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第二話 『死出の旅 上』


 最初”それ”はバラバラな状態だった。 

 ”それ”には手足はおろか胴体も顔も何もない。

 ただ空中にふわふわと彷徨う人魂のような存在だった。


 ”それ”はもう随分と長く旅をしていた。

 まったく光のない暗闇の中をクラゲのように漂いながら、

 何処まで続くのかわからない海底に月を求めて漂流していた。


 だが”それ”の長かった旅は唐突に終わった。

 

 烏のような鳴き声が聞こえ、気が付いたらこの殺風景な荒地にいた。

 草がなく、石ころだらけの痩せた土地で剥き出しの岩がてらてらと妖しく光る。


 長い長いトンネルを抜けたかのような達成感の後、”それ”はまるで戸惑っているかのように”それ”はしばらく辺りをうろついていたが突如として全身が腐乱していくような、燃え尽きてしまうような、初めて味わう奇妙な感覚に襲われた。


 本能的にヤバいと感じ取った”それ”は急いでその場から逃げるように青く尾を引いて移動しているところを三匹の子鬼に捕まってしまった。


「よーし、捕まえた!」

「よくやったぞ! 奪精鬼」

「仕事に取り掛かるぞ、縛魄鬼」


 三匹の鬼の小さな白い手に捏ねられ、引き伸ばされ、整えられて、

 そして”彼”に変わった。


「奪精鬼、こいつもういいぞ」

「本当にもういいのか、奪魂鬼?」

「まだ完璧じゃねえがな、もういかせていいぞ。次の仕事だまだまだやるぞ、縛魄鬼」


 三匹の鬼に背中を押され、

 ”彼”は大勢の人々と共に岩肌が剥き出しの険しい山道へと自分の足で登り始めた。そんな”彼”ら背中を年老いた猫だけがいつまでも見つめていた。


 

 ”彼”は自分がなにものか覚えていない。

 いや、まだ思い出していないといったほうが正しい。




 ※※  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 日が沈み、夜が明けて、日が沈み、また夜が明けた。

 もう何度繰り返したのか分からない。


 ”彼”らの目の前には峨々たる山だけが聳える。


 峨々たる山を蟻のように列をなして、土を踏み固められただけの道とはいえない道をただ登っていた。


 そんな険しい道の途中、鬼たちが待つ小屋があり、等間隔に並んだ痩せた樹々が”彼”らの行く手を阻んでいる。


 墨をぶちまけたかのような黒々とした樹々の枝は針のように鋭く”彼”らを威嚇している。その樹々の隙間へ鬼たちが”彼”らを一人ずつ通していく。


 ”彼”らの先頭にいる作業着に身を包んだ男が樹々の隙間を通った瞬間、突如として枝が伸びて蛇のように噛み付き、飛び散った血が地面に染み込んだ。そのことが鬼たちを喜ばせた。

 だが男は気にする様子もなく血を流しながら前に進んでいく。

 

 鬼の笑い声が近くで響く。

 血の匂いが濃くなった気がする。

 鬼たちは亡者を道具にし、無邪気に遊んでいるようだった。


 そしてついに”彼”の番が来た。

 ”彼”も黄色の鬼に樹々の隙間をくぐらされると枝が”彼”に突き刺さった。

 突き刺さった枝は”彼”の肌まで到達しなかったのか、流血はない。


 血が出なかったのがつまらないのか鬼たちは顔を歪める。

 青色の鬼は”彼”の背後に静かに回り、背中を軽く蹴り飛ばしてこけさせた。

 それを見た周りの鬼たちも青色の鬼と同じようにニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる。


 だが”彼”は何事もなかったかのように立ち上がり歩き出した。

 ”彼”はただ目の前の人についていくしかできない。

 ”彼”のそんな後姿を鬼たちは遠くから急いで注意しにきた片腕の老鬼に怒られながら、つまらなそうにを見送った。

 

 それから何日も何日もまた大蛇のようにうねる坂道を下っていく。


 歩いても歩いても景色はまったく変わらない

 土を踏み固められただけの道を列をなして歩いていく。

 ただ少し変化があった。


 浮いているかのように軽かったはずの身体が、

 時が経つごとにずしりと重くなっていった。 

 

 ”彼”の身体が馴染んでいく、


 まるで生身であったころと同じように…


 いままでの人生を後悔するように…


 両腕は重力に負け、腰を曲げた姿勢でゆっくりと山道を下る。


 順調に山道を下っていくが”彼”らによって踏み均されたはずの山道に段々と細かい小石が増えていき、濃い霧が辺り一帯を覆うようになっていた。霧からは田園を思わせる水気を帯びた土と西瓜の皮のような饐えた青臭さを混ぜたようなにおいが鼻に残る。


 いつからか地面と触れ合った靴裏からじゃりじゃりと砂を噛んだような音が鳴る。じゃりじゃりと砂粒がどんどんと細かくなっていくのが音で分かる。


 ”彼”らは知らない内に河原にいた。 




 ※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 霧が立ち込める三途の川に亡者たちは今日も列をなしてやってくる。


 そこに門番さながらの面持ちで待ち設ける二つの影があった。一方は少し黄ばんだ白い和装の上に赤い帯をした老女だ。指の先まで皺が刻まれた手からは長い年月を生きたんだという卑しい自尊心のようなものが滲み出ている。


 もう一方は綺麗に禿げ上がった頭部に真っ白な髭を口を隠すように生やした老人だった。睨め上げるような目つきの老女とは対照的にその瞳はどこか眠そうで何を考えているのかまったく読み取ることができない。


 お互いのことを奪衣婆に懸枝翁と呼び合う小柄な二匹の老人は大勢の亡者を堂々と待ち構えていた。


「うひょー大量だね。さてとお前から服を脱ぎな!」


「なあ、奪衣婆なんでこいつらって俺たちのいうこと聞いてんだ?」


「……めんどくさい。懸枝翁、おまえさん本当にボケてんじゃねえのか?そんなこといいからさっさと仕事するよ。ほれ、亡者の服だよ、受け取りな!」


 そういうと奪衣婆は無遠慮に”彼”の制服を奪い取り、懸枝翁の寝惚けた顔面に放り投げた。


「懸枝爺さん。彼らはまだ肉体だけの状態ですから、亡者には自我がないんです。だから…」


「無駄だよ、ミレン。前にワタシが説明してやったのに忘れてんだ、このバカ」


 懸枝翁は聞こえていないのか奪衣婆とミレンを無視して、黙々と受け取った亡者の制服を衣領樹という大木に向かって思いっ切り投げ飛ばした。


 すると投げ飛ばされた”彼”の制服はそのまま綺麗な放物線を描き衣領樹の一番低い位置にある枝に引っかかった。枝は服の重さでしなりもせず、何事もなかったとすまし顔を浮かべている。 


「このものは大丈夫のようじゃ、通していいぞ」


 懸枝扇の業に感心していると

 奪衣婆が衣領樹に掛けられた”彼”の制服を手に取り、

 後ろに置いてあった籠に入れるのをミレンは見てしまった。


「何をしているんです、奪衣婆さん! それは規則違反です」


「っけ、いいだろ別に。ワタシらの小遣いになるだけだ」


「だから問題なんです。前任者から亡者から剥ぎ取った服を町で転売しているとは聞いていましたが、本当だったみたいですね。このことは報告させてもらいますよ」


 ミレンは奪衣婆の細い腕から墨を溶かしたように黒い”彼”の制服を力尽くで奪い取り、真っ向から対立するように一歩前に出る。火花を散らす睨み合い。


 このやり取りの最中も懸枝翁は淡々と次の仕事をしていた。


 これは懸枝翁が大らかすぎるのか、二人のこの言い争いがいつも通りのことだからかは分からない。我関せずといった風に懸枝翁が奪衣婆から渡された別の亡者の服を持ち上げると違和感を抱く。ポケットの部分がやけに重いのだ。そのことを後ろで口汚くミレンを罵っている奪衣婆へ知らせる。


「うん? 奪衣婆、この亡者何か持っているぞ?」


「六文銭か! 懸枝翁そこをどきな!」


「奪衣婆さん、まだ話は終わってませんよ」


「あー、もう! いちいちうるさい奴だな。ミレン、お前も一人前になりたいならとっとと自分の仕事に戻りな!」


 奪衣婆は皺くちゃな顔を不機嫌そうにしかめて怒鳴るようにミレンを追っ払った。鬼にしては珍しい真面目で実直な性格をしたミレンと金に汚い奪衣婆はとても相性が悪い。職場でなければ話すこともないだろう。この二人は些細なことからよくこのような言い争いにまで発展するのだが、今回は割とはやく収まったようだ。



 ミレンは奪衣婆と別れた後使い慣れない敬語に肩が凝る感覚を覚え、”彼”に制服を優しく着せてあげると野良猫の死骸船のように情けない船着き場に縄だけでつないである小舟に”彼”を乗せた。


 いや”彼”だけじゃない、ミレンは他にも多くの亡者を小舟に押し込むように乗せる。


 ミレンはもともと地獄道出身の赤鬼だった。獄卒になり初めて人間のことを理解したいと思い三途の川の渡し守を自ら志願した。これはエリートコースである閻魔大王の側近を目指してのことでもある。


 鬼にしては計算高いが真面目で融通が利かないと評されることが暫しある。まあ、ミレンに言わせれば他の鬼がいい加減すぎるだけなのだが。


「おーい。ミレン準備できたか? 俺たちはもう出発するぞ!」


 隣の船着き場から大きな声がした。

 どうやら先輩たちはもう準備ができたようだ。


「すいません。すぐ追い付くんで先に行っててください」


「しかたねえな…そんなんじゃ、まだ別の仕事は任せられねえぞ」


 ミレンは急いで小舟をつないである縄を手繰り寄せる。ギシギシと危なげな音を洩らす桟橋の上に立って、縄を回収し、先輩たちの後を追うようにゆっくりと小舟を漕ぎだした。


 小舟を漕ぐのにはコツがいる。

 最初は小舟が揺れて不安定だったが、今ではもう慣れたものだ。 


 まあ、いざ危険な状態になったら先輩たちに合図を送るため提灯を灯せばいいだけだ。合図といっても難しいことはしない。ただこの特殊な鉱石に水をかけるだけなのだ……


 やることがなくなり何気なく亡者たちに目を向ける。


 今までは先輩と二人でペアを組んでいたから話し相手には困らなかったが、もう教えることがなくなり、一人で渡し守の仕事をするようになった。


 ただ、話し相手がいなくなると当たり前だが暇になる。

 濃い霧が頻繁に発生する三途の川ではあまり遠くの景色は見えない。


 なので渡し守の仕事の中で唯一変わる亡者たち、

 その観察がミレンの最近の趣味となりつつあったのだが……

 

 小舟に乗っている”彼”らの多くに傷がないこと、奪衣婆に服を取られていないことを確認すると憐れむような目を亡者たちに向けていた。


「可哀想にな。まあ運がなかったんだよ、お前らは」

 

 その同情に満ちた呟きは霧の中へと消えていく。

 むしろ誰にも聞かれないほうがいい、もし聞かれれば亡者に同情するなと怒られるからだ。

 罪問間樹をくぐり、身体に傷がつかなかった”彼”らの多くは罪を犯していない根っからの善人だったのだろう。


 そんな”彼”らが若くして死んだのだ。

 きっとむこうに思い残すこともあっただろう。

 だが、もうどうすることもできない。


 亡者たちは抵抗することもなければ、生き返ることもない。

 だからもうどうしようもないのだ。


 だからせめて自分の仕事だけはしよう。

 ”彼”らが少しでも早く次の命に生まれ変われるように…


 そんなことを自分に言い聞かせる。

 だが、ミレンの傲慢な慈愛に関係なくこの小舟は無情にも進み続ける。


 亡者を乗せて三途の川の波を切り裂き、霧を押し退け、


 ゆっくりと地獄へと……

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