第十八話 『案内』
「ジン、あなたにこの街を案内してあげるわ!」
バンッと音が聞こえたのと同時に勢いよくドアが開いた。いきなりの出来事だった。恐る恐る、大きな音がしたドアの方へと顔を向けると大きな海賊帽子をいつものように深く被ったリーネが突然、俺の部屋でそんなことを言ってきた。
「……まあ、構わないけど。今からか?」
「ええ、良く分かってるじゃない! ……ところで、あなたそんな恰好で何をしていたの? 阿波踊り?」
何をしていたのってただ本棚の位置が気に入らなかったので移動させていただけなんだけど? それと部屋に入ってくるならノックをしてくれよ。ビックリしちゃうだろ。
俺がそんな不満を口にするよりも速くドアの前に立っていたリーネは踵を返した。そして、そのままゆっくりとドアを閉じて――
「まあいいわ。それじゃあ下で待っているから支度ができたら呼んでちょうだい」
そう言い残して出て行った。まあ、これは今に始まったことではない。もう慣れたとまではいかないが、リーネの突拍子もない行動をいつの間にか許容できるようになっていた。
最初こそ計画の全貌を話してくれないリーネを見ていると焦れったいという気持ちを抱いていたが、彼女の人柄を知っていくうちにそんな感情を抱くこともなくなっていた。抱くだけ損をするのだ。
だって、リーネは勢いだけで行動している。行動を起こしてから計画を立てるタイプの人間だ。だがら、何も決めていないリーネに事前の説明を求めるだけ時間の無駄だ。そう割り切ることにした。
普通はある程度の計画がないと失敗するし、俺は事前に確かな計画を練ってからしか行動しないタイプだ。計画通りに物事が進まないと不安になってしまう。そう考えるとリーネは俺の正反対の人間だ。悪癖とも思えるその行為に拒否感を覚えるどころか、付いていきたいと思ってしまうのはリーネの持つ天性のカリスマとも言うべき力なのだろう。
だけど、そのカリスマっていうのも彼女が成功し続けることが前提の武器なんだろうな。一度でも失敗すると彼女の言葉から力を感じなくなるはずだ。これは俺たちがっていうのもあるけど……彼女自身が自分に失望してしまったらそこで終わってしまう人間なんだと思う。彼女とは短い付き合いだが、俺はそう感じた。
だからこそ、俺たちが支えないとっていう面倒くさい気持ちにもなるわけだから、結局は彼女が持つ魅力っていうのはそういう諸刃の剣な部分なんだろうな……うーん、難しい。
いや、というかなんで俺は冷静にリーネのことを分析しているんだ?
俺は普段から他人を分析したり、観察することはなかったはずだ。他人は他人だし、自分は自分という価値観が根底にあるのであんまり他人のことを深く考える機会はなかった。興味がなかったのだ。そんな俺でも他人に対して嫉妬心が芽生えることがあるので人間って面倒くさい生き物だと思う。
まあ、これも人としての成長かと独りで勝手に納得すると俺はハンガーに掛けてある学生服に着替えて、誰もいない部屋を後にした。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
リーネと二人で屋敷からしばらく歩いていた。
いつ見てもあの屋敷は変だと思う。ヒビキたちはすぐに慣れると言っていたが俺の住んでいた家と違いすぎて落ち着かない。俺の住んでいた場所は住宅街によくある一軒家だったので広い屋敷というのは馴染みがなくて居心地が悪い。本当に慣れる日が来るのかと疑っているぐらいだ。
だが、一ヶ月ほどの付き合いになるリーネたちのことは段々と慣れていた。
今朝の急に部屋に入ってきたリーネの行動にもう動揺することがなくなっていたし、ヒビキの回りくどい言い回しにも、シュテンの酔っぱらったときの対処にも余裕が生まれた。いや、こんなことに慣れたくなかったな……
それにしてもリーネはどこに向かっているんだろう?
屋敷を出てまっすぐと迷いなく進んでいるが目的地はあるのだろうか。いや、十中八九ただの気まぐれだろう。暇だったからもっと暇な俺を誘って町案内という名の散歩に出かけただけだ。
なのでリーネに目的地を聞いてもはぐらかされて終わるだろう。だから聞くだけ無駄だ。意味のないことを俺はしない。なのでリーネの気の向くままに大通りを観光するように歩いてく。
というかこの街も変だ。あの屋敷と並ぶぐらいには変だ。
江戸時代と明治時代の風景を混ぜ合わせたような街並みで、いつも大通りには活気が溢れている。人の行き来が止まることを知らない。服装も角のあるなしも関係なく商売を営んでいて、自動車はさすがにないが、馬車に人力車、自転車が大通りを我が物顔で通っている。相変わらずハチャメチャな場所だ。だが、改めて見ると時代劇のセットの中を探検している気分がして楽しい。
「ジン、聞いてるの?」
「え、なんか話してたのか?」
無秩序だが秩序があるこの街に好奇心がそそられて、注意深く観察しているとリーネからそんなことを言われた。ヤバい何も聞いてなかった。
俺のことをジッと見つめてくる赤い瞳から目を逸らす。今回は完全にこっちが悪いので目を逸らすことしかできない。リーネはそんな俺の様子に呆れたように溜息をついた。
「まあいいわ、今度はちゃんと聞きなさい。ここが藤ノ大路よ」
リーネは気を取り直してそう言うと大通りを左に曲がった。
大路ということはここがこの街のメインストリートらしい。この街の地理についてまだまだ分からないことが多い。いや、分からないことだらけだ。イナミ村の方がまだ理解している。
この街で生活していく以上この街の構造について知っておいて損はないはずだ。そんな俺の考えを知ってか知らずかリーネは説明を続ける。
「この街には大路と言われるメインストリートが十二個あってね。左から松、梅、桜、藤、杜若、牡丹、萩、芒、菊、紅葉、柳、桐の順番に覚えればいいわ。他にも細かい通りがあるけれどだいたいそれだけ覚えたら苦労しないはずよ。そして私たちが今いるのは左から四番目、女性に人気な藤ノ大路よ」
何か女性に人気なというキャッチフレーズみたいなのが付いていたが藤ノ大路といわれたこの通りはパッと見でも女性の数が多いと感じる。リーネにそう紹介されても納得するほど高貴な服装に身を包んだ気品のある女性が多い。男性もちらほらと見かけるがやはり俺と同じで肩身が狭そうだ。
店構えも清潔感のあるものしかなく、居酒屋などは見えない。この辺りからは化粧品の匂いとお菓子のような甘い匂いがする。その甘ったるい匂いがしただけでも男は寄り付かないだろう。
というかそういうタイプの店しかない。女性が好きそうなラインナップの店が並んでいる。この通りに並ぶ店は化粧品と和菓子、綺麗な着物などしか売られていないみたいだ。さっきの通りを左に曲がるだけでここまで何もかもが違うというのは面白い。
ここが女性に人気というなら他の十二個のメインストリートごとにどんな特色があるのだろう?
リーネの発言をもとに推測していくと京都のように碁盤目状に道や建物が並んでいるのだろうか?
そんなことを考えて歩いていく。リーネと離れすぎると対面から歩いてくる婦人の視線が突き刺さるので、あまり距離が開かないような速度で歩いていく。
歩いて、歩いて、歩いているとリーネが突然止まった。
「目的地に着いたわよ。ジン!」
「……目的地なんかあったのかよ」
リーネの発言に俺は心の底から驚いてしまった。
「何よ。私が何も考えないでわざわざあなたをこんな場所まで連れて行くと思ってたの?」
「そうじゃないのか?」
「……否定はしないわ。でも、今回は案内だからちゃんと事前に考えたわよ」
リーネは拗ねるようにそう呟いた。これはヤバいな。口が滑ったっていうか、間違ったっていうか。とにかく彼女の機嫌を取るために、話題を変えるために、リーネに別の話を振ってみた。
「ごめんって、それよりもここは何の店なんだ?」
リーネに案内されて辿り着いたここは、たぶん何かの店だろう。店の玄関口に吊り下げられた紫色の暖簾には『藤の花』と書かれている。さっきまでの店とは打って変わり、誰でも入りやすい雰囲気が漂っている。まあ、藤ノ大路になければの話だが……
「ここが最初にあなたに紹介しておきたかった和菓子屋よ。茶屋を兼ねているから、もし暇な時があれば気軽に寄ってあげてちょうだい。サクラコは誰かと話をすることが好きなのよ」
ワガシヤ……ワガシヤ……和菓子屋?
頭の中で和菓子屋という単語を探し出すのに、数秒かかった。いきなり予想外のところから殴られたような気分だった。リーネの声が頭にうまく入ってこなかったのだ。
いや、だって最初に紹介する場所が和菓子屋なんて思わないだろ。もっとこう、船の製造とかそういう場所に案内してくれるとばかり思っていた。
呆然としている俺を無視して、リーネは一足先に店の中に入ってしまった。慣れた手つきで暖簾をくぐる姿を見て、俺は少し急いでその店の中に入る。
店の中は、いたって普通の和菓子屋だった。内装は京都にある老舗を思わせる落ち着いた造りで、奥には少しだけ座席が設けられている。ガラスケースの中には、目を奪われるほど綺麗な和菓子が並んでいる。とても美味そうだ。どれを選んだとしても、お見上げとして持っていくには満点だろう。それほどの出来栄えだった。
「いらっしゃいませ何名様でしょうか?」
客が店に入ってきたら分かる仕組みなのか奥の方から、タタタっと可愛らしくこちらに向かって走る音が聞こえてきた。いつも聞いている野郎たちの重苦しい足音とは明確に違う。可愛らしい、小さな足音だ。そして、俺のそんな予想を裏付けるかのように、店の奥からは愛らしい笑顔を浮かべた人物が顔を覗かせてきた。
「久しぶりね、コノハ。あなたが店番をしているってことは、今日もこのお店は繁盛しているってことかしら?」
「って、リーネさん! 帰ってたんですか!」
その小さな声は、リーネの姿を見つけた瞬間に弾けるように響いた。嬉しさを隠しきれない、そんな感じの声だった。
「そうよ。帰ってきたから、わざわざ顔を見せに来てあげたの。……コノハ、いきなりで悪いんだけど、サクラコをここに呼んできてくれないかしら? いつものように『リーネが来た』って言えば、すぐに来るでしょう?」
「はい、少々お待ちください!」
リーネからコノハと呼ばれているこの店番の子は、水色の髪に白い割烹着を着ていた。そして、そのままお品書きを手に持ち、軽やかな足取りで、再び店の奥へと引っ込んでしまった。
「……なあ、リーネ。ここに来たのは俺にサクラコって人を紹介するためなのか?」
「ええそうよ。サクラコはこの街でかなり顔が広いのよ。ここで作った繋がりが巡り巡っていつかあなたの役に立つかもしれないでしょう?」
「そうなのか、ありが――」
俺がリーネの行為に照れながらも感謝の言葉を口にしようとしたその瞬間――店の奥から、何かが破裂したかのような笑い声と共に一人の女性が姿を見せてきた。
「リーネル! アンタいつこっちに帰って来たんだい? こっちに帰ったら最初に顔を見せろと言っておいたはずだろ?」
「風灯祭の終わった後に港に船が着いたのよ。だから最初に顔を見せに来たんでしょう。それよりもサクラコ、あなたに彼を紹介しておきたいの」
「はあ? なんだい彼氏かい? あんたもついに色気づく年頃になったんだね」
「違うわよ。私の新しい仲間よ。ジンって言うの何か彼が困っていたら力になってあげて」
サクラコと呼ばれた彼女は儚さの象徴とされる桜とは対照的な女性だった。恰幅が良く、逞しい身体つきをしている。腕の筋肉だけでも俺の二倍くらいはありそうだ。体格だけで言ったら、俺よりもシュテンの方が近い。
「よろしくお願いします。平坂仁です!」
「おお、元気がいいね。辛気臭い顔をしているぐらいならそっちの方がいいと思うよ」
「それよりも、サクラコ。手土産におすすめを一つ頂戴! このあとヘンリーに会いに行くの」
「ああ、ヘンリーの奴なら松ノ大路にいるらしい。会いに行くなら本社じゃなくてそっちに行った方がいいかもね」
「あらそうなの? それは助かったわ、それと聞いておきたいのだけど……」
リーネとサクラコさんは俺を置き去りにして会話に没頭してしまった。なので手持ち無沙汰にガラスケースに陳列された和菓子を見ていると
「ジンさん。初めまして、僕はコノハといいます。ジンさんはリーネさんの船に乗っているんですよね? なら、これから僕とも仲良くしてくれたら嬉しいです!」
「あ、ああ。よろしくね、コノハ……」
コノハと呼ばれている目の前の人物は綺麗な水色の髪に可愛らしい顔立ちをしている。角度によっては光の加減で白髪にも見える綺麗な水色の髪だ。コノハの割烹着を着た姿は少年か少女かすらも分からない。これって聞いてもいいのか? 傷つけてしまうじゃないのか?
そんなことを考えていると言葉に詰まった。何かを言い淀んだ俺に疑問を浮かべたコノハが見つめてくる。
「あのー、どうかしましたか?」
「ああ、その、ごめん。こんなこと聞いていいのか分からないんだけどさ………君って、男の子なの? それとも女の子?」
失礼なことを聞いているのは分かっている。だけど気になってしかたがない。魔が差したと言われればそれまでなのだがつい本人に聞いてしまった。配慮の欠片もない。そんな俺の行動にコノハは……
「えーっと、内緒です!」
人差し指を口に持っていき、照れくさそうに笑うその仕草に俺の心は射止められた。可愛い。俺の中にある何かが音を立てて崩れていくのが分かる。性別の垣根を超えた衝撃が俺を襲った。
「どっちでもいいか……」
「ほら、バカなこと言ってないで行くわよ」
リーネは初めてのときめきに固まったいる俺を力尽くで引きずっていく。
「じゃあね、コノハ。また来るわね」
「はい、ヒビキさんにもよろしく伝えてください」
リーネとコノハが何かを話しているがいまの俺には理解できない。その二人の後ろで「また来なよ」と手を振りながら送り出してくれているサクラコさんに軽く頭を下げて店を引きずられるように出た。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ほら、いつまでボーとしているの。さっさと目を覚ましなさい!」
リーネに尻を蹴り上げられた痛みで意識を取り戻した。
すっげぇ痛い。その細い足のどこにこんな力があるのか分からない。
「っ、痛ぁ……あれ、ここは何処だ?」
「……松ノ大路にあるヘンリーが持っている店の一つよ。本人はここにいないみたいだけど」
すこし不機嫌そうに現在の情報を伝えてくる。また蹴られたくないので俺は慌てて話を変える。
「あれ、手土産は忘れてきたのか?」
「もう渡して来たのよ。あなたがそうなっている間にね!」
怒るリーネを前に俺はやっと頭の整理ができた。よく見る藤ノ大路とはかなり雰囲気が違う。貴婦人のような人が多くすれ違っていた藤ノ大路とは違い、露天商のような風貌の男が多い。というか市場みたいな場所だな。全く共通点のない商品がまとめて売りに出されている。その中には俺が見たことがない品も多くある。
「……ヘンリーさんには会えなかったのか?」
「そうよ。サクラコの情報を頼りにここに来たけどどうやら無駄足だったみたいね。藤の花で買った手土産だけヘンリーの部下に預けて帰って来たわ。本当はジンの顔を大勢に広めようとしてたのに……。まあ、いいわ。どうせ今度会うし、その時に紹介すればいいしね」
やっぱりそういう目的があったようだ。リーネは俺と顔が広い人たちにコネクションが出来るように紹介してくれていたのだ。俺は黄泉の国に来てからまだ一ヶ月ぐらいだ。知り合いが多くなることに越したことはない。家族も友人もいなくなった俺にその気遣いは素直に嬉しい。だから――
「まあ、その……ありがとよ」
今度は誰にも邪魔されないで感謝の気持ちを口にすることができた。さすがに少し照れくさい。
「え、構わないわよ? 私がしたくてやったことだもの」
燃えるような赤い瞳を見ることができずに顔を背けた俺にリーネはそんなことを口にした。とくに感謝されることはやっていないと言いたいようだが、口角は少し上がっていて嬉しそうだ。
「そうね。感謝しているのならもうちょっとだけ付き合いなさい。私のとっておきの場所に案内してあげるわ」
そう言うとリーネは子供のように微笑みながら松ノ大路のさらに奥へと歩き出した。
「ああ、感謝しているから。今日ぐらいどこでも付き合うよ」
「今日ぐらいって明日はたぶんヒビキがあなたを誘うと思うわよ。何か用事があるって言ってたもの」
「……ああ、そうなんだ」
それを聞いたと同時になんだか一気に疲れてしまった。だけど、いまさらさっきの発言を撤回するのは男らしくない。そう判断してリーネの後を追うように俺も歩き出した。
ーーー
歩き出して、歩き出して、十五分ぐらいは経っただろうか。
リーネに連れられて俺は海岸沿いにに出ていた。
俺が初めてこいつらと出会ったときと同じような景色だった。日が沈むまではまだまだ時間があるが、それでもどこまでも広がる青い海を見ていると心を洗い流されるような気持ちになる。
耳の底から響く波の音が心地よく、海の匂いは頭を刺激する。
そんな景色をリーネは海賊帽子が飛ばされないように押さえて、まっすぐに見据えていた。ここがリーネのとっておきの場所のようだ。
「お前って本当に海が好きなんだな」
「ええ、大好きよ」
そこで暫く会話が途切れた。
だけど不快感や気まずさはない。この海が全て飲み込んでしまったようだ。
「ねえ、ジン。今日は付き合ってくれてありがとう。船長としてあなたを少しは理解できた気がするわ」
リーネは静かにそんなことを呟いた。
三途の川でみんなと出会ってまだ一ヶ月だが、もう一ヶ月とも言える。
「それはこっちのセリフだよ。あの時お前が仲間に誘ってくれたから、俺はここにいるんだ」
リーネと初めて話したときのことを思い出した。
こいつはどんな時も本心しか言わない。だからみんな付いていきたいと思うのだろう。
「そうなの……でも、まだまだ終わらないわよ。私を信じて付いてきなさい! これから三日後にエルフの里に行くことに決まったわ!」
海を見ていたリーネが俺のことを見ている。今回のことで俺も少しはリーネのことを理解できただろうか……




