第二十話 『海賊たち』
エルフの里に向かうため、俺たちは禊木町にあるいつもの港にいた。法螺貝のような低い汽笛の音が腹の底から周囲一帯に鳴り渡る。これは最終点検の合図だ。汽笛の音は、どうしてこんなにも俺の感情を高ぶらせるのだろう。
昨日ヒビキから貰った”鷲獅子の爪痕”を腰に下げて、俺は腹の底から心を震わせるような汽笛の音に耳を澄ましていた。
一週間ぶりに乗った船はそれほど時間が経っていないはずなのに、懐かしく感じる。いや、それも当然だよな。俺は黄泉の国に来てから二週間、ほとんどを船の上で過ごしていたんだ。それに禊木町での暮らしは快適だったがまともに外出したのは三日だけ。はっきりと言ってしまえば、まだ愛着がない。あの街での思い出は、まだほとんどないのだ。
「”黒爪”はどうですか? 気に入ってくれましたか?」
船尾で耳を澄まして汽笛の音を聞いていた俺に、ヒビキが話しかけてきた。
「……ヒビキも諦めが悪いな、この剣の名前は多数決で”鷲獅子の爪痕”に決まっただろうが。もうその名前で登録を済ませたんだから諦めろよ」
あの剣の名前は最終的に候補に挙がった中で四人で多数決をして決まった。俺と親方が”鷲獅子の爪痕”でヒビキが”黒爪”を選んだ。
そして、驚くことに県の生みの親である黒之助さんは無投票だった。黒之助さんは自分で打った刀剣にそこまでの思い入れがないようで、最後まで無言を貫いていた。まさかこの短期間で、ドレークさんよりも愛想がない人間に出会うとは思わなかった。
正直、初めて『エルフ』という単語を聞いたときよりも驚いた。
「いえいえ、ボクはまだ諦めていないですよ。後世にはきっと”鷲獅子の爪痕”ではなく”黒爪”として語り継がれていることでしょう」
「後世って……そんなに有名にならないだろ。俺の剣なんだろ?」
「謙遜はいりませんよ。ジン君はあんなにも足掻いてグリフォンの巣から生き延びたじゃないですか」
足掻いて、か……
あれは運が良かっただけだ。あんなのは所詮、偶然だ。これは謙虚でも、謙遜でもなくて、ただの事実だ。生き延びたと言っても、俺がしたことといえば、グリフォンの背中に半泣きのまましがみついていただけだ。ただ、自分の不注意で無様な姿を晒しただけ。誇れることなんて、何もない。
「そうですね。では、いつもいつも小さなことで悩んでいるジン君のために、先輩として二度目のアドバイスをあげましょうか。問いかけというわけではないのですが、ジン君はボクが敵に回したくない相手って、どんな人だと思いますか?」
ヒビキは初めて出会った時と同じような調子で、さらりとそんなことを言ってきた。
「いや知らないけど……というか、ヒビキでも敵に回したくない人がいることに驚きだよ。斬れるなら、何でもいいとかいいそうだろ。……まあ、無難に。覚悟を決めた人とかそんなんじゃないのか?」
「惜しい、不正解です。正解は――諦めが悪い人です」
その答えに、俺は素直に驚いた。適当にそれっぽい答えを言っただけだったが、ヒビキのことだがら才能がある人とか、強い人とか、そんな答えが返ってくると思っていた。俺が見てきたヒビキという人間の口からは諦めが悪い人なんて、答えを返してくるようには思えなかったのだ。
「覚悟を決めた者というのは、端的に言えば分かりやすいのです。息が荒くなったり、隠していた癖が出たり、一刀だけに集中したり……と、思考や動きが読みやすくなってしまうべきです。そんな弱点が露呈した相手と斬り合っても面白味なんてものはありません。そもそも覚悟なんて、戦う前からしておくものです。戦いの中で覚悟を固める者は、二流と呼ばざるを得ません」
ヒビキの語りが白熱する。言葉に力が宿り、熱を帯び始める。
「ボクにとって最後に苦戦したのは、あれ何年前でしたっけ? ……そうだ、思い出しました。あれは柳ノ大路の人通りが少ない通りで、十二人に囲まれたときでした。そのとき、最後に斬った一人に苦戦しましたね。片腕を斬り落としたはずなのに、砂で目潰しをしてきたり、刀を捨て投石をしてきたり……とにかく相手をしていて面倒くさかったです。最後は桐ノ大路で首を刎ねましたが、あれは苦戦させられましたね。諦めが悪い人――足掻く者と言った方がいいかもしれません。そこは、この前のジン君と同じですね……」
いや、怖えよ。何で殺した人間の事をうっとりとした表情で思い出しながら、俺の名前を出してくるんだよ。というか、当たり前のように人の首を刎ねた話なんてするんじゃない。人の首を刎ねるなんて剣を手に入れた今でも想像できないし、想像したくもない。
「さてと、ボクの昔話はここまでにして、ボクが言いたかったのは、ジン君がグリフォンに抵抗して諦めなかった姿を見て、高く評価したということです。このままいけば将来、ジン君はボクに匹敵するぐらいの名声を得ているかもしれませんね。英雄も賢者も生まれたときはただの人です。誰よりも優れた者が名を残すのではなく、何かを成した者だけが歴史に名を残せるのですよ。ひょっとすると、ボクのライバルになるのはジン君のような人物なのかもしれません」
「……そうか、頭の片隅ぐらいには入れておくよ」
名声を得るなんて、俺には次元の違いすぎる話にしか聞こえない。歴史に名を刻む偉人っていうのは、ただ頑張れる人じゃなくて、夢や目標に向かって頑張れる人のことなんだよ。その点、ヒビキは目標があって、いつも努力している。俺の考える偉人の最低条件には、ちゃんと当てはまっている。俺とは違って。
そんなことを考えていると、ズボンのまだ慣れない重量に違和感を感じて視線を向ける。太腿には自腹で買った安い短剣。腰には深海のように全てを飲み込む漆黒の剣を携えている。グリフォンの爪を混ぜて作ったらしい、剣の光沢は俺の顔の毛穴まで反射して見える。
「なあ、ヒビキ。剣を買ってくれて嬉しかったけど本当にこんな高い剣を買ってもらってよかったのか? 俺は初心者なんだからこの短剣みたいにもっと安いのでもよかったんじゃないのか?」
「何を言っているんですか、ジン君。最初こそが肝心なんですよ。弘法も筆を誤るし、河童も川に流されるものなんです。初心者がいい道具を使わずに道を極めることができると思いますか? あ、そうだ。せっかくなのでジン君もこの機会に剣の道を極めてみてはどうですか。実際に剣を持ってみるとやる気がでるでしょう?」
「……その程度で出るやる気はやる気とは言わない。気まぐれって言うんだよ」
「そうですか。まあ、いいです。それにそれは呪具や業物ではないので値段は気にしなくても大丈夫ですよ。初心者にしては奮発した程度でしょう」
「……ちょっと待て、『呪具』ってなんだよ。また知らない単語がでてきたんだけど」
こっちに来てからこんなことばっかりだ。知らない単語が、当たり前のようにバンバンと出てくる。だから俺は、日常的に起きるので知らない単語がでてきたら絶対に理解するまで聞き返している。そうじゃないと会話についていけない。『聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥』と言うけれど、本当にその通りだと思う。俺は馬鹿のままで恥をかきたくない。
「ああ、昨日話せば良かったですね。ではいまから『呪具』と『魔剣』と『神具』について話をしておきましょうか」
呪具について聞いたら、何か増えたんだけど。いや、とりあえず大人しく聞いておこう。
「呪具とはですね。と―――」
「お兄さん、少しいいですか?」
ヒビキが意気揚々と話し始めようとしたところで、背後からレインちゃんに口を挟まれた。二人で船尾に突っ立っているので、いつ誰が来ても問題はないけど……今は、タイミングが悪い。ヒビキが明らかに興が削がれたって顔になった。
「リーネがお兄さんを呼んでいますよ。なんでも、皆さんと顔を繋いでおいて欲しいので、こっちの船に来て欲しいとのことです」
そう言うと、レインちゃんは隣の商船を指をさした。旗には、両翼を広げて羽搏く鷹が描かれた商船だ。その、商船は俺が乗っているリーネの船が小さくなるほどデカい。三倍はあるかもしれない。豪華客船のように一流の技師によって装飾されている。見ているだけで、貧乏性を再発しそうだ。
そんな商船を指さされても、どうすればいいのか分からない。行けということなのは分かるが、あんな船に勝手に乗ったら警察に捕まるんじゃないだろうか?
そんな不安を、二人に無言でぶつける。交互に二人の顔を見ながら、「一緒についてきてくれないか?」と目で訴えかけていると……
「ボクはいいです。彼らには、どうせまた何時でも会えますしね。それにあまり大勢で行くのは迷惑になるかもしれません」
「そうですね。お兄さん、頑張って行ってきて下さい!」
いや、レインちゃんはただ行きたくないだけなんじゃ?
というか、ヒビキも途中で話を切られて不機嫌になっているだけだろ。さっきまでと違って、顔が拗ねたようにムスッとしている。雰囲気が拗ねている。でもまあ。ヒビキたちが言っていることも正論だ。デカい船とはいえ、あまり大人数で押しかけるのは迷惑だろう。仕方がないので、リーネに指名された俺がトボトボと足音を立てて船を降りた。
もう何でもいいけど、帰ってきたら機嫌取りを兼ねて、ヒビキから呪具について教えてもらおう。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
近くで見ると、やっぱり迫力がすごいな……
豪華客船のようにデカい船は、一隻の船とは思えないほどの莫大なコストがかかっているのが分かる。学生の俺には、この船に注ぎ込まれた費用の見当すらもつかない。ただ一つ言えるのは、俺が汗水垂らして真面目に働いたところで、購入することは夢のまた夢だということくらいだ。生涯賃金を積み上げても到底届きそうもない規模なのは確かだ。
大きな波に押されたら擦りそうなほどピッタリと横に並んでいるリーネの船とドレークさんの船は、標準的な大きさなはずなのに、とても小さく見えてしまう。まるで玩具のようだ。それほど、この船は桁違いに大きいのだ。そんな商船の甲板を、いかにも『私は金持ちな商人です』と服装だけで主張しているような男に案内されながら歩いている。偏見かもしれないが……何で金持ちというのはジャラジャラと多くの小物を身に着けるのだろう。あれって、普段は邪魔なだけなんじゃないのか?
いや、『オシャレは我慢』と言うなら、彼も邪魔だと思いつつ我慢しているだけなのかもしれない。もしそうなら、少しだけ同情してしまう。お金はあるのに結局我慢しないとオシャレはできないって事実は、貧乏人もお金持ちも変えることができないってことだからな。
そんなつまらないことを考えながら、目の前を歩く嫌味ったらしい男にリーネの元まで案内される。表情には人の好さが滲んでいるのに、実際に話していると妙に鼻につく。そんな男だ。俺が名前を名乗っても、彼は名乗りすらしなかった。だから俺は、彼の話をすべて聞き流し、たまに相槌をするだけのマシーンになって大人しくついていくことに決めたのだ。
……レインちゃんが来なかった理由が、なんとなく分かった気がする。
とはいえ、ここで帰ってしまったらリーネたちに迷惑をかける。彼女たちの顔に泥を塗るような真似はできないそう思って、我慢して歩き続ける。やっぱり、こういう人付き合いって、どこでも面倒くさいものなんだな。人間関係の煩わしさは、海の上でも陸の上でも変わらないらしい。
そうこうしているうちに、周囲の人の行き来が激しくなってきた。この船の甲板の中央に近づいてきたのだ。荷物を運ぶ者、指示を飛ばす者、忙しなく動き回る者たちの間を縫うように進む。案内役の男も、ここで役目を終えたらしい。「あそこに社長が居りますので、それでは私も通常業務に戻らせていただきます。また次の機会でもあれば、もう少しお話しに付き合ってください」と言い残し、静かにこの場を離れていった。
俺は貼り付けた笑顔で彼を見送り、教えてもらった船首の方へと足を向ける。人混みを抜けて、少しずつ空が広く見える場所へと近づいていく。船長という生き物は船首にいないといけない病気でもあるのだろうか?
リーネも暇さえあれば、いつも船首で腕を組んで立っている。風を受けながら遠くを見つめる姿は、絵になると言えば絵になるが……なるほど。そういう生き物だったら、納得できる。説得力がある。――いや、絶対に違うな。エルフだのドワーフだの鬼だの、いろいろな種族がいることは理解してきたつもりだが、『船首にいないと死ぬ種族』だなんて神話でも聞いたことがない。……いないよな?
ちょっと不安になる自分が情けないが……まあ、そんな馬鹿な考えは和気に置いておこう。今、気になるのは別のことだ。不可解なことが一つある。不思議なことと言ってもいいかもしれない。先ほどまで甲板は、働いている人々で溢れかえっているのに、船首に近づくにつれて人の気配が急激に薄れていく。不自然なまでにいなくなっているのだ。まるで船首を避けているかのように、そこだけぽっかりと空間が空いている。
これは、ヘンリーさんの教育が行き届いているからなのか。それとも、別の理由があるのだろうか……
百日紅の幹肌のように滑らかで、ツルツルと手触りの良い手擦りに手を添えながら、ゆっくりと船首へと歩を進める。バカデカい船なだけあって、先頭まで歩くだけでもちょっとした運動になる。途中で足が疲れて、何度か立ち止まりたくなるほどだ。この非効率さは、見栄っ張りなこの商船の唯一の欠点かもしれない。豪華さを追求するあまり、実用性が犠牲になっている。俺は額に滲んだ汗を袖で軽く拭った。潮風が吹き抜けるが、日差しの強さは容赦がない。
ようやく船首に辿り着くと、そこには円卓の机が一つ置かれてあるだけだった。だが、用意された空間自体は驚くほど広い。体感的には、教室二つ分ぐらいはあるだろうか。何もないからこそ、余計に広く感じるのだろう。この場にあるのは、円卓の机と椅子と少しの緊張感だけだった。
「――あ、やっと来たわね! ジン、こっちよ! こっちに来てちょうだい!」
甲板に響くリーネの明るい声に、俺は思わず引き寄せられた。円卓には五つの椅子があり、五角形の頂点に配置されている。そのうちの一つに座っていたリーネが、手を振って俺のことを呼んでいた。彼女の背中には、シュテンとアリアさんが控えるように立っている。
「………」
「リーネル。現世から来た青年というのは彼のことですか?」
「そうよ、やっと紹介できるわね。彼が私の海賊団の新入り、ジンよ」
リーネの声に反応して視界に入っていなかったが、リーネの対面と右隣りにはドレークさんと見知らぬ壮年の男が座っていた。彼の声には、冷静さと威厳が混じっていて自然と耳がそちらに向いてしまう。
ドレークさんと初めて会った時、俺は金色の鬣を持つ獅子を連想した。力強く、堂々としていて見る者を圧倒するような存在感があったからだ。だが、今、目の前にいる男は、獅子ではない。もしドレークさんが獅子なら、この男は鷹だ。猛禽類のように鋭い金色の目。嘴のように高い鼻。赤茶色の髪が潮風に揺れている。その姿はまるで空を支配する鷹のような威圧感がある。俺の予想が正しければ――
「もしかしてヘンリーさんですか?」
「……おや、私のことを知っているのですか?」
彼は、まるでご貴族様のような気品のある服装に身を包んでいる。細身のシルエットに、繊細な刺繍が施された上着を羽織っている。俺がこれまで出会ってきた海賊たちとは印象がまるで違う。というか、むしろ海賊よりも商人というイメージに近いかもしれない。静かに話す彼の丁寧な口調も、どこか格式ばった何かを感じさせる要因だろう。
「……貴方が現世から来たと証明できるものを持っていませんか?」
「え、はい?」
「ですから貴方が現世から来たと証明できるものを持っていませんか?」
突然の問いに、思わず聞き返してしまった。だが、彼も慣れているのか機械的に同じ言葉を繰り返すだけだった。いきなり疑われるとは思っていなかった。だいぶ新鮮な反応だ。これまでの出会いでは、驚かれたり、詳しい話を聞かれたりしたことはあっても、証明を求めてきたのは彼が初めてだった。
「……えっと、困ったな。あ、そうだ。財布の中に学生証が入っていますけど。それでよければ……ど、どうぞ?」
「はい、ありがとうございます」
俺は後ろポケットに入れていた財布を取り出し、丁寧に手渡した。すると、ヘンリーさんは躊躇なく俺の財布の中身を物色し始めた。硬貨や学生証だけでなく、千円札、五千円札、一万円札と、順番に高価なものを机の上に並べていく。彼の目は物色するように細められていた。というか、人の財布を勝手に開けてるよ。尊敬できる人かと思ったのに……マジか。いや、マジか……
「これが、現世の貨幣ですか? そして、こちらが紙幣というものですね?」
「は、はい。そうですけど……」
「しばらく貸していただけませんか? できれば財布ごと」
「……いいですけど。何に使うんですか?」
ヘンリーさんの鷹のように鋭い目に見つめられると、それだけで顔が縦に頷いてしまう。いや、本当は現世から持ってこれた数少ない思い出の品をできれば他人に貸したくはない。だけど……まあ、いいか。どうせ財布の中に入っているのは、使い道がない小銭に水に濡れて皺くちゃなお札だけだ。もし返してくれなかったら、心の中で彼を『借りパク野郎』と呼び続けることにしよう。そうしよう。
それよりも、今ここにドレークさんがいるなら、グリフォンの巣で助けてくれたお礼を言わないといけないと思ってたんだ。あの後は俺が気絶してしまったせいで、ちゃんと感謝の言葉を伝える機会がなかったからな。
「あと、ドレークさんもお久しぶりです、この間はグリフォンから守ってくれてありがとうございました。気絶したみたいでお礼を言うタイミングがなくって……」
「………ああ、構わない」
この人もこの人で、変わらないな。無口というか、無愛想というか……たぶん、俺の存在自体に興味がないのだろう。虫ほどの関心もなさそうだ。いや、まあ、それはもういい。良くはないが一先ず脇に置いておこう。それよりも、俺はどうしてもヘンリーさんの後ろに立っている女性に目が行ってしまう。アリアさんとシュテンのように立っているが、普通ではない。普通の服ではない。このメンツの中でもひときわ浮いている。というか、なんでメイド服を着ているんだろう?
「ご挨拶申し上げます。ヘンリー商会のメアリーと申します。以後お見知りおきを……」
俺の不躾な視線に気づいたのか、メイド服を着た褐色肌の女性は右足を浅く後ろに引き、両手でスカートの裾をつまむように軽く持ち上げ、こちらに向かって会釈をしてきた。とても丁寧な人だ。まあ、個人的には彼女の名前ではなくて、何でメイド服を着ているのかを知りたかったんですけど……
いや、もしかしてメイド服を着せているのはもしかしたらヘンリーさんの趣味なのか? だから、主人に恥をかかせないように自分から先手を打って来た? もしそうだとしたら、この人は公然に自分の性癖を晒している勇者ということになるが……いや、考えるのを止めよう。これ以上考えたら、敬意が濁る。
「おい、お前がリーネの所の新入りなのかよ、噂とは随分とちげぇな?」
すると突然、背後から首に手を回された。もたれかかるように体重をかけられ、何事かと思って振り返ると、そこには男がいた。音も立てずに船首に現れたのは酒臭い男だった。まるで空気に溶け込むように自然と場に入り込んでいた。
「エドワード、遅刻ですよ。さっさと席に座りなさい」
「チッ、相変わらず細けぇことばかり言ってんな、ヘンリーよ。ただ酒をいくつか拝借してきたきただけだろうが? それによー、遅刻ってんなら俺じゃなくてロバートの奴だ。あの馬鹿の船は、まだ港にすら着いていねぇらしいじゃねぇか?」
エドワードと呼ばれた男は、皆に見せつけるように数本の酒瓶を片手で持ち「おまぇも飲むか?」とヘンリーさんに突きつけた。だが、彼が酒瓶のラベルを確認すると「……よくそのような、癖のある酒が飲めますね」と眉をひそめて突き返した。意外と仲は良いのか?
言葉の端々に長年の付き合いのような久し気な空気が漂っている。そんなやり取りを俺は黙って見守っていたが、エドワードさんの発言の中に気になることがあった。
「あのエドワードさん、噂って……」
「うん? あぁ、噂ね。噂。そうだ、噂だッ! 聞いたぜぇ。おめぇ、グリフォンの背中に跨って大暴れしたんだって? 貧弱な見かけによらず、ずいぶんと逞しいじゃねぇか? ハハッ、気に入ったぜ! よかったら、リーネのところじゃなくて、ウチに来るかぁ?」
エドワードさんは酒瓶を片手にカッカッカッと上機嫌に笑った。誰が言ったんだよそんな滅茶苦茶なこと。酒飲みたちの噂話にしても、誇張しすぎだ。グリフォンの巣で大暴れって、どんな化け物ができるんだよ。そんなこと……いや、そういえば身内にいたはそんな化け物が。
「ダメよ、エド。私の海賊団の一員なんだから引き抜かないで!」
「あぁ、クソ。おめぇのご主人様にバレちまったな。おい、リーネ。そんな顔すんなって、悪かった。冗談だよ、冗談。おめぇも本気にしてねぇだろ? えっと、名前は……」
「……ジンだ」
「そうそう、ジンって名前だったなぁ! こんなむさ苦しい男たちしか乗ってねぇ船なんかより、美人が船長をしている船の方がいいよな? アリアだっているしよぉ! まさに役得ってやつじゃねぇか! これ以上を望むのはどんだけ恵まれた頭してんだって、話だよなぁ?」
「あら、口が上手いじゃない。それに免じてさっきのことは忘れてあげるわ」
「オレは、それだけで生きてきたからな。だが、この程度の世辞で喜んでいるようじゃ、リーネもまだまだ乳臭せぇガキみてぇだなぁ?」
「なんですって! あなたはいつも一言多いのよ!」
「おいおい、睨むなよ傷つくだろうが。それにイイ女になりてぇならアリアを見習えよ。手本がいんじゃねぇか? あいつは褒められても顔色一つ変わってねぇだろ? もう言われ慣れてんだって」
「……確かにそうね」
「だろ? アリアは人から言われ慣れてるから反応が薄い。お前はガキで言われ慣れてないから喜んだ。いいか、リーネ。男の褒め言葉一つに一喜一憂しないようになって初めてイイ女になるんだ。あの余裕こそが、本当にイイ女の証だ。よく覚えとけよ」
「……わざわざそれを口にするのは、イイ男のすることではありませんよ?」
「そいつは確かにそうだッ。ハハハッ、一本取られちまったな。オレが悪かった。だから、許してくれ。いい女なんだからよー」
さっきまでは静かだった円卓の机は、エドワードさんが加わったことで一気に賑やかになった。華やかになった。彼の声は大きく、荒っぽいが、どこか憎めない。セクハラ発言が多いが、きっと場の空気を掴むのが上手い人なのだろう。
エドワードさんは剃り残した固そうな無精髭と、日に焼けた浅黒い肌を持つ、建設系の仕事をしている親戚のおじさんというイメージが似合う気安そうな人物だった。気さくで、距離感が近くて、面白そうで、話しかけやすそうだ。この中で一番緊張しない。ただ、全身に拳銃をこれでもかというほど巻きつけていることを除いては……
「よ、ジン。久しぶりだな。……お、なんかカッコいいもん持ってんじゃねぇか! とてもよく似合ってるぞ?」
「カツキ! 久しぶりだな。なんでこんなところにいるんだ?」
俺とカツキは顔を合わせると同時に、自然と握手を交わしていた。グリフォンの巣で気を失った後、彼の姿が見えなかったから心配していたのだが、あっさりと顔を見せてきた。ヒビキからは「カツキには怪我はなかったので安心してください」と聞いてはいたが、やっぱり実際に顔を見るまでは心配だった。元気そうで、本当に良かった。
「あんたらと同じ理由だと思うぜ? まあ、うちの船長はまだ来てないみたいだけど……」
そう言って、カツキは円卓の最後の空席を見て、少し溜息をついた。まだ来ていない人がいた。ロバーツさんという、カツキのところの船長だ。皆の反応からして、いつも彼は遅刻しているのだろう。エドワードさんたちだけでもキャラが濃すぎてお腹いっぱいなのに、これ以上キャラが濃いのは来て欲しくない。俺がそんなことを考えていると――
「いや、もう着いてるぜ!!」
突然、船の外側から大きな声が響いた。俺は思わずに声が聞こえた方向に視線を向けたが、即座に『あり得ない』と判断を下した。なぜなら、声がしたのは海が広がる方角だったからだ。人がいるなら一目で分かるはずだからだ。気のせいかと視線を逸らし、再び声のした方向を探そうとしたその瞬間――視界の端で、何かが勢い良く飛び上がってきた。
そして、その何かは荒々しく手擦りに着地した。人だ。これは人だ。跳躍の勢いと着地の衝撃、その姿を見た俺は直感的に『この人がロバーツさんだ』と判断していた。カツキの呆れたような眼差しが、奇しくも俺の確信を裏付けてくれた。
その跳躍は、ヒビキのような優雅さの欠片もない。だが、確かに人を魅了する何かがあった。動物的な本能に訴えかけるような原始的な力があるのだ。荒々しく、獰猛で、魅力的。そして、そんな派手な跳躍で登場を果たした張本人は、眼帯の位置を調整しながら……
「悪いな、遅くなっちまった!」
丈夫そうな白い歯を見せて、楽しそうに笑っていた。




