風習、文化があったよね? 確か……」


「……結婚指輪のことですか?」


「そう! それだ、結婚指輪だよ! それと同じ意味があるんだよ!」


 自分の知識を自慢するように、ふふんと胸を張って熱く語っているホヴズさん。いや、ホヴズ。彼を見ていると知的でクールなイメージがどんどん崩れていく。さっきまで、滅茶苦茶知的でカッコよかったのに。……でも、個人的にはこっちの方が話しやすくて、なんだかんだ好きかもしれない。


「……まあ、これもヘルガに聞いた話なんだけどね」


「……そうなんっすね。気になったんですけど、ホヴズさんって……いや、ホヴズってヘルガとどういう関係なんですか? 仲が良さそうっていうか、素直に頼りにされてる感じですけど」


「ああ、えっと。ニンゲンの表現、呼び方だと、親類じゃなくて……確か、叔父ということになるかな? ヘルガはカーリの妹の娘だからね」


「叔父なんだ……」


 というか、カーリも叔母なのか。てっきり俺は、カーリがヘルガの母親なのかと思っていた。彼女のヘルガを見ているときの目には、慈愛のような深い愛情があると感じていたけど……気のせいだったみたいだ。いや、気のせいではないんだろうけど。母親ではなかったってというだけで、愛情はあるはずだ。だが、そうなると――


「なら、ヘルガの母親って誰なんですか?」


「………死んでしまったよ。ヘルガを出産したその日にね」


「あ、そうなんですね」


 しまった。またやってしまった。レインちゃんのときもそうだが、どうしてこうもピンポイントで相手の地雷を踏み込んでしまうのか。気まずい。かなり気まずい。あまりにも気まずい。沈黙が、じわじわと空気を重くしていく。空気が悪くなったと察したのか、ホヴズがふっと表情を変えて口を開いた。


「そろそろ戻ろうか。客人に迷惑をかけると、後でオレもカーリに怒られてしまうからね。ほら、手を貸して?」


「ああ、でも……どうして手を?」


 差し出された手を見つめながら、俺はきょとんと首を傾げた。何かを運ぶわけでもないのに、何故手を?


「決まっているだろ? こうするんだよっ!」


 ホヴズがそう言った瞬間――風が俺たちの周囲を巻き込むように吹き上がった。足が地面から離れた。ふわりと全身が浮き上がる。地面が遠ざかる。俺の身体が、風に抱かれるように宙へと持ち上げられた。


「……二人が限界だけど、こっちの方が速く着く!」


「うっわ! はやぃって!!」


 思わず声が裏返った。俺はホヴズにしがみつくような視線になり、風に乗って空を駆ける。いわゆるお姫様抱っこってやつだ。まるで、しっかりとした安全装置がついていないジェットコースターのような速さと浮遊感。森の木々が下に流れていく。風が顔を激しく打ち、髪を後ろへと靡かせる。空を飛ぶなんて、夢のような出来事だ。彼らの魔法を体験してみたいと確かに思った。でも、これはいくらなんでも速すぎるだろ!


 悲鳴にもならない声を上げながら、俺たちはエルフの里に向かい飛んでいった。ホヴズに抱きかかえられた状態で、風と共に、空を翔けていた。


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