第十七話 『新入り』
風灯際を見た後でも船は無事に着船した。
祭囃子の名残が遠くの方から聞こえてくる。だが、俺はそのまま風灯祭が終わったのを横目にリーネたちが暮らす屋敷に戻った。まあ、屋敷に着いた頃には正式なメンバーしかいなくて他のみんなはそれぞれの家に帰っていったようだ。
リーネに案内された屋敷は庭がついていてかなり広く、和洋折衷という言葉が似合う屋敷だった。まあ、似合うというのはこの街にという枕詞をつけるべきか……
俺が初めてこの街を見たときは教科書で何度も見たことがある江戸時代と明治時代を無理に混ぜ合わせたようなちぐはぐな印象を受けたが、この屋敷を見たときも同じ感想を持った。
まず、煉瓦造りの立派な屋敷に武道場のような施設が接着剤で繋ぎ合わせたかのように付属している。和の成分を担っているのはたぶんヒビキだろ……
それに庭園も変だ。日本庭園を連想させる石橋や池、鹿威しがあるのに噴水や花壇など滅茶苦茶な作りの庭園が門を潜ってすぐそばにある。
そんな何十人も住めるほど広い屋敷の中に俺は案内されていた。まあ、ここにいるのは五人なのでどうやっても広すぎると思うが…
いや、これ以上この屋敷を注意深く見るのはやめよう。頭が痛くなってきた。
「さー着いたわよ。帰って来たわ! 私たちの家に!」
「言っちゃ悪いが、変なところだな。いろいろと滅茶苦茶だ」
「そうね、私たちもみんなそう思ってるわよ。でも今日からあなたの帰る家でもあるのよ、ジン」
「まあ、住めば都ともいいますし、ジン君もすぐに慣れますよ。それに色々と置いてあってボクはジン君ならこの家を気に入ってくれると思っていますよ」
「それよりも、酒を買いに行かねぇと。せっかくの祭りも酒がないとパッとしねぇからな」
「ならシュテン。明日のために日本酒を買ってきてくれませんか? どんなものでも構いませんから」
「なら私が行きましょうか? シュテンさんもせっかくのお祭りを楽しみたいでしょうし…」
「レインじゃあ誰も売ってくれねぇよ。仕方ねぇから俺が明日までに買って帰る。それでいいか?」
「はい、ありがとうございます」
シュテンはそういうと街の祭囃子の喧噪が残る方角へと足早に歩きだした。
俺はシュテンの後姿が小さくなるまで眺めていたが、木を打ち付けるような音が聞こえて急いで振り向いた。しかし、そこにヒビキの姿はもうなかった。
「じゃあ、部屋までの案内はアリアに任せるわ。私たちは先にお風呂入ってくるから」
リーネとレインちゃんはもう屋敷の中に入っていった。ヒビキにいたっては黙って何処か行ったし……
みんなに取り残された俺はアリアさんに先導されて、屋敷に入ってすぐ目の前にある階段を上って二階の奥の部屋におとなしく案内された。というかこういうのはヒビキやシュテンの男組が案内してくれた方がいいんじゃないのか?
まあいいけどさ……
屋敷の廊下には銀の甲冑や趣味の良い絵画などが綺麗に並んでいる。
基本的には西洋風の家具や置物で統一されているようで外観で感じたちぐはぐな印象はなかった。かなり高級感があってお洒落だと思う。
そんな廊下をゆっくりと美術館を鑑賞するように歩いていくと奥から二つ目の部屋でアリアさんは立ち止まった。
「ジン君、この部屋で大丈夫ですか? 恥ずかしいことですが奥の部屋は物置に使っていて片付いていないんです」
「どこでもいいですよ。できれば寝れる場所があれば嬉しいです」
「それは安心してください。それに怪我人なんですからもっと我が儘言ってもいいんですよ?」
そういうとアリアさんは部屋の扉を開いた。
一歩部屋の中に入ると一目見てかなりいいと感じる。
ふかふかなベッドにお洒落なランプが置かれてある。
他にも机や本棚など最低限の家具は揃っているようだ。
「いいところじゃないですか! 文句なんて一つもないですよ!」
「そう言ってもらえて良かったです。ではこの部屋で決まりですかね。では明日にでも買い出しにでかけましょう。ジン君に必要なものを揃えないと」
アリアさんはドアの傍に立ち、白く細い指を折り曲げながら予定を確認しているようだった。それに確認事項を詳しく教えてくれるだけでも好感度が上がってしまうのは今までが言葉足らずなせいだろう。
「明日の午前中は何もないので遅く起きても大丈夫ですよ。ジン君は他に何か聞いておきたいことはありますか?」
「いえ、特には…」
「まあ、明日にでも聞けばいいですね。それではジン君、お休みなさい」
俺はアリアさんが部屋を出てドアを閉めるまで見守っていた。
それにしてもお休みなさいってこんなにも温かい言葉だったんだな。今までは意識していなかったが、その一言がとても心に沁みる。
バタンという音を立ててドアが閉まるのを確認すると俺は学生服を脱ぎ、ハンガーに掛けて、クローゼットの中に収納した。
そのまま俺はふかふかなベッドの上に横たわる。上半身は包帯まみれだがほとんど裸と大差ない。さすがにズボンは脱げないがこのままでも寝れそうだ。
俺は眼鏡をはずしてベッドに深く顔を埋めた。ベッドからは埃の匂いも人の臭いもしない。無味無臭だ。身体がどんどんと重力に負けていく。
俺の前にこの部屋を使っていたのはどんな人なんだろう?
そんなことを考えたが、眠気で重くなった瞼には逆らえずにそのまま目を瞑るといつの間にか寝てしまっていた。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
目覚めてすぐに激しい揺れを感じた。
俺は地震かと飛び起きるとリーネが呆れたような目でこちらを見ていた。
「あなたいつまで寝てるの? もうお昼よ」
「え、もうそんな時間なのか」
俺は口の横に垂れていた涎を手で拭う。
というか何でリーネが部屋の中にいるんだ? 何か用ができたんだろうか、今日は何もないとアリアさんが言っていたけど……
俺は寝惚けた目でリーネの姿を見つめているとタオルを投げられた。
「早く身支度を整えなさい」
「何のことだ?」
「昼からあなたの写真を撮りたかったのよ。それにみんな集まっているわ」
俺はベッドから朝日を浴びて立ち上がると学生服を着た。
鏡で髪をある程度整えるとドアを開いてリーネの後を追う。というか水面所はどこにあるんだろう? 取り敢えず顔を洗いたい。
そんなことを思い、部屋から出るとパッシャという機械音が聞こえた。目線を上げるとカメラが見えた。不意打ちでリーネに写真を撮られた。
「何の真似だよ?」
「何って写真を撮ってるのよ。寝坊助にはとても似合ってるじゃない」
リーネが見せてきた写真には半目で白目という最悪な姿の俺がいた。というかそのカメラ随分と新しいな。カメラだけやけに発展してんのか?
いや、そんなわけないか……
この街は俺の想像よりもっと文明レベルが高いのかもしれない。
「取り敢えずその写真を消してくれないか」
「いやよ。面白いもの」
そういうとリーネは長い廊下を走っていく。
俺はゆっくりとリーネの後を追う。朝からそのテンションについていくことはできない。……ああ、もう昼なのか。なら俺が悪いな。
久しぶりにふかふかなベッドで寝たせいか身体が軽く感じる。俺が寝すぎた原因はあのベッドだ。だからこんなに遅く起きたのは俺が悪いというよりもベッドが悪い。いや、そんなわけないか…
俺はそんなことを考えながらリーネの後姿を追いかけて階段を下りていく。玄関を出るとまだ見慣れない庭園の方へ歩く、リーネを追いかけていると五人がもう揃っているのが見えた。
「遅せぇよ、ジン。せっかく美味い酒が目の前にあるのにお預けをくらったこっちの身にもなってくれよ」
「いや知らないし、ていうか酒? そんなの勝手に飲めばいいだろ」
シュテンの手の中には大事そうに抱えている酒瓶があった。日本酒っぽいな。
庭園にある石橋を渡り、みんなが集合している所に合流した。
「お前のために用意した酒なんだからオレが勝手に飲んだらアリアの奴に怒られちまうだろうが!」
「なんで私の名前を出したんですか?」
俺を指さして唾を飛ばすシュテンにアリアさんがジッと睨むように見つめる。いや、アリアさんの顔に変化はない。普通に見ているだけだが、威圧感のようなものが滲み出ている。それよりも言っておかないといけないことがある。
「はあ? 俺は高校生だぞ。十七歳だ。酒なんて飲めるわけないだろ?」
「硬いことを言うなよ。仲間になったんだから、酒を酌み交わすのが当たり前だろう?」
「それに、こちらでは飲酒は十六歳になったらできますよ? レインはまだですが、ジン君なら飲めるでしょう?」
ヒビキとシュテンが俺の逃げ道を塞いでくる。年齢を言い訳はさせてくれない。俺が自分で決めろということらしい。
「いつもいつも、お前たちはやることが早いんだよ……」
「やると決めたことは早めにした方がいいのよ。ほら、思い立ったら吉日っていうでしょう? 何かをしようという気持ちになったらすぐに行動するのが私のやり方なのよ。いい加減慣れなさい」
規模が小さな宴会場のような場所でリーネが六人分のお酒を注いでいく。漆器の平盃に濁りのない澄んだ酒を注いでいく。
いやでも未成年飲酒はまずいだろ。
「こういう通過儀礼って、本当にやる必要があるのか?」
正直な気持ち飲みたくない。この国の法律では大丈夫だと聞いても『はいそうですか』とは頷けない。俺が日本で培った倫理観がその行為を否定する。
「必要よ。これも私の父たちが築いてきた歴史の一つだもの、それを私は繋いでいきたいのよ。それに『海賊』と呼ばれた父の仲間たちは生まれた日も、死ぬ日も、出身も、言葉も、髪色も、好きなものも、嫌いなものもすべて違う無法者たちが集まってできたはずなのに最後まで楽しそうだったわ。私もあんな海賊になりたいの…。私の我が儘を聞いてはくれないかしら?」
型にはまったことを繰り返すことに意味はない。しかし、人はその行為に意味を残せる。意志と言ってもいいかもしれない。人々が繋いだ意志は決して無駄ではないとリーネは心の底から信じているのだ。
俺はリーネのその言葉を受けて、酒が注がれた盃を顔の前まで持ち上げる。
「分かったよ。リーネの我が儘に付き合ってやる」
俺が漆器の平盃を持ち上げるのを見たリーネは子供のような笑みを浮かべた。それが合図となったのか他の四人も盃を持ち上げる。全員が盃を掲げたのを確認した後にリーネは大きく息を吸って――
「私たちは皆生まれた日は違うけれど海賊としての契りを結ぶこの時から、同じ船に乗る者たちと心を同じくして助け合い、分かち合い、尊長し合うことをここに誓うわ!」
そう宣言して盃同士をコツンとぶつけて、いっぱいに注がれた酒を一息に飲み干した。俺たちもリーネに倣うように盃に注がれた酒を口に含む。鼻を突きさすような消毒液の臭いがする。喉を焼くような液体が流れ込んでくる。苦い。ただ苦い。それが俺が初めて飲んだ酒の味だった。
「これであなたは私たちの正式な仲間よ、これからよろしくね」
喉が焼けるような感覚に咳き込みながら嬉しそうに笑うリーネたちに囲まれた。こうして俺はこの船の正式な新入りとなった。
海賊と呼ばれるだけあって盃が空っぽになった後に昼食兼宴会が始まった。酒を飲み、飯を食べるのは花見のような感覚だったが家族でもないみんなとこんなことをしていることが信じられない。いや、家族でも花見はしたことがないが……
シュテンにしつこく酒を勧められながら、そんなことをやんわりと考える。するとリーネが串を片手に自分の盃に酒を注ぎながら――
「あ、そうだジン。先に伝えておくけど、次の出航は一週間後だから準備しておきなさい!」
「ありがとう、もうちょっと早く伝えてくれるか?」
そんなことを言ってきた。
出航が一週間後って早いよな! これって俺の感覚が間違っているのだろうか?
俺のそんな疑問に答えてくれる人は誰もいない。ヒビキもレインちゃんもこの宴を楽しんでいる。なのでもう仕方がないと腹を括り、この時間を楽しく過ごすことにして、一気にシュテンから注がれた酒を飲みほした。
この翌日、初めて二日酔いという感覚を体験した。




