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第十六話 『風灯』


 イナミ村での時間はあっという間に過ぎていった。


 俺は怪我が意外と深く肉体労働は何も手伝うことができなくて良かったと思っていたのだが、なぜかどっと疲れている。詳しい理由は言えないが肉体的な疲れではなく精神的な疲れとだけは言っておこう。


「おーい。ジン、出航するぞ! さっさと乗れよ!!」


 遠くから薄情者のシュテンが大きな声で呼んでいる。


 今回はイナミ村で三日しか過ごしていなかったが、前の六日の農作業よりも疲れが溜まっているのか碌に返事もせずにシュテンたちが待っている船に乗り込んだ。


 怪我の回復を優先して農作業も積み荷も肉体労働は免除にされたが俺はやはり前と同く、いやそれ以上に疲弊しているようだ。そうなった原因は布団から起き上がって俺たちに手を振りながら見送っている。とても病人だったとは思えない。


「また来いよ。ジン、今度はもっと面白い話を聞かせてやる!」


「ハイ、それでは…」


 俺はイサヒトさんに小さく手を振り返す。

 社交辞令とは言え、こっちには借りがあるので無下にはできない。


「あなたも、イサヒトに気に入られて大変ね……」


「……分かっていたなら止めてくれても良かったんじゃないのか?」


「止めようとはしたわよ。でも、最終的にはあなたが勝手に結んだ契約よ。それにその件に私はまったく関係ないもの」


「……それはそうだけどさ」


 あんなに重い契約だなんて聞いてない。いや、一つ学んだと前向きに考えよう。それにイサヒトさんの話の全部が全部どうでもいいことだったかと言われればそうではない。俺にとっては重要な話がいくつもあった。


 その一つが黄泉の国で最初にリーネたちと訪れた街の名前だ。船着き場から見て、手前が禊木(みそぎ)町で奥が千引(ちびき)町というらしい。比率としては三対一ぐらいで禊木町が大きいみたいだ。


 ちなみにイナミ村は稲海村と書くらしくイサヒトさんが自分で命名したと言っていた。なんでも海のように広がる黄金色の稲穂がとても美しかったからだそうだ。この知識は役に立たないかも……


 ああ、あと名前についてだ。ヒビキにシュテン、アリアにレイン、それにリーネという名前に違和感というか単純に珍しいと思いイサヒトさんに聞いてみると名捨てと名付けと呼ばれる風習があったそうだ。これは海賊になる者共が『ここにいる人間は家族なんだから苗字はいらない』と苗字を捨てたことや、『ボスに門出を祝って新しい名付けてもらいたい』と言ったことでできた文化だそうだ。


 昔からの海賊は全員もとの名前を憶えていないものも多いらしい。イサヒトさんが俺に名前をくれようと意気込んでいたがそれは丁重にお断りしておいた。


 ところで本当に俺も名前を変えないといけないんだろうか? 仲間になったからと言っても新しい名前に変えるのは微かな抵抗感がある。


 まあ、後でリーネたちに相談すればいいか……


 黄泉の国の最東端にあるイナミ村からは三途の川を利用して帰るそうだ。三途の川は流れが速いので、行きは八日かかったのに帰りは三日と半日で到着するらしい。


「なあ、朝方に出港して大丈夫なのかよ」


「うん? 何のこと?」


「いや三日と半日かかるならさ、朝方に出港したら禊木町に着くのは夜になるんじゃないのか?」


「ああそのことね。それなら大丈夫よ。考えがあるわ」


「……その考えを話して欲しかったんだけど」


「内緒よ、でも安心して危険なことは何もないわ」


「……本当だろうな?」


「ええ、信じて!」


 リーネは船首で腕を組んでそう口にした。


 信じてか、あんなことがあったのにリーネに言われてしまうと何も言えなくなってしまった。もう一度その瞳を無条件に信じてみたくなった。だから俺はリーネと同じ方向をじっと眺め胸を張って出航のときを待っていた。


 ……いや、やっぱり少しぐらい話して欲しいかも。怖いから。




 ※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 そして、何も起きないまま三日が経っていた。


 夜の間も船は波を掻き分けて進んでいたはずなのだが、そんなことを感じさせないほど順調な航海だった。まあ、三途の川は比較的まっすぐなのでそのおかげもあるだろう。 


 俺はグリフォンの件ですこし疑心暗鬼になっていたのかもしれない。今思えばグリフォンの巣で怪我人は多く出ていたが死人は出ていない。俺が一番の重傷だったというだけだった。なにも嘘は言っていない。結果良ければすべてよし、なので俺はリーネたちを信じて良かったのだ。本当に疑ってなんていない…

 

 だが、気掛かりならある。リーネは俺に『内緒よ、でも安心して危険なことは何もないわ』と言ったのだ。ということは危険なこと以外には何か起こると言っているようなものではないのか? いや、考えすぎかもしれない。もう三日目の夜だ。この時間から何かが起こるとしたら座礁して船が沈むぐらいじゃないと俺は驚かない。いや、驚いてやらない。


 そんなことを考えながら俺は診療室のベットの上で横になりながら目を瞑っていた。怪我のせいで何もやることがない。甲板の掃除すらいまは懐かしく感じる。


 イサヒトさんの気持ちが少しだけ分かった。寝ているだけの生活をしていたなら誰かと一日中話していたくなるだろう。俺もそうだ。その相手が俺じゃなければ微笑ましい気持ちでその光景を見守っていたのに。


 目を瞑って考え事をしていると段々と意識が遠くに行く感覚に飲み込めれていく。もう寝よう。今日の夜に着くと言っていたし、俺が力になれることは何もない。暇だし俺は怪我を直すことだけに専念しよう。


 そう思って意識を手放す寸前、ギーッと診療室のドアが開く音がした。誰だろうと考えたが俺が目を開けてその人物を確かめるよりも早く、甘くてどこか懐かしさを感じる金木製のような香りがふわっと匂ってきた。


「ジン君、起きていますか? 話すのは久しぶりですね。やっと時間が取れたので様子を見に来ました」

 

「アリアさんってやっぱり天使じゃないですか?」


「いえ、違いますよ?」


 俺が寂しいと心のどこかで不安を感じるとアリアさんが必ず現れる。いつもタイミングが良すぎてアリアさんは俺が脳内で勝手に作り出した存在なんじゃないかと最近思い始めていた。


「アリアさん、何でここに?」


「様子を見に来たんですよ。ほら怪我を見せてください」


 アリアさんは俺が横になっているベッドの上に腰を掛けて、俺の肩を撫でるようにゆっくりと服を脱がせてくる。服を脱がせてくる!!?


「え、ちょっとアリアさん!! 何やってんすか!!?」


「? 何って? 怪我がどれぐらい回復しているのか見ようと思って…」


 アリアさんはびっくりしたと首を軽く傾げて、学生服のボタンを外そうとした指を止めた。それは問題があるだろ! いや、何もないか…。勉強会のときから思っていたが、アリアさんは人との距離が少し近い気がする。


「ああ、そうですか、そうですよね。脱ぎます…」


「はい、助かります」


 俺はゆっくりと学生服のボタンを外していく。アリアさんに見られながらだとなんか恥ずかしいな。包帯が露出するのがいやだったので俺がイナミ村で直してもらった学生服を勝手に上から羽織っていたのにそれがこんな形で返ってくるとは……


「包帯を外しますね」


「ハイ」


 どうやら包帯を代えてくれるようだ。俺はアリアさんに身を任せて反対側の壁のシミを数える。だがアリアさんの細い指がスッと傷跡をなぞるように動かしてくる。くすぐったい。


「あの、アリアさん。どうしたんですか、少しくすぐったいんですけど」


「……傷はどうしても残りそうですね、もう痛くはないですか?」


「はい、大丈夫です。それに傷は男の勲章ですから!」


「……そうですね。私もそっちの方がカッコいいと思いますよ」


「ほ、本当ですか!」


「え、いきなり大きな声を上げてどうしたんですか? 本当ですよ?」


 アリアさんは古くなった包帯を交換し終えるとベッドから立ち上がってしまった。カッコいいって人生で初めて言われたかもしれない。


 嬉しい。素直に嬉しい。身体を清潔な包帯でぐるぐる巻きにされた状態であっても初めて味わう「カッコいい」と単語を噛み締めていた。一男子として噛み締めずにはいられなかった。俺がそんな喜びの感情に浸っていると……


「ではジン君、そろそろ私たちも行きますか?」


「はい! ……ってどこに?」


「どこにって……リーネから何も聞いていないのですか?」


 アリアさんは少し考えるような仕草で「なるほど、だから私を……」なんて呟いている。リーネには何も聞かされていないが、やはり何かあるのだろうか。俺が驚くことはないだろうができれば今聞いておきたい。しかし、アリアさんは……


「分かりました。では行きましょう、付いてきてください」


「え、説明はないんですか?」


「はい、リーネはそっちの方が面白いと思ったんでしょう。私もそうです」


 アリアさんは木製のドアを開き俺を案内するように「付いてきてください」とぴしゃりと言い放った。この光景を俺は思い出した。繰り返している。デジャブってヤツだ。アリアさんに案内されてリーネと船首で話した時のまったく同じ光景だ。意外と押しが強いアリアさんはこうなったら突き進むのでなるべく逆らわないほうがいい。


 俺は学生服を手に取り、ベッドからゆっくりと立ち上がった。そしてアリアさんに先導されるように付いていく。いったいこれから何が起こるんだろう?




 ※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 長い廊下をアリアさんに合わせて付いていく、階段をアリアさんの手を借りて上がるとすぐに甲板に出た。もう辺りは真っ暗だ。

 

「アリア、ジン、二人とも遅いわよ! もうギリギリじゃない!」


「ギリギリって何のことだよ。俺、何も聞いてないんだけど…」


「そうよ。教えてないわ、ビックリさせようと思って」


「ならそろそろいいんじゃないか、何が起こるか教えてくれても」


「それはね、祭りよ。祭り、風灯(ふうとう)祭よ」


「風灯祭って、そんな祭りがあるのか? なら早く船を港に預けて参加しに行った方がいいんじゃないのか?」


「いやよ、何のために三途の川を大回りして海まで来たと思っているの? ここが一番よく見える特等席なのよ」


 いや、そんなの知らないが……


 リーネの奴明らかにテンションが高いな。よっぽどその風灯祭ってのが楽しみなんだろう。さっきから彼女は大好きな海に目も向けず、満天に輝く星空だけを注視している。その姿は子供のようで少し微笑ましい。


 というか本当に星が綺麗だな。現世にいたころの十倍は星がはっきりと見える。そんなことを考えて星空を見上げていると


 ――クラゲのように夜空を漂う何かを見つけた。


 凍った夜空の中で温かな光を放ち、風に揺られるがままに泳ぐクラゲの群れだ。星の静謐な輝きとは打って変わり、そのクラゲは人懐っこい温かな輝きを放ち続けている。火だ。火の温かな光だ。


 提灯のような構造をしている無数の熱気球が夜空を飾り付けている。何十、何百という無数の熱気球が俺たちのいる海に向かって漂いながら飛んでいた。


「これは天灯か?」


「こっちでは風灯っていうんですよ、お兄さん」


 いつの間にか隣にレインちゃんが立っていた。きっと俺が頭上を見上げているときに移動してきたんだろう。


「風灯か……。レインちゃん、さっきリーネは風灯祭って言ってたよね」


「はい、これは死者に、もう喋ることができない人たちに、思いを届けるたいという人があの風灯へメッセージを乗せて海に送るという祭りなんですよ」


「へえー。そんな祭りなんだ。詳しいんだね」


「………もともと私が発案したお祭りなんです」


 俺とレインちゃんは夜空に漂う風灯を見上げながら話を続ける。


「え、レインちゃんが?」


「お兄さんは私のお父さんの話はもう聞きましたか?」


「ああ、ヒビキたちから聞いてるよ」


「…私はお父さんに最後、お別れを言うことが出来なかったんです。それがずっと心残りで、私がお父さんにお別れを告げるためにみなさんが協力してこのお祭りを開催してくれたんです」


「そうなんだ。レインちゃんはもう吹っ切れたんだね」


「はい、みなさんのお陰です。……お兄さんはどうですか? 現世に残してきた家族や恋人、友達に伝えたいことはありませんか?」


「……伝えたいことか」


 俺が現世に残してきた人は多くいる。母さんに父さん、兄貴に、日向や葦原の五人だ。いや、結構少ないな。まあ俺にしては頑張った方だ。そんなことを考えて時間を稼ぐがあいつらに伝えたいことなんかすぐには思いつかない。


「ちょっと分からないかも、まだこっちに来てすぐだから伝えたいことなんか考えられないし」


「それでもいいんじゃない? また今度の風灯祭のときに考えればいいのよ」


 どこからかリーネが声を掛けてきた。


 リーネは俺の左側にある手擦りに寄りかかって、空を眺めてそう言った。 


 リーネはずっと夜空を見上げている。俺に関心を持ってないかのような物言いにこれがリーネじゃないならムッとなっていただろう。しかし、リーネは目の前のことに夢中なんだと分かるから気にならない。それよりも『また今度』といわれたことが嬉しかった。俺は来年もこいつらの仲間として一緒にいられるのかな?


 俺はそんなことを考えながらリーネの横顔から目を離して、再び風灯が漂う星空を見る。会話はあるが、喧騒はない。みんなが雰囲気を壊さないように小声で話している。


「ねえ、ジン。ビックリした?」


 リーネは夜空を照らす風灯の温かな光をその赤い瞳に映しながら俺に質問を投げかけてきた。一瞬、海賊たちが暮らす禊木町を見る。太鼓の音が祭囃子を引き立たせていた。鬼も人も関係なく騒いでいる様子が良く見える。だから――


「ああ、めちゃくちゃビックリしたよ」


 そう答えた。俺の答えにリーネは満足そうに微笑んでいた。


 風灯祭によって照らされた空は夜と感じさせない。まだまだ街は活気づいている。星空を泳ぐように漂っていた風灯は時間が経つにつれて漆黒の海も優しく温かに色づける。星夜を漂う風灯は熱気球の内部で燃え盛るあの火によって、燃え尽きてなくなってしまうのだろう。その景色を見ながら一つ確かな予感があった。


 ――俺はこいつらと共に生きていく。そんな気がした。


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