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第十九話 『武器』


 リーネから街を案内されてから、あっという間に一日が過ぎた。

 

 エルフの里に行くと聞かされたとき、俺は何故かすんなりと頷いてしまったのだが、後になってふと我に返った。気付けば、俺はもう黄泉の国の住人に片足を突っ込んでいる。そんな自分に、ひとり勝手に驚いてしまった。


 まあ、それはもういい。今さら驚いても仕方がない。


 それよりも、昨夜の夕食時にリーネたちから聞いたエルフの話が、ずっと頭の片隅に引っかかっていた。エルフの里は、森のかなり奥にあるらしく、船で行くには不便な場所にあるらしい。道も複雑で、整備されているわけではなく、慣れない森を歩かないといけないと聞いた。だから、その森を歩くのには慣れた案内役がいなければ、すぐに遭難してしまうほどらしい。そのため、向こうの都合とこちらの予定をすり合わせる必要があり、伝書を使って連絡を取り合った結果、訪問は一週間後に決まったらしい。互いの都合を照らし合わせると、一週間後しか予定が合わなかったみたいだ。


 というか、エルフの伝書って何なんだ? 


 こっちでは火急な要件に伝書鳩を使って連絡を取っていると聞いたが、エルフにもそういう通信手段があるのか? それに、そもそも文字や言語は違うんじゃ……いや、話を戻そう。


 エルフという種族は、ドワーフと同じく黄泉の国には存在しない種族だそうだ。彼らは『妖精』と呼ばれるほど美しい容姿を持ち、自然と共に生きている民。森の奥深くにひっそりと暮らし、滅多に外の世界へ姿を現さないという。人間と関わること自体が極めて稀で、そのため、彼らのことを実際に見たことがる者は少ないらしい。だが、一度でもエルフである彼らのこの世のものとは思えない美貌を目にした者は、皆口をそろえてこう言うらしい――『忘れることができない種族』だと。

 

 さらにエルフは種族全体で地・水・風・火の四大精霊を信仰しており、全員が魔法を自由に操るという。まさに『最強の種族』と呼ぶにふさわしい存在だ。


 ここまでは、昨夜の夕食時に皆から教わった最低限の知識だった。ここまでは皆、答えてくれた。だが、それ以上のことを尋ねると『それは、あなた自身の目で実際に見て、感じて、理解して欲しい』と言われた。


 俺が『何でそんなわざわざ回りくどいことを?』と疑問に思って質問したら『ジン君にはまだ偏見というものがないんです。だからこそ私たちは、先入観にとらわれることなく、ジン君が自分の目で見たことを大切にしてほしいと思っているんですよ』とアリアさんからにこやかに返ってきた。


 いや、言いたいことは分かる。分かるんだけど。

 

 俺としては、そんな教育方針よりも、最初に全部聞いておきたいというのが本音だ。ただでさえこっちの世界のことなんて、まだ右も左も分からない。殆ど何も知らない。覚えることが、考えることが多すぎて、頭がパンクしてしまいそうなんだ。


 それに、『偏見を持たないように』と言っていたけれど、俺の中では偏見とは無知から生まれるものだと教わってきた。中学生の頃の社会の教師が授業でそんなことを話していたのを、今でも覚えている。素直に、いい言葉だと思う。だから、俺もそう思うことにした。知らないという恐怖が、相手を否定する感情に変ってしまうのだと。


 俺はそんなことを考えながら、昨日聞いた話を頭の中で整理しつつ、ゆっくりと身支度を整える。そして玄関の扉を開けた瞬間、カランコロンという小気味いい下駄の音が、すぐ横から聞こえた。姿が見えなくても音だけで分かる。ヒビキだ。視線を横に向けると、いつもの調子で胡散臭い笑みを貼り付けている彼の姿がすぐ傍にあった。


「ではジン君、支度ができたようなので行きましょうか」


「本当に来たよ……」


「そんなに邪険にしないでください。ジン君にボクからプレゼントがありますので」


 そう言って、ヒビキは懐からゴソゴソと何かを取り出した。俺の呆れたような呟きを、彼はまったく気にする様子もなく、にこにこと笑っている。肩透かしを食らった気分だ。皮肉も、愚痴も、文句も、彼は軽口ですべて受け流してしまうのだから。すると――


「ジン君の給料明細です。受け取ってください」


「何でお前が持ってんだ!」


 俺は思わず声を荒げ、ヒビキの手から給料明細書と思わしき紙をひったくった。いや、確かに、リーネがグリフォンの巣で手に入れた豪華絢爛な品々を換金したと話していたし、給料として渡すとも聞いていた。だが、まさかヒビキが給料明細書を持ってくるとは思っていなかった。


「いえ、他にもありますよ。住民票や保険証、銀行口座の開設手続き証明書などなど」


「本当に何でヒビキが持ってんだよ!」


「アリアさんと一緒に役場で作ってきたんです。一応言いますが、作り立てですよ?」


「関係ねぇよ。というか、なんで俺がいないのに作れてんだよ!」


 こういうのって、普通は本人がいないと発行できないはずだよな? こっちの市役所仕事がどうなってるのか分からないけど。さすがに杜撰すぎないか?


「現世から迷い込んだジン君は黄泉の国での扱いが特殊なんですよ。昔のようにそういう仕組みがなければ別に構わなかったんですが、この街に君を無理やりねじ込むにはどうしても必要なことでしたので。ちなみに身元保証人は我々です」


 なるほど。俺みたいに現世から地獄に向かわず、そのまま黄泉の国に来るのが珍しいケースだから、特例的に身元保証人がいれば発行できると。


 それなら、納得――できねぇよ!


 こんな大事な書類を、本人不在で勝手に作られてたまるか。本人がいないのにこういうのを作られて悪用されたらどうするんだ。決めた。今、決めた。俺がいつか絶対にこのふざけた仕組みを変えてみせる。俺はヒビキから奪った書類の束を大切に抱えながら、睨むように不満を伝えた。


「では行きますか、ジン君。時間には余裕を持って行かないと」


 だけど、ヒビキはそんな俺の怒りなどどこ吹く風といった様子で、再び、カランコロンと下駄の音を鳴らしながら歩き出してしまった。


「いやいや、ちょっと待て、これ全部部屋に置いてくるから!」

 

 俺は慌てて書類を抱えたまま部屋へと駆け戻った。個人情報の塊だ。こんな大事そうなものを持って街を歩くことなんて、正気の沙汰ではない。誰かにぶつかって落としたりでもしたら、無くしたりでもしたら、目も当てられない。もうこの時、俺の頭にはエルフのことなんて考える暇はなかった。部屋に戻ると、まずは給料明細書に書いてある金額に目を通して、さっさと棚にしまった。棚の奥に書類をしまい込み、鍵をかける。これでひとまず安心だ。


 まあ、何はともあれ初めて給料をもらった。これが自分の力で手に入れた初めての賃金だった。





 ※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※





 俺は身を粉にして稼いだ初めての給料を前に何も感じていなかった。何の感慨も湧いてこなかった。もしこれが現金で手渡されたなら、また感覚として違ったかもしれない。けれど、給料明細書に記載された無感情な冷たい数字の羅列では俺に感動を与えることはできなかったのだ。何の感動も、実感も湧かない。初めて手に入れる給料というのは、もっとこう、胸が熱くなるほど嬉しいものだと思っていたのに……


 だけど、今の俺にはそれがない。いや、たぶん俺自身が働いたと思っていないからだろう。汗水たらして、必死に頑張った末に手に入れたものだったなら、達成感も得られて嬉しいと思えたはずだ。この給料明細書に記載された金額がどんなに多くても、俺にとっては泡銭だ。どこまでいっても、軽いの。そんな複雑な心境のまま、俺はヒビキに並ぶように隣を歩いている。


「元気がありませんね。それでもかなり色を付けて渡しているはずですが、もしかして少なかったですか?」


「いや、不満はないよ。それに、こっちでの金の価値が分からないんだ。ここにどれだけゼロを付けられても価値が分からないなら素直に喜べないだろ?」


「冷静ですね。ボクなら素直に喜びますよ。お金は無くて困ることはありましたが、ありすぎて困ったことはありません。これはボクの実体験なので分かります。それともジン君は、給料を多く貰うことに異を唱え、不満を持つ変わり者なんですか?」


「……なんか軽いんだよ。初めて貰う給料って、もっと価値のあるものっていうか……何だろう。まあ、とにかくもっと感動するものだと思ってたんだよ」


「それは可笑しい。お金というのは、どんなあくどい手段で稼いでも価値は変わらないものです。そこが魅力なんです。要するに、君の気の持ちようですよ。気の持ちよう。なのでまずは、ジン君のした仕事を認めてあげることから始めたらどうでしょう?」


 まあ、確かにヒ。ビキの言う通りかもしれない。気の持ちよう。自分でバイトして稼いだ百円も、道端で偶然拾った百円も、経緯はどうあれ買えるものは同じだ。なら、このお金は道端で偶然拾ったと思うことにしよう。というか、あくどい手段って、例えとしてどうなんだ?

 

「なら悩んでいるジン君にこっちでの一般常識を教えましょうか!」


 ヒビキは、いつものように大袈裟な身振りで、両手を広げて言った。

 

「まずはお金の単位からですかね。この硬貨を見たことはありますか?」


 ヒビキは麻の葉模様が入った巾着袋のようなものを懐から取り出し、中身を見せてきた。俺がいくら覗き込んでも、袋の中は影になっていてよく見えないかった。なので、仕方なく手を突っ込んで巾着袋の中から円形の物体を取り出した。


 それは銅貨と銀貨だった。現世の五円玉や五十円玉のように、中心部に穴が開いている。デザイン性はあまり感じないが、数字が刻まれただけのシンプルな貨幣だ。


「金貨はさすがに持ち歩いていませんが、これがこの国で流通している通貨です。これに加えて、銅貨と銀貨にも複数の種類があります。まあ、三種類ずつですが……。ちなみに単位は銭と円です」


「円って……現世と同じなのかよ? なんでだ?」


「ああ、それは簡単です。ヘンリーという名前は聞いたことがありますか? 彼は現世からの流れてきた本を奪衣婆から買い取って、この町の図書館に寄付しているのです。見聞きしたその知識や技術を街の発展のために流用しているんですよ。だから、あちらとの共通点が多くあるのです」


「へえー、凄いな」


 ヘンリーという名前は、当たり前のように聞いたことがある。昨日もリーネとサクラコさんから聞いたばかりだ。偉い人だというのは知っていたが、どうやら頭の切れる人でもあるようだ。俺は噂ばかりでまだ直接会ったことはないのだが、噂だけを集めてヘンリーさんの人物像を想像していくとどこかの偉人が出来上がりそうだ。


 ――というか、この街の気持ちの悪い違和感の正体が、ようやく分かった気がする。


 所々で、現代の常識が通用するのだ。確かに、江戸時代の街並みを残しつつ発展したこの街は街並みだけじゃなくて明治時代辺りの文化と現代の文化がすべてごちゃごちゃなんだ。要素が混ざり合っている。外国人の想像では日本にはまだ侍と忍者が存在すると思ってる人がいるらしいが、それと同じだ。間違った常識が通用する。いや、それよりももっと酷いぐらいのすれ違いがある。さっきの円と銭がいい例だ。単位は現代と同じでも、通貨の価値はまるで違う。五十円玉や百円玉なんかないし、紙幣もない。だが円という単位はこの街でも使われている。その小さな違和感が積み重なって、この街全体が気持ち悪く歪んで感じているのだ。


「話を戻しますが、この銀貨が一枚あれば頑張ると一日ぐらいは生活できます。こっちの銅貨は一枚では買えるものが殆どありませんが良く使います。他にも――」


「ちょっと待て、そんなに一度には覚えれない」


「まあ、使っていればすぐに分かるようになりますよ。そうですね、ボクからは一番高い価値のある金貨だけは覚えておきましょうか。金貨が三枚あれば、名匠が打った業物が余裕を持って買えるぐらいでしょう」


「いや、逆に分かりにくいんだけど。刀の値段なんて俺が知ってるわけないだろ? 俺はただの学生だぞ?」


「そうですか? ではここで実際に使って覚えましょうか」


「はあ?」


「ここは柳ノ大路です。ボクがジン君に紹介したかった人呼んで”鍛冶屋が夢見る”柳ノ大路です。ここでもう、ジン君の武器を作ってもらっています」


 ――巧妙な罠に嵌められた。


 ヒビキに案内されて連れてこられた柳ノ大路は、他の街よりも一層、江戸時代の雰囲気を感じる場所だった。江戸の風情を色濃く残していた。蛇のようにくねる長く細い川が中央を流れ、風に揺れる柳の葉が水面に影を落とす。綺麗な街で目に映るすべてが、俺にとっては新鮮だ。木造の店が軒を連ね、軒先には日本刀や槍、甲冑が整然と並べられている。鉄砲こそ見当たらないが、どの品も刃物特有の冷たなく怪しげな光を放ち、まるでこちらを試すような気配を纏っている。


「約束の時間にぴったりです。ですが、少しだけ急ぎますか?」


 ヒビキはそう言うと、虫取りに行く小学生のように目を輝かせ、足早に街の奥へと進んでいった。いや、ちょっと待て。今、さらっととんでもないことを言わなかったか? 聞き捨てのならないことを口にしていた気がする。『もうジン君の武器を作ってもらっています』って。おい、お金はどうした。まさか俺の口座から勝手に引き出したんじゃないだろうな。不安が頭を過る。


 気付けば、ヒビキの背中はどんどん遠ざかっていた。俺は慌てて彼の背中を追いかける。取り敢えず話を聞くためにその背中を追いかけることに決めた。というか、こんな迷路のように入り組んだ街で置いていかれたら、確実に迷子になる。帰り道すら分からなくなるのは目に見えていた。


 俺は走って追いかけるがヒビキとの差が埋まらない。距離が縮まることはない。あいつ足が速いんだよ。絶対わざとやってるだろ。ようやくヒビキが立ち止まったのが見えたとき、俺は息も絶え絶えだった。


「遅いですよ。では入りましょうか?」


「……はぁ…ッ……ヒビキが、速すぎるんだよ……」


 俺は両膝に手をつき、肩で息をするように呼吸を整える。一先ず息を整える。そのとき、店の奥から雷鳴のように大きな声が響いた。


「おおっ! ヒビキじゃねぇかぁ! 久しぶりだなぁ!」


「はい、お久しぶりです。ところで親方、黒之助を呼んでくれませんか?」


「ああ、ちょっと待ってろ! 黒之助!! お前のお得意様ださっさと来い!」


 ヒビキに親方と呼ばれた声が馬鹿でデカい男は背は低いが、がっしりとした体格に、深く刻まれた皺。台風のような人が現れた。店の奥から現れたのはまさに親方という言葉がぴったりの男だった。だが、俺にはそんなことよりも気にするべきことがあった。


「なあ、ヒビキ。武器と言っても、金はそんなにないぞ? 俺の口座に入っている金額なんて、金貨三枚どころか一枚にも届かないんじゃないのか?」


「はい。当たり前じゃないですか?」


「なら、どうすんだよ。海賊だからって、出世払いは通用しないだろ!」


「なので最初に言ったじゃないですか、ボクからジン君にプレゼントがあるって」


「………?」


 その瞬間、会話が途切れた。俺たちの視線が、店の奥から音もなく気配もなく現れた男に集中したからだ。先に言っておくが、気配がないのは彼がヒビキのように武に優れているからではない。単純に、彼には生気がないのだ。幽霊のような男。顔を真っ黒に染め上げ、汗だくになった男が、無言で突っ立ってた。手には、布をぐるぐると包まれた長い物体を持っている。包帯のように巻かれたそれは、どこか不気味で、異様な存在感を放っていた。


「うわぁ!」


「ああ、もう来たんですか黒之助。早速になって悪いのですが注文の品を見せてくれませんか? ボクの注文通りか、確かめたくて」


「………」


 黒之助と呼ばれた不審者のような男は、無言のままヒビキに手に持っていた布包みを手渡すと、また無言のまま奥へと引っ込んでしまった。彼の背中にはどこまでも生気がなく、三途の川で見た亡者たちを連想させる。まるで、何かに取り付かれたかのようで不気味だった。


「ああ、悪いなアンタ!! 黒之助はああいうやつなんだ!」


「いや、それは構いませんけど……」


 親方は俺の肩をかなりの力でバンバンと叩きながら、ガハガハと豪快に笑った。肩が外れるかと思ったわ。


「……それよりもヒビキこれは?」


「どうやら、注文通りのようですね」


 ヒビキは黒之助という男から受け取った布に包まれたそれを手に取っただけで、満足げに頷いた。まだ布に包んだままで、中身を見てもいないのにどうしてそんな感想が出るのかが俺にはさっぱり理解できない。ヒビキは手に持ったそれを黙って俺に渡してきた。開けてみろ、ということらしい。俺は彼から無言のメッセージを感じ取り、ゆっくりと布に包まれたそれを解いた。


「なんだこれ?」


 現れたのは、深海の闇をそのまま鍛え上げたような刀剣だった。全体が漆黒に染まり、光を吸い込むような質感。全てを黒く塗り潰し、飲み込んでしまうような刀剣。柄を握ってみると、ずっしりとした重みが手に伝わってくる。特に剣先にかけて重心が偏っている。重心が奥にあるようだった。


「鉈みたいな形だな…」


「はい、その通りです。ジン君にはあまり力がないので、振り回すだけでもある程度切れるように、重心を剣先にずらしました。結果として、そのような形状になりました。舶刀(カットラス)がモデルですね」


「それにこれは……グリフォンの爪が混ぜてあるなぁ! 珍妙な……一体、何処で拾ったんだ!」


 親方は目を見開いて、刀身を覗き込む。


「グリフォンの巣ですよ。ほら、ジン君は覚えていますよね? 帰り道にあげると約束したじゃないですか? せっかくなので、混ぜてみました」


「それなら鏃の方が良かっただろ! 剣に混ぜるなんて聞いたことがない!」


「弓はジン君が使えないんですよ。それに、聞いたことない手法で作る方が、職人の血が騒いで面白いでしょう?」


「……ああ、面白い! せっかくのグリフォンの爪をわざわざ鉄に混ぜて打つなんて考えたこともない! あまり意味があるとも思えんが、面白い!」


 親方とヒビキが盛り上がる中、俺は黙ってこの鉈のような刀を握りしめていた。手が、離れない。剣自体は重いはずなのに、まるで吸盤のように指が吸い付いて離れないのだ。自然と力が入る。こんな感覚は初めてだ。これが、名匠に打たれた刀の魅力なんだろうか。


「それよりも、刀の名前はどうするんだ! もう決まっているのか?」


「いえ、まだ決まっていません。それが一番の悩みどころですね……どうしましょうか?」


「……名前なんて何でもいいんじゃないですか?」


 ヒビキが腕を組みながら、真剣な顔で刀を見つめている。俺は思わずそう口にしてしまった。だが、次の瞬間、親方の怒号が炸裂した。親方のその勢いに、思わず背筋が伸びた。


「バカ野郎! 名前が一番大事だろうが! 黒之助を呼び戻せ! 名前を全員で考えるぞ!」


「あ、そうでした。親方、短剣の見学をしてもいいですか? ジン君に必要なのでこの機会に安いのを一つ買わせておきたいのですが」


「それは構わねぇが……そんなことよりも名前が先だ! 刀に名前がないなんて魂が宿らんだろ!」


「……いや、何でもいいっすよ」


「いや、ダメだ! 全員で名前を考えるんだ! 短剣はその後でいい!」


 親方の熱量は凄まじかった。まるで自分の子供に名前をつけるような真剣さで、目をぎらつかせている。ヒビキもどこか楽し気に頷いていた。こうして、親方とヒビキと俺、そして呼び戻された黒之助さんの四人でこの刀剣の名前を考えることになった。


 最初は冗談のような案ばかりが飛び交った。だが、時間が経つにつれて皆も早く終わらせたかったのか親方を納得させるために真剣な表情になっていく。会話をするように刀を手に取り、見つめ、重さを確かめ、何かを感じ取ろうとする。そして、日が傾き始めた頃――結局名前は最初に候補に挙がった”鷲獅子の爪痕(そうこん)”に決まった。


 明日に迫った出航の日を前に、俺は何でこんなことをしているのだろうか……


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