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航海日誌 『馬』


 俺が乗っているリーネの船が、名も知らぬどこかの港に着船した。本当に場所すらも分からない。甲板に出たら潮風に混じって、異国の香りが鼻をかすめる。見渡しても見覚えのある風景などなく、どこまでも広がる海が八割、陸が二割と言った風にあまり楽しみがない風景だった。


 俺は自分の仕事に取りかかる前に、レインちゃんに案内されて停泊中の別の船に足を踏み入れていた。何処の誰の船かは分からない。聞いてもいない。外見こそ古びていて、年季があったが、不思議な存在感を放っている。そんな船倉の扉を開けた瞬間、鼻につく強烈な獣臭に襲われて思わず顔をしかめた。


「……うわぁ、獣臭」


 つい正直な感想が口から出てしまった。しまった、と思ったがもう遅かった。そんな俺の野暮な言葉を聞いたレインちゃんからすぐにダメ出しが飛んできたからだ。


「お兄さん。それはさすがに、デリカシーがない発言ですよ?」


 背後から飛んできた鋭い声に、振り返ると、レインちゃんが呆れたように眉をひそめていた。彼女の声には軽い非難と、少しだけ笑いを含んだ優しさが混じっていた。完璧に失言だった。少なくとも、うちの船で動物のお世話係をしている彼女を前に言うことではなかった。


「あー、ごめん。つい、ね?」


 レインちゃんのジッとこちらを非難するような瞳に、俺は素直に謝るしかなかった。レインちゃんの視線はしばらく俺のことを見据えていたがやがてふっと肩の力を抜いて、溜息交じりに視線を外した。気まずい。気まずいが、臭いものは臭いのだ。というか、動物臭い。鼻の奥にこびりつくような、濃厚な動物の臭いがする。


 馬たちが食べる干し草の香りに混じって、バケツ一杯に入った水の生臭さと、乾ききっていない動物の糞の臭いが入り混じっている。まるで臭いが一点に凝縮した動物園みたいだ。それにしても――


「……当たり前だけど馬も船で輸送するんだな」


「そうですよね。見慣れないとスゴイ光景ですよね」


 コツ、コツ、と足を進ませながら再び、レインちゃんと会話を再開する。右に左に視線を彷徨わせていても静かに馬たちが俺たちのことを見つめてくる。広いとは言えない船倉に十数頭の馬たちが身を寄せ合っていたからだ。


 レインちゃんの話では、馬を船で輸送するために船倉に特別な馬房を設けているようだ。馬が転倒して怪我をしないように、狭めの仕切りで体を固定し、揺れに耐えれるようにしている。これで船旅を乗り越えてきたらしい。スゴイ。想像しただけで、ストレスが溜まりそうだ。


「ねぇ、レインちゃん。気になったんだけど、この馬たちってどうやって船倉から外に出すの? 階段からは無理だよね?」


「あー、それなら簡単ですよ。普段運んでいる荷と同じ方法です。まず、特性の吊り具(スリング)で胴体を支えて宙づりにし、特別な昇降用の開閉口(ハッチ)ゆっくりと甲板まで持ち上げるんです。そして、甲板から岸までをつなぐ木製の傾斜路(スロープ)に滑りにくいように藁と布を設置してて、目隠しをさせたまま歩かせて陸に下ろすんです」


「め、目隠し? 何で?」


「はい。何故、目隠しをするかというと馬たちが足元が不安だと怖がるからです。もともと船旅をするだけでもこの()たちにとってはかなりのストレスなんです。何とかしてあげたいのですが、これが最も安全な方法は今のところ無いそうなんですよね」


「……へぇ、色々と考えられてんだなぁ」


 俺は曖昧に相槌を打ちながら、こちらを見てくる馬たちに視線を向ける。目隠しをしたまま静かに傾斜路を下りていく姿を想像した。見えない世界に怯えながら、人の指示に従っている姿はまるで死刑囚のような扱いだと思ってしまった。そんな不謹慎な例えがふと頭に過ったのは、俺も似たような立場だから無意識のうちに共感してしまったのかもしれない。


「昔の馬ってさ。財産や宝っていうか、めちゃくちゃ大切にされてるイメージがあったから意外だったな。こんな風に運搬されるほど売られるヤツがいるんだな。というか、ここにいるヤツらって売られたヤツって認識でいいのか? 農耕馬とか考えたらこんなに集まらないんじゃないのか?」


「それはね、こっちでは馬よりも牛の方が価値があるのよ。ドワーフが住む内陸の方では特にね!」


「……何でいんの?」


 独り言のように呟いた俺の発言を、いつの間にか背後に立っていたレインちゃんではない第三者が口を挟んできた。驚いて再び振り返ると、そこにはリーネが立っていた。ついさっきまでは忙しそうで姿が見えなかったはずななにいつの間に現れたのだろう?


 少なくともレインちゃんに誘われてこの船に乗ったとき、彼女の姿がなかったはずだ。なのに、どうして今ここに?


「ドレークのことを探していたんだけど、途中であなたたちの姿を見かけてね。気になって後を付けたのよ」


 俺が疑問に思っていると、リーネがまるで思考を読んだかのように、さらりと答えてきた。確か、ドレークさんっていうのは手紙の主だ。しかもミミズが這っているかのような筆跡をしたあの人のことだ。どんな人かと気になっていたが……いや、でも、初対面の人と会話するのは気疲れするからやっぱりいいや。上手く言葉が出てこなかったり、間が持たなかったり、俺はそういうのが苦手なんだ。会わずに済むならそれに越したことはない。だが、俺のそんな考えを知ってか知らずかリーネはさらに言葉を続ける。


「後でドレークにジンのことをきちんと紹介するわ。レインはこの前紹介したばかりだったわよね。だから、覚えてるでしょう? 見た目は怖いって言ってる人もいるけど、話してみたら全然そんなことないのよ。だから、安心しなさい!」


「……そうですね。ドレークさんは、とても無口な人でした」


 ウキウキとした様子で話をするリーネとレインちゃんは気まずそうに苦笑いを浮かべながら、そっと視線を逸らした。正反対の仕草だ。彼女たちの姿を見ているとなんとなく察する。というか、無口な人ってどう接すればいいんだろう。会いたくないけど会わないといけないよな。……まあ、直接会ってから考えればいいか。


「まあ、それよりも……どうして馬よりも牛の方が価値があるんだ? 言い方的にドワーフが関係しているってことだよな?」


「そうね。ややこしいから簡単に説明するとね、ドワーフは信仰してる宗教の問題で馬のことがあまり好きではないのよ。農業にもわざわざ牛を使うぐらいね。まあ、それとはもっと別の理由もあるけど……」


「……別の理由?」


 宗教の話はセンシティブだからあまり踏み込みたくないんだけどな。だけど、聞いた以上ここで会話を切るのは不自然だ。俺はちょっとだけ覚悟を決めて問い返した。すると、リーネは少しだけ考えるように視線を上に向けたあと、肩を軽くくすめて、あっけらかんとした口調で言った。


「あー、話はもっと単純でね。グリフォンが生息していて、空を自由に飛び回っている内陸の方では、馬を飼うのが難しいのよ。ほら、グリフォンは馬が嫌いって話を聞いたことがないかしら? どういうわけか馬を見ると興奮するみたいで……しかも馬肉は好みみたいで、狙われやすいのよ。行商人たちにとって馬は大事な足なのに、しょっちゅう襲われるみたいで困っているって話をよく聞くわ。でも、馬って生活に欠かせないじゃない。だから、需要が絶えないの。その結果として、供給が盛んになって私たちでも毎年のように仕入れができるってわけね。簡単でしょ?」


「なるほど。だから、こんなに数が多いのか。いや、もしかして馬車を引くって考えたら多くて妥当なのか?」


「まあ、それもあるけどね……今回は何匹生き残れるかしら」


 考え事をしていたせいで、リーネが最後に呟いた不穏なセリフは俺の耳に届かなかった。リーネの真似をして、身を寄せ合う馬たちの姿を見ながらぼんやりと考え事をしていた。船倉の空気は相変わらず重たくて、どこか湿っていて、干し草と獣の臭いが鼻につく。そんな中で、ふと一匹の馬に目が留まった。


背中から顔にかけて真っ白な毛並みで、まるで絵本に出てくる白馬のように見える。だが、足元に目をやると、黒や灰色が混じっていて、まるでタイツや靴下を履いてるかのようだ。俺のなけなしの知識が正しければ、確か芦毛って呼ばれる毛色のはずだ。鹿毛や栗毛がたくさんいる中で、たった一匹だけ芦毛の馬がいたので目に留まった。まあ、毛並みのほとんどが真っ白だから本当は白馬なのかもしれないが……色違いがいるとやっぱり目立つな。存在感がある。


「……撫でてみますか?」


「え?」


 突然かけられた声に、思わず振り返る。俺が目の前の芦毛の馬を眺めている姿を見て、レインちゃんが何かを勘違いしたみたいだ。


「いや、でも俺って昔から動物に好かれないからさ――」


「大丈夫ですよ。馬はとても賢い動物だから。こちらに敵意がない限り大丈夫です。この前のリベンジさせてください! リベンジ!」


 レインちゃんはにこやかに微笑みながら、俺の言葉を明るい声で遮ってきた。どうやら断り切れそうにない雰囲気だ。というか、『この前』、『この前』って何のことだ? 痛い。その言葉に引っ掛かりを覚えた瞬間、ズキンと鋭い痛みが走った。頭が割れそうなほど痛い。どうやら、記憶を失ったままの方がいいみたいだ。拒絶反応として頭痛が身体の表面に現れた。


「……なら、ちょっとだけ」


 俺は好奇心に負けて馬に向かって恐る恐る手を伸ばした。レインちゃんの後押しもあったし、何よりも……興味が湧いたのだ。動物に好かれないからといって、嫌いなわけではない。避けられるから、触らないだけ。嫌がられるから、撫でないだけ。暴れるから、抱き上げないだけ。それだけだ。それだけのことだ。だが、免罪符を手に入れたのなら話は別だ。俺は彼女から与えられた免罪符を振りかざすように、喜び勇んで馬の頭をそっと撫でた。


「おー!」


 思わず、感嘆が口から漏れる。ざらざらしているかと思っていた毛並みは、意外にも滑らかで、手のひら全体に心地良い感触が伝わってくる。頭で想像していたよりもつるつるとしていて、手触りはとてもいい。指が滑るようだった。額は固いのに、手触りは柔らかく、それでいてしっかりとした筋肉の張りが感じられる。温かい。きっと筋肉の量がスゴイのだろう。俺の体温よりも高くて安心感を覚える。ほんのりと温かい。生きているという実感が確かにそこにあった。


 俺に撫でられている馬どこか不機嫌な顔をしているが、額に置いた手を嫌がる様子はなかった。じっとその場に立ち、されるがままになっていた。大人しい性格なのだろうか。それとも人に慣れているのだろうか。どちらでもいい。重要なのはこの馬が、俺が触れても拒んだり、抵抗したりする気配がないことだ。。その瞬間、心の奥にあった緊張が、ふっとほどけた気がした。俺はそのまま、少しだけ調子に乗って、馬の首筋やたてがみにも手を伸ばしてみた。なんだか、嬉しかった。毛の流れに沿って指を滑らせるたびに、馬の体がわずかに揺れる。初めて動物に嫌がられなかった。そんな感動に浸っていると――


「私もいいかしら?」


 と、背後からやわらかな声がかかった。リーネの声だ。振り返ると彼女がジッとこちらを見つめていた。俺の様子を見て、自分も撫でたくなったのだろう。心なしかソワソワとしている。だから俺は、無言で頷き、ゆっくりと左側に身をずらした。


 リーネは手の甲を見せるように自分の手を馬に向けて差し出す。彼女の手に反応した馬はゆっくりと鼻に近づける。それを合図に、彼女はゆっくりと手のひらを向けて触れる。首のあたりを軽く撫でられて、どこか安心したような顔を浮かべる。慣れた手つきだ。その姿を見た俺は……何故か分からないが、ほんの少しだけ誇らしい気持ちになった。


 二人から無遠慮に触るのはストレスになるよな。そう判断した俺は、そっと半歩だけ後ろに下がってリーネと馬が静かに触れ合う様子を見守ることにした。その光景はどこか穏やかで、優しい時間が流れているように感じられた。ふと視線を横に向けると、レインちゃんがこちらを見てにやにやと笑っていた。なるほど、今の俺を見て、そんな顔になるのも今なら分かる気がする。


「……」


 そこでようやく、俺が撫でていた芦毛の馬の全体像が視界に収まった。もう一度言うが、背中から顔にかけては純白の雪のように白い。そして、足元はまるで靴下をはいているかのような模様になっている。たてがみは風に揺れる草のように柔らかく、首筋から肩にかけてのラインはとてもしなやかで、馬特有の力強さと優雅さを併せ持っていた。シルエットは名馬だ。何の文句をつけようもないほど完璧な名馬だ。だが、顔面だけは違ったらしい。


 目が合った瞬間、思わず『おや?』と首を傾げたくなった。だらしなく垂れ下がった目尻のせいで、疲れたサラリーマンのような雰囲気を醸し出している。まぶたが重たげで、視線はどこまでも気だるそうだった。かなりおっさ……愛嬌のある顔立ちだ。まあ、少なくとも、凛々しく、引き締まった体つきとはまったく釣り合っていない。ミスマッチなせいで余計に似合っていないように感じてしまう。俺が『意外と不細工だな』とそう思った瞬間――


「お兄さん!」


 悲鳴に近い声で、レインちゃんが俺の名前を呼んだ。何事かと反射的に正面に顔を向けると、怒ったような顔をした馬と目が合った。鼻をひくつかせて、不機嫌そうだ。何が起こるのか、俺はまだ気付いてすらいなかった。すぐ目の前に危機が迫っていることに。避ける間もなく、目の前が白く弾けた。


 ――顔面にくしゃみを浴びせられた。


 馬の鼻先から勢い良く吹き出してきた生臭い液体が俺の顔面に直撃した。今回は俺も悪い面があったと反省しているが……うん。うん。やっぱり俺は、動物が苦手みたいだ。まるで何事もなかったかのようにぼんやりとした目でこちらを見てくる馬を見て俺はそんなことを考えずにはいられなかった。


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