367.賢き王と呼ばれたとて
―――sideイクリール
魔王の代が変わった日の事を今でも覚えている。
ロガロナの王族であったカーム=ツィルフェルミナと自分を含む七人の部下がファスティトカロンを打倒した日。
わしより強かったはずの仲間の命の先に手に入れた勝利。
後衛だったニュクスと、先達に守られ運良く生き残ってしまった自分、そしてカームの三人以外は皆散った。
六十年程度で埋められる力量差ではない。
――わしだけではファスティトカロンを止められない。
「シャルロット。」
「――じぶんはいつでも行けます!」
「……お主は戻れ。避難を優先させろ。」
「何を――」
「迷ってる者を戦わせるわけにはいかん。」
迷ってる。
あのロッティが。
ハーピーの村の中でも群を抜いてやんちゃだった小娘が。
情によるものか、それとも。
「――あの小娘がもう色恋とは。子供が成長するのはとても早いのぅ。」
「なっ、何を言ってるんですか!?」
「ツムギの身体に攻撃したくないんじゃろ?わしに任せろ。」
「ですが、賢王様も手が……。」
「手?カカ、気にするでない。永く生きてると感情との折り合いの付け方も分かってくるもんじゃよ。……のぅファスティトカロン?」
ファスティトカロンは声をかけられると、分かりやすく作り笑顔を浮かべた。
喜怒哀楽のどれにも当てはまらないような顔。
あれだけ気弱で人間らしかったツムギと同じ身体だとはとても思えん。
「作り方も分からん笑顔なぞ見れたもんじゃないな。」
「そう?いっぱい見てきたし、上手く作れているはずなんだけどな。」
「……多く見すぎたんじゃろうよ。色々なものを。」
わしとシャルロットの会話を悠々と待つ程度に余裕があるのだと思うと尚、臆する。
魔槍『木紅器』を構える。
ちらりと石突きの方へと目をやると、そこにはエメラルドの輝きを称えた魔法結晶が嵌め込まれている。
ツムギが万象の樹から帰ってきた後の事が脳裏をよぎる。
ダンジョンの成果物の中でも特級と言っていい代物をああもポンと渡されてしまうと、頭を使った駆け引きに心力を注いできた自分としてはバカらしくなってしまう。
自分では魔法結晶に、ツムギが放った火柱ほどに魔力を注ぐことは出来ないが、それでも、アイツを打ち倒す程度の力は出るだろう。
出るはずだ。
「あくまで立ちはだかるんだね。」
「当たり前じゃ。これでもこやつの相談役じゃ。」
「んー?あぁなんかそんな記憶があるね。でも不思議だ。自分が慕っていた魔王を誅した男の仲間を守って命を落とすなんてね。」
「まだ、始まってすらおらんじゃろ!!一先ず喰らえ!『傲慢之恣意』!!!」
全身から急激に魔力を吸われる感覚と同時に、周囲の影に自分が広がっていくのを感じる。
魔王城でむやみに振り回していた頃よりも、より滑らかに地を這う感覚と、より鋭敏に空気中に根を伸ばす感覚を得る。
魔法は放つとそれで終わりだと思っていた。
けれど、魔力を多く必要とする『傲慢之恣意』に関しては、自身の魔力を大量に使うためか、熟練して来た頃に少しばかりではあるが自分の五感を共有出来るようになった。
森であるというのは影と樹木を操る者にとっては利点しかないはずなのだが、現状火柱のせいで樹木の影は自分たちから外向きの放射状に広がってしまっている。
故に倒れている人の影と、こちらまで長く伸びているツムギの影そのものを使う。
ここで殺さねば、魔物の王は七大都市の制圧だけには留まらず、恐らくその外にまで支配域を伸ばしてしまうことになる。
木紅器の刃を下から掬い上げるように振るう。
倒れた人の山。
その隙間という隙間からまっすぐと真っ黒な影で形作られた槍がツムギ目掛けて飛びかかる。
全身を隈無く穿つために。
相対するカロンも七本の触腕によりその影の槍を処理していく。
「これは……厄介だね。」
「まだまだ!」
影があればそこから槍を生み出せる。
槍を突き出せばそこには影が出来る。
注いだ魔力の分だけ広範囲に、倍々に影を広げることが出来る。
つまり、これからが真骨頂。
ふと、カロンと目があった気がした。
――――――すまん、ツムギ。
「感情との折り合い、ついてないみたいだね。」
それは一瞬とも言えないほどの小さな隙間。
躊躇ったわけでも、戸惑ったわけでもない。
ただそれだけなのに、カロンは自分の懐に潜り込んでいた。
片手には金褐色の魔法結晶が握られている。
腹部にチリリと痛みと痺れを感じ、次に燃え上がるような熱を感じる。
「……その、魔法結晶は――」
「『暴食之蝕甚』……残念だったね、イクリール=グライフセージ。」
「……全く……じゃな……。こうもうまく行かんものか。」
「賢王様っ!」
「来るなっ!……ごほ……。」
「大丈夫。君がそれを渡してくれれば、俺も大人しく去るからさ。」
「もし渡さなければ……ぁぐ――」
自身の腹部から背に掛けて貫いて伸びているのは鋭く尖った触腕。
ぐりと捻られ、思わず苦悶の声が漏れる。
そう言えば、ツムギと魔王城で最奥の主と共闘した最に、擬似的に『傲慢之恣意』を再現していた。
腹部に突き刺さったこれは、その応用と言えばいいだろうか。
そして、自分の知らない魔法結晶。
恐らく、クレアより後にツムギらが向かったフォッグノッカーの魔法結晶だろう。
ファスティトカロンの周辺に張り巡らしていたはずの影の感覚が不意に途切れた直後にはこの有り様だった。
「渡してくれないなら、このまま内臓でも引きずり出してしまおうかな。多少は魔力の補充も出来そうだしね。」
「あぐ……あぁぁぁぁ!!!」
「っ……止めろっ!!!」
「ここまでしないと君は動けないのかい?シャルロット=コールブランド。」
シャルロットには酷なことだろう。
心を寄せている男の身体を再起不能にしなければならないのだ。
それに些末なものではあるが、わしの命令もあった。
むしろ、動いたことそのものが大きな決断だったと言えるだろう。
しかし、それは悪手じゃ。
「……シャル……離れろ……。」
「ダメです!この都市が今、勇者も賢王も失ってしまったなら、建て直しは不可能になる!」
「あれを俺に渡してくれればこんなことにはならなかったんだけどね?」
戦争は駆け引きだ。
優先度で考えて不要なものを削ぎ落として、切り捨てて前へ進んでいく。
今回の場合は、わしと『樹影』の勇者を天秤にかけ、都市により影響力のある勇者を生かすべきである。
「リョウ……タロウを連れて下がれ!」
「何をする気?」
「――『傲慢之恣意:影牢獄』」
足場が崩れ、身体が沈んでいく。
自身とカロンが火柱に照らされ落とす影が揺らぐ。
端的に言うと『影に沈める』魔法である。
「……わしと……一緒に来て貰うぞ。」
「俺がさっきどうやって無数の影の槍から抜け出したか、見てなかったわけじゃないよね?」
「――それは……僕が……させない。」
弱々しく耳の鼓膜をかろうじて揺らす程度の声だった。
けれど、次の瞬間ツムギの手首ごと魔法結晶がゴトリと地面に落ちる。
「賢王……遅くなっ……た。」
返事を返す間もなく、影牢獄は閉口した。
更新遅くて申し訳ないです。
どこかでペースアップ出来ればいいのですが、私事が忙しく上手く時間を執筆出来ずにいます。
……歯がゆい。




