第五話 真面目な少女と不老不死と腐ってないゾンビ
「はぁ…………」
三咲たちよりも先に帰路である北石区の道を歩いていた紗菜。
北石区は住宅が数多く並ぶ静かな街。そんな街の雰囲気が、目が死んている紗菜をより哀れに見せていた。
(あの人、既婚者だったんだ…………って、何私は落ち込んでるの!? これじゃまるであの人に恋を――)
「うっ!」
よく前を見て歩いてなかった紗菜は、立ち止まっていた青年の背中にぶつかってしまう。
「ご、ごめんなさい! 考え事をして……て……ぇ?」
紗菜がぶつかった青年は、なんと一樹だった。
一樹は背中に何か当った感触を受け、後ろを向いた。
「すまない、邪魔になってたな」
「いえ! 私が悪いんです! 気にしないでください!」
紗菜は謝罪と同時に、一樹の左手を見ようとした。
しかし、左手をズボンのポケットに突っ込んでいたため、確認出来なかった。
「……君はもしや、今朝の?」
「は、はい! 改めて、あの時はありがとうございます!」
紗菜は深く頭を下げる。
「気にするな。あれがオレの仕事みたいなもんだ。それより……大丈夫か?」
「え?」
「顔色が悪いように見えた。これも何かの縁だ……良かったら事務所で休んでいくか?」
「事務所…………?」
紗菜が顔を上げて周囲を確認すると、すぐ隣に「何でも屋『ポトス』事務所」と書かれた看板が飾られている家があった。
「やかましい幼馴染みが一人いるが、お茶を出せる」
「い、いいんですか!?」
「今日は暇だからな」
「…………」
一瞬遠慮しようかと思った紗菜。同時に、一樹を知るいい機会である事が頭によぎった。
「……それでは、お言葉に甘えて」
二人は事務所に入る。
扉の先には、事務所らしい風景が広がっていた。
中央に大きなテーブルがあり、それを囲むように椅子が配置されている。
部屋の各場所に資料が山積みにされており、特に奥側にある所長席と思われる机の上には他に何も置けないほどの資料があった。
「ん? もう帰って来たのか?」
その席に座っていた黒髪の少年が、扉が開く音を聞いて立ち上がる。
入って来た一樹と紗菜を見て、悪そうな微笑みを浮かべながら彼らに近づく。
「おっ、一樹! やっと彼女を作る気になったんだな! しかも超絶美少女JKとか、流石イケメン!」
「今朝知り合ったばかりの人だ。そういう関係ではない」
「知り合って一日も経たずに落としたのか~! お前には勝てないわ!」
「その耳は飾りかクソ野郎……」
普段から落ち着いている一樹から放たれるとは思えない罵倒が飛んできた。
(この人が、一樹さんの幼馴染み? でも、見た感じ……中学生?)
紗菜が思うように、先程から一樹を煽っている少年は小柄だ。なんなら、百六十センチある紗菜よりも背が低い。
「初めまして、一樹の彼女さん。俺の名は片桐瑛弍。こいつとは幼馴染みだ。彼女さん、名前は?」
「そういえば聞いてなかったな…………」
一樹がボソッと呟いたことで、紗菜に緊張が走る。
「は、はい! 零宮紗菜と申します!」
「ッ……!?」
「!?」
彼女の名前を聞いた一樹が、驚きの表情を浮かべた。
少年――瑛弍も驚愕するも、何かを隠すように瞬時に微笑みを戻す。
「――紗菜ちゃん! かわいい名前してるねぇ!」
瑛弍はノリで紗菜の肩を叩こうとする。その寸前で一樹が彼の腕を強く掴み、制止させる。
「……今度余計な真似したら心臓の鼓動止めるぞ」
「はっ!」
瑛弍は一樹の手を振り解く。
「俺の心臓はもう止まってま~す! 残念でした~! ……っておい! すんげぇ最悪なブラックジョークじゃんか! 幼馴染みじゃなかったら殺してたぞ!」
瑛弍が洒落にならないようなノリツッコミを見せた。
「えっ……それってつまり…………どういうことですか!?」
一連の流れを見た紗菜が思わず訊いてしまう。
「……一樹、どこまで話したん?」
「彼女はまだ覚醒途中だから、《リベラ》について多少は」
「あぁ、なるほど……話してもいいと思う?」
「……問題ないだろう」
「オーケー。ゴホン!」
瑛弍が咳払いをし、紗菜の質問に答える。
「簡単に言えば、俺は腐ってないゾンビみたいなもんだ。こいつは不老不死」
「不老……不死!?」
紗菜が一樹の顔を見る。
「通りで、エイトくんと同じくらいに見えるんだ……!」
「――今エイトと言ったな? もしや息子の知り合いか?」
小さく呟いたつもりの紗菜だったが、一樹は彼女の言葉を聞き逃さなかった。
「っ! はい! と言っても……今日知り合ったばかりなんですよね……」
「あいつは元気にやってるか?」
「はい! 不良っぽい友達はいましたけど――」
紗菜は口を塞ぐ。この情報がマイナスな方向に向かうことを、口に出してから気づいたのだ。
「昭伍のことだな。飛山家の親がやたら厳しい奴だから、あぁなるのも仕方ない。この目で彼が悪人ではないことはわかっている」
一樹の言葉を聞いた紗菜は安心する。
「さてさて! 立ち話はなんだし、座って座って!」
瑛弍に促され、紗菜は中央にあるテーブルの椅子に座った。
一樹は彼女の正面に座る。普段からその場所に座っているのが、直ぐ近くに置いてある灰皿で確認出来た。
それを見た紗菜が、ある事を思いつく。
「……煙草、吸ってもいいですよ」
「!?」
匂いに敏感な女子高生がするとは思えない許しの言葉に、一樹は驚いた。
「おいおいおいおい、見た目クールで中身清楚な女子高生が、そんなこと気軽に言っちゃダメだと思うぜ。悪い男に目をつけられるぞ」
これにはお調子者の瑛弍も真面目な反応を示す。
「私のことは気にしないでください。勝手に事務所に上がっただけなので」
「オレが勝手に招いたんだが…………遠慮無く」
「おいヤニカス! もう少し躊躇えよ!!」
一樹は煙草とオイルライターを取り出し、煙草に火を点ける。
その際、左手を風除けとして添えていた。
――紗菜の狙いはこれだった。
室内であれば風除けをする意味はないのだが、癖でやってしまう人もいる。ヘビースモーカーでその癖がある父親を見てきた紗菜はそれを思い出し、左手を確認出来るチャンスとして利用したのだ。
(…………あれ?)
紗菜が確認したかったのは、左手の薬指。既婚者であれば身に付けているだろうと思った結婚指輪なのだが、一樹にはなかった。
(指輪を着けてたような跡もない…………でも最近は着けない人もいるって聞くし――)
「――あっ、そいつ独身だぞ。独身独身」
「うぇえ!?」
視線を辿って心を読んできた瑛弍に、紗菜は変な声を挙げて反射的に立ち上がる。
「? あぁ、オレは結婚してない。エイトは養子だ」
一樹は煙が紗菜に当たらないように吐いた後、そう答えた。
「よ、養子!?」
「実際に会ったと思うからわかると思うが、似てなかっただろ。オレのこの髪も地毛だ」
「た、確かにそう思っていましたが……どこか優しい雰囲気があるのは、似てると思います」
「ふっ、そうか……」
一樹は笑みを浮かべた。血のつながりはないとは言え、息子と似ていると言われて嬉しかったのだ。
「ところで紗菜ちゃん! 一樹の左手の薬指を確認してたってことは、気があるってことでいいのかい?」
瑛弍が人をおちょくるような笑顔で紗菜に迫る。
「!? そそそ、そんなつもりはないです! ないです!」
紗菜は顔を赤くしながら全力で否定する。
「その反応で否定されてもなぁ~! 良かったなぁ一樹! こんな可愛い子に好かれて!」
「黙れイカ墨パスタ」
「?????」
「?????」
一樹のよくわからない罵倒の言葉に、二人は困惑する。
「…………」
当の本人もなぜ『イカ墨パスタ』が出たのかがわからず、誤魔化すかのように一服する。
「ゴホッ! ゴホッ!」
彼としては約二十年ぶりに、煙草でむせてしまう。
「おやおや、もしかして一樹くん……クールぶってるけど内心喜んでるだろ!」
「ゲホッ! ……うるさい、少し黙ってろ」
「語彙力もなくなってるじゃんか! 紗菜ちゃん、もう一ついいこと教えるよ!」
「は、はぁ……」
「こいつ、この見た目で彼女いない歴=年齢の童て――」
「――――おい瑛弍」
しびれを切らした一樹が中途半端に残したまま煙草の火を消し、勢いよく立ち上がる。
瑛弍に向けて睨むのかと思えば不敵な笑みを浮かべていた。
「久しぶり手合わせしてくれないか……最近は【アニマ】ばかり相手にしているからな……対人戦の感覚を取り戻したい」
一樹がゆっくりと瑛弍に迫る。悪魔を背負っているかのような気迫に流石の瑛弍も青ざめた。
「あー……今日は遠慮しときますね。なんか胃がメッチャ痛くて――あっ、俺痛覚死んでるんだった」
「えっ…………!?」
痛覚がないことを口に出した瑛弍に、紗菜が食いつく。
「その話、本当ですか?」
「ん? あぁ、さっき言った通りゾンビみたいなもんだからな。痛覚はないぜ」
「えっと…………その、凄く失礼なことを聞いてしまうんですけど……」
「何でも聞いていいぞ! 俺の方が凄く失礼なこと言いまくってるからな!」
「――自覚があるなら少しは自重しろ」
「ひぃ!! お許しを!!」
一樹が瑛弍の胸ぐらを左手で掴み上げ、右手に力を入れ始める。
そんな二人のやり取りを気にせず、紗菜が意を決して質問した。
「痛みがないって、どんな感じなんですか? 私にも、痛覚がない友達がいて……」
「!?」
「!?」
紗菜の質問を聞いた二人は、彼女に耳を傾ける。
冷静になった一樹は瑛弍を下ろした。
「その人は、痛覚どころか、感情もなくて……どういう感じなのか、気になるんです!」
「……なるほどねぇ」
瑛弍は回答に頭を悩ませる。
数秒後、回答をまとめた瑛弍が口を開く。
「どういう感じなのかを言うのであれば、『何も感じない』としか言えないかな。ないものはない。まさに虚無」
「そうですよね……」
「ただな……俺はその『何も感じない』ことが怖かった。どんなに殴られても刺されても平然を保っている自分が、人間じゃなくなってる気がして――いや、俺は他人からすれば化け物だ。人間じゃない。それでも、人間であることを否定されると、俺自身が否定されたような錯覚に陥って…………感情がグチャグチャになって……それこそ、感情が消える一歩手前だった。こいつがいたおかげで、俺は今も『人間』として生きられてるんだけどな」
そう言って、瑛弍はチラッと一樹に視線を送った。
「紗菜ちゃんの友達、感情を失っているからといって遅いわけじゃない。友達に寄り添って喜んだり、悲しんだり、泣いたりしてほしい。本人は何も思ってないかもしれない。それでも続けてほしい。きっと、何が『嬉しい』のか、何が『悲しい』のか、わかるように――感じるようになるかもしれないから」
「…………」
「……確証のない話をして申し訳ない。でも、こればかりは『理屈』だけじゃ解決しない。『屁理屈』があってこその感情だと、俺は思ってる」
「……ありがとうございます。自分が何をすべきか、わかりました!」
瑛弍の話を聞いた紗菜は、自分の中のモヤモヤが消えるような感じがした。
「力になれたようで良かった。他にも困ったことがあったら遠慮しなくていいぜ! 俺たちは何でも屋だからな!」
「……あっ、そうでしたね!」
そう言って、紗菜は服のポケットから財布を取り出した。
「ちょちょ! こういう相談は無料だから! てか紗菜ちゃんは特別全部無料! 一樹の彼女だし――」
「おい」
一樹が再び瑛弍の胸ぐらを掴み上げる。
「ぎゃぁ!! 怒ってるの忘れてたぁ!!」
「いつもの――カモミールティーを入れてくれ。もちろん、零宮の分も」
「か、かしこまりました!」
瑛弍は自力で脱出し、ダイニングキッチンでカモミールティーを淹れ始める。
(私のこと……下の名前では、呼んでくれないんだ……)
自分のことを苗字で呼んだ一樹に、少し悲しくなる。
「……あいつの言ったことに補足するんだが――」
「は、はい!」
「無理だけは絶対にするな。友人のために必死になって自分を見失うことだけは避けてくれ。それを悲しむ人は、必ずいるから」
「っ! わかりました!」
――――
「今日はありがとうございました!」
時刻は午後五時前。
カモミールティーを飲み終えた紗菜が、家に帰ろうと扉の前に立っていた。
「体調は大丈夫なのか?」
「はい! おかげで良くなりました!」
紗菜を前に身を案じた一樹に、彼女は元気よく答えた。
「なら良かった……」
「……あの、一樹さん」
「?」
「また、ここに来てもいいですか?」
「…………」
一樹は回答に間を空けたが――
「……あぁ。いつでも待っている」
「ありがとうございます!! また今度、よろしくお願いします! 今日は本当にありがとうございました!」
紗菜は扉を開け、事務所を去って行った。
「…………」
扉の前で彼女を見送った一樹は、灰皿が置かれた席に座る。
それに合わせて、瑛弍がコーヒーを一樹の前に置いた。
「お疲れー」
「……あぁ」
「真面目でいい子だったなー、紗菜ちゃん」
「そうだな」
一樹はコーヒーが入ったカップを手に取る。
「見た感じ、俺の姉貴と違って腹黒くなさそうだし」
「――――」
コーヒーを飲もうとした一樹であったが、瑛弍の言葉に動きが止まる。
「しかし驚いたなぁ…………偶然、同じ名前だなんて」
「…………」
一樹はカップをテーブルに置き直し、煙草に火を点ける。
一服した彼は上を見上げ、かつて好きだった少女の名前を呟いた。
「…………………………沙七」




