1-31 たった一つの選択
「そもそも、エトス──お兄さんがちゃんと王様やれてれば、反乱とか起きませんよね。その辺りどうなんです? まさか、全部マナに押しつけるつもりじゃありませんよね? ねえ?」
そして、彼は人を不快な気持ちにさせる天才だ。それを聞いたエトスは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。正直、的を射ているので、エトス本人の口からは何も言い返せないのだろう。だが、相手はエトス一人ではない。
「──実はですね。お兄様も最近、信頼を獲得しつつあるんですよ」
モノカ──私の姉がそう告げる。どんな状況でも絶やすことのない笑顔が特徴的な女性だ。私の自慢の姉であり、上品な赤色の髪を三つ編みとお団子で纏め、私とおそろいの黄色の瞳をしている。
「お兄様は自分にはこれしかないからと、どのような状況においても、真面目、という姿勢を貫いてきました。即位してから、たった一年ではありますが、その真面目さだけは評価されているんですよ」
「融通が効かないとか、馬鹿真面目とかって言われそうだけど?」
「そうですね。最初はそういう声の方が多かったです。ただ、他国同士の関係が悪化した際、数百年前の同盟に従って仲介役を担い、国交を回復させた頃からですかね。評価が少しずつ上がり始めたのですよ」
「この国に何の利益もなくない? その辺り、みんなどうなのさ?」
「意見は割れています。ですが、もともと、恵まれない子どもたちや、戦争や自然災害の復興、自立が困難となった方々の社会復帰の支援などに尽力していたこと。それから、各地で起こる小さな紛争でさえ、自国が一因であると知れば、それを一つ一つ解決して回ったことなどが、今になって認められ始めているようです。お兄様を国王に押し上げようという動きもあるくらいで」
直接、国益を得ることにはならないが、信頼というのは積み重ねでしか得られない大きな力だ。一年で少しずつ評価されてきたというのなら、この先、長く王位につくほど、その信頼は強固なものとなり、ルスファの国力はさらに、底知れないものとなるだろう。
モノカの返答に隙を見出だせず、あかりは口をつぐむ。すべてが事実とは限らないが、それを見抜く術をあかりは持ち合わせていない。
そして私は、兄と違って感情に流されていない様子のモノカに問いかける。
「それでも、各地の反乱は抑えられませんか」
「はい。まだ、即位してから、一年しか経っていないということと、やはり、あなたへの期待が想像以上に大きいのでしょうね」
こちらは、私が戦場に出て行って、どうこうできる話ではない。私の婚約話でのいざこざとは違い、即位することは、私が生まれたときからの使命だからだ。下手に私が関わってもろくなことにならない。
とはいえ、いくつか策は思いついているのだが──、
「そもそも、姉さんは女王になりたいのか?」
そう、核心をついてきたのは、弟のトイスだ。トイスまでこの話し合いについてきたことに、私は少しばかり感心した。まだ、いささか幼すぎるような気がしたからだ。
ただ、よくよく考えてみれば、彼ももう十四になる。私がいない一年の間に大きく成長したのだろう。今回は話し合いに参加するというよりも、その成り行きを見守るため、また、記録するために来たようだが。
「いずれ、なるつもりではいます。ただ、今は──」
「今は、じゃなくて、今決めることだろ」
「……まったく、その通りです」
心はすでに決まっていたが、それを口に出してもいいものかどうか。私のこの一言に、一体、どれだけの重荷が乗っているのか。
それらを想像すると、恐ろしくなる。そして、私は、喉に蓋をされたように、本心を言えなくなる。こういうことは、今までに何度もあった。
──一人の選択一つで国が滅びるなんて、そんな馬鹿な話が一体、この世のどこにあるというのか。おかしくて、本当におかしくて、笑ってしまいそうだ。
「何の説明もなく王都を去ったのは軽率だったと、反省しています」
「マナ。話を誤魔化そうとするな」
エトスの指摘を受け、私は口をつぐむ。誤魔化したいわけではなかったが、先伸ばしにしたいのは確かだった。このとき、私にはおそらく、この場の誰よりも先の未来が見えていたから。
このときばかりは、大賢者であるれなと同じくらい、先が見通せていたと思う。だからこそ、勇気が出なかった。本当に意気地無しだ。
「あのー……」
「なんだ、榎下朱里」
あかりがおずおずと手を挙げたのを見て、エトスが不機嫌そうな態度を隠すこともなく名前を呼ぶ。いつの間にか、普通に話してもいいことになったらしい。
「ちょっとだけ、二人にさせてもらえないかなあ……なんて」
そんな要望が聞き届けられるものか、と内心で呟く。私だってそれを望んでいるが、あかりには、私を城から連れ出した前科もある。だから、それをエトスが聞いてくれるとは、到底思えなかった。
「──逃げるなよ」
「さすがにもう逃げませんって」
しかし、意外にも、エトスはあかりの要望をすんなりと受け入れた。念押しはしていたが、それだけだった。




