92.所在ない目隠し幼女
レティシアとシャルロットが御前試合をしている最中、ツムギ達と一緒にハウォルティアに来た荷馬車にてガサゴソと動く一人の人影があった。
その人物は口数は少なく、ハウォルティアに帰る場所が無い人物である。
「…どうしよう。」
彼女の名前はクネム=バシリシカ。
前髪の長さと周囲の暗さにより解りづらいが、その瞳を目隠しにより覆っている。
彼女が乗っていた荷馬車は、ツムギ達がリオネルに任せた後、子供達を親元に返すためハウォルティアを練り歩いた。
細かい場所はわからないが、クネムがソフィアによって連れ去られた場所はハウォルティアではない。
なので、クネムはリオネルや他の子供達の邪魔にならないように、荷馬車の奥でおとなしくしていたのだ。
そのうちに眠ってしまい、荷馬車は宿の側にある小屋に格納され、クネムは取り残されてしまったのだ。
完全にリオネルの落ち度であるが、内乱の最中の来訪者であるツムギ達の扱いや、人間排斥派の処理、リヴ、マイン両名の監視失敗による焦り(シャルロットからの叱責)等、さまざまな要因により、荷馬車の確認を怠ったのである。
ここで思い出すべきは、ハウォルティアに到着した際、荷馬車に乗っていた子供達のうち、親との再会ではなく、身内からの逃走をしていた子供が同乗していたのだが…。
小屋で途方にくれるクネムは、ふと視界の端にこそこそと動く魔力があることを確認する。
二つの黄褐色の魔力は、複数ある荷馬車の中から迷う事無く、こちらへと近付いてくる。
「やっぱりいたの。」
「やっぱりおじたんは使い物にならないの。」
荷馬車の床板部からひょっこりと頭を出したのはリヴとマインである。
マインの物言いはリオネルが居れば、誰のせいだと口走ってしまうかもしれないが、クネムは多少知った声と魔力であることに安堵の息を漏らす。
「…どうしたの?」
「目隠したん。置いてかれたんでしょ?」
「目隠したん。おねーたんのとこ連れてく。」
彼女達の言うお姉さんと言うと、彼女達と同じような魔力色を持つ、快活な声の人の事だろう。
一緒に行けば、取り敢えず知っている人に会えるかもしれないと、彼女達に着いていくことにした。
ハウォルティアの景色は夜は一部のかがり火を除き、光はない。
リヴとマインは迷いの無い足取りで、町の中を闊歩する。
その後ろをクネムはちょこちょこと必死で追い掛ける。
慣れていない町で歩くのは、目隠しをしたクネムには少し難しい。
一応リヴやマインの魔力が見えるので、追い掛けることは出来るが、そもそもの歩幅が彼女達は大きく、外を歩くのが嬉しいのか時折、両手が羽ばたくので、なおのことクネムはハウォルティアを歩くのに苦労することになった。
様々な魔力色が見える中、一段と鮮やかな色を立ち上らせている樹の横を通り、もう一つの巨大な魔力色を放つ樹に入っていく。
通りすぎた樹は万障の樹、その横に鎮座するのは賢王樹である。
クネム自身はまさか自分がハウォルティアにおける、最重要人物の居住スペースに案内されているとはつゆとも思っていない。
「目隠したん、ここなら安心なの。」
「暖かくて、美味しいの。」
部屋はほわりと包まれるような暖かさと、優しい木の匂い、それと少しの花の匂いが空間に満たされていた。
「…ここは?」
「ここはリヴたん達とおねーたんのお部屋なの。」
「待ってたらおねーたん帰ってくるの。」
「…なぜ良くしてくれる?」
「おねーたんがいつも言ってるの。」
「味方は多い方がいいって。」
シャルロットの言う味方とは賢王を守る同胞の事であり、リヴやマインがここで言う味方とは、云わばいたずら仲間の事であるのだが。
そもそもハウォルティアにいる騎士の数は多くなく、町の周辺を哨戒する騎士等をかき集めても五十に満たないほどだ。
住民の殆どが林業や商業を生業とした者ばかりなのである。
先の人間排斥派がもしも町に入ってきていたなら少なくない被害が出ていたのは言うまでもない。
とは言え、樹林公国クレア近郊は亜人の多い土地柄、騎士でないものでも戦いの心得は持ち合わせているため、蹂躙される程には至らなかったであろうが。
さて、リヴとマインはクネムをシャルロットの部屋に連れ込むことにより、姉の驚く顔が見たかっただけなのではあるが、それはそれとして賢王樹の中が静かなのである。
不思議に思ったリヴはクネムを置いて、賢王樹を出ていってしまう。
また、マインも窓から外に出てしまい、またしてもクネムは一人取り残されることになった。
部屋の真ん中にぽつねんと座るクネム。
彼女は魔力を視るため多少の景色までは確認できるが、それがどの様なものであるか等の情報は教えてもらわないとわからない。
人からの優しさは嬉しく、強ばった心が緩く解されていくような感覚を受ける。
けれど、リヴやマイン、その他一緒に居た子供達は自由奔放で興味のまま近づいては離れていく。
そうなると、クネムの心は揺らされ、暗闇に落ちるように不安が広がっていくのである。
これなら一人で居た方が楽だと思うと同時に、一人の人物を思う。
「…スライムのお兄ちゃん。」
どうやら彼も魔力を視ることが出来るらしく、何度か魔力色に関しての話をしたのだ。
暖かそうな色をした人は割と感情的な人が多く、冷たそうな色をした人は理論的な人が多い。
お兄ちゃんの魔力色はキラキラと光る灰色。
銀色と言っても良いような色でとても綺麗だったのを思い出していた。
バタンと扉と窓の開く音が同時に響く。
聴こえる音に過剰なクネムは思わず、体をビクリと震わせるが、飛び込んできた彼女達には見えていない。
「わかったの!おねーたん、ぶとーじょうに居るの。」
「見つけたの!おねーたん、ぶとーじょうででっかいまほー出したの。」
『ぶとーじょう』は武道場、『まほー』は魔法…何かあったのだろうか、とクネムの鼓動は速くなる。
「目隠したん、行くの。」
「おねーたんに早く帰ってきてって言いに行くの。」
当初の予定もどこへやら。
リヴとマインはクネムを連れ込んだ話をシャルロットにしたいだけになっていた。
その中には姉の魔法が見たいと言う心もあるのだが。
クネムも別に拒否する材料は持ち合わせておらず、頷こうとした。
彼女らの言葉を聞くまでは。
「どうせなら空飛んでいくの。」
「ぶとーじょう遠いの。」
「…へ?」
次の瞬間、クネムは強靭な爪を持つリヴの足にガシリと掴まれた。
リヴ、マインの種族はハーピー。
雄々しい翼と強靭な鉤爪の付いた鳥の足を持つ、飛翔に特化した種族である。
「ひあぁぁぁ…。」
クネムのなけなしの声量で捻り出した悲鳴は、しかし闇夜に溶けていった。