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第十二話 『度胸試し』


 ドレークさんは帰りのために馬を温存すると全体の三分の一ほどの馬と少数の部下を森の中に隠してしまった。そして俺たちと一緒に連れて行く馬はその輪郭を誤魔化すために火鼠の皮衣を上から被せた。


 俺たちはドレークさんたちの指示に従い全部の荷車を一度木の下に隠した。どうするのだろうとドレークさんの船に乗る船員の動きを興味深く見つめていると荷物の中から取り出したパーツを組み立てていき、竹製の荷車ができた。


「あれって、俺たちも手伝った方がいいですか?」 


「……無用だ」


「慣れていない私たちが無理に手伝った方がかえって遅くなってしまうわ。ここはドレークたちに任せましょう。……まあ、逸る気持ちはわかるけどね」


 竹製の荷車は決して丈夫には見えない。


 木製の荷車は朝から晩まで人が上に乗っていたとしても歪むことはないだろう。頑丈さという一点においてどちらが優れているかは火を見るよりも明らかだった。


 だがとても軽い。一回り以上小さな竹製の荷車は馬ではなく、人が一人で押してもギリギリ走れるぐらいには軽い。


 ここでバカ重い木製の荷車を引いて逃げるぐらいなら、組み立て式の荷車に盗品を載せてグリフォンから逃げた方がまだ勝率が上がるはずだ。たぶん……


 ここまで順調に準備を進めているドレークさんたちを見ているはずなのに全然自身が湧いてこない。だってあの前脚の爪に捕まったらそれだけで死んでしまう。しかも相手は空を自由に飛び回るグリフォンなのだ。


「本当にこれだけで逃げれるのかなぁ……」


「何言ってんだ新入り、俺たちはもう何回もこのやり方で結果を出してんだ。新入りはただ信じてればいいんだよ!」


 ドレークさんの副官のような男が俺を元気づけるために励ましてくれた。頭髪を全部後ろになでつけたような髪型に糸目の男だ。線は細く、声色は溌剌としていて自信に満ち溢れている。いかにも仕事が出来そうな男だった。


 だがやはり俺の心の中で膨らんだ不安はそんな励まし程度では拭えなかった。




 ※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 俺たちは息を殺しながらゆっくりと歩いていく。


 いや、ゆっくりと歩かざる負えない。馬も人間も関係なく足取りが重い。

 泥の中を掻き分けて進んでいるかのようだ。


 森の中は湿った落ち葉の匂いがする。時間は真昼間のはずなのに鬱蒼と茂っている葉の隙間からは日が差し込んでこない。暗いのだ。


 さっきから顔を上げないように下を向いているので前を歩く人のデカい足しか見えない。遠くから見ていた時には生命の力を感じる若々しい緑だったはずなのに、漆を塗りたくったかのように森が黒い。


 道が樹々の成長で道が狭くなっていったのか圧迫感がある。


 これもグリフォンに見つかりにくくなるのなら受け入れるんだけどな……


 火鼠の皮衣を着てるはずなのに、熱さは感じない。


 日が差し込んでこない森の中では、さっきまでとは打って変わり涼しくなった。いや、むしろ氷を背中に押し当てられているかのように冷たい。手足の感覚が鈍くなるほど寒い。


 いや、これはたぶん寒さのせいではなく恐怖のせいだ。グリフォンが頭上を飛んでいるかもしれないという恐怖が俺の首筋辺りに厭らしい寒気を感じさせてくるのだ。やけに喉が渇いているのもそのせいだ。


 空から烏のような不気味な鳴き声が俺に死を教えてくる。死の恐怖が身体に重く圧し掛かってるのを感じて、さらに視線を下げる。


「おい、ジン。何で下を向いてんだよ?」


 そんなことをしているとカツキが軽い足取りで俺の傍に近寄って来た。


「いや、だってよ。ドレークさんたちが上を見るなって」


「……はぁ。上を見るなと下を見ろって意味が違うぞ? まっすぐ前だけを見ろ。人間っていうのは下を向いたままだとマイナスなことばっか考えるようにできてるんだよ」


 カツキが急に俺の肩に手を回し、小声でそんなことを言ってきた。


「いやでも……」


「『いやでも……』じゃない。騙されたと思って正面だけを見るんだ。下を向いている奴は大成しないって父さんからの受け売りだがたぶん合ってると思うぜ。少なくとも俺が尊敬している人たちはどんな時も顔は下げないからな……」


 カツキに促されて、怖々と首を上げていく。

 

「ほらな、どうってことないだろ?」 


「ああ、本当にな」


 顔を正面に向けると少しだけ呼吸が楽になった。


 やっぱりカツキは人と接するのが上手いと思う。俺がもしカツキの立場になれたとしても彼と同じように緊張している人を言葉だけで落ち着かせる自信はない。


「なあ、カツキは何でそんなに俺を気にかけてくれるんだ?」


 俺とカツキは昨日出会ったばかりだ。同じ屋根の下で生活しているわけでも、一緒に食卓を囲んだこともない。血のつながりなんてあるはずがない。なのにどういうわけか親身になって世話を焼いてくれる。


「別に特別目をかけているってわけじゃないが。そうだなぁ……仲が悪くなるより、仲良くやっていった方がお互い楽だろ? それに内の船にも現世から来た奴がいてな。気難しいやつなんだが、友達になって欲しいんだよあいつの」


「お前、本当に優しいな……」


「そんなんじゃないよ。ただ群れからはぐれた狼が他の群れに混ざれるわけじゃないしな。仲間なら気に掛けるのは当然だろ」


「いや、やっぱりカツキはやっぱり優しいよ。……まあ、そんなことよりカツキには俺が狼に見えるのか。俺ってそんなに強そうか?」


「言われてみれば確かに狼って感じはしないな。どっちかっていうと狼ってより犬だな。犬。狼ってのはうちの船長みたいな人のことを言うんだぜ。今度紹介するよ。楽しみにしておいてくれ」


「ああ、約束だからな。今度その二人を紹介してくれよ。俺もカツキの上に立てる人と話してみたいと思ってたんだ」


 リーネとレインちゃんから聞いたことのある二人だ。特にロバーツさんに関してはここ数日間で名前を聞かなかった日はないほどだ。それに個人的には現世から最近来たという彼にも興味がある。


 現代から来た彼はどんな人なんだろう。彼が年下だという情報しか俺には分かっていない。どんな出会いが合って彼らの船の一員になったんだろう。一度だけでもいいから二人っきりで話してみたい。


「仲がいいですねお二人とも。ですがそろそろ準備してください」


 ヒビキが音もなくぬるりと背後に現れた。


 先頭が立ち止まっていることは指示がなくても肌で感じ取れた。先頭からの声がなくても集団全体の空気が騒ぎ立っているのだ。


「これから三手に別れます。ボクたちは一番槍ですので覚悟してください」


「あれ、もう着いたんですか? そうか。じゃあまたな、ジン。俺は右翼側に行かないといけないからな」


「そうか、無事でな」


「それはお互い様だろうが」


 そういうとカツキは俺たちと別れて鬱屈とした黒い森の奥へと消えていった。


 いや、カツキだけじゃない。リーネもレインちゃんも副官さんもこの場にはいない。あの人たちも左翼と右翼の両側に別れてしまったのだろうか?


 というか三部隊に別れることすらも事前に聞かされていなかったんだけど。


「なあ、こういうことは先に言ってくれよ」


「必要ないことですので、それよりもジン君あれが見えますか?」


 ヒビキが指を向けた方へ茂みの中から頭だけ出して覗き込むと髑髏の眼窩のような窪みがある。目を凝らしてその窪みをよく見ると三人以上が横並びで入れるほど大きな穴があった。 


「あそこが入り口ですよ。囮の馬が走ったらそれが合図です。あの穴まで一目散に駆け込みますよ」


「……ああ、分かった。あそこまで走ればいいんだな」


「そうですよ。それでいいんです。ところで本当にいいんですか? グリフォンの巣から黄金を盗むということは手を汚すということですよ。ドワーフとも敵対するということです。ボクたちの仲間、海賊になる心の準備はできましたか?」


「ここまで来たら引き返せないだろ!」


「……それもそうですね」


 ヒビキとの会話はここで終わった。

 というかヒビキはいつも忠告が遅すぎるんだよ。


 いや、いい。もういい。

 いまはもう無事に帰ることだけを考えよう。


 そういうと俺は一度深く息を吸い込む。

 興奮して熱くなっている頭からゆっくりと熱を吐き出す。吐き出す。吐き出す。


 ――目を閉じて、息を吸った。 


 そしてまたゆっくりと吐き出す。吐き出す。吐き出す。


 今度は興奮した頭のせいで熱を帯びてしまった身体を冷ますように吐き出す。


 ――もう一度だけ深く息を吸う。


 心臓を動かすために、呼吸を整えるために、生き残るために。


 息を吸う。


 息を吸う。


 息を吸う。


 息を吸う。 

 

 息を――馬の嘶きが聞こえた。


 いや違う、馬の嘶きじゃない、馬の悲鳴だ。悲鳴が聞こえた。


 俺は恐怖を掻き消すために閉じた瞼を開けるよりも速く、右足は茂みの中から飛び出し、そのまま一歩、さらに一歩と駆け出していた。脇目を振らず走り出した。


 グリフォンの巣まで駆けて、駆けて、駆けて、ようやく俺が後ろを振り向いたのは髑髏の眼窩のような窪みに着いたときだった。


「さすがの鳥頭だな!」


 シュテンの嬉しそうな声が洞穴の中に反響する。どうやら無事に到着できたみたいだ。俺は身体を四つん這いになるように倒して、全身を震わす。


 額には冷たくねっとりとした汗が滲んでいた。


「立てますか?」


 四つん這い状態の俺にヒビキが声を掛ける。

 ヒビキの声に反応した俺はヒビキの手を借りずに、自らの力だけで立ち上がる。


「大丈夫そうですね。では、一足先に行きましょうか」


 ヒビキに先導されて洞窟の奥に進んでいく。


 カランコロンと木を打ち付けるような軽い音を鳴らし、ヒビキはいつも通りに歩いている。シュテンたちを置き去りにして、俺だけを誘い、洞窟の奥へと――


「見えますか? これがグリフォンの巣の全貌です」


 俺は額につたう汗を学生服で拭く。

 

 グリフォンの巣は遠めに見たら要塞に見えたが、中に入ってみると実態はだいぶ違っていた。要塞ではなく円形の闘技場みたいな造りだった。俺の知っている建造物に無理やり当てはめるとコロッセオだ。


「あそこが光っているのが分かりますか? 次はあそこを目掛けて走ります」


 太陽の光に反射して輝いている場所が散らばっていくつも存在する。グリフォンは上から土を被せて財宝を隠しているようだが、確かに場所は分かる。だいたい五百メートルぐらいだろう。走って一、二分ぐらいの距離だ。


「これが最終確認です。覚えてますか、ジン君は迷ったら前にいる人についていけばいいんですよ。それと立ち止まってはいけません、狙われてしまいますからね」


「迷子の子供じゃないんだ。それぐらい大丈夫だよ」


「ここで軽口を叩けるのならば大丈夫そうですね。ではシュテンとドレークが来るのを待ちましょうか」


 洞窟の少し奥に戻り、ヒビキの対面に座って待つ。


 全身から力が抜けていくのを感じる。だが洞窟の中は冷たく、岩が直接触れている背中と尻から体温を奪われる。ヒビキのように立っていた方が良さそうだ。


 震えている足に鞭を打ち、再び立ち上がる。


「あ、ところで。ジン君は『武士道と云ふのは死ぬ事と見つけたり』って知っていますか?」


「え、な、なんて?」


「だから『武士道と云ふのは死ぬ事と見つけたり』ですよ。有名な人が残した言葉だそうですが、ジン君も知っていますか?」


「ああ、さすがに知ってるけど……なんで今?」


 いきなり訳の分からないことを言われた。意味は分からないがどこかで一度は聞いたことはある。俺にとってはその程度の言葉だった。


「やっぱり知ってるんですか……どうやら嘘ではなかったようですね。ああ、気にしないでくださいこちらの話ですので。ちなみにですが、これを聞いてジン君はどう思いましたか?」


「どう思ったって、いや、確かに言われてみればよく分からないけど」


 ドレークさんの姿が見えた。後ろにシュテンも………


 続々と姿を現すメンバーを横目にヒビキを見るが止まらない。一度語りだしたヒビキを止める術を今の俺は持っていない。


「そうですよね。ボクも最初はそうでした。死んでしまったらそれまでなのに武士道を見つけるためには死ななければならないのかと。理解はできるが納得できないそんな感じでした。だからボクは暫く考えました。その言葉の真意を……」


 ここでヒビキは一呼吸置いた。もうみんな集合したことに気付いているはずなのに言葉を止める気はないようだ。


「そして別の解釈を閃いたのです。いや、気付いたというべきでしょうか、死地に立たなければ見えない道もあることを。みんな死ぬことを怖がりすぎなんですよ。どうせ人間死んでしまったら骨すら残らないんですから」


 ヒビキの黒色の瞳は俺だけを見つめてくる。


「死地に一歩踏み込んでいきましょう。死地に立って初めて見える景色があります。その景気が綺麗なものか、醜いものかは死地に飛び込んだ本人にしか分かりません。ですが、躊躇って足踏みするぐらいならかました方が面白いでしょう? それに何かに挑戦するということは素晴らしいことのはずですから」


 言い終わると同時にヒビキは腰に佩いた刀を構えた。 

 

 カランコロンと下駄を鳴らし、変わらない笑みを浮かべて洞窟から数歩前にでた。たかが数歩、されど数歩だ。紫陽花のような着物を着た彼の後姿は岩壁に咲く一輪の花のように美しく、よく目立つ。


 ――そして、そんな獲物を見逃す狩人はいない。


 風切り音が近づいてくる。力強く風を叩くような羽搏きが近づいてくる。


 グリフォンが近づいてくるのが分かる。俺がどこから来るのか探すために風切り音に耳を澄まして意識を集中した途端に音が消えた。ヒビキの背後にいた。


「危ない!」


 俺がヒビキを掴んで安全な洞窟の中へ引き寄せようと手を伸ばすと――グリフォンの前脚はすでに斬り落とされていた。ヒビキの白刃によって斬り落とされていたのだ。


 そして、ヒビキは木を打ち付ける音を残したまま疾走した。疾風迅雷だ。馬よりも、風よりも、影よりも、この世にいる何者にも負けない速力(はやさ)でヒビキは疾走した。


 ヒビキの疾走が合図だと言わんばかりに三か所同時に異変が起こった。手際がいい。一カ所で勢い良く炎が燃え上がった。リーネの炎だ。天を目指して上がった彼女の火柱が獲物(かのじょたち)を狙うグリフォンたちを威嚇するように燃え上がっていた。


 もう一カ所からは銃声が聞こえた。乾いた銃声だ。


 砂塵が舞う中、目を凝らしてみると副官さんの姿が見えた。副官さんが真上に向かって発砲したようだ。


 そのことを確認した後にドレークさんがゆっくりとだが、力強く、前に一歩踏み出した。そして腰に帯びていた両刃の剣を抜いた。その両刃の剣には一切の装飾がない。ただ泥臭い。鈍器のように重く、無骨な大剣だ。


 そんな剣をドレークさんは天高く掲げると身体が膨らむほど息を吸い込み――


「突撃!!!!」


 と、太陽に吼えるように声を張り上げた。金の獅子が太陽に向かって吼えた。


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