亡命令嬢とグズな専属メイド
「ほら。手を焼かせないで頂戴」
大事な日に限って私の専属メイドが言うことを聞かない。
知恵の足りない従者なんて選ばなければ良かったと後悔してももう遅い。なら今からでも駄々を捏ねる従者なんて捨て置けばいい。
それだけのことなのにまったくもう……。
ため息こぼすその一息さえ惜しい。
一秒でも早く亡命しなければならない焦りと怒り。メイドは私に抱き付いたまま部屋の隅でへたりこんで震えていて、とてもじゃないが身支度をお願いするどころではなかった。
「まったく。こんな時にまで役に立たないなんてね」
冷たくいい放つ。
私がこのお屋敷から持ち運ぶものはそう多くはない。だとしても怯えた従者の不安を取り払うだけの神経はどこにもない。
石像のように動かぬこの子を必死に揺さぶり、いつものように頭を撫でる。
屋敷の財産も家の者にほとんど持ち逃げされ、汚職に手を染めた父は一人娘を置き去りに国外逃亡。そして謹慎処分中の私に弁明も無しに亡命ルートを書き記した下らぬ紙クズを寄越した。
逃亡だってうまくいく保証はどこにもない。
やはりここに置いていくべきか?
「もう置いていっちゃうからね」
彼女は私にしがみついたまま動かない。それが歳不相応な振る舞いであり主従の行き届いたものの行動ではないのは、専属メイドに指名するだいぶ前から知っていた。
役に立たないメイドと知りつつ指名したのは、身の回りことを全部自分で仕切らねば気が済まなかった私自身の気質のせいだ。
何も覚えぬグズのほうが都合が良かった。それだけ。
「躾が足りなかった?」
いままで従順だったペットがご主人の立場が揺らいだ瞬間に身を翻すのはとても癪に障る。
黙ったままぶるぶると勢いのある否定。いくら知恵が働かないとはいえ、お手ぐらいの芸と聞き分けはあっただろうに。
「もう。もう駄目なのかしらねぇ」
撫で続ける手のひらを一度頭に乗せ寄りかかったまま弱音を溢す。
誰にも吐けなかった弱音を初めて口にしたかもしれない。
ここで踏ん張らなければ、私は本当に全てを失ってしまう。
「……して欲しい」
沈黙を破るように彼女が何かを呟く。
「わたしをここに置いてって。わたし。ここに閉じ籠って時間稼ぐ」
今度は私が黙る番だった。
昔一度彼女を身代わりにして勉強をサボり町へ出掛けたことがある。部屋に立て籠る彼女が説教を受けたあの日。
わたしはあの時何と言ったか。
たしか褒めたのだ。初めて役に立ったと。
「役に立たなくてもいいから」
もどかしさが全身を刺す。死んでしまいたいくらいに。
「言ってることちがう」
「うるさい」
理不尽だ。あんたはメイドで私はご主人令嬢だ。
口答えも命令無視も許可した覚えはない。
せいぜい私に落ち度があるとすればこの出来損ないに溺愛の限りを尽くしてしまったことだ。
悔いても悔いても悔やみ切れない。
まだ愛し足りた覚えもない。
全部面倒見てるんだよ。こっちは。
お世話をするはずのメイドの面倒全部を主人であるわたしが全て。
言わなくても何にもしなくてもいいから。
その一つくらいちゃんと知っててよ。
「やっぱり一緒に死のうよ」
声が乾いてどうしようもなく喉に引っ掛かる。
「やだ」
「ずっと一緒だから」
また暴れようともがく。まだやるべきことをのこした瞳がそこにはあった。
いうことを聞かないくせして私を手離すつもりだ。
私を困らせないでよ。お願いだから。
そもそも部屋に鍵を掛けたとして足止めはものの数分が限度だろうに。馬鹿だ無謀だと説得しても役に立てると信じて疑わないのだこの子は。
足音が近づいてくる。家の者ではない。それも複数。随分と無礼な音を奏でる。
彼女の身体が強張る。それを私が必死になって繋ぎ止める。
「ご令嬢。遅くの時間に失礼させてもらった」
騎士の追って。式典で幾度か御目にかかったことのある顔ぶれ。父とは少し違う部隊ではあるが嫌に優秀な部隊と記憶している面々だ。
「あなたが夜な夜な旅行に出掛けると思って急ぎ訪ねに来たのであるが、入れ違いにならず本当に良かった」
この隊の長は小競り合いの多い家柄の挨拶を弁えている。そこそこ話が通じる相手なのは違いない。
「私は逃げませんから。父のかわりに国王に罪を償うことを誓ったことご存知なのでは?」
落ち着き払った声音で対応する。抱き付いたまま固まったこの子を一秒でも長く安心させたいという意地だけが私の気を奮い起たせた。
「そうですが国賊を逃したうえに姫まで拐われてしまっては我々の面子が保てんというもの。今日は姫を無事に確保できたらすぐお暇致しますゆえ」
「姫?」
「そうですとも。あの濡れ衣まみれの阿保からの言伝でもありますのでどうか平に。出世の椅子が空いた騎士団の気前の良さは保証しますよご令嬢。姫もご無事そうでなりよりです」
姫。つまりは。つまりそう言うことか。
長年疑問に感じていた謎が一つだけ解けた。
選抜されるべき一流メイドの中にこの間抜けが紛れるはずがないのだ。いつも叱られていた幼いメイドの出生を追及したことはなかった。
だが、腹違いの妹ではないかとあらぬ邪推をかけたことも一度や二度ではない。
ではもとより亡命する時間など図々しくも無限に稼げるではないか。
わたしだけが追ってに怯えてこいつはそもそも安全だったわけで。
それに亡命する必要さえ無かったのだ。主人の身を案じてではなく、亡命によって離れ離れになるのが嫌なだけだったのでは。
ゆっくりと息を整える。
「この抱き付いたまま固まったメイドならしばらくそちらに差し上げますわ。馴れ馴れしくて躾のなってない犬は嫌いですの。父が戻りましたら今度は賢い犬を飼うつもりなので、いっそ引き取って頂いたほうが助かりますわ」
早口でたてまくる。
泣き出しそうな顔をしてる専属メイドがこれほど憎たらしく思えたためしがない。
「ご令嬢。実はとある要人のお世話を申し付けるつもりでしてな。何せ……」
「あー。はいはいはいわかりましたよ」
言葉を遮る。もう聞きたくない。
腹いせに撫でても躾にならないのがまた理不尽でならない。
なんとわがままなご主人様なのだろうか。
グズな専属メイドは嘯く。
グズな専属メイドだったのでした。
おしまい
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