4-20 怒りをぶつけたい
「今あるものを失ってまで、やる価値があるかどうかは、考えた方がいいと思う。一度、失ったものを手に入れることは、難しいから」
「……そうだね。その通りだよ。本当に」
よく知りもしない彼の言葉が、心に深く刺さった。不思議と、ハイガルの言葉はすんなり頭に入ってくるのだ。
「それで、実際、王女のことはどう思ってるんだ?」
「え? 何、急に?」
「なんだ、そんなに好きじゃないのか? 隣の部屋からは、絶えず、マナ様愛してるだとか、大好きだとか、耳たぶの曲線まで可愛いとか、存在が黄金比とか、あなたの細胞の一つになりたいとか、発狂する声が──」
「いや、好きだけど? めちゃくちゃ好きだけど? 死ぬほど愛してますけどー? はー? ギルデなんかに負けるわけないじゃん? ねえ?」
僕はギルデが将来、薄毛になるよう、心の底から祈った。すると、ハイガルは満足そうに笑いながら頷き、立ち上がった。
「俺は、何も聞かなかったことにする。ルジもギルデも、まなさんも、王女も、何も聞いていない」
「え? ちょっと待って」
僕はとっさに魔力探知を発動させる。ギルデは、よく見ると狸寝入りだ。ルジさんに至っては堂々と聞いていたし、階段の方からまなちゃんらしき足音も聞こえる。そして、玄関の前には、マナらしき気配があった。
──僕が話すのを待っていたらしい。
「……ハイガルくん、いつから知ってたの?」
「何のことやら」
「僕、もう君を信じないからね!?」
「それは光栄なことだな」
ハイガルという男は、僕が思っていたようないいやつじゃないらしい。最後に、皆を道連れにした。なんというやつだ。
「楽しかった。また話そう、あかり」
「君に話すことは何もないから!」
「ははは」
長い前髪を揺らして、ハイガルは笑いながら部屋へと戻った。僕は腹いせに、小さく肩を震わせているギルデへと、怒りをぶつける。
「てか、何? 耳たぶの曲線とか、細胞の一つとか、ほんと引くんだけど、マジ変態じゃん」
「う、うるさい! だいたい、君だって、昔、地面になって踏まれたいとか、一生匂い嗅いでたいとか、脇ぺろぺろしたいとか、言ってたじゃないか! うへー、きっもちわるい」
「き、記憶にないから、言ってないですー。そもそも、君はマナを見すぎなんだよ。減ったらどうするの? ねえ?」
「僕はちゃんと許可を取っているんだ! だいたい、お前の方がマナ様に近づきすぎなんだよ! 昔はともかく、今はただの元カレ。つまり、ただの他人じゃないか!」
「……はぁー?」
「なんだ、やるのか?」
「調子に乗るのも大概にしなよ!?」
「ちょっと、やめなさいよ──」
そうして、まなちゃんは眉間のシワを揉みながら、階段を降りてきた。そして、こう言った。
「マナに一番愛されてるのは、あたしに決まってるでしょ?」
僕たちは固まった。そして、何も言えなくなって、静かに席についた。
「冗談のつもりだったんだけど……」
まなちゃんには冗談のつもりでも、絶えずマナを見ている僕たちにとっては、大ダメージだ。事実すぎる。
そして、彼女は、何かを思い出したかのように、見るからに不機嫌そうな顔をして、
「あたしって、そんなに正論ばっか言ってる?」
「あー、いやー、うーん。そんなこともないかも?」
「嘘ね。許さないわ、あかり。陰口なんて最低ね」
「盗み聞きしてたのそっちじゃん!?」
「たまたま降りようと思ったら聞こえたのよ。たまたま、偶然ね」
「嘘だっ! てか、ルジさんも、いるなら言ってよ!」
「なんのこつばっち? わそお、言葉が分からんじゃけん」
「嘘つけ!」
「……あたし、宿題やらないと」
「僕も、今から板立ち上げないと」
「板って?」
「スレッドだよォ……! お前のあることないこと、仲間たちと共有して、こき下ろしてやる……ふへへへへ……ヒャーッハア!」
「ほんとにやめて!?」
ギルデもぶつぶつ呟きながら、部屋へと戻っていった。
「わそは、庭ね掃除じゃっけするばっり」
「あのやる気がないことで有名なルジさんが!?」
そして、ルジさんがドアを開けると、そこには、桃色の髪の毛の少女の姿があった。
「ぽっころー」
「……ぽっころです」
「中に入んなばす」
ルジさんに促されて、マナはロビーに入ってきた。そして、沈黙が訪れる。
「てか、また盗み聞きしてるよね!?」
さすがの僕でも、二度も同じ手にはかからない。僕はマナの手を取り、瞬間移動した。