ふと感じる「死」への渇望と恐怖
「死にたい」、そう思った方はいるだろうか
辛い出来事が蔓延る現代社会、その中を生きている我々が思う可能性が高い、それが「死にたい」と言う感情だと思う
辛いから「死にたい」、悲しいから「死にたい」、痛いから「死にたい」、苦しいから「死にたい」……
他にも様々な「死にたい」が溢れている
私も「死にたい」、自分に嫌気が差して、とても辛いから
だけどそれを上回る恐怖が、私を「死にたい」から生かしている
「死は救いでは無く、ただの終わりだ」
誰が言ってたかは忘れたが(確か知り合いや身内の誰かだった気はするのだが……)
私の心に残っている言葉だ
その「終わり」をひたすらに怖いと感じる
「死」の先には何があるか、何も無い「終わり」なのか
考えることも、動くことも、全て出来なくなるのか
そうなら、とても怖い
「苦しみ」から逃れる為に別の「苦しみ」を味わうのなら、私は今の「苦しみ」で耐えたい
いくら辛くても、いくら悲しくても、いくら痛くても、いくら苦しくても
私は歩を止めてはならない
そう思う、ただそれだけだ
こんな事を言ってるが、結局私は「臆病者」なのだろう
「死」の先にある「未知」が怖いのだ
だから「死にたい」を抑え込む
これは正しいのか、それは分からない
「終わり」の方が、もしかしたら正しいのかもしれない
だけど、私は「死にたい」を抑える
何故なら、私は今一度しか無い「生」を歩んでいるのだから
最後まで読んでいただきありがとうございます
拙い文章で申し訳ございません
感情を吐き出す場が欲しく、こうして文字に起こしました
私は、無理をしてでも生きたいと思っています
それは……多分正しくは無いんでしょう
だけどやはり「死」は怖い、だから臆病にも「生」にしがみつこうと思います
改めまして、ここまで読んでいただきありがとうございました