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私の持論

作者: すずしん

戦争への思い、死への恐怖、自殺志願者への最善の言葉、あなたの生き方が少しでも変われば幸いです

人間とは唯一自分の命の限りを理解している生物である。

おそらく初めてそのことを知り、周りの人々が死んでいく様を見たとき、

苦悩し落胆しただろう、しかし長い年月を経て、人は自分の死を理解したのである。


私が感じる戦争とは、まさしくテーブルゲームに過ぎない、

さしずめ兵士たちはそのゲームの駒だろう。私

ある詩人の言葉だが、「戦争とは血の流れる政治であり政治とは血の流れない戦争である」      ここで理解していただきたいのは、私は決して戦争を否定してるわけではないとゆうことだ、もちろん戦争に駆り出された多くの人々に感謝してる。


「あのアメリカ兵だって国に帰ればただの人間だ」

意味は、すべては鬼畜ではない、我々と同じく家庭がある人間なんだ、と私はとらえてる、

他国の人間に対する恐怖心を取り除く言葉にも思えるが、おそらくそうではないだろう。これは相手を思いやる気遣いにも思えるが、真相とはどうだろう?

日本兵、あるいはベトナム兵他多くのアメリカとゆう国の被害者の弁解であり、

言い訳に聞こえるのは私だけではないはずだ、過去を肯定している、すなわち、自分のあやまちを正当化しているように思える、

こんな馬鹿げた事を言えるのは、戦争を上から操るプレイヤーだからだろう。

地球上に存在する数多の国々が我が国の富のため、多くを殺し多くを奪ったからからではないだろうか。(もちろん例外もあるが)

今我々に必要なのは、否定でも肯定でもない、理解ではないだろうか。

理解とはすなわち許す事であり、認め合うことだ、

やられた事を恨み、してきた事を過去の事と濁す

今の日本の教育とは正反対だとゆう事は言うまでもない。



今日の日本の義務教育。子供のあらゆる可能性を見出し、他人を思いやる気持ち、

社会のルールを守る道徳心、清く正しくとでも言うのだろうか。

しかし私はそんな素晴らしい世界を見たことがない、

欲に埋もれた人や、自分を守るために人を盾にする人で溢れかえっている。

ここで、ある子供の演説を掻い摘んでではあるが紹介したいと思う。



「私の世代には夢があります、いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞う

ジャングルを見る事です、でも私の子供たちの世代はもうそんな夢を持つこともできなく

なるのではないか?

あなたがたは私ぐらいのとしの時、そんなことを心配した事がありますか?

あなたがた大人にも知ってほしいんです、あなたがたも良い解決法など

持っていないという事を。

オゾン層に空いた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう、

死んだ川にどうやってサケを呼び戻すのか、あなたは知らないでしょう、

絶滅した動物をどうやって生き返らせるのか、あなたは知らないでしょう、

そして今や砂漠となってしまった場所にどうやって

森をよみがえらせるのか、あなたは知らないでしょう。

どうやって直すのかわからないものを壊し続けるのはもうやめてください。


ここではあなたがたは、政府とか企業とか団体とかの代表でしょう、

あるいは報道関係者か政治家かもしれない、でも本当はあなたがただれもが

母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです、

そして誰もが誰かの子供なんです。


ここブラジルでストリートチルドレンに出会い私たちはショックを受けました、

一人の子供が私たちにこう言いました、

「僕がお金持ちだったらなぁ、もしそうなら家の無い子すべてに食べ物と着るものと

薬と住む場所とやさしさと愛情あげるのに」

何もない一人の子供が分かち合う事を考えてるのにすべてを持ってる

私たちがこんなに欲が深いのはいったいどうしてなんでしょう。


私は子供だけどこの事を知っています。

もし戦争で使われているお金全部を貧しさと環境問題を解決するために

使えばこの地球は素晴らしい星になるでしょう。

学校で、いや幼稚園でさえあなたがた大人は私たちに世の中でどう振る舞うかを

教えてくれます、たとえば

争いをしない事、

話し合いで解決する事、

他人を尊重する事、

散らかしたら自分で片付ける事、

他の生き物をむやみに傷つけない事、

分かち合う事、

そして欲張らない事。

ならばなぜあなたがたは私たちにするなと言う事をしているんですか?」




これはリオ・デ・ジャネイロで行われた環境サミットで、カナダにある

エンヴァイロン・メンタルチルドレンズ・オーガニゼェーションという

12~13歳の子供たちで構成される環境団体の代表の演説である。

さぁ、あなたはこれを見て何を思っただろうか?

自問自答していただきたい、彼女のいう「あなたがた」になってはいないだろうか?

あるいは、この事実に目を背け、黙認してはいないだろうか?


私事だが、私は中学一年生のころから学校にはほとんど行っていない、

「あなたがた」から言わせれば社会不適合者だろう、

そして中学三年生になったころ、私は初めてリアルな自分の将来について考えた、

「このままの人生で自分は将来どうなっているんだろう?」

学校では願えば叶うとか、夢は実現するとか虫唾が走る呪文をとなえている、

私は幸いにも自分のできる範囲のやりがいを見つけることができたが、

しかし、未だ脱落者という眼からは逃れられていないだろう。

本来ならば中学卒業後就職する子供たちにも、もっと正確なレールを指示して

あげるべきではないだろうか?

日本における文化、風習がどんな人の手で造られたのか、

職人こそが日本の文化であり遺産だとゆうことを。


そしてなにより日本人が思い出さなければならないと、それは「恥」である、

日本は恥の文化と言われているが今の日本はどうだろう、

電車内で電話したり、大音量で音楽を聴いたりあるいは座り込んだり

する者までいる、そもそもこんな事は禁止するに値しない事で、

自己判断できない人間が増えてきたというわけである。

マナーというのはすなわち恥であり、あくまで禁止することではないのに、

いつしか破ってはいけない約束と勘違いされている方も少なくないだろう、

例えば「電車では席を譲り合いましょう」もちろん私はお年寄りや体の不自由な

人がいた時必ず席を譲る、しかしこれは善意であり強制ではない。

それもふまえてマナーというものは、与える側と受ける側になければ成立しない、 

もっと言ってしまえば親切を簡単に拒絶してはいけないのである。 

快く席を譲った若者に対して「次の駅で降りるんで」と言ってはいけない、

それこそがマナーだと私は考える。


教育に話を戻そう。幼稚園児や小学生、中学生に夢は何かと問う人がいる、

そして問う人は必ず最後にこう言う「夢は諦めなければ必ず叶う」


人生における「壁」は、必ずしも壊せるわけでもないのに、軽々しく。

人間は軽々しく夢を持ってはいけない、叶う夢などもはや夢ではなく未来である、

すなわち出来ないから夢であるべきである。

私も幼い頃「夢はなに?」と聞かれた事がある、私は「ない」と答えた、

もちろん「夢を持ちなさい」と返ってきたのだが、

こんな話を何度もされ半ば強引に夢を作らされた記憶がある。

親や教育者が子供の夢を勝手に決めてはいないだろうか?

子供は親が思うほどバカでもなく、賢くもない。

子供の持った理想を、咀嚼して口うつしてあげることこそ真の教育ではないだろうか、

先ほど述べた様な教育をされた子供たちのひとりが秋葉原通り魔事件や

女子高生コンクリート詰め殺人事件他、あらゆる若年犯罪者なのではないだろうか。




死について。


例えば自殺志願者の友人にあなたは何と言うだろう、

「もったいないよ」「生きていればいい事あるよ」気のきいた所で、

「死にたいと思っている今日は病気で死んだ人が生きたいと願った今日だよ」

とかぬかすんだろう。

私はなぜ死にたいのかは分かっても、なぜ死んではいけないのかがわからない、

ただひとつ、もしも私の家族、もしくは親しい友人が死にたいと嘆いた時、

迷わず私はこう言うだろう、「君はいいやつだし面白いから死んではいけない、死なれたら俺が悲しむ」

「死」とは他人のエゴで成り立っている、私のわがままで生きていてくれる家族や友人が

いるなら、大いにわがままであろうじゃないか。

しかし、このわがままは自分には適用しない、冒頭でも述べたように初めて人間という

生物がこの世に誕生した時から私が死ぬ事は決まっていたのだから、すなわち半永久的に私の遺伝子たちは死を約束され産まれてくる。

ここで二つに別れる、それを重んじるか否か。

私は限りなく後者だろう、この世に生を受け、初めて呼吸したその日から

私は「死」に向かって歩いている、

あるいは死ぬ為に産まれたと言っても過言じゃない。

人間が壊してきた生態系に比べれば自殺者数なんて屁の突っ張りにもならないだろう、

黒毛和牛、ホルスタイン、ブロイラー、その他いろんな生き物たちから

してみれば、この世こそが真の地獄で人間こそが真の悪魔なのであろう、

そしてそれは同種も例外ではないということだ、

すなわちこの世こそが全生命における地獄であり、それを作り出したのは       神ではなく人間なのだ。

しかし、生命とは、産まれる場所を選べない、どんなに貧困だろうと、

どんなに両親に愛されてなかろうと、どんな難病にかかろうと、

あるいは悪魔の子であってもリセットボタンは無い。

人間とは産まれる場所は選べないが死に場所は選べる、死に方も。           ではなぜ全員がガンや脳疾患、あるいは事故死、で死ななければならないのか、

逆に病死や事故死だけが死に方なら、私は生きるのが怖くなる。

そこに自由がないのは、極めて不自然であり、人間らしさに欠けていると思う。

生物上もっとも残酷でエゴが強い生物がなぜそのことを規制できるのだろう、

戦場で自決していった英雄と放課後学校で自殺したA君の死にどんな違いがあると

言えるのか。

「死」に関して言えば、善悪など付けてはいけない、どう選ぼうがそれがその人のその時感じた最善なのである。

(まあ話を戻せば自殺したいと口にする人間ほど簡単には死なないものだが)



私自身、数々の言葉に感動し助けられました、これを読んでこうしなさいという物ではありません、理解し伝えることが今自分たちができる最善だと思います

いつかスクラムを組んで動きだせるのです

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