6-34 彼の想いを聞きたい
「それで、ずいぶんと平気そうな顔をしているな、魔王?」
式の終わりとともに、そうトイスに声をかけられた。母のときは、辛そうな顔をしていたらしいが、今回は平気そうな顔をしているらしい。まあ、元々大して表情が変わらない自覚はあるので、前者がマナの嘘だった可能性は否めない。
そうして、号泣するあかりとともに、トイスに案内された部屋で席に着く。
「魔王になって、心が凍りついたか?」
「いっそ、心なんてなければ良かったのだけれど」
こんな思いをするくらいなら。何も感じない方が良かった。逃げ続けていれば良かった。
それでも、私は生きている間に、マナに力をもらってしまったから。向き合うしかなかった。自分を責め続けて、立ち止まることができなかった。
だから、進むしかなかった。それでも、足は止まりそうになったし、思考は楽な方へと逃げた。
きっと、マナの言葉がなければ、私はマナの死を受け入れられず、幻の数を増やすことになっていただろう。
「涙の量と悲しみの深さは関係ないってのが、あたしの持論ね。涙には人それぞれ、タイミングがあるのよ」
「だが、お前は悲しんですらいないだろ」
「……は? そんなわけないでしょ。あたしのせいでマナは死んだのよ? 目の前で、命を落としたの。そうでなくても、あたしはマナがすごく、好きだったんだから」
「姉さんを殺しておいて、姉さんの死を悼む権利があると思ってるのか」
凍えそうに冷たい声だった。それは、事実だった。その通りだった。私さえいなければ、マナはきっと、今もどこかで生きていただろう。
「ええ、そうね。でも、だからこそよ。あたしはマナを忘れないわ」
──彼女の欠点は、自分より他人を優先してしまうところだ。仮にも、ルスファの女王なのだから、そこらの魔族の王女など、助けるべきではなかったのに。
でも、それは、彼女の美点だ。
「トイス、まなちゃんを責めるのは違うでしょ。何もまなちゃんは、ほんとにマナを殺したわけじゃないんだからさ」
「じゃああかりさんは、一度も恨んだことがないのか?」
「ないね。彼女ほど、マナに愛されてた人なんていないんだから、むしろ、命をかけて守るべきだと思ってる」
その答えには、わずかだが、確かに、間があった。それに、トイスは眼光を鋭くする。
「姉さんがどう思っていたかなんて、関係ない。たとえ、どれだけ姉さんに愛されていようと、人を殺せば殺人者だ。確かに、直接殺してはいないのかもしれない。……だが、それがどうした? 何が違う? 原因がお前で、結果、姉さんが死んだ。それに変わりはない。なんで、お前なんかのために、姉さんが死ななければならない。──多数決なら絶対に、お前が死んでた。何を基準に比べたとしても、絶対に、お前が、死んでた。姉さんは何も悪くないのに。お前はいくつ、罪を重ねた?」
「え? いや、多数決とか、わけ分かんないんだけど。トイス、おかしくなったの? それに、勝つ数と負ける数は一緒なんだよ? 身長で比べるなら、高いのと低いのとあるんだからさ──」
「あかり。そんなことしか言えないなら、黙ってなさい」
あかりの空気の読めなさは、今に始まったことではない。だが、今のは、トイスに対する八つ当たりにしか見えなかった。
自分の方が辛いのに、トイスが、自分の方が不幸だ、みたいな顔をしているのが、腹立たしい、といったところか。
「いいや、黙らない。マナが命をかけて守ったから、僕は君を守るって決めたんだ」
「綺麗事だ。姉さんの意思なんて関係ない。もう、死んだんだ。俺は、姉さんの仇を取る」
「それってさ、ユタくんが自殺しちゃったからじゃないの? ユタくんが生きてたら、ユタくんを恨んでたんじゃないの? それって、自分の感情を、どこかにぶつけたいだけじゃん。本当は、誰でもいいんでしょ?」
「……あかりさんは、なんでそんなに冷静でいられるんだ? あかりさんが、一番、姉さんを愛してたじゃないのか? 分からない、俺には、あなたが理解できない……頭がおかしいのは、そっちだろ……?」
そりゃそうだ。私もあかりも、とっくに頭はおかしくなっている。なにせ、マナが死んで、まだ二日しか経っていないのだ。しかも、殺されたようなものなのだ。それを、恨むなという方が、明らかにおかしい。狂っている。
「いや、頭おかしいのは元からだけどさ。そうじゃないんだよ、トイス。僕は全然、冷静なんかじゃない。狂ってるんだよ。まなちゃんだって、そう思うでしょ?」
「ええ、当然よ。おかしいのは、あたしたちの方だわ」
「はあ……?」
トイスが無理解を顔に示す。きっと、今のトイスには、理解できない。すると、あかりが突然、語り始めた。
「マナが……亡くなってさ。ほんと。悲しくて。辛くて。苦しくて。怖くて。死にたくて。吐きそうで。たまらなくて。切なくて。寂しくて。悔しくて。憎くて。許せなくて。どうしようもなくて。否定したくて。逃げ出したくて。拒絶したくて。目を背けたくて。後悔した。恨んだ。怒りが湧いてきて、全身が張り裂けそうで。砕けそうで。色んな感情が、一波に押し寄せてきてさ。──ぷつん。って、何かが切れて。何もする気が起きなくなって。何も考えられなくなって。何も感じなくなって。何もかもどうでもよくなって。……なんにもできなくなる。何も分からなくなる。自分なんて、どうにかなればいいのにって。そればっかり、毎日毎日、考えてさ。息して、食べて、寝る。それで、一日一回は、死んでみようとするんだけどさ。簡単に死ねないから。痛い思いなんてしたくないから。どうすることもできなくて。そうやって、何もしないでいるうちに、みんな死ねばいいのに、とか。ああ、楽になりたいな、とか。そんなことばっかり、考えるようになって。
街中でナイフ振り回したり、魔法で誰かを傷つけたりしてさ。それがさ、──はははっ、すごく、楽しいんだよね。悲鳴とか、泣き声とか、怯える顔とか、そういうの見てると、もう、すごく、楽しくて。もっと、もっと、もっと、って危険な方に進んでいって。そんなことしてるとさ、そのうち、一番、簡単に楽になれる方法がさ、目の前に、ふっと現れるんだよ。……あはは」
語り狂うあかりの目には狂気の色が宿り、天を仰いで、全身の力を抜いて、取り憑かれたように、笑う。きっと、途中から、マナの話ではなかった。
私には以前から、あかりが、そういう感情を乗り越えているように見えていた。そうでなくては、こんなに早く、立ち直れるはずがない。きっと、最初から、必要な言葉を持っていたのだろうと。
「越えちゃいけない線を越えそうになったとき。一瞬でも、誰かに愛されてたって、思っちゃったらさ。愛してた気持ちを、思い出しちゃったらさ──越えられなくなるんだよ。だから、僕の心にマナがいる限り、僕は、誰も殺せない。マナが僕を愛してくれたから、どれだけ死にたくても、死のうとは思わない。立ち上がれなくなっても、何度でも立ち上がる。そして、マナが愛したまなちゃんのことは、絶対に、守ってみせる。狂いそうなくらい、心はぐちゃぐちゃだけど、マナとの思い出さえあれば、僕は、いつだって、前を向ける」
それが、私を守ると言ったあかりの言葉の、全部だった。なぜ、あかりがこんなに強いのか、少し、分かったような気がした。




