第十五話 『最ッ高だった』
ガタガタという揺れを感じる。
ガタガタ、ガタガタと、とても軽い揺れだ。少し騒々しいがこれぐらいの雑音があったほうが逆に寝れるのかもしれない。これは新しい発見だ。
それに背中に木材の硬い感触を感じる。おそらく馬車の荷台の上で寝かされているのだろう。完璧な居眠り環境だ。ただ一つ文句があるとすれば枕が低くて寝にくいことぐらいだろうか……
というかなんで寝てたんだっけ? 俺は確かグリフォンの巣に行って……
そうだ! 死にそうになっていたんだ。いや、むしろもう死んでいるのかもしれない。二回目の死と言うと少しは格好いいかもしれないが、実態はグリフォンにしがみついて、そのまま転落死しただけだ。二回目の死よりもグリフォンのほうが嘘っぽいな……
いや、というかあのまま死んでたまるか! 死ぬ気になってグリフォンに抵抗したし、それになにより死ぬ時ぐらい枕を高くして寝たい。
そんなことを思い、ガタガタと揺れる荷台の上でゆっくりと目を開ける。最初に感じたのは太陽の光だった。視界に映るなにもかもを真っ白に染め上げる太陽の光を遮るように手を翳す。次に感じたのは樹皮のように硬い感触だ。両耳の近く樹皮のように硬い何かを添えられている。
目を焼く光にだんだんと慣れていく。だんだんと視界を取り戻していく。そして耳の近くに置かれてある何かの正体を知るために頭上に視線を向けていくと――グリフォンの右脚が置かれてあった。
「うお!!」
驚きすぎて身体が跳ねるように起き上がってしまった。
ズキンと全身に、特に右肩辺りにいままで味わったことのないほどの鋭い痛みが走った。激痛だった。何でだと思い自分の身体の容態を改めて観察ように視線を下げると全身包帯だらけだった。ミイラ男と称されるほど包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「おお、起きたのか?」
「お早うございます。ジン君」
シュテンとヒビキが荷台で寝ている俺を両側から覗き込んできた。目だけを動かして荷台の左右を確認してみると黄金に輝く品々がグリフォンの右脚と同じく添えるように置かれてあった。棺かよ、いや棺にしては趣味が悪いな……
「なんの嫌がらせだよ、これ?」
「これ? ああ、グリフォンの趾のことですか? これはボクが切り落としたものですよ。ジン君に少しわけてあげようと思って……」
「ああ、ありがとう。久しぶりに最悪の目覚めだったよ」
「はい、どういたしまして」
嫌味も皮肉もヒビキにはまったく効かない。いつも笑顔で受け流されてしまう。
それでもついつい口にしてしまうのは胡散臭いニヤケ面が気に食わないからだろう。いつか一杯食わせて、その綺麗なニヤケ面を驚きで崩してやりたい。
「まあいいか。そんなことよりもこの包帯……」
「ああ、治療はもうすんでるぞ。右肩以外の傷は浅かったが血を流しすぎていたからな。安静にして動くなだとよ。だから、そのまま寝てろ」
「分かったよ。………みんなは怪我してないのか?」
「さっさと寝ろよ! 怪我したやつはいるけどな! テメェが一番の怪我人だ。死人も出てねぇしなぁ! 分かったら寝ろ、さっさと寝ろ!」
「……ああ、分かったよ。おとなしく寝てるよ」
「なんで不満そうなんだ、お前?」
俺はシュテンの言うことに従い、起こしていた上体をゆっくりと横に倒す。だがグリフォンの右脚はなかった。どうやら誰かが移動させてくれたようだ。
「ジンもう起きたのね。様子を見に来たわよ」
「大丈夫ですか、お兄さん!」
「ああ、もう大丈夫だよ」
リーネとレインちゃんの二人の声が聞こえてきた。だから再び起き上がろうと左手に力を込めるとシュテンから片手で頭を押さえつけられた。
「だから傷が開くから寝てろって言ってんだろうが! 終いには縛り上げるぞ!」
「ご、ごめん」
さすがに調子に乗りすぎた。
だけど目が完璧に覚めてしまった俺には他にやることもない。それに二人の無事な姿も自分の目で直接確かめておきたかった。だからシュテンには悪いが縛られないように身体は寝かせて、顔だけを少し浮かべて二人の姿を視界に収める。
「意外と大丈夫そうですね、お兄さん……」
「シュテン、あなたさっきから言動がお母さんみたいよ」
「こいつが言うことを聞かないせいだろうが!」
シュテンは俺の頭を掴んでぐりぐりと動かしてくる。いや、もうしないから止めてくれ、目が回ってきた。
「それよりも、ジン。あなた魔法が使えていたじゃない。誰かに教わったの?」
「誰にも教わってないよ。偶然だ」
「偶然でもなんでもいいじゃない。誇りなさい。魔法使いっていうのはそれだけで貴重な人材なのよ」
自分で努力して身につけたものではなく、偶発的に発現したものを誇るという感性は俺にはない。運だけだと割り切ってしまう。だけどリーネにそう言われると胸の中にスーッと染み込むように入ってくる。まあ、かなり嬉しい。
照れているのを隠すように顔を逸らす。それにいるだけで騒がしいはずのヒビキがさっきからずっと真剣な顔で何か考え事をしているのが気になった。
「どうしたんだ、ヒビキ?」
「いえ、今回の件で新入りに伝える格言を思いつきまして、グリフォンは背に跨った勇気あるものを決して襲わない。なんてどうでしょう? なかなかいいと思いませんか?」
「いいじゃないそれ、カッコいいわね! 航海日誌にはそう書きましょうか!」
「おい、怪我人を前にして言うセリフがそれかよ!」
珍しく真面目な顔で悩んでるから何かと思えばそんなことかよ……
というかグリフォンは俺を攻撃してきたし、もっと言えばあいつ怒ってたし、もう何からツッコめばいいか分からない。
「それは冗談にしても、ボクたちはジン君に聞かないといけないことがあります」
「うん、何だ?」
聞きたいことってなんだ、俺がヒビキに教えられることなんてほとんどない。強いて上げるならグリフォンの乗り方ぐらいだろうか?
そんな調子のいいことを考えているとヒビキはチラリとレインちゃんの方を見た後、すぐに俺の方を向いていつも通りの大袈裟な身振りでこう言った。
「どうでしたか、初めての冒険は?」
俺はこの言葉が耳に届いたときにヒビキが何でそんなことを聞いてくるのかよく分からなかった。だって俺の身体は一目見ただけでもわかるぐらいにはボロボロだ。右肩は抉れているし、太腿の内側は細かい傷が無数にある。
イサヒトさんに貸してもらった短刀もなくしてしまったので謝らないといけない。それだけじゃなくて俺はこの場にいる大勢に情けなく喚き散らしたところを見られている。思い出しただけで死にたくなるほど恥ずかしくなる。
こんなに色々なことが起こっていたんだ。ヒビキはやはり意地が悪い。普通は聞かなくても分かるだろう。
「最ッ高だった」
もちろん怖かったし、死にかけたし、恥もかいた。このことを俺は黒歴史の一つとして一生忘れることはないだろう。それでも俺は心の底から初めて”生きてる”って実感した。いや、自分でもおかしなことを言っていることはわかる。だけど俺は死んで初めて自由になった、そんな気がした。
ヒビキの問いに答えた俺は身体は起こさずに痛みを我慢しながら、ゆっくりと右手を伸ばしていく。俺が何をしたいのか分からずに戸惑っているリーネに俺は――
「これからよろしくな」
と告げた。いまさらこんなことを言うなんて可笑しな話だ。二週間以上一緒にいた仲なのに。だが俺はグリフォンの巣から逃げきって、いや度胸試しを終えて、やっとこいつらの仲間になれた。そう思ってしまったんだ。
俺から手を伸ばされたリーネは最初は確かに戸惑っていたが、だんだんと意味を理解し始めたのか嬉しそうな顔をしながら思いっ切り右手を振りかぶると
――パンと乾いた音が響いた。
お互いの手と手を叩いただけのいわゆるハイタッチというやつだ。
なんでこんな意味のないことをするのか昔の俺では絶対に分からなかっただろう。だが、右肩の傷が酷くなっても俺はリーネたちにこの時に初めて生まれた衝動を伝えておきたかったのだ。
俺がハイタッチを終えて満足しているとリーネは俺よりももっと嬉しそうに口角を歪ませていた。たぶん尻尾がついていたなら勢いよく左右に揺れているのが一目で分かるぐらい喜んでいる。
なんでそこまで喜んでいるのか前の俺だった分からなかったはずだ。でも今は何となくだが伝わってくる。リーネは自分の思いが伝わって嬉しいのだ。些細なきっかけから仲間に誘った相手でも自分の仲間になってくれたのが心の底から嬉しいのだ。
「それじゃあ帰りましょうか、私たちを待つ黄泉の国へ」
リーネは喜びを一切隠さずに、俺が初めてあの船に乗った時と同じようにはじける笑顔で告げた。リーネの声に呼応するように周りから少ない掛け声が聞こえる。
というか黄泉の国っていう国なのかよ。捻りのない名前だな。そんなことを考えて俺はガタガタと心地良い揺れに身を任せて長い眠りについた。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
後日談というわけではないが、これは俺がイサヒトさんに謝りにいったときの出来事だ。航海日誌の当番になったのでここに記しておく。
イナミ村についてすぐにイサヒトさんに謝りに行こうとイサヒトさんの家までリーネに肩を借りて連れて行ってもらった。男性陣は農作業を手伝いと言い働きに出かけたのでしかたがない。手伝えよとも思ったがこれは俺が悪いのでしかたがない。しかたがない……
それにアリアさんは消費した物資や、在庫を把握するために連日連夜一番頑張っていたので休ませてあげたいし、レインちゃんの背丈では俺を支えることが出来ないので消去法でリーネが選ばれた。というか一人で行こうと場所を聞いたら付いてきてくれた。
まあ、そんなわけで俺はリーネと一緒にイサヒトさんの家の前に来ていたのだが、俺たちは一つの小さな問題に直面していた。
「なあ、リーネ。呼び鈴がないんだけど、どうすればいいんだ?」
「呼び鈴ってなんでそんなものがいるのよ?」
「え、どういうことだ?」
「どういうことって、入ればいいじゃない」
そういうとリーネは勝手に扉を開けてイサヒトさんの家の中に入っていった。これがカルチャーショックってやつか…
俺が住んでいた都会では、いや住宅街では絶対に見ることがない田舎特有の文化に俺はしばらく口が空いたまま塞がらなかったがリーネの「早く来なさい」という呼びかけに人に見られないように気を使いながら急いで家の中へと駆け込んだ。
玄関をくぐり、家の中に入ると外部の門ですでに分かっていたことだが広い。イサヒトさんがお偉いさんだったと分かるぐらいには広い。会長というのは間違いではないようだ。
「お邪魔しまーす」「お邪魔します…」
威圧感を感じながら廊下を突き進んでいく。この屋敷の厳かな雰囲気は人懐っこいイサヒトさんには似合わない。もっとおじいちゃんの家とかの方が似合うだろう。
「お前さん、失礼なことを考えてるだろう?」
いつの間にか障子を開けてイサヒトさんが顔だけを出して俺たちを見ていた。
「ああ、見つけたわ。どうやら強がりではなかったみたいね、本当に体調が良さそうだわ」
「なんだ疑ってたのかよ。失礼な二人だな!」
「いいじゃない。心配するための疑いは悪いわけじゃないでしょう? それよりもイサヒト。あなたにジンが話したいことがあるみたいなの」
「なんだよ。その言い方だと告白みたいだな。先に言うのは悪いけど俺は女一筋なタイプだから、お前さんの気持ちには答えてやれないぞ?」
「いや、違います。俺も男色は好みじゃないっすよ。そうじゃなくて短刀の件! イサヒトさんに貰った短刀をグリフォンの巣に落としてきたから謝りに来たんですよ。」
「…ああ、そのことか。あれはお前さんにあげたものだ。好きに使うといい。つっても納得しないよなお前さん目が頑固そうだし」
「まあ、そうですね。絶対に何かの形でお返しします」
このままではイサヒトさんではなく、俺の気が済まない。俺が償いたいのだ。
「律儀な奴と言ってやりたいが、そうだなぁ…あの短刀はお前さんの役に立ったのかい?」
「…………はい、とても役に立ちました」
「それは良かった」
イサヒトさんのどこか嬉しそうな笑顔に俺は胸が痛くなった。
これ以上失望されたくなくて、つい嘘をついてしまった。一応悩んだのだが結果嘘をついてしまったので同じことだ。
「それで十分だ。いつまでも倉で眠らせておくぐらいなら使ってやった方があいつも嬉しいだろうよ」
「いや、でも……」
「ああ、分かったよ! ならまた来た時に俺の話し相手にでもなってくれ、布団で寝てるだけだとボケちまう」
「はい、分かりました。また絶対に来ます」
「そうか……ならさっそく付き合ってくれ、お前さんその包帯はどうしたんだ?」
「え、これはグリフォンに」
「グリフォン!? お前さんグリフォンに襲われて怪我をしたのか! おい、リーネ。どうなってやがる。ドレークとロバーツとお前がいるのに新入りに傷を負わせたのか?」
「……それはごめんなさい。でもロバーツはいなかったし――」
「でももへちまもない! お前さん少しは船長らしくなってきたと思ったのに新入りに怪我を負わせて満足してるんじゃないだろうな?」
「私もジンには悪いと思ってるわ…でもそもそもロバーツも参加する前提でドレークと計画を練ったのよ。文句なら私じゃなくてサボったロバーツにも言うべきじゃないかしら!?」
「あ、ちょっと二人とも落ち着いて――」
このまま喧嘩が終わった後、リーネは帰ってしまったが、俺は月が見える時間までイサヒトさんの話に付き合うことになった。ここに滞在することになった三日間、毎日……