第二十二話 『実験』
ロバーツさんの持っていた地図によるとグリフォンの巣があった大陸はレナトゥス大陸と言うらしい。
色褪せた紙に書かれた地図を覗き込むだけでもかなり勉強になった。いや、もちろんアリアさんとの勉強会は今でも継続的に開催されている。しかし、黄泉の国の一般常識や英語の勉強をメインでしていたのでどうしても地理というのは後回しになりがちだった。
こっちでも現世と同じで英語を話せればほとんどの国で苦労しないとアリアさんから聞いた。そんなところは現世に合わせないで欲しかったが、事実として英語が使われているなら勉強しないわけにはいかない。
挨拶とありがとうが言えたら言語が違ってもコミュニケーションが取れると心のどこかで思っていたので現世では本腰を入れて英語の勉強はしていなかった。
いや、だが前にも言ったが俺は英語自体ができないわけではない。むしろ得意な科目だった。他と比べて英語は勉強しなくてもある程度は点数が取れるからだ。
学校の定期試験では英語を読む、聞く、書くの基本ができれば高得点が取れていたが、逆に言えばそれしかできない。俺は英会話というものができないのだ。
俺が現世で必死に勉強をして身に付けたものが何の意味のないものに変わっていた。こんな時に役に立たないなら学校の勉強って何のためにするのだろう?
……まあ、そんなことはいい。もう関係ない。
話を戻すが俺たちはヘンリーさんの報告会が終わった後、そのまま予定通りにレナトゥス大陸にあるエルフの里へと向かっていた。
エルフの里はロバーツさんの地図にも詳しい場所は印されていなかったが、ただシュティレ大森林という森の奥にあるのだけは確からしく船着き場から結構離れた位置にあるとも聞いた。正直な話今回は全くと言っていいほど危険がないので俺からしたら気が楽だ。
エルフの里との交流はかなり前から続いて、お互いに異文化交流という名の交易を行っているとカツキが言っていた。まあ、エルフたちにはお金という概念がなく物々交換という形で商品の交換をしているらしいので、俺たちの仕事はエルフの里に商品渡した後、持ち帰った商品をヘンリーさんの商会に届けるだけだ。
内容は子供でもできそうな簡単なものだ。いや、グリフォンの巣では死にかけたのだから今回ぐらい楽をしてもいいだろう。
というかイナミ村でのリーネたちの仕事を見ているとこっちの方が本業なんじゃないのか?
イナミ村でも海賊とは名ばかりで流通業者みたいな仕事をしていた。重たい積み荷を船に運び出し、畑を耕す、積み荷を運び入れ、畑を耕すを繰り返していた。いや、畑を耕してばかりだったなぁ。
まあ、いいか……
それよりもレナトゥス大陸に俺はこれで二回目の上陸することとなる。一回目は名前も知らずについていっただけだが、今は違う。まだまだ足りないだろうが知識がある。なので上陸が楽しみでしかたがない。
初めて海外旅行に行くときと同じ感覚かもしれない。
知らない場所に遊びに行くのは楽しい。それがエルフの里という現世では誰も知らない未知の場所ならば猶更だろう。
どんな食べ物があるんだろう? いったいどんな場所なんだろう? どんな人がいるんだろう? いや、人じゃなくてエルフなのか。
そんなお気楽気分で波の音を聞きながら、俺は船の上で……
「ほら、もっと! もっと出しなさい! 私が手伝ってあげてるんだから!」
「うっへ! 気持ち悪い!!!」
身体から魔法を使って出した縄をリーネに力尽くで引っ張られて木箱の中に綺麗にまとめて入れられていた。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ロバーツさんからの頼み事とはできるだけ多くの縄が欲しいというものだった。
なんでも古代ドワーフの遺跡を調査するのに必要だがお金をかけたくないそうだ。要するに節約したいらしい。
そこで目を付けたのが俺の魔法だ。
縄を出すという使い道のない魔法と思っていたが予想外の使い道があったようで、ロバーツさんと俺の間では縄をあげたら特別報酬を支払うという条件で契約が成立した。
この時は浮かれていてラッキーぐらいにしか思わなかったのだが、金に釣られた哀れな青年は見たことのないほど多くの木箱を船に積まれてやっと自分が馬鹿なことをしたと理解した。リーネからはイサヒトさんの件で契約をするときは注意しろと言われていたのにまたやってしまった。
契約内容を見ずに契約を結んでしまった。
その結果がこれだ。その結果俺は船の上で日がな一日椅子に座って全身から縄を出していた。
「もう無理だ!! 騙された!」
「もう情けないわね。頑張りなさい! あなたがロバーツと契約を結んだ以上、私は絶対に契約内容は守らせるわよ」
俺は椅子から転げ落ちるように天を仰ぐ。
二個の木箱いっぱいに縄を出してようやく俺は音を上げた。
「ジン君、魔法の練度を高めるためにはとにかく使えばいいのです。だからそれは鍛錬としては理にかなっていますよ」
「聞いてないよ! というか魔法ってそんな筋肉みたいなものなのか?」
カランコロンという音を立てて、ヒビキが現れた。
というかキツイと思っていたがこれって魔法の鍛錬と同じことをしているのかよ。どおりで身体に力が入らないと思ったんだ。いや、めっちゃキツイ。
「まあ、落ち着きなさいよ。騙されたって言われてもお金は貰うわけだしね。それに契約なんて騙される方が悪いのよ。もしヘンリーがここにいたら『信頼しても信用するな』って言うでしょうね」
リーネはふふと笑いながらそんなことを言ってきた。
騙される方が悪いなんて百も承知だ。俺がロバーツさんとの契約内容を確認していたらこんな契約を承諾しなかった。だがあえて言わせてもらう。
騙す方が悪いだろ!!!
そんな心からの叫びすら疲れた俺の身体では上げられない。
「ほら見てください。最初の頃と比べると縄が綺麗になっています。こっちのボロボロの縄とは雲泥の差ですよ。どうせならこの機会に自分の魔法の実験をしてみるのはどうですか?」
「実験って……そんなこと必要ないだろ。縄を出すだけなんだから」
「必要ないことなんてこの世にはありませんよ。縄を出すにしても自由に操れればそれなりに価値があると思いますよ?」
「自由に操るってのができないんだよ」
「それはどうしてですか?」
「どうしてって気持ち悪いんだよ。なんか縄を出した部分から未知の感覚が広がるっていうか……腕が急に背中から生えてきたら気持ち悪いだろ?」
縄を自由に操るのは俺にとっては夢のまた夢だろう。
なんか気持ち悪いんだよ。この感覚。変なところが痒くなるっていうか……。今まで身体になかった器官ができたみたいで、うん。なんか、もう。ただ気持ち悪いってことしか言えない。
「それも魔法を使ったから分かったことです。いざというときのために自分にできることはしっかりと理解しておかないといけません」
「なら、ヒビキは自分の魔法についてちゃんと理解してるのかよ? というかお前の魔法ってなんなんだ? 水面に立ったけどあれはどういう理屈だよ?」
「そうですね。ボクの魔法は簡単にいえば、とらんぽりん?というヤツです。水や地面に強い伸縮性をあたえることで通常よりも何十倍も素早く、高く跳躍できるのです。まあ、欠点としてボク自身が重すぎると使い物にならないのですが」
愚問だった。それはそうだ。戦闘のことしか頭にないヒビキのことだからしっかりと把握しているに決まっている。というか弱点も教えてくれるんだな。
俺はヒビキに何も言わずにゆっくりと立ち上がる。
立ち上がって倒した椅子を元に戻し、再び両手から縄を出していく。
「あら、まだやるの? 私はもうやめると思っていたのだけど」
「……俺なんかでも役に立てるなら頑張るよ」
「おや、もっと威張ってもいいのでは? ジン君の魔法のおかげで向こうは助かっているんですから」
「俺の魔法がヒビキやリーネみたいにもっと便利で強かったら、天狗にもなれていたんだけどな……。なんで俺の魔法はこんなのなんだよ」
俺の魔法がリーネやヒビキのように戦闘に役に立つものでもない。こっちでは日常的に縄が活躍する場面はたまに見るが……この売り物にすらならないボロボロな縄では誰の役に立たないだろう。
正直な話をするともっと強い魔法がよかった。もっと強かったらみんなを守れるぐらいはできたかもしれない。だが、ロバーツさんと約束した以上やるしかない。これも契約だ。仕事なんだ。成功すれば報酬として多くのお金が手に入る。
そう自分に言い聞かせて右掌から縄を出そうとした瞬間――デカい手に頭を掴まれてぐりぐりと左右に揺らされた。
「おい、”天狗”なんて薄気味悪りぃ単語を口にしたのはお前か、ジン?」
「やめろ、シュテン。目が回る」
俺がシュテンの真っ黒な手を振り払うように叩くとようやく頭を離してくれた。シュテンの大きな手で掴まれていた部分にじわじわとした痛みが広がった。頭痛がする。軽く触れるかのように頭を掴まれただけなのにこんなにも痛いなんて……シュテンの握力はゴリラ並みだ。本気を出したらゴリラ以上かもしれない。頭の中にあるものを船上に撒き散らしてしまう。
「うるせぇ。お前が俺たち”鬼”の嫌がることを口にしたからだよ」
「嫌がるって……天狗のことか? というか天狗って本当にいるのかよ」
エルフやドワーフと違って天狗って確か妖怪だったよな…
いや、よく考えたらシュテンも鬼なのだから妖怪だ。それなら天狗がいてもおかしくないかな?
「ああ、いるぞ。オレは見たことないがな…」
「なら、なんでそんなに嫌ってんだよ? 会ったこともないのに」
「会ったことがなくても嫌いな奴ぐらいいるだろ。それが同族食いにもなればな!」
同族食いって確かに不気味だがそれがシュテンが嫌う理由になるのか? いや、まず俺の知識が、前提が間違っているのかもしれない。現世で培った知識はこっちでも変わらずに役に立つが魔法なんてもの当たり前のようにあるんだ。黄泉の国での常識をさっさとアップデートしないといけない。そんなことを考えながらシュテンの今までの発言を思い出していくと一つの結論に辿り着いた。なら、天狗ってもしかして……
「同族ってことは”天狗”は”鬼”なのか?」
「ああ、そうだよ。天狗ってのはかつて神に近づこうとしたイカれた鬼どもの総称だ。神に近づくための手段を選ばずに同族食いまで手を出したクソどもだ! 当時の閻魔様の命令で地獄から黄泉の国に追い出したんだけどよ。今でも生きてるって噂は聞くぜ。まあ、それが本当ならさっさといなくなって欲しいものだがな!」
黄泉の国にまだ天狗がいるのか……
いや、鬼だとしてもイカれていると呼ばれている者には会いたくはない。それに神に近づくって目標を俺はどこかで聞いた気がする。あれ、どこでだったかな?
思い出せないから後でいいや。
それよりもずっと前から疑問に思っていたことをせっかく種族についての話になったのでついでに聞いておこう。
「なあ、シュテン。ずっと気になってたんだけどよ。なんで黄泉の国にエルフやドワーフたちがいないんだ? 当たり前のように酔っぱらった鬼がいるんだから、エルフやドワーフがいてもおかしくないじゃないのか?」
エルフやドワーフを俺がまだ見たことがないからそんなことを言っているのかもしれない。だが、レナトゥス大陸にいるのなら黄泉の国にいても違和感はないはずだ。
「そんなことオレは疑問にも思ったことがねぇな……エルフは分からねぇがドワーフがいない理由ならすぐにわかるな。まずドワーフは鉱石がよくとれる大陸の中央部にいるんだよ。何かを作るにもそっちの方が都合がいいからな。それにあいつらはオレたちのことが大嫌いなんだよ。オレたちを海賊って最初に呼び出したのはあいつらだしな、だから黄泉の国にはいねぇんだよ。ドワーフどもからしたら海賊ってのはゴキブリみたいなもんなんだろうよ」
「なんか適当だな? シュテンはもっと色々なものに疑問を持って生きた方が楽しんじゃないか?」
「うるせぇよ。オレはそういう細けぇことが苦手なんだよ。オレの答えで納得できねぇなら、自分で聞け。どうせもうすぐ着くんだからよ」
まあ、それもそうか。
レナトゥス大陸には昼頃に上陸できると聞いた。もしそうなら時間がない。せめてはこの木箱の半分ぐらいは縄を集めておきたい。そう考えた俺は……
「ッしゃ!! 気合い入れてあと少しぐらい頑張るか!」
俺は再び魔法を使おうと心臓から熱が伝う感覚を思い出し、意識を右の掌に集中する。右の掌から縄が出現したのをこの目で確認すると――視界が歪んだ。激しく歪んだ。突然、眩暈に襲われたのだ。
俺は椅子にも座っていられずにそのまま床に倒れてしまった。
「ジン! あなた、大丈夫!?」
「これは……魔法の使いすぎですね。ジン君にもわかるように表現すれば……軽度の脱水症状みたいなものです。安静にしていれば、すぐに良くなりますよ」
「……はぁ、しかたがねぇな。オレがこいつを診療室まで運んでおいてやるから、後のことはアリアに任せるからぞ。それでいいな?」
俺はシュテンの逞しい腕に担がれて甲板を後にする。魔法ってやっぱり使いすぎたらいけないんだな。少し調子に乗っていた。反省しないといけない。
それにしても不思議な感覚だ。目は回るし、身体は糸が切れた人形のように力が入らない。だけど意識だけははっきりとしている。これならまだ気絶させてくれた方が楽だったのに……
というか俺っていつも診療室に行ってないか?