航海日誌 『男子会』
グリフォンの巣に向かうとリーネに言われたが、俺は変わらずにイナミ村での農作業を手伝っていた。これは別にサボっているわけではない。
単純に俺ができる仕事がこれしかないのだ。出航に必要なものはアリアさんがすべて管理しているし、力仕事は俺よりも遥かに屈強な船員たちがいる。
というわけで俺は引き続きイナミ村の農作業を手伝うことにした。身体は連日のように酷使した結果、軽く動かすだけでも悲鳴を上げるが終わりがあるというだけで救いになる。今までは終わりのない地獄のような日々だったが明日の早朝が出航だと分かってしまえば身体から力が溢れる。一筋の光明が見えたからだ。
そう気合を入れなおすと俺は鍬を振り上げて、思いっ切って振り下ろす。この海のように広大な農地をひっくり返るように振り下ろす。
「ねえ、ジン君。今夜時間はありますか?」
「え?」
鍬を振り上げると音を立てずにヒビキが現れた。いつの間にか先ほどの地味な格好とは打って変わり、紫陽花のような着物に身を包んでいる。
「いや、特にないけど……なんで?」
「そうですか、では楽しみにしていてください」
時間はあるかと聞かれても、農作業が終わるとあとは村の人が用意してくれた晩御飯を食べて寝るだけだ。正直言ってこの村には現世のように娯楽がないので暇だ。あと滅茶苦茶疲れているし……
何をするのか、その質問に答えることなくヒビキは風のように消えてしまった。
いや、うん。せめて答えてからどこかに行ってくれよ。気になってしかたがない。そんな不満をぶつけるように鍬を振るった。まあ、そこそこ楽しみにして待ってようか。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「やっと終わった……」
農作業が終わって平屋に帰り着いたのは完璧に日が沈んだ後だった。
汗をかいたシャツが肌に張り付き鬱陶しい。夜風にあたって寒い。というかこれはデジャブか?
この前も同じことをした気がする。その時はシュテンのせいで荷運びをさせられったけ? そんなに月日は経っていないのにもはや懐かしく感じる。
俺は土の付いた農具を水で綺麗に洗い流して元の場所へ返すと晩御飯を楽しみに平屋に入る。今日のおかずは何かなと考えながら引き戸に手をかけてスライドさせる。こっちに来てから、いや、イナミ村ではご飯ぐらいしか娯楽がない。まるで囚人のようだ。
「おい、ジン。何やってんだ?」
「いや、ご飯でも食べようかと」
何十人も雑魚寝ができるほど広い平屋の中に入るとすぐシュテンに話しかけられた。
「あん? ヒビキから聞いてないのか? 今日はオレたちの飯はないぞ?」
「はぁ? 何言ってんだ。みんなもう食べてるだろうが?」
平屋の中を見渡すと俺と一緒に働いていた船員たちが勢い良く飯を口に掻き込んでいる。口が裂けても品がいいなんて言えないが、一週間近く一緒に寝食を共にしていると慣れてしまった。
「ああ、ヒビキの野郎、何も言ってねぇんだな。…オレとヒビキとジンはここじゃなくて場所だ。まあ、四の五の言わずについてこい!」
人差し指だけをクイっと曲げて大人しく後ろをついてこいと促してくる。そういえば昼間にヒビキが何かを言っていたが農作業で頭がいっぱいになってしまい忘れていた。楽しみにしていたのにな……
街灯なんてものはなく月と星だけが畦道を照らしている。
夜中は疲れて寝ているだけなのでここまでゆっくりと夜空を見上げたのは今日が初めてかもしれない。田舎で見上げる星々は透き通っている。満月じゃないことだけが残念だったが三日月でも風情がある。
そんな田舎の畦道をシュテンの背中を頼りに歩いていく。ここで水路に落ちたら笑えない。普通に死ねるかもしれない。そう考えてシュテンの足跡をなぞるように歩いていく。
「よっし、この辺でいいか! ここだと迷惑にはならねぇだろう」
しばらく無言で歩いていると虫の音だけしか聞こえない場所でシュテンは急に止まった。
「火を起こすからジンは焚火を組み立ててくれ、ヒビキが魚を持ってくるから、オレは野菜を貰って来る」
「……シュテン、焚火ってどうやって組み立てるんだ?」
「はぁ!? そんなことも知らねぇのかよ!」
「いや、だって習ったことないし…」
「習ってねぇんじゃなくて、何もしねぇから何もできねぇままなんだよ。まあいい。教えてやるから見てろ」
シュテンはそう言うと細かい枝から太い枝を順々に集め始めた。俺もそれに倣うように木の枝を集め始める。
「こんなもんでいいか。えっとな落ち葉に火をつけてっと、次は小枝に燃え移るように、よしこんな感じだ。やってみろ!」
シュテンはせっかく組み立てた焚火を足で壊してしまった。足で薙ぎ払うように木組みを崩し、火が付いた落ち葉をグリグリと踏み消した。
「ええ、適当だな。というか崩さなくてもそれでいいじゃん。わざわざ俺が新しく焚火作る必要はあるのか?」
「当たり前だ。オレがやったら練習になんねぇだろうが、いつかお前もやる日がくるんだから練習だ。練習!」
そう言い残してシュテンは隣家へと野菜を貰いに行ってしまった。暗闇の中で一人残さないで欲しかったが幸いなことにマッチは置いていってくれた。
「まあいいか、もう覚えたし」
シュテンがしたように枯葉を搔き集めて火をつける。そして細い枝から太い枝へと順々に燃え移るように枠組みを整えていく。
「あれ、なんか形が……」
シュテンが作ったのと比べると不格好に見える。いや、こんなところでも俺は不器用なのかよ。……まあ、初めてにしては上出来だ。上手くやった方だと思たい。そうやって自分自身のことを頑張って励ましていると――
「おや、シュテンがいませんね。ボクが最後だと思っていたのですが……」
夜闇の中からカランコロンと音を立てて、紫陽花のような派手な着物に身を包んだヒビキが来た。
「……シュテンなら、野菜を貰いに行くってよ。田舎の常識ってヤツはよく分からない」
「そうですか? まあ、ジン君もいずれボクたちの常識に染まりますよ。……ところで、この独創的な焚火はジン君が?」
「……なんだよ。下手なら下手とはっきり言えよ」
「いえいえ、下手なんて言いませんよ。焚火としては十分使えますしね」
「なら、いいだろ。というかヒビキはどこに魚なんて取りに行ったんだよ、見た感じ道具なんて持ってないだろ?」
ヒビキは普段から刀ぐらいしか持ち歩いていない。釣りって竿と餌がいるんじゃないのか?
「ああ、見てください。大量ですよ」
背後に隠していた網のような入れ物を俺に見せてくれると十匹ぐらいの魚が入っていた。
「この魚って?」
「鮎です。聞いたことがないですか? 清流にいる美味しい川魚です」
「え、釣ってきたの? どうやって?」
「ああ、ジン君は鮎の友釣りって聞いたことがないですか? 鮎は鮎で釣れるんですよ? 今度は一緒に行きましょう」
そう言うと乾いた丸太のような枝にヒビキは串を突き刺していく。目から中骨に沿うように鮎を波打たせて串を突き刺していく。下処理は終わっているのかヒビキは手際よく鮎の串焼きを作っていく。
俺はヒビキの手元を見てながら渡された串刺しにされた鮎を不格好な焚火に近づける。知識が正しいならこんな感じだろう。間違っていたら修正するはずだ。
というか、ヒビキの回答って答えになってないよな。鮎で鮎が釣れるのは初めて知ったが、俺が知りたいのはその一匹目をどうやって釣ったのかってことだよ。まあ、普通に考えると釣り道具を持って行ったってことなんだろうな……
「お、もう揃ってんのか? じゃあ始めるか」
鍋に食材をたくさん入れて持って来たシュテンが帰ってきた。
「いや、待ってくれ。これって何の集まりかいい加減聞いていいか?」
ドカッと地面に座ったシュテンを横に俺はずっと疑問に思っていたことを聞いた。
「ああ、まだ言ってなかったな。お前がウチに入ったお祝いだ。今夜は騒ぐぞ!」
「ボクを含めて男は三人しかいないので、男子会ですよ男子会。親睦を深めましょう!」
「……そういうことか。要するに俺の身の上話をしろってことだな。お前らの酒の肴代わりに……」
「まあ、そういうこったよ! ここまで来たら諦めて付き合えよ、ジン。今夜も飲むぞ!」
シュテンは酒瓶や鍋に野菜。ヒビキは川から美味しい魚を取って来てくれたのか。俺のために何かをしてもらいなんて家族以外では久しぶりだ。二人のその心意気が素直に嬉しい。だから――
「言っとくけど酒は二十歳まで飲まないからな」
「面倒くせぇが分かってるよ。お前のためにちゃんと水も持って来たぞ」
「まあまあ、なんでもいいじゃないですか。水でも酒でも海賊としての絆は変わりません。それよりお腹も減ってきたので早くボクたちの宴を始めましょう!」
ヒビキのその一声にシュテンが三人にお酒と水を注いでくれた。
焚火のパチパチと弾ける音を聞きながら水が注ぎ終わるのを待つ。鮎が焼ける美味しそうな香りが鼻に届く。全員に飲み物が行き渡ると同時にシュテンとヒビキと俺の三人はお互いの飲み物が入った容器をカンと軽くぶつけて
「「「乾杯!!」」」
と口にした。こうして俺たち三人の初めての夜は更けていった。シャキシャキとした新鮮な野菜に繊細でふっくらとした味わいをした鮎はとても味わい深く。俺にとっても大切な思い出になった。酔ったシュテンの介抱がなければもっといい思い出になっただろう。




