0-4 緑茶とワサビと梅干しと
目が覚めると、こう問われた。
「外に出ないと誓うか?」
「出たいって言って──んー!」
今度は、意識を失う直前で、手を離されて。
「外に出ないと誓うか?」
「……出たいっ」
このまま、死ぬんじゃないかと思った。それでも、私は外に出たかった。
そうしたら、今度はナイフが出てきた。キラキラと光っていて、きれいだと思った。ただ、あれは、何かを切るのに使うものではなかったか。
「それはさすがにまずいですって! あの方にバレたらどうするんすか!?」
「あのお方は今日から一ヶ月、カルジャスへ行くことになっている。その間に治る傷しかつけない」
そして、ナイフが腕に当てられると、ピッと引かれた。
痛い。痛い。怖い!
「うわああああぁん!!」
「出ないと誓うか?」
私は泣きながら首を横に振る。私は、ここまでして外に出たいのだろうか。今までの生活に、何か不満があったわけでもない。ただ、外の世界を知りたかっただけなのだ。それが、こんな思いをすることになるなんて、思っていなかった。
私はもう、自分がどうしたかったのか、もう、分からなくなっていた。
「何かあったの?」
私の声を聞いたワサビがやって来た。そうか、そこには、塩もいるのだった。助けて──。
「まな様がどうしても外に出たいと仰って。あれだけされても、出ないって言わないんっすよ。……見てられないっす」
「そう……。まあ、あの子にとっては、外が輝いて見えるのかもしれないわね。……さ、ローウェル。任務に行くわよ」
「──はいっす」
ワサビの人がローウェルと何か話しながら、二人で去っていく。何を話しているのか。そんな暇があったら、助けてほしい。
私が助けてほしいと言わないから、分からなかったのだろうか。
そちらに気をとられていると、今度は太ももに激痛が走った。
「あああああ!!」
「出ないと誓うか?」
出ないとは言わなかった。でも、首を横に振る勇気もなかった。すると、また足音が聞こえた。二人が戻ってきたのかと思ったが、そうじゃなかった。
「本当にまな様が痛みに悶えて、悲鳴を上げていらっしゃるじゃないですか。はあっ、はあっ……なんて、いい悲鳴……! 生きてて良かったあ……!」
「この異常者が」
緑茶と梅干しが話していた。緑茶は頬を赤らめていて、梅干しはぴくりとも表情を変えなかった。
「くれぐれも、殺すなよ。私たちが何をされるか分からない」
「まな様の血液、ぺろぺろしてもいいですかあ?」
そう言って緑茶は、私の腕と太ももの傷を執拗になめた。気持ち悪い。なんでそんなことをするのか分からない。何より、傷口が痛い。
「あはぁ……! もっとください! もっとぉ……」
青髪は私の腹にナイフを刺した。
「あああぁっ……!!」
「ありがとうございまあす……!」
その傷がなめられる。痛い、痛い痛い。おぞましい。恐ろしい。心がない。でも、言わなきゃ。
「たす、け……て」
それを聞いた緑茶は、頬を赤らめて私を見ているだけだった。梅干しは、私と目を合わせる気もないようで、眼鏡のレンズを拭いていた。
「早く任務に向かえ」
「はい。行って参ります」
「はあい」
それから、再び問われた。
「外に出ないと誓うか?」
「──」
そうして、みんなから見放されて、私はやっと、首を縦に振った。
***
それからしばらく、何もする気が起きなくて、また天井を見上げる日々が続いた。ふと、窓が目に入ると、それが怖くて、私は体を背けて縮こまり、一人で震えた。
「まな様、お食事のお時間です」
「ああ……ありがとう」
それは、最初に私が味覚を知りたいと言ったとき、止めた方がいいと言った、青いダイヤの女性だった。今日は月曜日らしい。
私はゆっくり起き上がって、ピンクのうっすら甘いドロドロした液体を食べる。しっかり三十回噛むよう言われているので、仕方なく噛んで飲み込む。
「──あんたの言う通りだったわ。味覚なんて、知ろうとしなければよかった。そうすれば、あの人たちを信じたりしなかったのに」
私は、私が持つ本の中で、唯一、夢を叶えることを諦めた登場人物の話し方を真似てみた。それが、どうにもしっくり来て、きっと、私も諦めるべきなのだと、そう思った。
私は何かを望める立場になかった。誰からも愛されていなかった。それどころか、憎まれてすらいた。
「あんたたちにとっては、どうか知らないけれど、あたしには、外の世界が、すごく、輝いて見えるのよ。私の知らないことがたくさんあって、すごく、魅力的だった。でも、もう、諦めることにしたわ」
私は静かな部屋で、回数を数えながら、しっかりと噛む。
どうせ、私が話したところで、誰も何も思わない。私がいてもいなくても、世界はたいして変わらない。返事を返してくれたのは、同情や狂信、ただの機械的な対応。誰も私に言葉をくれたわけではない。信じていても、こうして裏切られる。
すべて、私が悪いのだ。白髪で赤目で女で魔族だから。だから、外には出られない。だから、誰にも愛されない。みんなそう思っているのだから、それが正しい。悪いのは私だ。
「諦めてしまうんですか?」
「ええ。どうせ、外の世界に出ても、裏切られるだけだわ。誰も助けてくれないし、きっと、今よりも辛いことだって、あるんでしょうね。──だから、物語は、諦めなければ叶うのね。現実では叶わないから。そうなんでしょ?」
「その通りです」
それから、女性はぽつりと、呟いた。
「日曜日の担当に、同じ話をしてみてください」
「日曜日? ……ああ、あのカタコトの若い女ね。でも、なんで?」
「──三十回、噛んでください」
私は今しがた、液体をそのまま飲み込んだことを思いだし、それから、噛むことに集中した。