閑話15.隠密人狼は匍匐前進をしている
―――sideルガル
草原で発生した魔物であるミドルウルフの変異種にして、亜人と化した我々ウェアウルフにとって森の中は決して歩きやすいものではなかった。
不覚を取ったのは数刻前。
機械油の臭いが充満していた都市で出会った女が主を襲った直後である。
こんな森の中で、地中を掘り進むような化生がいるとは想定外であったのだ。
一にも二にもなく主従マーカーを追い掛け始めたのだが、その最中で不意にその繋がりが切れてしまったのだ。
主従契約は双方の同意による契約破棄か、主人の死により解除される、と聞いていた。
よもや主が死んだとは考えにくい。
なら、結論は一つである。
契約が『何者かによって切られた』のだ。
主を拐かした人物か、その協力者がいるのか。
定かではないが、主の危機に馳せ参じることが出来なくなれば、従者の名折れ。
「…………っ!?」
不意に全身の力が抜け、その場にくずおれてしまう。
同時に頭の奥が痺れるような嫌な感覚を得る。
『分身』も消えたらしく、レティシアのところも、クネムのところも視ることが出来ない。
原因が主従契約が切れたせいであることはすぐに理解が出来た。
出来たのだが、……これはまずい。
自身の話ではない。
リュカとライカからは何が起きているかが分からないのだ。
もしこの瞬間にも何かに出くわしていたとしたら?
逆に当人達に何も起きて無かったとしたら?
どちらにせよ不測の事態が連鎖的に起きるのは目に見えている。
何かに出くわしていたとするなら、俺のように力を失い危機に瀕する。
何も起きておらず、生活が平和であった場合、クレアに向かってくる可能性が高い。
前者であれば、直接命の危機であり、後者であればラピスグラス及びシェンブルでの作戦に影響が出る可能性もある。
どうしようもないことがぐるぐると頭を廻っていく。
そもそも主はどこへ連れていかれたのだろう。
現在地はバロメッツの村からややクレアに戻ったところになる。
主従契約を強制的に切ったということはおそらく俺の追跡も把握していた、と言うことだろう。
ずるずると力の入らない身体を引きずって、森の中を進んでいく。
まっすぐ進めば何かにぶつかるはずである。
――――――
――――
――
どれだけ進んだだろう。
森の中であることに加え、依然として全身に力が入らないためその進みは遅々としていた。
朦朧とする意識の最中、とある戦闘音が聞こえてくる。
目を凝らすとその音の出所では、鮮血を溢したかのような人影と、ゆらゆらと揺らめく人影が三つ。
「はぁ、いい加減にしておくんなんし。」
「ハァ……ハァ……なんなんだこいつ、全然俺の槍が通らねぇ。」
「くそ、あのちびっこいのを追いかけてるとこまではうまく進んでると思ってたのに。」
「まるでわちが悪いみたいな言い方をしんすなぁ。……好きいせんな。」
直後に空気が変わるのを感じる。
全身を包む悪寒に思わず息を呑む。
あれはまるで――
「勇者のよう……とでも言いたげでありんすね?」
「っ!?」
「安心しなんし。あんさんからはぬし様の匂いがしんす。」
――いつの間に。
いやそれより先ほど戦っていた男たちはどこに。
男達の声も聞き覚えがあった。
あれは確か、ローレン=リグレートだ。
アニスタの足を切り落とした主達にとっても因縁の男だ。
「お探しの殿方はこれらでありんすか?」
だらりと眼前にぶら下がっていたのは三つの玉。
一様に顎が開き、舌が零れている。
瞼も開いたままの事切れた生首を三つ、まるで荷物のようにぶら下げながら、真っ赤な服を纏った彼女は言葉を続ける。
「あぁ……そうでありんすか。あんさんがぬし様をずっと追いかけていた人でありんすね。」
「お前が、主との契約を……」
「切りんしたね。そうしなければ……わちとぬし様が……二人きりになれなかったでありんすから。」
「……?」
目の前の女性は突然顔を赤くさせる。
先ほどまでの殺気に満ち満ちた鬼神の如き様相からかけ離れた乙女っぷりについていけず、唖然としてしまった。
けれど、情報を整理すれば何となく理解出来た。
出来てしまった。
彼女は主の周りにいる女性たち同様に番いになろうとしているのだ。
そもそも魔物は『強い者』に惹かれる傾向がある。
取り分け、獣系の魔物はその傾向が強く出る。
何を『強さ』として捉えるかに関しては魔物の種ごとに異なるが、主に魔力が関係してくる。
そういう意味では主の魔力は他種族すら惹かれる程に膨大なものなのだろう。
けれど、膨大な魔力を持っているにも関わらず、それを十全に使いこなしているとは言いがたい。
「……?」
例えば、今しがた目の前の女性が放った殺気は固有魔法を使った際に漏れ出た魔力の余波だ。
『加虐』せんとする指向性が付いている故に、殺気としても機能していた。
けれど、主の魔法は漏れ出るほどのエネルギーを有する技を今まで感じたことが無い。
どれだけ大規模な魔法であっても、だ。
理由は単純だが『指向性が薄い』のだろう。
ダンジョン最奥の主に対しても、都市で戦闘を繰り広げた時にしても、敵であれ殺気と言うほどの敵意を抱けないのだ。
それは主の優しさであり、甘さである。
勿論、非情に撤することも出来るからこそ、殺すことは可能であるし、『迷宮者』という二つ名を得るほどの成果もあり、俺達も主として敬う事は出来ている。
ただ、目の前の女性ほどの人物が今後現れたら?
力業でも、技術を労しても敵わない相手と相対することになったなら。
「なんか失礼なことを考えておりんせんか?」
「……そんなことはない。それより、主を何処へ連れていった。」
「あら?行き違いでありんすか?ぬし様はわちをおいて、幼女のような少女と幼女のような女性に連れられてクレア方面へ散歩に行きんした。」
「……幼女と……幼女?」
「少女は銀色で、女性は緑色?で羽根が生えておりんした。……どこかで見たことがあるような?」
ぐるぐると回らぬ頭で思考を巡らせる。
純粋に考えれば、ナツミと賢王殿であろう。
その二人に連れられてクレアへ向かったのなら、一先ずは安心である。
が、必ずしも彼女らである確証はない。
「……あんさん、動けないのであれば、一度バロメッツの村に戻りなんし。誰かに面倒見させんすから。」
「そこまで、世話になるわけには。」
「気にする必要はありんせん。わちもあんさんを利用させて貰うって話でありんすからね。」
彼女は言いつつ指をパチンと成らすと、辺りの樹木からはズリズリと木の幹を何かが擦る音が聞こえてきた。
身構えようにも、力が入らない状態が続いているため、今来られれば成す術は無いだろう。
ガサガサと言う音の直後には、目の前に彼女の服と同じ真っ赤な色の果実から上半身を出したバロメッツが数人現れていた。
皆一様に頭を下げ、側の女性に敬意を現していた。
「あんさんを保護しておけば、ぬし様への手土産になりんすからね。――安心しなんし?わちは客をもてなす女え。」
ニッコリと作った彼女の笑みは、底が知れず心胆寒からしめるには十分なものだった。




