93.心は折れないけれど
吹き荒ぶ氷嵐の中、レティシアは一人立ち尽くす。
大いなる自然を擬似的にその身に受ける彼女はここに来て、頭を冷やすことになった。
冷やされた嵐による寒さと紅の鎧に幾つもの氷塊がぶつかり、その度ガツンと殴られたかのような衝撃を受ける。
肌が刺すように痛い。
体がずっと鈍く痛い。
けれど、倒れていない。
これはチャンスだとレティシアは思う。
心の引っ掛かり。
そもそも彼女はツムギと旅に出るために里を出たのではない。
阿漕な商売をしている同業者の元に殴り込みに行った母を安全圏に連れ戻すために、レイナに引っ張られる形で里を出たに過ぎないのだ。
決して自分の意思ではない。
けれど、ここに立っているのは、母からの許可を得てツムギとの旅をすると決めた自分の意思だ。
なら、何を狼狽える必要があるだろうか。
共に母を助けてくれた。
里から連れ出してくれた。
ずっと私が振り向かせる立場じゃないか。
ーーー
「…驚いたな。」
シャルロットは魔法結晶に流す魔力を止める。
氷嵐は二つの魔法結晶に膨大な魔力を流すことで成立する魔法であるため、急激に魔力を消費したシャルロットの顔色は青ざめている。
けれど、レティシアは悠然と立っていた。
鎧の擦れる音。
レティシアは半身になり、刀を真っ直ぐと構える。
「…次は私の番ですね。」
右足を踏み込む。
ーーーオーガ固有魔法『身体強化』
一歩目からトップスピードで、シャルロットへ斬り込む。
先程まで吹き荒ぶ吹雪の中、氷塊を打ち付けられていた事などおくびにも出さず、吸い込まれるようにシャルロットの胴体を横凪ぎに打ち抜く。
激しく金属を打ち付ける音。
シャルロットはすんでのところで、槍を刀の軌道上に差し出すことが出来たが、構えるには至らず、踏ん張れないまま槍ごと、弾き飛ばされる。
シャルロットは空中で何とか体勢を建て直し、レティシアを見遣るが、当の彼女からは戦いの気配が無くなっていた。
レティシアの構える刀は中ほどでポキリと折れてしまっていた。
「そこまで。両者良くやった。とても見応えのある素晴らしい試合だった。」
イクリールが言うや、シャルロットとレティシアはそれぞれの陣営の元に帰っていく。
ツムギ達は思い思いにレティシアを迎える。
ーーー
「おかえり、レティ。頑張ったね。」
「…ツムギ…私、負けちゃいました。」
途切れ途切れの小さな声でレティは下唇を噛む。
「頑張らなきゃいけなかったのに、負けて…しまって…。」
するりと『紅血』が解け、レティの姿が露になり、体の至るところに氷嵐で追った怪我が見てとれる。
「レティ、おいで。」
「…行けません…。私、ツムギさんの期待に応えられませんでした。自分からシャルロットさんと戦うって言ったのに。」
ぼろぼろと涙を流すレティを僕は、拾い上げるように手を取り、抱き締める。
「頑張ったね。ずっと見てた。レティの葛藤も覚悟も全部見てた。」
「そんなとこまで、見なくて良いんです…でも、見てほしいです…。ツムギ…ツムギ。」
僕の名前を呼んで、そのままレティは眠ってしまった。
僕はそのまま彼女を抱き上げる。
「今回は仕方ない。」
「レティちゃん頑張ったですしねぇ。」
「レティちゃんを抱えたマスターちゃんをヴィルマちゃんが抱えるとかどうです?」
「却下よ。はぁ…で、ツムギくんこの後どうするの?」
「取り敢えず賢王様から話でもあるんじゃないかな。」
賢王ことイクリールさんの方を見ると、ちょうどこちらに向かってくるのが見えた。
物々しい鎧に身を包んだ集団の先頭に幼女が歩いているのはなんだかちぐはぐに見えて、可愛らしい。
「なんか不敬なことを考えておらんかったか?」
「滅相もない。」
「まぁよいわ。お主らの力の一端、見させて貰った。で、相談したいことがあったんじゃが…明日にするか。」
「相談したいこと…ですか?」
「うむ。まぁ端的に話すとお主らの力を借りたい、と言うことじゃな。詳しくはまた明日じゃ。」
言いたいことだけ言うと賢王は近衛兵を連れて、去っていってしまった。
彼女の仄めかす、僕らの力を使う場とは恐らく…。
ふと、思考が途切れる。
上空から声が聞こえたからだ。
「おねーたんどこなのー!」
「目隠したん、連れてきたのー!」
「…二人とも、あそこに…。」
先程までレティとシャルロットが立ち合いを行っていた場所へ飛び込むように、人影が転がり込む。
勢いそのままに一人は賢王の一団に、二人は僕らの方へと走ってくる。
「リヴと…クネム?」
「目隠したん、連れてきたの。」
「あぁ…ありがとう。」
そこで、はたと思い当たる。
クネムは今までどこに居たのだろう。
彼女だけはハウォルティアから連れ去られて来たわけではないのに。
「クネム、もしかしてずっと荷馬車に居たのか?」
「…うん。邪魔にならないように。」
フェリがクネムを引き寄せ抱き締める。
ライカが近寄り頭を撫でる。
「ごめんなさい。忘れていたわけではないのです。」
「…わかってる。荷馬車。スライムのお兄ちゃん達に合流する前に小屋に入った。」
「寂しかっただろ。ごめんよ。」
賢王が去った場所を見ると、リオネルさんやレフリオさんがまだ残っていたらしく、リヴと話をしているのが見える。
どうやらあちらの話も似たようなものだったらしく、リヴの言葉にリオネルさんの顔が真っ青になっている。
と言うのも、僕らは荷馬車の扱いをリオネルさんに一任していたのだ。
御者は宿で僕らの荷物の確認をした後、仮にも王と付く人物に会うのは恐れ多いと、引きこもってしまったからだ。
真っ青な顔のまま、リオネルさんはこちらに飛び込むように走ってくる。
「す、すまなかった!私のせいで…子供が一人、荷馬車に…。」
リオネルさんがクネムを見つけ、頭を下げる。
「すまなかった。私が荷馬車を確認しないばかりに。」
「…クネムも…寝てました。ごめんなさい。」
「いや、あなたが謝る必要などない。私に出来ることはなんでもしよう。」
「…なんでも?」
クネムが首をかしげる。
リオネルさんは真っ直ぐクネムを見つめ頷く。
「あぁなんでも。私に出来ることなら。」
クネムはくるりと僕の方を向く。
暫しの沈黙の後、リオネルに向き直り、近寄って耳元で何かを呟く。
リオネルは少しの驚きの後、頷き返答する。
「あなたが望むなら、私も尽力しよう。」
クネムとリオネルさんの密約は、どうやら僕が知ってはいけないものらしい。