2-2 失ったもの
絶対音感というものがある。音の高さを耳で聞いただけで瞬時に聞き分ける能力だ。何度もこんなくだりを繰り返していると、自慢のようになって申し訳ないが、私は絶対音感を持っている。ついでに言うなら、惑星の裏側の音くらいなら余裕で聞き取れる。
しかし、どんな物事にも良い面と悪い面がある。音がよく聞こえると伝えると、羨ましがられることが多いが、実際はそんなにいいものではない。
第一に、惑星の反対側の音なんて、いつ聞こえる必要があるというのか。次に、作曲家や歌手、楽器奏者ならともかく、普通に過ごしている上で絶対音感が必要とされることは少ない。そして、聞こえすぎるがために、普通に暮らしていると鼓膜が破れそうになる。
幼い頃は、よく耳から出血していた。というのも、子どもには魔法が効きづらいからだ。
私たちは八歳になると魔法が使えるようになる。しかし、それ以前の魔法が使えない間、子どもには魔法が効きづらい。
とはいえ、まなよりはましだが、それでも、傷や病気を魔法で治したり、魔法で遊んだりといったことが、子ども相手となると、非常に難しいのだ。
今は、魔法で極限まで聞こえないようにする対策をした上に、耳栓もつけるという対策をしている。ちなみに、嗅覚も同様に発達しすぎているが、そちらはあまり気になったことがない。
「はにほへといろはー」
ベランダに出て、何気なく音階を下からなぞると、隣とまたその隣の窓が開き、中から住人が出てくる。近い方から順に、あかりとまなだ。
「何? はにほ──って? ドレミじゃないの?」
まながこくっと首を傾げる。そんなに大きな声で歌ったつもりはなかったのだが、聞こえていたらしい。
「僕の故郷で、そう言ったり言わなかったりするんだよ」
そう。以前、あかりに教えてもらったのだ。なんとなく、こちらの方が響きが気に入っている。
「ふーん」
「興味なさそー……」
「それにしても、マナって、本当に歌が上手いのね。もっと聞いてみたいわ」
不意にまながそんなことを言い出した。音階を読んだだけでその評価はいささか、飛躍しすぎているような気もする。それに、私としては彼女の歌の方が聞きたいのだが、彼女から求められては断るわけにもいくまい。しかし、
「僕は遠慮しておこうかな」
「なんで?」
「歌姫の歌だからねえ。聞いたが最後、耳が幸せすぎて意識が飛ぶ」
「お酒の飲みすぎで記憶が飛ぶのと同じね」
「私の歌をなんだと思っているんですか」
「やばいクスリ」
ベランダを飛び越え、立ち姿勢のあかりに、軽く首四の字固めをお見舞いする。
「失礼ですよ」
「おっふ、死ぬ」
「はいはい、痴話喧嘩なら他所でやりなさい」
まなの呆れた声を受けて、私は体勢を戻し、どさくさに紛れて手をがっちり繋ぐ。あかりがそれを剥がそうとするも、力で敵うはずもない。
「ちょっと、愛サン? 僕、聞かないよ?」
「らー」
「ギャア」
試しに音を確認しただけで、斬られて死ぬかのような声を出すあかりに、私は失笑する。
ふと、まなが私たちを凝視しているのに気がつくと、途端に、彼と繋いだ手から、羞恥心が湧き上がってくるのを感じた。
「あれれ? 自分から繋いでおいて照れてるの?」
「うるさい」
「……もう帰っていいかしら?」
まなが不機嫌そうに見えたので、私は惜しみつつも離した手をお腹に当てて、大きく息を吸い込み、歌う準備をする。
「──」
そうして、声を出そうと口を動かして、
「──。あれ」
声が出ていないことに気がつく。喉に手を当てて、もう一度、音を確認してみるが、異常はない。
「愛?」
「──」
声は出る。だが、いざ歌おうとすると、声が出ない。音程を思い浮かべ、それをなぞるように声を出すが、だんだんと、喉が絞られるように声が萎んでいく。
「──歌えない」
そうしてやっと、私は自分が、歌えなくなっているということに気がついた。




