33.乙女心の夜空
夜。
上空から淡く降り注ぐ光は天空の星々を砕いて散りばめたかのようである。
実際、星の瞬きを受けた結晶が光を屈折させ、里全域を照らしている。
光を屈折させるたび、拡散してしまうため空の穴から遠くなればなるほど淡く淡く散ってしまうのだ。
僕は今空を眺めている。
隣…というには少し距離があるがレティシアさんもいる。
なぜ僕がレティシアさんと夜空を眺めることになったかと言うと、話は少し遡る。
ーーー
何事もなく勇者の国の兵士達を送り返せたようで、レティシアさんが戻ってきた。
戻ってきたのだが、何やら様子がおかしい。
まず目が合わない。
そして、話をしようとすると逃げられる。
何かやってしまっただろうか。
ヴァレリーの話とか、扉がない檻を叩き斬った話とか聞きたいんだけどな。
「ナツミは何か知ってる?」
「知らないけどなんとなくわかります!あたしも乙女ですから。」
…乙女心って難しい。
「ナツミになら、話してくれるかな。ちゃんと兵士を送り返せたのか、僕が作った檻を叩き斬ったみたいだけど、扉作らなくて申し訳なかったとかそこら辺の話を…って、なんでナツミも聞いてくれないの。」
「あたしはですね、乙女の味方なのです。」
いやご主人の味方もしてくれよ。
構わずナツミは話を続ける。
「乙女の味方とは、つまりご主人様の味方なのです。ご主人様はあたしの父上にも匹敵する素晴らしい方になると思っているのです。ですので、ご主人様と接することで乙女が乙女になってしまうのは致し方ありません。」
誉めてくれるのは嬉しいけど、そもそも会話できないのは困るんだよな。
どうしよう。
そもそも近づいたら離れるから声をかけることも出来ないし…。
「ナツミならどうやって近づく?」
「あたしなら…角に追い込みます!」
レティシアさんがビクリと肩を震わせる。
「逃げ場が無くなれば、逃げられません!ご主人様の勝ちです!」
勝ち負けじゃないんだよ。
「ほら、レティシアさんも臨戦態勢をとっていますよ!角に追い込みましょう!」
追い込むとか魚じゃないんだから。
後、レティシアさんお願いだから、家の中で鎧纏うの止めましょう。
呼吸も威嚇する猫のように荒くなっていて、怖いです。
ーーー
それから、取り敢えず距離を置こうという考えのもと外に出てきたのだけど、何故か震えていたレティシアさんが着いて来て今に至る。
「レティシアさん。そういえばこの家はレティシアさんのご実家だそうで。ありがとうごさいます。」
返事はない。
時折こちらをちらちら見てはいるが目が合うか合わないかのタイミングで顔を背けられる。
紅血で顔が隠れているから、そんな気がするだけかもしれない。
「きれいな景色ですね。抜けるような空とはまた違った美しさがあります。」
レティシアさんが何か喋ってくれたような気がして、そちらを向く。
紅の鎧がスルリとレティシアさんの中に返っていく。
「…私はこの空しか見たことがない。」
声はとても小さく、風の音に掻き消されそうなほどで、それでも寂しそうに呟いたそれは確かに僕の耳に届いていた。
「私はこの里から出たことがない。出ることも考えていなかった。魔王が居なくなってから、地上は人間で溢れ返り、オーガの血が混ざっている私に居場所はないと、両親から教えられて育ってきた。」
ヴァレリーの言ってたことも踏まえると、そもそも魔王は亜人や魔物の庇護を行っていた。
魔王の部屋にあった土地の資料等はそれらの把握や伝達に必要だったものなのだろう。
けれど魔王亡き後に、勇者達はそれぞれ大都市を乗っ取った。
魔王が居なくなったことと、勇者の反乱がどう繋がっているかはわからないけれど、七大都市全てとなると、散発的に大きな戦いがあったかもしれない。
それがすべて人間同士の戦いで、亜人や魔物が巻き込まれたのだとしたら、里から出しはしないだろうな。
「私はそれで良いと思っていたんだ。そのうち母にかわって、里を治めて誰かと子を成して、ここで父と同じように骨を埋めるのだと。そう思っていた…つもりだった。」
レティシアさんがこちらを見つめている。
視線は熱を孕み、瞳は潤んでいるように感じる。
「………。」
手を伸ばせば届く距離。
けれど、淡く消えそうな光のように、彼女が消えてしまうかのような気がした。
「…ツムギさん。私、あなたと一緒に冒険者になりたい。あなたがこれから見るもの全て、私も知りたいです。でも…」
言い淀む。
二の句が継げないのはわかる。
彼女はこの里の領主の娘だ。
物流は彼女の母が一手に引き受ける敏腕なのだそうだ。
ここで幸せなのなら、わざわざ冒険者になる必要はない。
彼女が次の言葉を紡いでしまうと、彼女自身が里に縛られ続けることが分かってしまうからだ。
僕が今、ここで何かを言ったところで何かを変えられるわけではない。
力ずくで…なんてのはフィクションの中だけだ。
重い沈黙。
どちらが話すともなく、どれ程時間が経ったのだろうか。
数分も経たないだろうか。
がさごそと里の入り口がにわかに騒がしくなり、二人でそちらを見遣る。
ピシリとした服を着た人影がこちらに走ってくる。
焦っているようで、少し遠いところからレティシアに叫ぶように呼んでいる。
「………様…お嬢様!姫様!女王様が…!」
「レイナ?母がどうしたのですか!?」
「女王様が書き置きを置いて失踪いたしました。」
………え?
僕とレティシアはさっきから何度目だろうか、目を合わせる。
「どう言うことですか?」
「ですから、書き置きをーーー」
「そこじゃなく。なぜ失踪したのか。なぜ追いかけなかったのか。今、母を追いかけている者は居るんですか?」
「はい。なぜ失踪したかは書き置きにありました。こちらになります。」
それは小さく折り畳んだ紙。
魔王城にも本がいっぱいあったし、製紙技術が高い世界なんだな。
レティシアさんはそれを読むと、頭を抱えた。
「現在、伝達のために私だけが別行動を取り、他のものが女王様を捜索しております。」
このレイナと言う人物。
仕えている主が失踪したというのに、どうも落ち着いているような気がする。
「レティシアさん、書き置きには何が書いてあったんですか?」
聞くと彼女は無言のまま、紙を渡してきた。
ーーーーーーーーーー
ちょっと、人を訪ねます。
探さないでね。
追伸
取引の税を引き上げるとか言うから殴り込んできます。
もし、私が帰ってこなかったら、レティシアに今の業務を任せます。私の技能や技術はレイナから、レティシアに教えてあげてね。
ーーーーーーーーーー
これは…
「母が、頭に血が上って喧嘩を売りに行ったようです…。レイナ、母が向かった場所に心当たりはありますか?」
「はい。七大都市の一つ、王族国家ラピスグラスの商業地区になります。」
七大都市の一つ。
つまり勇者の治める都市の一つだ。
レイナさんは続ける。
「姫様。私と一緒に女王様を探しに下に降りて戴けませんでしょうか。」
「私が地上に…?」
レティシアの声色には、驚きと少しの喜びがあるように感じられた。
告白しちまえよ!ってなりました。
お母様も肝の据わった人物のようです。…ほんとに?