71.紋章の獣
眼前に大きな扉。
歩いてきた道にはなにもなく、扉の正面に広場があるだけ。
まるで八階層のボス部屋の前のようだが、その規模は遥かに巨大。
ツムギら四人が横にならんでも端には届かず、全貌を見るために、首を痛めそうなくらいに見上げなければいけない。
そして扉に彫金されているのは。
「大きな…鳥?」
「燃えてますね。焼き鳥ですかねぇ。」
「ご主人様、フェリさん。これはフェニックスです。」
大きなフェニックスがどこかの縁に立ち、鎌首をもたげ、翼を広げている。
しかし、その姿に雄々しさはなく、どことなくくたびれた壮年の雰囲気を醸し出している。
吹けば消えそうな命の灯火を、彫金されたフェニックスからは感じた。
「フェニックスはラピスグラス王家の紋章獣。」
「紋章獣?」
「王家の守護獣とも言われてる。」
「ご主人様は魔王城で見てるはずです。」
ナツミの言葉を受けて、魔王城の事を思い出す。
確かにどこかで何か紋章のようなものを見たような気がする。
確かあれは…。
「マンティコアと戦った…」
「そうです!流石ご主人様です!」
そうだ、魔王城でドラゴンを見た。
あの時は確か、ナツミはドラゴンの事を『ラルス』と言っていたような。
「…お兄さん、マンティコアと戦ったってホントなんですかぁ?」
フェリはとても嫌そうな顔をしていた。
「あの悪辣な獣、よく相手にしましたね…。」
聞けば、フェリやアニスタさんは前のクランで一度、ギルドの討伐依頼を受けて、マンティコアと戦ったそうだ。
「思い出すのも嫌になる奴です。あいつ、人を旨そうに咀嚼するんです。あの時、フェリは後方支援と言う名目で戦線から外されていましたから、被害には合いませんでしたけど、それはそれは大事そうに、幸せそうに人を食べるのを見てしまいまして…。」
喰われなくて良かった。
思い出してフェリは腕をさすっている。
鳥肌でも出たのだろうか。
兎なのに鳥肌…。
「ご主人様を食べる事は出来なさそうですけどね。」
「中身は金属ですもんねぇ。」
確かにそうか。
喰われてたらどうなっていたんだろう。
「…このフェニックス、王家の紋章と形が違う。」
「形?」
「うん。紋章はもっと翼を広げてる。後、上向いてる。」
「なるほど。」
それなら紋章として、相応しい姿なんだろうな。
「また地上に戻ったら、見たいな。」
ふと、ソフィアは僕の両肩に手を添えて、
「戻ったら…ね。」
と、僕の耳元でそう言った。
吐息が少し耳にかかってくすぐったい。
僕をドキドキさせてどうするつもりだ。
「ソフィアさん!!何でいちいち、ご主人様にそんなに近いんですか!?」
「…ボクの勝手、だよ。」
悪戯っぽく、笑みを作るソフィアとぷくりと頬を膨らませるナツミ。
「んじゃ、フェリはお兄さんの腕、貰っちゃいましょうかねぇ。」
ぐいと左腕を引っ張られ、強引にフェリは腕を組む。
「んあぁ!フェリさんずるいです!あたしも!」
バタバタと駆け寄ってきて、右腕を組もうとするナツミだが、身長が足りないようだ。
「手で勘弁してくれないかな。」
「…んむむ、仕方ないですね。」
初めは渋ったが手を繋ぐと、ナツミは何だかんだ満足げにしてくれた。
ソフィアの方を見ると、尻尾がバタバタと貧乏揺すりのように動いている。
「どうしたの?」
「…なんでもない。」
何でもないにしては、機嫌が悪そうである。
「お兄さん。フェリ含め大変だと思いますけど、頑張って下さいねぇ。」
「特に地上に戻った後のレティさんですね。」
そういうフェリとナツミはニッと口角を上げ、してやったりといった感じだった。
「誰か、ちょっとは僕に答えを教えてくれても良いと思うんだけど。」
「ご主人様の弱点ですね。」
「じゃあボクからは教えられない。」
「フェリもですぅ。」
さっきまでいがみ合っていた気がするのに、突然息の合った返答。
…今は仲良ければそれでいいか。
そう思っておこう。
ボス戦の前にぐったりしつつ、扉を『魔眼』で改めて確認する。
最下層ならダンジョン内の魔力がこちらに流れて来ているはずだからである。
「やっぱり…。」
洞窟に充満する魔力の全てが、扉の奥へ向かってずっと続いている。
ドクンドクンと脈動する様は、まるで水を飲むかのように。
扉の隙間へ魔力が吸い込まれていく。
「何がやっぱりなんですぅ?」
「この扉の向こうに、魔力が流れていってるんだよ。」
「でも、開けないと進めない。」
女王蟻の所でも聞いた気がする。
そうなんだよ。
開けないと進めないんだ。
意を決して扉に近づくと、ふと気づく。
扉が熱を帯びている。
金属で作られた扉は高熱を発して、近寄ったボクの肌をジリジリと焦がす。
『金属支配』で、一本の触手を作り、扉を押し込む。
ギギギという音が、扉の前の空間に広がる。
開く扉の隙間から、流れ込む熱波はたじろいでしまう程の灼熱。
「ツム。ボク、あれはヤバいと思う。」
「あたしも…ソフィアさんと同意見です…。」
「これは…やばいですねぇ。」
ソフィアは扉の奥に広がる景色に絶句しているようだった。
僕はと言えば、『魔眼』により大量の魔力が扉を開けた瞬間に、まるで塞き止められていたダムが決壊したかのように、奥に流れていくのを視ていたため、実際の景色が見えずにいた。
「みんな絶句して、何がある…ん…だ?」
扉の奥は広く、多分、八階層の壁をすべて取っ払ったらこれくらいの広さになるのだろう。
横幅と奥行きだけでみれば、このダンジョン最大級だ。
そして、扉の手前から奥に向かって一本、真っ直ぐに道がある。
人が三人横並びで通れるくらいの幅。
整えられた地面ではあるが、周囲は崖のように切り立っている。
問題はその道以外だ。
見下ろせばゴポゴポと赤熱の液体が揺らめき、時折泡を浮かべる。
触れれば溶け、落ちれば消え去るだろう。
眼前に広がるのは溶岩。
中央の道以外、全てが溶岩であり、放つ光で部屋が照らされていたのだ。
「そりゃ奥がこれじゃ、扉は高温になるだろうよ。」
…この一本道の先に、何があるのだろうか。
願わくば、地上に戻れることを祈るが、扉の奥である。
なにもいないはずもなく、一本道を進んだ突き当たり。
それこそ女王蟻と戦ったときと同じような広場があった。
縁は変わらず切り立っており、下にはマグマの川が出来ている。
その中央。
止まり木に捕まっている一匹の真っ赤な鳥が、こちらを見つめていた。
頑張れレティ。