6-17 大好きって言いたい
それから、腕のスタンプを見れば、まゆのことはすぐに思い出せるようになった。
「お姉ちゃん!」
「……」
「お姉ちゃん?」
「──ああ、ごめんごめん。何かな?」
「あのね──」
そのとき、口を塞がれて、私は建物の影に隠れる。
「ワサビ……厄介なところに厄介なものを置いておくんだから、青髪さんは」
私は瞬時に状況を理解した。そして、息を殺す。すごく怖いけれど、きっと、まゆが助けてくれる。
「まな。そこのお店に入ってて。迎えにいくまで、出てきちゃダメだよ。それから、静かに行くこと。いい?」
私はうなずいて、そのお店に入った。それから、しばらくして、まゆは戻ってきたが、酷くやつれているようだった。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「──ねえ、まな」
「何?」
「……んーん。呼んだだけ」
「お姉ちゃん面倒くさいわねっ」
「なんだってー?」
そうして、まゆはいつも通りに笑った。だから、私も気にしなかった。
でも、私が手を握ろうとすると、まゆは少し、嫌がる素振りを見せた。
「お姉ちゃん、私のこと、嫌いなの……?」
「──さあねー?」
「うえぇぇ……?」
「ほら、もうちょっとだから、頑張るよ」
そうして、まゆは私の手を取った。私はまゆに微笑みかけた。
まゆは私のことをどう思っているのだろう。
***
「やっと着いた……」
「可愛いー!」
「うん、そうだね。さ、行こうか」
可愛い建物がたくさん並んでいた。私はそれらに気を取られつつ、飴を舐めながら歩いていた。甘くて美味しい飴。
まゆは少し待つようにと言っては、食べ物をくれた。そうして私はそれを食べる。きっと、食べ物の木がある場所でも知っているに違いない。
「ここ、どこ?」
「さあ、どこでしょう?」
「うーん。もうだいぶ南に来たから──ヘントセレナ?」
「そう正解。まなは賢いね」
そう言って、まゆは私の頭に手を置き、ゆっくり撫でた。
「あたしって、賢いの?」
「うん、賢いよ。だから、もっと、広い世界を見て、色んなことを学んでほしい」
「広い世界?」
「そう。自分の目で見て、よく観察して、自分の頭で考えるんだよ」
「ふーん……」
「んー、子どものまなにはちょっと難しかったかなー?」
「お姉ちゃんだって、まだ子どもでしょっ」
「そうだね。でも、まなよりは大人だよ?」
「むむむ……」
「ほら、シワ寄ってる」
よく、眉間のシワを伸ばされる。もっと伸ばしてもらおうと、さらに寄せると、まゆは少し笑った。
「お姉ちゃん、今いーい?」
「うん。いいよ。何?」
「あたしね、お姉ちゃんのこと、大好き! ──やっと言えた!」
そう言って、思いっきり抱きついた。そこには、何もないような感じで、どれだけ力を入れても、まゆに触れているという感じがしなかった。
「……わたしも、大好きだよ」
私の頭を撫でるその手だけが、少し温かくて、まゆは幽霊ではないのだと、証明していた。私はその手を掴んで、頬に寄せた。
「にへーっ……」
「相変わらず変な笑い方だねー」
「お姉ちゃんの真似だよ?」
「わたし、そんな変な笑い方しない」
「してるもん」
「してない」
手を繋ぎ、目的地までの道を急ぐ。あともう少し。
***
目の前には、たくさんの水があった。見渡す限り水で、あれが地平線なのだと分かった。
「海だ!」
「んーん。これはね、湖。すっごく大きな湖だよ」
「大きい! すごーい!」
「うん、そうだね。えーっと、大砲、大砲……」
まゆに手を引かれるまま歩いていると、大きな黒い筒が視界に入った。
「あれ、何?」
「ん? あ、あった。あれが大砲だよ」
「大砲……」
「怖い?」
「うん、ちょっとだけね。本当に、ちょっとだけ」
大砲とは、兵器だ。あの筒から大きな弾を飛ばして、色んなものを壊すのだ。
「大丈夫。あの大砲は飛ばないから」
「なんで?」
「大きすぎて飛ばないんだって」
「ふーん。じゃあ、何のために作ったの?」
「大きいと、なんか強そうでしょ?」
なるほど。確かに近くで見ると大きい。あの筒の中に落ちたら、出てこられないかもしれない。
「まな、この大砲、ちょっとノックしてみて」
「うん?」
私は言われた通りに大砲をこつこつと叩く。あまりいい音が鳴らなかった。意外と難しい。私は何度も繰り返し叩き──やっと、いい音が鳴ったと思ったそのとき。
「るっせエなア……! ──あン? ガキじゃねえか」
「うわっ、なんか出た!」
私は咄嗟にまゆの陰に隠れる。中から出てきたのは、声の低い金髪の人だった。
しかし、前髪をかきあげると、そこには美人な顔が現れる。
「うわー、美人さんだよ! お姉ちゃん!」
「そうだねー。美人が台無しだねー」
「白髪……ああ、例のガキか。なんだ、おめエ、一人で来たのか?」
「一人? あたし、お姉ちゃんと一緒に来たの。ほら、お姉ちゃん」
どうやら、金髪はまゆのことが見えていないようだった。まゆは、金髪にそっと手を伸ばして、その手に触れる。すると、金髪は驚いたようにまゆを視界に入れた。
「……おいおい、面倒くせエことになってンなア」
「いいの。そのおかげで、まなをここまで連れて来られたから」
まゆは髪の毛を一本抜くと、その金髪に渡す。
「えっと、バサイさん、でいいんだよね? もう何年も経ったから自信なくて」
「……あア、オレがバサイだ。だが、さん付けはやめろ。ぞわってする」
私はまゆの手を掴んで、バサイの赤い瞳をじっと見つめる。
「お姉ちゃんの知り合い?」
「うん、そうだよ。怖くないよ。ほら、バサイ、笑って笑ってー」
「──ギヒッ」
「……あははっ、変な顔ー!」
「変な顔ってオイ……」
「まあまあ、怖がられるよりマシでしょ?」
白目とギザギザの歯と、片方だけ上がった口角と、眉間のシワがツボにどストライクだった。
***
それから、赤い屋根の可愛い家に移動した。私とまゆは奥の部屋で座って待つように指示された。しばらくして、隣の部屋からバサイは戻ってきた。
「事情は把握した。オレがしてやれンのは、ここから人間の国へ渡してやることだけだ」
「人間の国……」
つまり、人間がたくさんいるところだ。そこでは角と尻尾を隠さなくてはならない。魔族と人間という本に書いてあった。
「だが、角と尻尾をしまえるようにならねエ限り、向こう側には渡せねエ。オレもあっちがどうなってるか知らねエんだ」
「ねえ、バッサイ」
「バッサイじゃねえ、バサイだ」
「バッサイもあっちに行ったことないわけ?」
「あるわけねエだろ、人間の国なんて。死んでも行きたかねエよ」
バサイはひらひらと手を振った。