3-7 さたたんのタマゴ
笑顔の咲き乱れる宿舎とは対照的に、最北の城──魔王城は、暗い雰囲気に包まれていた。
幹部たちは玉座の間に呼び出されていた。こうして八人全員に招集がかかったのは、実に八年ぶり。その頃とは構成員が二人入れ替わって、今日は七人が集まった。
魔王は玉座に腕を置き、指を忙しくトントン動かす。機嫌が悪いときの彼の癖だ。唯一、矮躯より大きな禿頭を持つ老人──ルジだけは、状況を先に知らされているようで、幹部たちが謀反を起こしても対応できるよう、魔王の側に控えている。
そうして、重苦しい沈黙だけが続き──ついに、ローウェルが問いを投げかける。
「今日は何の呼び出しっすか?」
彼自身、この空気を破るにはそれなりの勇気が必要だった。ただ、黙っていてもどうにもならないという気持ちの方が大きかったというだけの話だ。
すると、魔王はやっと口を開き、
「──この中に、裏切り者がいる。心当たりのある者は名乗り出ろ。今なら笑って許そう」
と、不敵な笑みを浮かべて告げる。一同に動揺の色が広がるが、誰も答えようとはしない。
──しかし、裏切ったとは、具体的に何をしたのだろうか。それを尋ねる前に、ルジが口を開く。
「さたたんのタマゴが盗まれた。このタマゴは将来、人間との戦争において、重要な戦力としての役割を果たすことを期待されている。一個体で町を一つ潰すことができるほどの力を秘めており、数年後には四天王の座につくと目されるほどだ。また、ウーラの子どもでもある」
自然と、ウーラに意識が集まる。だが、彼女はまったく動じない。
「ウーラ。心当たりは?」
ルジの説明を聞き届けて、魔王が直々に尋ねる。
「ありません。私のすべてを魔王様に捧げることは、この世に生を受けて以来の私の宿命であり、それはたとえ、私の子であっても、同じことだと考えております」
感情の薄い、本に書かれている台詞を丸暗記してきたかのような返答だが、これが、彼女の魔王に対する対応の常だ。
「クロスタ。お前はどうだ?」
「はい。私はもちろん、彼女が裏切る可能性も極めて低いかと」
「ローウェル」
「はい」
名前を呼ばれて、ローウェルはなんと言ったものかと少し悩む。本当に知らないのは事実だが──予測がつくというのが本音だ。
だが、たとえ魔王に忠誠を誓った身であったとしても、それを正直に答えることはできない。
「オレも、ウーラさんは裏切らないと思うっす」
「それは、ウーラ以外なら裏切るかもしれないということか?」
「え、そんな風に聞こえたっすか? 勘繰りすぎっすよー」
内心、冷や汗まみれだが、それを愛想笑いで必死に誤魔化す。今この場で悟られることは、何もいい影響をもたらさない。穏健派のローウェルにとって魔王は、命より大切なものを懸けられるほどの、絶対的な存在ではないのだ。
さりげなく揶揄されたクロスタとそろって、魔王はしばらくローウェルを睥睨していたが、やがて、興味を失った様子で視線を他に移す。
安堵が表に出ないよう、ローウェルは部屋から出るまで気を張り続けろと、自分に言い聞かせる。
「タルカ。お前はどう思う?」
「はい。ぼくは、ルジ様と四天王の皆さんが裏切ることはないと思います。もちろん、ぼくも、魔王様を心よりお慕いしております」
タルカと呼ばれた、男もののスーツに身を包む、中性的な女性は、小さな黒いシルクハットを胸の前で持ち、跪いた姿勢から、さらに頭を少し下げる。
となれば、自然と、残る一人に意識が集まる。魔王は名前すら呼ばず、無言でその一人からの返事を待つ。何も言わずとも、求められていることが何か分かって当然、という考えに基づくものであることは十分に察せられる。
それから、沈黙のまま、何分経過しただろうか。ローウェルは、彼がどんな弁明を考えているのかと、内心ひやひやしていた。だが、気を張るにしても、同じ跪いた体勢のまま動かずにいれば、疲れが緊張を上回ってくる。
「あの──」
ゆったりとした口調で、最後の一人がやっと口を開き、小さく手を挙げる。その声で、膠着により、弛緩しかけていた空気に、緊張がもたらされる。
「発言を許す」
その先の言葉に一同が意識を集中させる。
「俺には、聞かないの、ですか?」
彼は魔王と視線を交錯させる。とはいえ、生まれつき全盲である彼に、人の目など見えているはずもないのだが。普段は魔力探知を通じてモノクロの世界を見ている。
ともあれ、彼──ローウェルの息子は、魔王の顔の辺りを見つめたまま首を傾げ、青髪を揺らす。
その直後、一気に疲れが押し寄せてきたように、思わず脱力する。見ると、息子以外の全員が同じような反応をしていた。
魔王は鈍い彼にため息をつくと、こう言った。
「──ハイガル。貴様が裏切ったのか?」
「あー……どう、思います、か?」
どこまでもマイペースな彼──ハイガルは、自分の青髪を一房手に取り、指で挟んで擦り合わせ、全盲の茶色の瞳で見つめる。
「それは──」
「あ、すみません。体勢を、変えても、いいですか? 長くなるなら、これ以上、同じ姿勢は、キツいです」
「……構わぬ。ハイガル以外も、楽にしろ」
魔王の言葉を遮り、あまつさえ、姿勢を変えたいと申し出るなど、彼以外にできることではない。自分の息子ながら、末恐ろしい。
そんなことを考えつつ、ローウェルは周りが動きづらそうにしているのを見て、息子に続いて姿勢を変える。これでも一応、この中では年長者に当たるローウェルが率先して動くことで、ルジとクロスタ以外は姿勢を崩すか変えるかした。
魔族は人に比べて老化がゆっくりと進むので、実はこれでも、かなり長生きだったりする。
「はー、疲れたっす。それで、魔王様、続きはなんだったんすか?」
「──それは、疑われたいということか?」
ローウェルに促された魔王の、刺すような赤い視線を受け、ハイガルは、
「えっと、すみません。さっき、俺、なんて言ったんでしたっけ?」
惚けているのか、本気で忘れてしまったのか──恐らく、後者だが、ハイガルは胡座をかいて、尋ねる。自分のペースを崩さない彼の調子に、重い空気がどこかへと四散する。
魔王は呆れ顔でため息をつき、
「余の『貴様が裏切ったのか』という問いかけに対して、お前は『どう思うか』と、言葉を返したのだ。余は疑ってほしいのだと捉えたため、その旨を尋ねた」
懇切丁寧に説明をした。
「……あ、そう、でした。──いいえ。疑われたくないです」
「それは、皆、そうでしょうね……」
やけにはっきりと否定したハイガルのペースに耐えきれず、硬い床に正座したウーラが、ため息混じりに呟いた。




