34.向かう準備で夜は更けて
王族国家ラピスグラス。
中央中立都市ソルカ=セドラから程近く、川を跨いだ先に位置している国家であり、勇者が唯一王族との和解を成功させた都市である。
近隣都市の鉱山から掘り出された宝石や貴金属等の加工、彫金が盛んな土地なのだという。
貴金属の加工が盛んなら、吸収と転写で荒稼ぎ出来そうだよなぁ。
財布すら持っていないので、懐を暖める準備もない僕が始めて降り立つ都市としてはうってつけかもしれない。
レティシア母失踪事件のあらましを聞いた後、ラピスグラスにとんぼ返りしようとするレイナさんを、暗いからと引き留め、朝一番に出発するために借りている自室へ戻り準備を進めた。
僕たちはレティシアさんの実家の一室で、寝泊まりさせてもらっているのと、着の身着のままなので、そもそも荷物が少ない。
まず、小刀『穿雷』。
護身用なのに、大事なときに所持していない気がするが、そこは仕方ない。
ハプニング全てに対応するのは難しいものだ。
それから、ナツミは腕輪になってもらい、僕に引っ付く形で、一緒に居てもらうと話をつけた。
離れられると僕がこちらの常識が無いため、困ると思ったからである。
ナツミに久しぶりの地上だし、動き回りたいだろうけど、降りても側に居て欲しいと伝えると、「もちろんです。一時も離れませんからね!」と念押しされてしまった。
もっと自由でいいんだよ。
コンコンと控えめなノックと共に、レティシアの声が聞こえてくる。
「ツムギさん。今、大丈夫ですか?」
返事をし、扉を開ける。
風呂に入ったのだろうか、おろした黒髪は真っ直ぐ地面へと流れている。
彼女が動く度、ふわりと石鹸のような優しい匂いが鼻腔をくすぐる。
服装もさっきまでの服装ではなく、ゆったりとしたワンピースを身に纏っていた。
昼間、凛とした雰囲気を纏っていたレティシアさんのリラックスした姿は、先程までと大きく異なっているため、ちょっと照れてしまう。
「あの、ですね。もし…よければ、私と一緒に、ラピスグラスに向かっていただけないかと、思いまして。」
瞼をキュッと閉じ、声は尻すぼみになっていく。
あれ?僕は一緒に行くつもりだったんだけど…
「大丈夫です!ただいまご主人様はラピスグラスへ向かう準備中です!」
「本当ですか!?」
すかさずナツミが返事を返す。
レティシアは思わず大きな声を出してしまったようで、口を押さえ縮こまってしまった。
「話を聞いて、素知らぬ顔は出来ないよ。レティシアさんのお母さんが危ないかもしれないなら、なおのことだ。出来ることは手伝うから。」
「…あ、ありがとうごさいます。」
何かを言おうと口を開くが、目を泳がせ、言葉を出さずに、口を閉じてしまう。
僕がついていかない選択肢もあったんだろう。
僕自身は失念していたけれど。
そもそも、あの時レイナさんに話を聞いてしまったのだ。放ってはおけない。
それに、レティシアさんのお母さんに会えたなら、レティシアさんを外の世界へ連れ出すきっかけを作れるかもしれないから。
「明日からもよろしく。」
「こちらこそ、よろしくお願いします!では、また明日。」
そう言ってレティシアさんは、部屋の奥に居たナツミに軽く手を振ってから、自室へ帰っていった。
お母さん…か。
自身の親を思い出す。
元気かなぁ。
帰れるのだろうか。
僕を召喚したのは三十年前、召喚が完了したのがついこの間。
どのタイミングで僕はあちらを離れ、こちらに来たのか。
もし、召喚されたタイミングで、僕があちらを離れていたとしたら、行方不明になってから三十年経っていることになる。
あまり想像出来るものではない。
でも、三十年と言えば。
「ナツミはこの世界で三十年前は生きていたんだよな。」
「そうですよ?今あたしは三十八歳です。こんなにピチピチなのに。」
ベッドの上でポーズを取る。
どこで覚えたんだそんなポーズ。
「ご主人様より年上ですよー。大人のお姉さんはどうですか?」
「僕にはまだ早いよ。」
「そんなことありませんよ。何時だって、何処だって瞬間で導火線に火は着くんですから!」
ムフンと鼻息荒く語るナツミ。
女性は精神が早熟なんだろうな。
ナツミが八歳で、僕が十七歳だから精神年齢的にはちょうど同じくらいだろうけどね。
ぼんやりとナツミが大きくなったら手に負えなさそうだなと思いながら、ベッドに横になる。
ふわりと良い香りに包まれて、僕は眠りに落ちていった。
ーーー
ご主人様が眠ったのを見計らい、あたしはそろりと部屋を抜け出す。
先程レティシアさんは手を振っていました。
けれど、これは秘密の暗号。
『会合を開く』
スライムの体は便利です。
音もなく、隙間から部屋を抜け出し、風のような速さで目的地にたどり着く。
コンコンとノックをする。
中からは、がさごそと動く音。
「よく来てくださいました。こちらにどうぞ。」
所謂ガールズトークです。
ときめきます。
そしてご主人様には内緒、というところが少し悪いことをしている感じで最高なのです。
「…私は解ってしまいました。自分の気持ちを。」
あの吸血鬼を追い出した後でしょう。
「あの人と一緒に居たいと思っている、この気持ち。気づけばツェルフェルミナダンジョンで、私の全力を軽くあしらわれた時から意識はしていたのでしょう。」
そう、あたしは乙女の味方なのだ。
ご主人様は素敵な人です。
あたしが独り占め出来るとは思っていない。
素晴らしさをお裾分けする義務があたしにはあるのです。
ご主人様はどうしてか、愛情に対してはひどく鈍感な様子。
優しさをただ優しさと受け取って、満足してしまうようなので、あたしが悪い虫がつかないように、ケルベロスのように見張るのです。
レティシアさんは素晴らしい乙女です。
鍛えられた、しなやかな体からは健康的な美しさがあり、あたしと同じくらいの胸部はとても親近感が湧いています。
それになにより、しっとりとした黒いロングヘヤーが目を引きます。
気を抜くとつい撫でてしまいそうになるほどの魔性。
普段は邪魔にならないように、グッとひっつめているその髪が今、あたしの前で、レティシアさんが揺れる度にフワッと広がるのです。
肌も白すぎず健康的で、思わず手を伸ばしてしまう…はずです。
「そうだ、ナツミさん。私のこと、レティって呼んでください。ナツミさんが呼んでくれれば、ツムギさんだって私の事、レティって呼んでくれそうな気がするんです。」
「レティシアさん…いえ、レティさん。あたしを使って略称で呼んでもらおうだなんて…あたしを使うのですね。。」
「そ、そんなつもりはないんです。でも、数日一緒に居て、いきなり略称で呼んで欲しいと言ったら、積極的過ぎて引かれたりしませんか。」
俯いて、もじもじとしている。
「当たって砕ける事から始めましょう!」
「砕けるのは嫌なんですー!」
…ご主人様。
あたしもそのうち当たりに行きますからね!
砕けるかどうかはご主人様次第ですけど。