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第二十六話 『エルフの里』


 エルフの里は不思議なところだった。


 いや、エルフが普通に生活しているという事実だけでも、俺からしたら十分に不思議な出来事なんだけど、そういう意味ではない。ここには、人間が興味本位で訪れることが許されない。まさに秘境という表現がぴったりな場所だった。これほどその表現がしっくりくる場所は地球上を探しても他には見つからない……かもしれない。確信はない。そう確信できるほど、俺の人生は長くなかった。だが、自信はある。


 目の前に広がる神秘的な光景を、もし写真にでも収めることができたら――いや、少しでも(えが)くことができたなら、俺はきっと大金持ちになれていただろう。そう思うと、自分の絵心のなさが、今さらながらに悔やまれる。この目に焼き付けるしかないというのが、もどかしくもあり、同時に最大な贅沢なこのようにも思えた。でも、やっぱり……写真くらいは取りたかったな。


 俺がそんな浅ましいことを考えていると、頭上から小さな足音が聞こえた。その音が聞こえた瞬間、ふわりとした風が吹き、顔よりも大きな青葉が風に流れて、空からゆるゆると舞い降りてきた。


 反射的に空を見上げると、若々しい青葉が空一面を覆っていた。まるで、巨大な雲が枝に宿っているかのようだった。さっきまでと変わらないはずの光景が、エルフが生活をしているという情報を付け加えるだけで、何故か一層幻想的に見える。そんな中に、目を引くほど大きな樹が一本、天を突くようにそびえていた。幹には所々に穴が開いていて、よく見るとそこには円形のドアが取りつけられていた。


 きっと、エルフたちはあの樹上で生活をしているのだろう。まるで、木そのものを家にしているみたいな不思議な感じだ。まさにツリーハウスだ。一本の太い木を支柱にして、周囲を囲むようにツリーハウスが連なっている。その中には、荷物を運び込んでいる様子の建物……一室があり、たぶんあそこが倉庫の役割を果たしているのだろう。人間の建物とはまるで違う。森に溶け込んでいる。自然と完全に調和したその造りは、まるで森そのものが彼らを快く受け入れ、共の暮らしているかのようだ。


「久しぶりだな”海賊の娘”。息災だったか?」


 低く落ち着いた声が木々の隙間から響いた。声の主は長身のエルフ――カーりと呼ばれたエルフの女性だった。雑誌に載っている海外の女優のような雰囲気だ。その姿は、凛としていて、真っ直ぐで、立っているだけで揺るぎない存在感を放っていた。


「ええ、元気よ! それよりもカーリ、私のことはリーネと呼んでと何回も言っているでしょ?」


 リーネが少しだけ頬を膨らませながらそんなことを言い返す。そのやりとりはどこか懐かしい友人同士のようで見ていて微笑ましかった。


「……」


 神秘的な光景よりも、目の前にいるエルフたちの方が、よほど目を引く。個人的には、そちらの方がよほど魅力的だと思う。どんな崇高な好奇心も、彼女たちを前にすれば一瞬にして塗り潰されてしまう。きっと、彼女たちがモデルになったらどんな、ゴミでも芸術へと昇華してしまう。石ころですら、彼女たちをモデルにしたと言われたら金貨に見えてしまう、そんな錯覚すら覚える。それほど、彼女たちの美しさは暴力的だった。


 いや、美しい景色と彼女たちが合わさったら、むしろ反発し合ってしまうかもしれないな。それほどまでに、彼女たち……エルフは、個として自立した美があった。


「あれ、忙しそうだけど何かあったの?」


「……気にするな。貴様らをもてなそうと思ってな、先ほどグリフォンを三匹ほど仕留めてきたのだ。ほらこれだ」


 リーネが首を傾げながら尋ねると、カーリはわずかに眉を動かして冷静に答えた。怪しんだリーネがさらに問い詰めようと口を動かした瞬間、頭上のからシャボン玉のようにフワフワと、二人のエルフが箱を抱えて降りてきた。風を纏い、まるで羽のように軽やかに、ゆっくりと舞い降りてきたのだ。その姿はまるで夢の中の光景のようで思わず息を呑んだ。ヘルガが言っていたことは、嘘ではなかったみたいだ。本当に、エルフは空を飛ぶことができるみたいだ。


「え、やったぁ! 解体もしてくれてるの!? ……もしかして何か裏があるんじゃないでしょうね?」


 リーネは嬉しそうに声を上げる。そこにはもう疑いの目はなかった。その様子にカーリは肩をくすめただけだった。俺は二人の会話をよそに、リーネの大きめな海賊帽子の後ろから、そっと箱の中身を覗き込んだ。そこには、血抜きが終わったばかりの、綺麗な状態のグリフォン頭部が、無言でこちらを見返してきた。死体と目が合った。その瞬間、冷たいものが背筋に走った。

  

「うわ!」


 思わず声が漏れた。箱の中身には、グリフォンが頭、羽、爪、趾――と、部位ごとに鮮やかに解体されたパーツが整然と並んでいた。俺を殺しかけた相手を、こんな形で見せつけられるなんて思ってもみなかった。バラバラの状態で見せられるなんて思わなかった。元の姿を知っているだけに、余計にグロく見える。


「ずいぶんと珍しい反応をするな、ニンゲン? オマエたちも見慣れているだろ?」


 箱を抱えていた若い男のエルフが、首を傾げながら不思議そうに言ってきた。彼の声には、からかいでも侮蔑でもなく、純粋な疑問が滲んでいた。


 声を抑えたつもりだったが、どうやらしっかりと聞こえていたらしい。俺は思わず視線を逸らした。グリフォンの虚ろな目が、網膜の裏側にまで焼きついて離れない。もう、グリフォンを見かけるたび身体が勝手に反応してしまう。神経が、驚いてしまう。どうやら俺は、恐怖という名の病に罹ってしまったようだ。


「……ああ、もう話が逸れたわ! でも、そうね。私も順序が間違っていたわ、カーリ。彼はジンと言って新しく私の仲間になったの、覚えておいて!」


 リーネが話題を切り替えるように俺の方を指差す。その声には、どこか誇らしげな響きがあった。紹介される側としては悪い気がしない。いや、やっぱり嘘だ。緊張するからやめて欲しい。俺はそんな誇れるような存在じゃない。ただでさえ、相手は綺麗なエルフなのだ。だが、リーネに恥をかかせるわけにはいかない。俺は少し緊張しながらも、丁寧に頭を下げて、名乗った。


「あ、どうも初めましてカーリさん。平坂仁と言います」


「そうか、ヒラサカジン、確かに覚えたぞ。……それと我らはニンゲンのように『さん』など敬称をつけられることに慣れていない。今度からはカーリと呼ぶがいい」


 カーリは淡々とした口調でそう言ったが、その目にはわずかな柔らかさが宿っていた。雰囲気が冷たいのに、声には温かさすら感じる。彼女たちは、人間の形式にとらわれていない。これが、彼女たちらしい距離感なのだろう。名前を呼び合うことで対等な関係を築こうとする、そんな文化が少しだけ羨ましく思えた。


「さてと紹介も終わったことだし次はお礼ね。カーリ、私たちのためにグリフォンを仕留めてくれてありがとう。本当に嬉しいわ!」


「……構わない。こちらも裏がないとは言えないからな」


「やっぱりね。そんなことだと思ったわ! それで要件は何? 重要なこと?」


「ああ、我らにとっては重要なことだが……今は止めておこう。貴様たちもせっかくここまで来たのだ。一先ずはこの里で身体を休めるといい」


「……そう、でも何かあるなら遠慮せずに話しなさい! 私たちが絶対に力になるわ!」


 リーネの力強い言葉に、カーリは微笑むだけで何も言わなかった。そして静かにその場を後にした。その背中はどこか寂しげだが、同時に誇り高くもあった。


「さてと私たちも荷解きを始めましょうか!」


「え、いいのか? 何か相談したそうだったけど」


「いいのよ、あれで。カーリは里長だもの本当に困っていたら自分から私たちに頼むわよ」


 リーネはそう言い残して、荷解きの手伝いに向かっていった。彼女の背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。彼女の言葉の奥には別の意味が隠されいるのは、さすがの俺でも理解できたが……まあ、二人の関係性も分からないのに、俺が口を挟むのは野暮だよなぁ。


「アンタ、またサボってるの?」


 そんなことを考えていると、背後から呆れたような声が飛んできた。振り返ると、ヘルガが腕を組んで、じっとした目で俺のことを見てきた。その視線はまるで『またか?』と言いたげで、思わず肩がすくんでしまった。


「いや、これから手伝おうとして……ああ、そうだ。エルフって本当に飛べるんだな! ごめんだけど嘘だと思っていた」


 彼女の視線から逃げるように俺は慌てて言い訳をしながら、話題を逸らそうとした。だが、ヘルガの視線が鋭くなるのを感じて、少しだけ身構える。


「……フン、ワタシはアンタと違って嘘なんて言わないわよ。うん? ちょっと待ちなさい、アンタ、ワタシの話を嘘だと思ってたの!? 信じらんない!」


「それは本当にごめん。……でも、ヘルガこそ俺の現世での話を嘘だって思ってるだろ? それと同じだろ?」


「同じじゃないわ! ワタシは本当だって証明したじゃない! 次はアンタよ!」


「いや、証明なんてできないけど」


 ここは現世ではない。当たり前だ。だから俺の言ったことは、証明なんてできない。俺が現世から持ってこれたものといえば、制服とポケットに入っていた財布くらいだ。スマホどころか、通学用の鞄すらなかった。何もかも置いてきた。車どころか思い入れのあるものが制服と財布だけしかない。だから、証明しようにも、証明のしようがない。


 ……そう言えば、ヘンリーさんっていつ財布を返してくれるんだろう? このままじゃあ、本当に彼のことを『借りパク野郎』と呼ばないといけなくなる。


「ほら、やっぱり作り話だったんじゃない!」


 ヘルガが勝ち誇ったような笑みを浮かべて言い放つ。その顔はどこか楽し気で、見ているだけで何だがムカついた。俺の話を一方的に嘘だと決めつけられてちょっとだけむきになった自分がいた。


「いや、嘘じゃない。というかそれってまずお前が森の外に出ないと分から――」


「ジン君、そろそろこっちを手伝ってくれませんか?」


 ヘルガとの口論に熱が入り始めたタイミングで、アリアさんの声が割って入ってきた。まるで見計らったかのような絶妙なタイミングだった。いや、これは偶然ではない。明らかに彼女は俺を止めに入って……いや、ただ怒っているだけだ。アリアさんは、サボって会話をしているだけの俺に対して怒っているだけだ。彼女は、いつものように穏やかな笑顔を浮かべていたが、その笑顔の裏側には黒い瘴気のようなものが滲み出している気がした。ヤバい、だいぶ怒っている。


「というわけでヘルガ、ジン君を借りても大丈夫ですかね?」


「……フン、知らないわよそんなニンゲン。勝手にすれば」


「ああ、おい……」


 ヘルガは口を挟まれたのが気に食わなかったのか、ムスッとした顔でぷいっとそっぽを向き、そのままどこかへ行ってしまった。いや、どうせなら助けて欲しいんだけど。というか、一緒に怒られてくれたらもっと嬉しいな。一緒に話してたんだから共犯だろ。


「……ジン君はどうやって、あそこまでヘルガと仲良くなったんですか?」


「え、何のことですか?」


 ヘルガの背中が完全に見えなくなると同時に、アリアさんがぽつりとそんなことを呟いた。彼女の声音には、ほんの少しだけ驚きと、どこか羨望のような感情が混じっていた。


「だって、あの子は私たちと全然話してくれないんですよ。それどころか、目が合うと黙って逃げてしまいますし……とにかく、私はあの子があそこまで熱くなってるのを初めて見たんです」


「……そうなんですね」


 ヘルガが全然話してくれないって、そんなことあるのか? 俺が何もしてなくても、ニンゲンというだけで、自分から絡んでくるようなヤツだぞ。いや、何もしていないかったから絡んできたかもしれないけど。まあ、そんなことは置いておいて、アリアさんと俺とではヘルガのイメージが乖離しているようだ。俺の中で、ヘルガの印象が少しだけ変わった。俺にとっての彼女は、面倒くさい性格をしたやたらとウザ絡みをしてくるヤツだったが……アリアさんの話を聞く限り、実は人見知りで、他人との距離を測るのが苦手なのかもしれない。まるで猫のようだな。いや、待てよ。その場合、俺が初対面で舐められているということになるんだけど。それはそれで複雑だな。


「まあいいです。そのことはいずれ聞きだすとして今は仕事をしましょうか。はいどうぞ」


「うおっと、重いですね。これってどこに持っていけばいいんですか?」


 やっぱりアリアさんは怒っているのか、俺に大きくて、ずっしりと重たい荷物を手渡してきた。しかも中身は、解体されたグリフォンの素材だ。標本のようなグリフォンの死骸。俺が嫌がると思って、彼女はわざと押し付けてきたんだ。……いや、それはさすがに被害妄想が過ぎるか。アリアさんはただ、俺への罰として自分の近くにあった大きめな荷物を俺に渡しただけだ。それがたまたまグリフォンの素材だっただけ。そうじゃないと、ちょっと怖い。


「えっと、一先ずは……あそこにある樹の家を倉庫代わりに貸してくれるそうですので、そこまで運んでください」


「はい、あそこっすね」


 アリアさんが指を差した先には、幹の太い大樹を刳り貫いたような扉があった。突き抜けるような大樹を見上がれば、枝の間を縫うようにしていくつもの吊り橋が張り巡らされており、まるで空中に浮かぶ集落のようだった。


 今気付いたのだが、エルフは魔法で風を纏って空中を自由に移動できる。そのせいか、地上ではあまり姿を見かけない。歩いている姿はほとんど見かけない。彼らの生活圏は、まるで小鳥のように高い場所に集中しているようだ。樹上に固まって生活しているみたいだな。だから、一階部分は、俺たちのような空を飛べない者たちに貸してくれるんだろう。というか、なんで樹上に橋がかけてあるんだ? 風に乗るように移動するエルフたちを見ていると、橋なんて必要なさそうなのに。子供用……いや、もしかして俺たちのためにわざわざ設けてくれたのだろうか? 


 そう考えると、少しだけ胸が温かくなった。この里の人たちは、俺たちを森の外から来た部外者として線引きしながらも、ちゃんと受け入れてくれている。その優しさが、こういう細やかなところに表れているのせいで、どれだけツンケンしても彼らのことが嫌いになれない。それと……あの風に乗るやつ。あれって、頼めば俺も体験できるかな。怖いけど……正直、めちゃくちゃ気になる。そんな、どうでもいいことを考えながら、俺は荷物を両手で抱え、アリアさんに背を向けた。箱の中からは、かすかに血の臭いが漂っている。グリフォンの素材が詰まった箱は、ずっしりと重たくて、腕に食い込んでくるかのようだ。それを文句を言わずに持ち上げて、俺が一歩前に踏み出したその瞬間――


「あ、それとですね」


「……え、まだ何かあるんですか?」


 アリアさんに呼び止められた。流石に、荷運びを繰り返したことで逞しくなった俺でも、これ以上重い荷物は一度に持てない。もし追加で何かを持てと言われたら、ちゃんと断ろう。そう決意を固めて、アリアさんの方を身体ごと振り返る。動けば箱の中から血の臭いがふわりと立ち上る。だから、できるだけ慎重に、ゆっくりと振り返って、声を上げた。


「アリアさん、流石にこれ以上は持てないですよ……」


「いえ、それはいいんですが……これは個人的な頼み事になるんですけど、もしジン君がよかったらこれからもヘルガとは仲良くしてあげてください」


「……仲が良くなるかは分かりませんが、たぶんこのままだと思いますよ?」


 俺は戸惑いながらも、正直な気持ちを口に出した。ヘルガとは特別仲が良いわけでも悪いわけでもない。個人的には、仲良くしたいと思っているが……彼女はそう思っていないだろう。むしろ、俺のことを役立たずだと思って下に見ている節がある。そんな関係だ。いや、どういう関係だ?


「それでもいいんです。彼女の人間嫌いが少しでも改善したらそれでいいんですよ」


 アリアさんはそう言って微笑んだ。その笑顔はやっぱり、いつも通り穏やかだったけど、どこか影が差しているように見えた。青く澄んだ瞳の奥に、ほんのわずかに揺れる寂寥感。それは、言葉にできない想いが滲み出したような、静かな哀しみだった。


「……」


 なんでアリアさんがそんなことを言うのか、俺には分からない。だって、見る限り他のエルフの皆とは仲良くできている。普通に接している。リーネたちも、エルフたちと自然に会話をしているし、全体的に人間に対して好意的な印象すら受けた。だからこそ、人間大好きという感じよりも、ヘルガのように人間が嫌いと公言している存在が一人くらいいた方が、逆に健全なんじゃないかとすら思った。


 だけど――アリアさんのその瞳を見てしまった以上、俺はもう何も言えなかった。


「はい、俺なんかでよかったら頑張ります」


 気付けば、そんな言葉が口を突いて出た。イサヒトさんやロバーツさんの件で、『知人の頼みであっても内容を確かめてから引き受けろ』と学んだはずだった。それでも俺は、アリアさんからの頼みを断ることができなかった。彼女の声には、押しつけがましさも、期待の重さもなかった。少なくとも俺は感じなかった。ただ、静かに、優しく、けれど確かな願いが込められていた。彼女のその願いに、俺は応えたくなった。借りを返したくなった。ただ、それだけの安請け合いだった。



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