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しかし、軽く六十歳は超えているだろうに、二十代と言っても通用しそうな美貌だ。却って恐ろしい。
「おや、誰かと思えばお姫様じゃないか。今日も麗しいねぇ」
「ありがとうございます。テルム様も、相変わらずですね」
「ハハハ、よく言われるよ。もしかして、捜させてしまったかな? それは申し訳ない」
「いえ、こうして時間を割くことも、私の楽しみの一つですから」
無駄な時間にこそ、楽しみは隠されていると、私はそう考えている。だから、もう少し、探していたかったというのは、本音だ。
「これは、ハンマーですか?」
「ああ。見てくれ、このヘッド。可憐だと、そうは思わないかい?」
なんの変哲もない、ただの大きなハンマーだ。ヘッドは顔ほどの大きさがあり、どうやら、プラチナでできているらしい。ずいぶん、重そうだ。そして、その感性で美しいと言われたのかと思うと、複雑な気持ちになる。
「命を容易く砕きそうですね。私はこちらの方が好みです」
「工具用? ──いや、違うな。君は、いい目を持っているねぇ」
私が手に取ったのは、どこにでもある、ただの鉄製ハンマーだ。工具としか思えないフォルムで、重さも大したことはない。
「それは、魔力が込められる特別製みたいだ」
「魔力に応じて威力が変わるのですか?」
「イエス!」
完璧な私に、これ以上、見る目まで与えて、神は私をどうしたいのだろう。いよいよ、なんでもできるような気がしてくる。
「君さえ良ければ、プレゼントするよ」
「では、機会があれば、お願いします」
今、このハンマーを買ったところで、置物になる未来しか見えない。数々の贈り物がすでにそうなっていることが証明だ。
結局、テルムは私が見つけたハンマーを自分用に購入し、私と共に店を後にした。
「それで、私にどんな用事だったかな?」
「少々、お尋ねしたいこと、と申しますか。お茶を一緒にと」
「それは実に興味深い提案だねぇ。ぜひとも、行こうじゃないか」
飲食店に向かうには、来た道を戻る必要がある。しかし、私はそれとは反対へと足を向ける。
「飲食店はこちらにはないと思ったが……」
「こちらへ進みたい気分なので。お付き合いいただけますか?」
「──ああ、喜んでお供しよう」
通りを真っ直ぐ進むと、人気のない道に広い草原が広がっていた。遊具などは設置されていない公園だ。
「この辺りでどうですか?」
「生憎、お茶もお菓子も、私は持ち合わせていないが」
「私が魔法で用意します」
指を鳴らし、椅子とテーブル、日除けのパラソルを用意する。城から持ち出したものだ。私にかかれば、これくらいのことは魔法で簡単にできる。
それから、同じく、城から持ち出した紅茶とクッキーをテーブルに並べれば、完成だ。何もしないのは悪いからと、カップには、テルムが紅茶を注いでくれた。
椅子を引いてもらい、私は先に座る。
「それにしても、素晴らしいねぇ! どうやったんだい?」
「魔力で時空の歪みを作って、そこに収納しておいただけですよ」
詳しく説明したところで、テルムに理解できるとも思えない。おそらく、使いこなせるのは、世界で私と一部の魔族だけだ。
「それより、テルム様は、異世界から召喚されたそうですね?」
「あぁ、その話か。事実だよ。こちらに来て、ざっと五十年といったところか」
「五十年……」
テルムは紅茶に口をつけ、その青い瞳で私の瞳をのぞくと、ふっと、表情を緩めた。
「勇者を召喚すべきか否か。それで悩んでいるのかな?」
「はい。でも、答えは決まっています」
「だが、決心がつかないと、そういうことかい?」
「……はい」
テルムは、テーブルに肘をつき、その上に顎をのせる。
「テルム様は、やはり、今でも元の世界に帰りたいのでしょうか」
「もちろん、帰れるなら帰りたいと、そう思うねぇ」
私は琥珀色の紅茶の水面に目を落とす。それはそうだろう。私も、今あるものすべてを失うなど、考えられない。
「でも。それ以上に、私はこの世界を愛している。故郷に残してきたものは多いが、その分、新しく得たものもたくさんあるんだよ」
私はテルムの青い瞳を正面から見つめる。きっと、彼は私のためを思って、そう言ってくれたのだ。ならば、その気遣いを無下にするわけにもいかない。だから、私はその嘘に気がつかなかったふりをして、話を進めた。
それからしばらく、テルムは、自身が愛するものについて語った。先ほどのハンマーや、その直前に買った宝石、家の鍵から、ついには、気候まで愛している、なんて言い出した。なんでも、もとの世界では、なかなか雨が降らず、乾燥した暑い場所に住んでいたらしい。
「──それに、私には愛する家族がいる。これ以上の幸せはないさ」
「だから、望んではならないということでしょうか」
ぽつりと、口から本音が漏れ出した。自分から出た、無意識の言葉に、私は嫌な記憶を思い出させられる。
流石だ、天才だ、普通の人とは違う──昔から、何度も言われてきた。すべて、事実だ。そして、皆、最後には口をそろえて、羨ましいと、そう言うのだ。
確かに、私の人生にはなんの不都合もない。だから、何も望まない。望めない。私より不幸な人々を差し置いて、どうして私が、これ以上の幸せを望むことができるのか。
「君は、まだ若いのに、難しいことを考えるんだねぇ」
「もう十三です。いつまでも、子どものままではいられませんから」
「まだ、十三だ。──それから、私はできる限り多くを愛したいと、そう思っているよ」
それは、やっと聞くことのできた、彼の本心だった。
だからこそ、きっとそうなのだと、分かってしまった。
彼は、人生の半分以上をここで過ごしていても、やはり、元の世界に帰りたいのだ。きっと、今でも、元の世界に戻る方法を探しているのだろう。
日が傾き、風が出てきた。私の手付かずの紅茶が、どんよりとした空を映し出す。
「──冷えてきましたね」
「そうだねぇ」
「帰りましょうか」
その提案に、しかし、テルムは動こうとしなかった。




