正月休みに御薦めの落語三選
本エッセイは、2021年1月1日に執筆・投稿致しました。
【枕】 古典落語にみる、江戸っ子達の年末年始
皆様、新年明けましておめでとう御座います。
お正月と言えば、新春恒例のお笑い番組や演芸番組で御座いますね。
そこで今回のエッセイでは、お正月にオススメの古典落語を三席御紹介したいと思います。
年末年始の慌ただしい時期を描いた噺もあれば、大晦日から元旦に切り替わるその時がハイライトな噺もあり、正月の恒例行事をテーマにした噺だって御座います。
どの噺も、正月ムード満点の季節感ある一席となっておりますよ。
【前座】 「初天神」
〈あらすじ〉
やたらと理屈っぽくて鼻持ちならない息子を、買い物ねだらない事を条件に初天神へ連れ出した父親。
息子の理屈っぽさに翻弄される父親でしたが、この父親には子供臭い所が残っている人なのでした。
みたらし団子を買えば、蜜を舐め切り、真っ白になった団子を蜜の壺へ二度漬けしてしまう。
凧を買えば、息子に買い与えたはずの凧に自分が夢中になってしまう
こんな具合に息子以上に子供っぽい所を露呈させてしまった父親は、ついには息子に「こんな親父なら、初天神に連れて行かなきゃ良かった…」と言われてしまう始末…
どこか子供っぽい父親と、口達者で理屈っぽい息子。
そんなデコボコ父子の遣り取りの楽しい一席です。
特に、息子の悪知恵と機転が面白いんですよ。
要求を通すために父親を誘拐犯に仕立て上げたり、飴玉を飲み込んだので「(腹の中へ)落としたから、代わりの飴玉を買ってくれ。」と要求したり、こりゃ御父さんとしても扱いにくいだろうな…
そんな親子の絆とギャグのバランスの良さは、現代のファミリー系ギャグ漫画にも通じる物がありますね。
しかし、言い争ってはいても一緒に初天神に繰り出す辺り、父親も息子も相手の事を互いに憎からず感じているんでしょうね。
初天神の出店を冷やかしながら交わした遣り取りは、親子共通の思い出として深く刻まれた事と思います。
【二つ目】 「御慶」
〈あらすじ〉
主人公の八五郎は、富籤に入れ込む余りに商売が疎かになってしまった町人。
ついには年越しのお金も無い土壇場に追い込まれたのですが、八五郎には秘策がありました。
−鶴が梯子に降り立つ縁起の良い夢に従って、富籤で一発当てる。
無謀とも言える賭けに勝ち、富籤の賞金である八百両を得た八五郎の立場は一変。
それまで八五郎に小言ばかり浴びせていた妻は甲斐甲斐しくなり、家賃を滞納していた大家には数ヶ月分を気前良く纏め払い。
そして賞金で袴と裃を買い求めた八五郎は、ビシッと正装して新年を迎えようとするのでした。
しかし、いくら名家の旦那と見紛う程に正装しても、中身は町人の八五郎。
格式ある正月挨拶は覚えられず、辛うじて覚えた「御慶」を連呼したために、友人から鶏と間違えられる羽目に…
宝クジの高額当選は、誰もが一度は夢見た事でしょう。
それは古典落語の時代である江戸時代の庶民達にとっても、永遠の憧れだったんですね。
そんな万人の憧れである高額当選によるリッチな生活をストレートに描いたのが、この一席です。
やはり富籤がキーアイテムである「水屋の富」では、せっかく当選した大金を盗まれてしまいましたが、こちらの「御慶」では当選金をちゃんと使えているので、庶民の願望に寄り添った形になっていると言えるでしょう。
しかし、持ち慣れない大金が転がり込んで金銭感覚が変わった事を大家に窘められたり、大旦那さながらに着飾っても教養が足りなくてボロが出たりと、良い事ばかりとは限らない辺りが憎めない所ですね。
また、富籤の一等当選金額は本来ならば千両なのですが、八五郎はその場での換金を求めたので二百両を手数料として引かれているんです。
何故なら、「富籤に当選した」という証拠を示さないと、奥さんから離縁されてしまうからなんですね。
千両もあれば後妻の成り手は幾らでも現れそうだというのに、当選金の目減りも厭わずに奥さんを引き止めるとは、八五郎も愛妻家ですね。
【真打】 「芝浜」
〈あらすじ〉
魚河岸が開くのを待っていた魚屋が拾ったのは、大金の入った財布でした。
大金が入ったのを良い事に、仕入れの予定を取り止めて帰宅し、友達を呼んで大宴会。
翌朝に目を覚ました魚屋は、昨日に拾った財布の事を奥さんに話すも、「昨日は魚河岸に行ってないから、それは夢だ。」と告げられてしまう。
お金もないのに大宴会で豪遊した事を悔やんだ魚屋は、一念発起して酒をやめ、商売に励んだのでした。
そうして改心した魚屋が事業を発展させた、数年後の大晦日。
奥さんは魚屋に真実を告げました。
魚屋が財布を拾ったのは、本当だったのです。
しかし拾ったお金を使ったら、夫は罪人になってしまう。
奥さんは夫が酔い潰れたのを幸い、財布を奉行所に届け、財布を拾った事を「夫が見た夢」として処理したのです。
件の財布は持ち主不明として奥さんに下げ渡されたのですが、せっかく商売に精を出している夫に大金を渡したら、また飲んだくれに戻る恐れがあるため、夫の商売が軌道に乗るまで黙っていたのでした…
妻から全てを聞いた夫は、自分を想うからこそ敢えて心を鬼にした妻の優しさに、深く感謝するのでした。
夫婦間の隠し事もなくなり、無事に年も明けた。
このめでたい席を祝うために、久しく断っていた酒を飲むよう勧める奥さん。
妻の言葉に甘えて酒を傾ける夫ですが、寸での所で取り止めます。
その理由は「(酒を飲んで寝落ちして)また夢になるといけない」から…
愛する人が身を持ち崩さないように敢えて心を鬼にする奥さんの優しさと、キチンと自分の非を悔いて商いに励む事が出来る夫の本質的な誠実さ。
そんな夫婦の長所が実を結んだ、心温まる人情噺です。
個人的には、先の「御慶」と併せて聴きたい一席ですね。
一攫千金を夢見るのも良いかも知れないけど、大金なんてそうそう道に落ちてはいないし、富籤も簡単には当たらない。
そんな不確かな物に縋るより、自分を支えてくれる人が側にいる有り難さを再認識して、コツコツと堅実に励んでいくのが、幸せへの確実な近道である。
この「芝浜」を聴くと、そう改めて実感しますね。
【サゲ】 二十一世紀に生きる私達と江戸っ子達の、新年における共通の願い
本エッセイでは、正月に纏わる落語を三席見比べてみました。
正月がテーマであるだけに、どの噺にも新年にピッタリな願いが込められていましたね。
高額当選による一攫千金に、堅実な事業の発展。
そして何より家内安全。
今回紹介致しました三席の落語に込められている願いは、現代の初詣でも定番の願い事ですね。
昔も今も人間の本質は変わらないし、その願いもまた変わらない。
だからこそ古典落語は、今日の私達の心にも強く響くのでしょうね。
※ こちらの素敵なFAは、黒森 冬炎様より頂きました。