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第十三話 『金泥棒』


 階段を転げ落ちるように走る。

 

 ドレークさんが号令を発すると同時に身体の中心から熱が漲るのを感じた。ヒビキとドレークさんの勢いに引っ張られて俺たちが先頭を突っ走っている。右翼側と左翼側にいる他の部隊と競い合うように……


 グリフォンは突如として出現した俺たちを外敵ではなく、獲物と判断したらしい。警戒する様子もなく全方位から襲い掛かってくる。猛烈な襲撃だった。


 この猛烈な襲撃の中で俺たちが誰一人欠けることなく無事に走れているのはヒビキ、シュテン、ドレークさんの三人の影響が大きいだろう。


 ヒビキが俺たちを先導してグリフォンから道を切り開く。


 カランコロンと聞き馴染みのある下駄の音を鳴らし、グリフォンの群れを揶揄うように翻弄している。そのせいでヒビキだけが集中的に狙われている。


 もしも俺たちを標的にして襲って来るグリフォンがいても後方には視野の広いドレークさんが指示を出しているので、シュテンがドレークさんの指示に従い鬼の馬鹿力を活かして吹き飛ばしてしまう。


 シュテンの全力で振るった棍棒は岩を砕き、地面を割るほどの威力があるはずなのだが吹き飛ばされたグリフォンはすぐに起き上がってしまう。


 いや、そんなことは関係ない。ここでの事実は一つだけだ。

 俺たちの中に犠牲者が出ていない。その事実だけを信じて駆け抜ける。

 

 リーネと副官さんの二部隊が大丈夫なのかと心配する余力はない。


 もう俺には左右にいる部隊の安否を確認することもできない。ただ真っ直ぐに目的地を見据えて走ることしかできない。


 コンパスを使って綺麗な円形を描いたかのような地形を目指して、いや、各地に点在してある黄金の輝きだけを目掛けて俺たちは駆け抜ける。


 必死になって、いや死ぬ気になって……


 ここまで来てなぜか俺は冷静に状況を俯瞰できていた。客観的な、第三者のような立場で思考し続けている俺の頭の片隅が違和感に気付いた。


 さっきまでよりも数が少なくなっている?


 グリフォンの猛撃の勢いが弱まったのを感じた。ここで初めて余裕ができた。

 俺は浅く呼吸するようにリーネたちがいる左右をちらりと見るとリーネと副官さんが馬を放っていた。


 コロッセオでいう観客席のような所を何頭もの馬たちが嘶きを上げて走り回る。リーネと副官さんの二人が指揮を執っている左翼側と右翼側の部隊はお互いに連携するように時計回りで馬を駆けさせて囮にした。


 俺たちの部隊でいうヒビキの役割を二人は何十頭の馬たちに果たさせている。

 どちらが正しいか、効率的かなど議論している暇はない。ただ死人はださないという共通目標をみんなが徹底しているように俺は感じた。


 というかここは見れば見るほど不自然な地形だ。

 グリフォンの巣の表面は岩肌が剥き出しで草一つ生えていない。荒涼としていた髑髏のような山だった。だがそれにも作為的なものを感じる。端的に言えばわざとらしい。ドワーフがこの山に部外者を近づけさせないためにこの山そのものをでっち上げたと言われた方がまだ納得できる。


 装飾を極限まで排したこの内部の構造も自分たちが研鑽した神に捧げる供物を少しでも良く見せようと言う器の小さな考えが透けて見える。


 そんなことを考えているといつの間にかグリフォンの巣の中心部にたどり着いていた。


「何でもいい、詰め、詰め、詰め!!」


「シュテン! 信じているからな!!」


「うっせぇぞ。口動かしてねぇで、さっさと詰めろ!」


 ルビー、サファイア、トパーズなどの宝石で厭らしいまでに飾り付けられた王冠、指輪、蝋燭立て、剣、鏡。豪華絢爛な品の数々が山のように積まれていた。ここにあるすべての品が一流の職人の手により生み出されたものだと一目見て分かった。それほどの出来だ。


 黄金で彩られた財宝の数々を火鼠の皮衣が縫われてできた袋に詰めていく。詰めて、詰めて、袋の上に限界の量まで財宝を乗せていく。


 それを何度も繰り返す。


 黄金の輝きがある場所へとみんなで走り、順々に袋に詰めていく。グリフォンから襲われることを俺はもう微塵も考えていなかった。大丈夫だ。何が合っても、例えグリフォンが全方位から襲ってきたとしても俺たちは傷一つつくことはない。ヒビキ、シュテン、ドレークさんの三人がいる限り、俺たちが死ぬ事はない。


 だから俺たちは我武者羅に手を動かす。黄金に手を伸ばす。両手で持てないほどの黄金に手を伸ばす。


 土を被せられて薄汚れているが、ずっしりとした重量を感じる。初めて手に持つ黄金に息が荒くなる。さっきまで冷静だったのが嘘のように興奮だけが頭を支配していた。俺が興奮できているのは脳が安全だと認識してしまったからだろう。だから目の前の黄金に集中できている。だけど……


 ――馬の悲鳴が再び聞こえた。


 耳を(つんざ)くほどの悲鳴が聞こえた方向へ顔を向けるとグリフォンの前脚の爪が走り回っていた馬を捕らえていた。鋭い爪で取り押さえられた二頭の馬はそのまま天高く持ち上げられて、空中に投げ出された。


 重力にしたがい落下していく馬は硬い地面に着地すると四本の足が不自然な向きに(ひしゃ)げてしまった。見ているだけでも痛々しい。もう二度とあの二頭の馬は歩くことはできないだろう。


 俺が異様な姿に変えられた数頭の馬を憐れんでいるとグリフォンがさらに追撃をしにいった。動けない馬を再び掴み、雲一つない澄み渡たっている空を一気に昇っていく。もう一度地面に叩き落とすために……


 空を飛べるものだけができる傲慢な姿がそこにはあった。これはもう蹂躙だ。自分たちの住処を侵犯した空を飛べない哀れな者どもに見せつけるように天高く駆け上がり、絶望させるためだけの蹂躙劇だ。


 この蹂躙される哀れな獲物が捕食者に嬲り殺されるだけの姿を俺は知っている。テレビや動画で見たことがある。シャチだ。シャチの狩りだ。


 圧倒的な強さにより海の王者として海の食物連鎖の頂点に立っているシャチは獲物で遊ぶ。アザラシやカメを海面から投げて遊ぶ姿を思い出した。これは一説によると獲物を確実に弱らせて喰らうための行動とされているが、俺はその光景を動画で初めて見たときに今と同じ気持ちを抱いたのだ。


 遊んでいる。弱者を虐めて遊んでいるんだ。


 これにシャチもグリフォンも関係ない。子供が蝶々の羽を捥いで殺すのとは本質は同じだ。生物が必ず持っている本能なのだ。自分よりも脆弱な生物を虐げたい。必死に生きようと足掻いている奴を足蹴にして見下したい。弱肉強食の世界で生きてきた者の残酷な遊びが目の前で繰り広げられていた。


 ――その光景を前にしてなぜか俺は目を離せなかった。


 俺の脳が身体の動きを止めてまで何かを思い出そうとしている。足を止めてはいけないことは分かっている。頭では分かっていても身体の自由が利かないのだ。


 自分の命が危険に晒されている最中でも、いや、最中だからこそ俺は忘れた何かを取り戻そうとしている。何か、何か――


「おい、危なねぇぞ!!」


 シュテンの焦ったような声が聞こえてようやく身体が動き始めた。


 俺は急いで頭上を警戒する。上空からグリフォンに襲われるかもしれない。そんな恐怖に身体が勝手に反応してしまった。それが俺の唯一の間違いだった。


 真横から鳴き声が聞こえた。死を告げるとされる烏をさらに不気味にしたような鳴き声が聞こえた。慌てて鳴き声の方を向くと眼前にグリフォンが迫っていた。


 思考が止まる。頭が真っ白になった。空を飛べるはずのグリフォンがわざわざ地上を駆けて突進してきていたのだ。


「何で――」


 訳も分からずいきなり身体を吹き飛ばされ一回、二回と滑らかな地面をバウンドし、吹き飛ばされた勢いは地面との摩擦で殺されて何もない場所で止まった。


「ごぁっ…ぐ…う……あ…」


 鞄の中の荷物をすべて撒き散らして俺は地面の上で寝そべっていた。砂利の感触を頬で感じ、荒い呼吸を繰り返す。この感覚を俺は覚えている。トラックに轢かれたときと同じだ。唯一の違いは死の足音がまだ遠いと分かることぐらいだ。


 首の筋力で顔を動かし正面を見る。


 砂利の地面と黄金の輝き、それと桜の花びらが目に入る。これは確かイサヒトさんが貸してくれた短刀だ。桜花の意匠が凝らしてあるだけの無骨な短刀だ。


 目の前に落としたイサヒトさんから貰った短刀を掴もうと右手を動かす。肩から腕をプールで泳ぐように回し、地べたを這いずる。目の前に落ちているはずなのに全然届かない。俺と短刀までの間にすごい距離があるように思える。


 目が回る。吐き気がする。脳震盪を起こしているのかもしれない。

 だがあとちょっとで届く。あとちょっとで届くのだ!


 指先が触れる距離に短刀がある。イサヒトさんがくれた短刀を手に入れるために右肩を少し上げて反動をつけたその瞬間――風切り音がした。


 その音とほぼ同時に右肩に鋭い痛みが走りった。叫ぶほど痛い。肉が抉れるほど強い力で右肩辺りをしっかりと掴まれている。


 グリフォンの前脚の爪に掴まれた俺は地面を擦るように引きずりながら移動させられる。いや、移動なんて生易しいものじゃない。これじゃあ、もはや拷問だ。

 

 身体を地面を擦るように引きずられていく。


 身体が地面を擦るように引きずられていく。


 身体が地面を擦るように引きずられていく。

 

 身体が地面を擦るように引きずられていく。


 身体が地面を擦るように引きずられていく。


 身体が地面を擦るように引きずられていく。


 これが皮膚が削られていく痛みだと理解した次の瞬間――浮遊感に襲われた。


 身体が地面を離れたのだ。刃物のように鋭い爪で抉れている右肩に俺の全体重がかかり、千切れるように傷が広がる。破れた学生服の下から血が滲んできた。


 急激な浮遊感に襲われて、襲われて、襲われて、襲われた……

 

 だってどうしようがない。どうにもできない。痛みでそれどころじゃない。風に揺らされるたびに肩の内側に痛みが走る。血が噴き出る。骨が軋む。涙がでる。


 グリフォンに掴まれて急上昇しているせいか頭が割れるように痛い。質量を持つ風で身体が圧迫されていく。限界だ…そう考えた瞬間に風が止まった。


 全身の痛みが軽くなった気がする。これは単純にグリフォンが俺を振り回すのを止めたからだろう。両足がプラプラとする。涙で滲む目を下に向けると豆粒ほどのサイズの何かが動いている。人影だ。人影が見える。


 ここからだとヒビキ、シュテン、リーネ、レインちゃん、カツキ、ドレークさん、副官さんの区別がつかない。男女の違いも分からない。


 ――ここから落ちたら死ぬ。


 そう判断した俺は右肩が抉れるほど刺さっているグリフォンの前脚にしがみつこうと手を伸ばす。気絶するほどの痛みがある。だがやるしかない。


 鳥類特有の趾が目の前にある。痛みを我慢し、左手で樹皮のような趾を握り締めようと手を伸ばす。だがそこで気付いた。いや、気づいてしまった。グリフォンが嘴を曲げてニヤリと笑ったことに。


 ――プチンと何かが嫌な音を立てて切れた。


 視界が下へ落ちる。

 落ちる。

 落ちる。

 落ちる。


 グリフォンの鋭い爪が肩から外れて、空中に投げ出された。


 重力の影響をもろに受けて一直線に落下する。木の葉のように舞うことはできないない。雲のように漂うこともない。ただ無様なまでに一直線に落ちていく。


 空中にゴミのように捨てられた身体は溺れているように手足をばたつかせて足掻く、だが頭ではもうとっくに諦めている。ここから助かることはもう不可能だ。冷静な誰かがそう囁いてくる。だから――


 俺は燦爛と輝く太陽に別れを告げるように、そっと目を閉じた。



 …………


 ………

 

 ……



『お前にはもう何も期待しない』


 誰かにそう言われたこともあったな。あれ、誰だっけ? ああ、そうだ。思い出したぞ。部長に言われたんだった。これは俺を空手部に誘ってくれたあの部長の声だ。久しぶりに聞いたな……


『平坂、お前何でそんなことも分からないんだ? お前の兄貴はこのぐらいの点数、普通に取れてたんだがな……。はぁ、これじゃあ進学は厳しいぞ? え、お兄さんと同じ高校に行くんだろ? なら、もっと頑張らないとな』


 これは確か塾の先生に言われたことだ。いや、違う担任の先生だ。中学の時の担任の声だ。兄貴と同じ高校にギリギリだったけど合格したと報告したときに「そうか、運が良かったんだな」と返されたことを今でも忘れない。というか兄貴と同じ高校に行くなんて母さんしか言ってなかったのに……

 

『仁、お前まだあんな連中とつるんでいるのか。付き合う人間を選ばないと将来つまらん大人になるぞ。お前も少しは智一を見習って、勉学に費やす時間を増やせ。蛍雪の功という言葉を知らんのか? ……まあいい。正直、お前にはもう期待していない。この家の未来は智一にかかっているな』


 優秀で強い父親だった。ただ、俺たちとの会話も効率的というか、業務的というか、発する言葉の端々に威圧感があって良くも悪くも正直すぎる人だった。昔気質の人とも表現できるか? ……まあ、そんなことはどうでもいいな。ただ、俺はそんな父さんのことが苦手でもう月に一、二回ぐらいしか顔を合わせて話さなくなったんだよなぁ……


 というか父さんは教育に関しては放任主義で母さんに任せっきりだったから知らないのも無理はないけどさ。兄貴より俺の方が勉強自体はしてたんだよ。ただ、頑張っても追いつけなかっただけで……まあ、もうどうでもいいけど。


『アンタ何かやりたいことはないの? 将来の夢とかさ? 母さんたちは何でも応援するよ。……ああ、そうなの。でも大学には行くんでしょう? なら医学部はどう? 医者になりなさいよ。アンタあんまり頭はよくないけど、それぐらいならアンタでもいまから本気で頑張ればいけるでしょう? ……そう。まあ、母さんとしてはどっちでもいいけどね。ただ、せめて国立の大学には行ってよね。教師である私の子供が大学にもいけないなんて恥ずかしいしさ……わかるでしょ?』


 これは俺と母さんが現世で最後に交わした会話だ。賢くてズカズカとものを言ってくる人だった。俺にとって母親と言うのは兄貴の自慢(はなし)と将来の夢についてしか話さない人だった。俺の意見を否定はしたことはない。だが、言葉を巧みに使ってこちらを誘導しようとしてくるのだ。優しい口調で『そっちは間違ってるよ、私が教えてあげる』と道を堰き止めてくるような圧があった。言葉の節々に薔薇のような棘があって、それが俺はとても苦手だった。


 過去の記憶が濁流のようにどんどんと押し寄せてくる。たぶんこれが走馬灯ってやつだ。


 三途の川でミレンと話したときには確か何も頭に浮かんでこなかったはずだ。もう思い残すことはない。それくらい薄っぺらい人生のはずだった。だけど……

 

『自己紹介がまだでしたね。私の名前はアリアと言います。よろしくお願いしますね、ジン君』


『いいですかジン君、考えているだけというのは結局は何もしていないのと同じことなんですよ、どうせなら飛び込んでみたらどうですか。三途の川で君はそうしたはずでしょう?』


『任せてください、お兄さん。私も覚悟はしています』


『なあ、ジン。お前、自分に自信がないんだろう。だから他人の意見を聞いて安心したがってんだ、それとも怖いのか何かを決めることじたいが』



 頭の中で乱雑に記憶が蘇ってくる。


 というかなんで俺はこんなボロボロになっているんだっけ? 


 なんでこんなに頑張って足掻いてんだっけ?


 別に生きたいとも思っていなかったくせに……



 俺は三途の川での出来事を思い出していた。


 何故だか理由は俺にもわかっていない。


 ただ、三途の川の出来事を思い出していた。


 あれ、そういえば俺はなんであの時ミレンの小舟から飛び降りたんだろう? あのとき俺がミレンの小舟に黙って乗っていれば、こんな苦しい思いも、痛い思いもしないで天国にだって行けたはずなのに……



『あなた私たちの仲間になりなさい』


 熱を孕んだ赤い瞳が脳裏をよぎるった。


 大きめの海賊帽子をを深く被り帆のように両手を広げたリーネの姿が、屈託のない晴れ晴れとした笑顔が、俺の脳裏によぎったのだ。


 特別なことはなにもない。


 だが、リーネの言葉はいつも俺に熱を伝えてくる。


 その言葉が俺の胸の中にある熱と共に忘れた何かを取り戻させた。いや、思い出させたの方が正しい。


 なぜ逃げたのか、俺の中でその答えを得た。


 そうだった……俺は、ただ……


「死にたくない……」 


 ポツリとそんな言葉が口から漏れた。


 それと同時に心臓から右腕にかけて熱が溢れる。


 右腕の内側から凄まじい熱が伝わるのを感じる。火傷しそうだ。


 心臓の鼓動のように一定の間隔で熱が全身へと伝播する。伝播するように伝わる。


 全身へと熱が伝わって、


 全身へと熱が伝わって、

 

 全身へと熱が伝わって、


 心臓から押し寄せる熱の塊が縄となって右の掌から溢れだした。


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