4-23 嫌われたい
本当に、すべて知っているような気がして、僕は望みを抱いてしまう。そんなこと、あるはずがないと、分かっているのに。
「すべて、受け入れます」
「嘘だ。だって、君は──」
「偽物だと、そうおっしゃるんですか? 先ほどのように」
僕がそう言ったから、マナは走って出ていったのだ。そんな風に、まったく思っていないとは言えないけれど、まったく、本心ではないのに。ただ、マナの中に、僕の記憶だけがないことが、どうしても認められなくて。
「……そうだよ。そう思ってる」
「本当に?」
「──」
「あかりさんは、嘘が好きですね」
「嘘なんてついてない」
「それなら、私が好きではないのだと、はっきり言ってください」
「それは……」
マナが絡むと、すぐに、何も言えなくなってしまう。いつものように、あることないこと、並べておけばいいのに。
「それが優しさだとしても、突き放そうとしないでください。……寂しいです。それとも、本当に、私のことが、好きではないんですか」
抱きしめる力が強くなる。不安が痛いほどに、伝わってくる。しかし、僕はマナを抱きしめはしない。彼女を受け入れることになってしまうから。
そして、僕が何の反応もしないのを見て、マナは力を緩めた。
「あなたが思うほど、私はきれいではありませんよ」
「……嘘だ」
「本当です。それとも、穢れた私は嫌いですか?」
「そんなことない。でも、僕のせいで、そうなってほしくない」
「それなら、もうとっくに、手遅れですよ」
「そうかもしれない。でも、それ以上に、僕がやろうとしてることは、もっと、悪いことなんだ」
僕の譲ろうとしない姿勢に、マナは呟いた。
「……私は、思い上がっていたのかもしれませんね」
「どういう意味?」
「あなたは、記憶の有無に関わらず、私を好きでいてくれると思っていました」
「それは……」
記憶があってほしいとは思う。だが、そんなの、関係なかった。マナは、マナのままだったからだ。
でも、僕はしきりにそれを否定した。彼女なら理解してくれるだろうと。そんな都合のいい話、あるはずがない。言われないと分からないに決まっているのだ。
「──もし、私が、取り返しのつかないことをしていたと知ったら、あかりさんは、私をどう思いますか?」
「例えば?」
「──人殺し」
耳元でささやかれて、僕は動きを封じられたかのように硬直する。その声だけが、僕の心を支配していた。マナは、そんなことをするような人間じゃない。だが、冗談のようにも、聞こえなかった。
「やっぱり、嫌いになりますか?」
「ならない」
「嘘ですか?」
「嘘じゃない」
「殺した相手が、あかりさんだったとしても?」
僕には、その言葉の意味が、考えなくてもよく分かった。もしかしたら、マナは、全部分かっているのかもしれない。いや、期待しすぎは良くない。マナが全能の存在でないことは知っている。
──だから僕は、その質問に、すぐに答えられなかった。
「……どうして、私を選んでくれないんですか?」
その、泣きそうな声に、心が揺れた。ぐらぐらと、どこまでも、不安定で、簡単に、転がってしまいそうだった。
それでも、駄目だった。僕は、弱かったから。手を離して、流れに身を任せて、転がっていくことができなかった。
「どうして……っ!」
「マナは何も悪くないよ。悪いのは、いつも、僕の方なんだ。ごめん、マナ。──許してくれとは、言わないから」
痛いくらいに、マナは僕を抱きしめていた。ネコに噛まれるのなんて、比べ物にならないくらいに、ずっと、痛かった。
でも。肩に滲む涙の熱さが。耳を刺すような嗚咽が。彼女をこんなにも、悲しませてしまったことが。何よりも、痛くて、苦しかった。
それでも、今回も、マナを選ぶことは、僕にはできなかった。記憶がないとはいえ、同じ悲しみを、二度もマナに与えてしまった。
「──どうか、僕を、嫌いになって」
いっそ、僕との記憶がないまま、僕のことを忘れて生きる方が、彼女にとっては楽だろうに。それができないなら、嫌いになって、拒絶してくれれば、それで済む話だろうに。だから僕は、直接彼女に思いを伝えなかった。
マナは何も言わなかった。