餌付け
そこに横たわっていたのは、猫耳少女であった。
ボロボロの衣を纏っている少女だが、その肢体は何とも美しい。
絹のように滑らかな白い髪に、幼さを残しつつも確かに麗しさを内包した顔立ち。
それになんと言っても、頭と尻に生えるモノだ。
猫耳に、猫尻尾。
髪と同じ白色で、森の木漏れ日を浴びてきめ細かく輝く繊細な毛に覆われている。
見ただけでもふもふだと解る。
前の世界で獣と人間のハーフという概念を知った時、非常に好奇心を揺さぶられたものだ。
耳や尻尾の付け根の構造や、人との内臓の違いなどについて気になったものの、空想上の生物であるため手ずから解剖することは終ぞ叶わなかった。
しかし、この異世界ではそれが実現された。
そもそも、魔王からこの世界の種族について聞いた際、獣族という名前が出された時点から期待していたのだ。
それが、まさかこんな早く出会うことになるなんて。
獣族は大陸の右上、北東部に住んでいるという話だったが、恐らく遠く離れているだろうこの魔界へどうやって迷い込んだのか。
そもそも 、普通は魔族以外ここに留まることは出来ないハズなんだけど…こいつも特別なのだろうか?
ま、それはともかく。
早く城へ連れ帰って、おれの興味の赴くままに実験台となってもらうこととしよう。
そう考え、その獣娘を持ち上げようとした時。
奇妙な唸り声が鳴り響いた。
それは何処かで聞いたような、身体の奥底から発せられる音。
脳が、身体が、自分の全てが渇望を訴えるような響き。
……端的に言えば、腹の音である。
その獣娘は、相当腹を空かせているようだ。
ふと、完全に忘れかけていた自分の能力を使う。
相手の魔子容量と現在の保有魔子量を見ることができる、アレだ。
獣娘を注視すると、漠然とした魔子量のイメージが浮かび上がってくる。
なんだ、殆ど魔子が残ってないじゃないか。
思えば、スフィアナッダがこいつに魔法を使おうとした所をおれが邪魔したのだ。
ということは、こいつはあの神に追われていた身であり、魔子が限界まで消費されるほど逃げ回ってきたのだと予想される。
または、あの神の攻撃を防御するために魔子を消費したか。
どっちにせよ、こいつはまさに死ぬ直前だったということだ。
当然、今も命の危機にあるのは変わりない。
魔子も残っておらず、神から長時間逃げ回っただろうから体力も限界なハズだ。相当の飢餓状態にあると見た。
正直言って、生物はある程度エネルギーを保持している状態の方が解剖し甲斐がある。
だから、こいつには食べ物を与えてやりたい。
しかし、魔王城の中には食べ物らしい食べ物は無かったし…。
魔族は魔子さえ補給できれば食べ物を必要としないのだろう。
そういえば、魔族はまだ開いたことがないな。
魔王を開くのはなるべく避けたいし、となるとやはりこの森を抜けた先にあるという魔族の国に行きたい。
ま、それは後からどうとでもなるとして…今はこの獣娘だ。
猫と人間のハーフのようだし、肉食だろうが…この森じゃ生物が全く見られないから、どうしたものか。
…よし。
おれの肉をあげるとしよう。
こいつにこの状態のまま死なれるのは困る。
おれの肉であれば恐らく魔子を大量に含んでいるし、十分に栄養として機能するのではないだろうか。
問題は、どこをあげるかだな。
おれが死ぬような部位はもちろんダメだし、かと言って変な部分を選んでも良い栄養にはならない可能性がある。
いや、どこをあげても同じか?
分からん…人間の肉を食うことで得られる栄養素についてはあんま考えたことが無かった…,
そして、更に問題があることに今気づいた。
あげる部位を決めたとして、どうやって切除するか。
女神をやった時の「全身任意武器化」的な能力があればいいんだけど、生憎と石版は一枚も見つかっていない。
うーむ。
悩んでいると、獣娘が徐に言葉を発し始めた。
「に…………にく…………」
相当飢えているようだ。
獣族というくらいだし、殆ど肉だけ食べて暮らしているのだろう。
草食動物の獣族もいるか。
やはり獣族の国には行きたいな。絶対に面白い。
それはいいとして、肉を求めた獣娘の喋る様子を見て閃いた。
猫とは言え、歴とした肉食獣の一種。
牙が発達しているのだ。
指をその牙で噛み切らせて、食わせてやろう。
ただ懸念されるのが、神の攻撃すらまともに通さないこの身体を猫が噛んで切断出来るかどうか…。
ま、物は試しだ。
おれは獣娘の口に右手を添え、開けさせた。
立派な牙が生えている。
これなら、人間の指くらい簡単に噛み切れるだろう。
通常の人間のものなら。
頑張って食ってくれ、猫耳少女よ。
そう祈って、左手の小指と薬指を獣娘の口腔内へ差し込む。
「聞こえているなら、今おれがお前の口に突っ込んでいる指を噛み切れ。そのまま食ってみろ。腹には溜まらない量だが、魔子は回復するだろう」
そう声を掛ける。
すると、獣娘の猫耳がピクリと反応した。
口に差し込んだ指を、舌が舐める感覚がする。
意識はあるようだ。
次の瞬間、獣娘の口が勢いよく閉じられ、おれの指が挟まれた。
鋭い牙が指を傷つけ、血が溢れ出す。
良かった、傷つけることが出来るようだ。
これはおれの予想だが、自分が相手に身を委ねれば魔子による肉体の強化も幾分か低減されるんじゃなかろうか。
身体の機能を司る脳にも魔子が流れていて、それが自分の意思を反映して動くというのだから、意思によって全身の魔子が影響を受けることもおかしくは無い。
つまり、全身の魔子の強度、又は結合具合を弱めるという意思を持てば、それを受けて脳の魔子が動きを変化させ、実際に身体の強度を下げることが出来るというわけだ。
そんなこんなでこの猫耳少女でもおれの指を食えることが分かったわけだが、未だに噛み切れないでいる。
痛みについては問題ないのだが、血が流れすぎておれの方がバテてしまったら本末転倒だからな。
早めに食って欲しい。
「頑張れ。これを食えたらお前は生き残れる。ここで全力を尽くさなきゃ、逆に何も食えず死ぬぞ。生きたいなら食え」
そう言葉を浴びせると、噛む力が一気に強くなった。
ちゃんと言葉は理解出来るようだ。
獣族といっても、知能の高い奴らと獣に近い奴らが存在するハズだ。
こいつはそれなりに人間寄りの獣族で、獣族の中でもマトモな交流は保っているだろう。こいつと友好関係を作って獣の国とのコネとするのも良いかもしれん。
そんなこんな考えているうちに、ゴキンと鈍い音を立てておれの小指と薬指が噛みちぎられた。
骨の音か。
そんでもって、獣娘は一心不乱におれの指を咀嚼している。
ゴリッ、パキン、ボリッと硬いものを噛み砕くサウンドが無音の森に響く。
指の骨とはいえ、健康優良な男子の骨を噛み砕く顎の力は、さすが獣族というべきか。
それはそれとして、指を噛みちぎられたこちらの手の方では、驚くべきことが起きていた。
即座に血が止まったのに感心したのも束の間、なんと切断面から立ち上る魔子と同時に噛み取られた指が段々と再生し始めたのだ。
これにはさすがのおれもビビった。
肉体がこんな速度で作られていくのは初めて見たな。
たった数分放置してみれば、元の姿と何ら変わらぬ様子でおれの左手はそこにあった。
切断面から魔子が多く放出されていたのを見るに、やはりこれもおれの保有する莫大な魔子のお陰だろう。
全てのものの原点と言うだけあって、チョー万能だな魔子。
後でおれの身体についてもちゃんと調べてみたい。
と、手が完全に再生するまでの数分間おれの指を咀嚼し続けていた獣娘が、初めて違う動きを見せた。
立ち上がろうとしているのだ。
見れば、こいつの魔子量は半分程回復していた。
指二本でそれほど回復するとは、やはりおれの肉の魔子効率は凄いもんだなと一人で頷いていると。
コケた。
というか、立ち上がろうとしても力が足りず崩れ落ちている。
魔子が半分まで溜まっているというのに、まともに動けるようになる気配はない。
やはりというか、何となく察していたというか。
おれは今まで、魔子を分け与えたのはこいつ含めて二人。
魔子の分け方は違うものの、直接吸収させているという点じゃ大差無いだろう。
それを踏まえた上で、魔王に魔子を与えた時とこの獣娘に魔子を与えた時の違い。
魔王はおれから常時発せられる魔子を吸収して段々と魔子が回復していったが、この獣娘は指を食って一気に50%まで回復した。
それにも関わらず、パフォーマンスは魔王の方が上だ。
魔王が効率良く魔子を使えているという考え方もあるが、それよりももっと根本的な違いが原因だとおれは考える。
それは、魔族の性質だ。
魔族は、魔子を持ってさえすればその身体=魔体を健康に保つことが出来る。
つまり、活動の為のエネルギーとして魔子が大部分を占めている、どころか魔子が栄養そのものなのだ。
一方、この獣娘や魔族以外は、恐らく魔子だけじゃ活動出来ない。
というか、普通に考えてそれが当然である。
魔族の方がおかしいのだ。
おれがこの世界に来てから出会ったのは、まだその生態についてあまり分かっていない神と、特殊な性質を持つ魔体で生活する魔族(魔王)だけ。
そのため考えが至らなかったが、この獣娘を回復させるためには魔子の供給だけでなく食べ物も必要になってくるのだ。
しかし…
「魔王城には食べ物が無く、魔族の国へは森を抜けなきゃないし、もしかしたら魔族全員食べ物を持ってない可能性もある…とな。なかなか難しいな」
「…………さっきの、にく、もっと」
「お?」
獣娘を満腹にさせるために思考錯誤していると、立とうと試みるも結局力尽きて横たわっていたそいつが、何やら喋った。
どうやら死にかけの猫耳少女は、おれの肉をご所望らしい。
「つっても、切断する方法がなー…」
おれの肉体は再生することが分かったので腕とか切断して食べさせてやりたいが、如何せん切る方法が無い。
そこらに生えてる木を削って鋭利にすればワンチャンあるか。
いや、木を削る方法があればそれで腕を切るわ。
「……………ここ、……まおうの……、ぅ」
獣娘が何か言ってパタリと脱力した。
死んだ!?と焦ったが、どうやら眠りについたらしい。
飢餓状態で腹に肉が入ったのだし、眠くもなるか。
魔子の消耗具合的にも、相当疲労していただろうし。
ただ、寝る直前に魔王と口走っていた。
それで気づいたが、魔王という程のモンなら切断系魔法の一つや二つ持っているんじゃないか?
そうだな。
あいつは嫌がりそうだが、おれの腕をあいつに切断してもらえるなら幾らでもこいつに食わせてやれる。
よくやったぞ、ケモっ娘。
そんなわけで、ぐったりと地べたに横たわる獣娘を抱き上げ、魔王城へ帰宅することにした。
指を噛みちぎられた友雄ですが、ちゃんと痛みは感じてます。
ただし、そもそも人よりも痛みが少ないのと、痛みを感じてもあまり気にしないということから、本文中では全く触れられていません。