閑話1.勇者の憂鬱
夜のバルコニーを月が照らしている。
王城の一角。
手摺にはワイングラスが置かれている。
「あぁ、くそ。」
男はワインを煽りながら、何かを思い出したかのように、悪態をつく。
目付きは鋭く、眼光はギラギラと野心に溢れていた。
しかし、対比して顔はやつれ、疲れ果てているように見える。
まるで何十年も、ちゃんとした睡眠がとれていないかのような。
「おい。」
男が其とは無しに誰かを呼ぶと、バルコニーに人影が現れる。
「はい。」
闇に紛れる黒の装束を纏い、頭を垂れている。
「各国の様子は。」
「はい。勇者在中の各国は軍備を整えておりました。」
「それ以外の国は?」
「残念ながら魔王は何十年も前の話であります。相対した勇者が居ないため、動きが鈍く、進軍の足並みを揃えるのは難しいかと。」
「まぁ良いだろう。…で?」
「はい。我が国は先んじて、空中都市ロガロナへ向けて、潜入を開始しております。ですが…」
「飛行用の魔法結晶と結界通過の魔法結晶が足りないから、少人数しか潜入できていない…だろ。」
男は黒装束を睨み付ける。
黒装束は潜めていた息を詰め、冷や汗を流す。
「まぁ、いい。ロガロナを隅から隅まで探し、見つけ次第、必ず殺せ。」
ビリビリと漏れだす殺気は、寝ているものを起こし、起きているものの意識を遠ざける程である。
「し、承知しました。速やかに行動致します。」
黒装束は再び闇に紛れる。
気配が消えるまで目で追い、消えたところで視線をワイングラスへと戻す。
妄執に囚われることになった頃を思い出す。
他の勇者と結託し魔王の討伐を成した後、各国同士の戦争が始まった。
領土の拡大、資源の確保、宗教感の差。
人の思想が引っ掻き回され、生活をかき乱した。
各国で召喚された勇者は、各国の兵器となり戦争で遺憾なく力を発揮し、戦線を泥沼化させた。
強者と強者の戦いは、地形を変えるほどの力を持ち、一般兵を恐怖させるには十分だった。
次第に各国は疲弊し、形骸化した戦争は誰が何かをするでもなく収束した。
収束とは言っても、同盟等のようなハッキリしたものではなく、ただただ国力の低下により戦が出来なくなっただけなのだが。
そうなると浮き彫りになるのは勇者の存在。
あまりにも苛烈で、あまりにも強靭な勇者を人々は恐怖の対象に仕立て上げた。
迫り来る王家の刺客は疲弊した国としては最高の、それでも勇者には足元にも及ばない小物が、寄ってたかって襲い来る日々。
うんざりした。
各国の勇者は暗に連絡を取り合い、ひとつの計画を実行した。
王家簒奪。
勇者召喚を行えた七つの大国全てで、勇者が王となることになった。
ある勇者は力でもって制圧し、またある勇者は傀儡による中枢制圧を。
大国の頭のうち大半が勇者となったことで、対話を重ね、『七大国同盟』と相成ったことで戦争を明示的に終結。
終結後、男は提言した。
「魔王の召喚した勇者が現れる可能性がある。」
実際に魔王の口から聞いた勇者は二名。
『紅蓮』『土塊』の二名である。
特にこの男、紅蓮は魔王の召喚した勇者が、魔王の尖兵となり得る可能性を示唆していた。
されど、紅蓮の話を聞けば聞くほど、王となった勇者達は自衛の意思を固めていくのみだった。
「召喚時に30年も過ぎている状態で、魔王は勇者に対し何が出来ると言うのか。」
「魔王が召喚したことすら確証が得られない。」
「召喚されたところで、山を砕き、海を割るほどの力を持って戦争を終結させた我々にどう抵抗できると言うのか。」
と、言った具合だった。
紅蓮は自国に戻り、土塊に頼み、魔王城下町に転がっていた死体を加工し、一人の傀儡を作ってもらった。
その日以来、紅蓮は毎晩のように死体の目を借り、耳を借りながら、魔王城を探索し続けた。
平和を乱す不穏因子を消し去るため。
魔王の意思を継ぐ前に叩き潰すため。
異世界での自分の生活を守るために。
そして先日、紅蓮は遂に見つけた。
その男は線が細く、撫でれば折れそうだった。
こんなもののために俺は何十年も悪夢を見続けてきたのか。
脆弱な使い魔。
魔法も使えない。
目障りなハエの如くだった。
傀儡の体に繋いでいたパスを通し、魔力を流し込む。
何か悪あがきをしていたようだが、その男は臓物を撒き散らし地面に倒れ伏した。
そう、倒れ伏したはずだ。
なのに、それなのに!
なぜ、あの男は立ち上がったのだ。
直後にパスが切れた。
悪夢だ。
悪夢と言わずなんと言おうか。
男はこれから起こるかもしれない嫌な想像ごと、ワインを流し込む。
この数十年で勇者同士の対話も少なくなってしまった。
各々に防衛を固め、貿易を重ね、安定してきていたのだ。
辺境にまで手が届かないのは仕方のないことだ。
そも、辺境は魔王の土地だった。
同盟国の国力でもって叩き潰す。
それが出来る確信があった。
魔王の勇者を潰す。
そのために、各国へと使者を出した。
ついでに土塊には、傀儡の強度不足を指摘しておく。
「俺の平穏は俺が守る。何を持ってしても。」
30年間、肌身離さず持ち歩き続けた大剣。
バスタードソードと呼ばれる形のその大剣は銘を男と同じ『紅蓮』としている。
柄の頭、鍔の左右と中央の合計四つの箇所に魔法結晶が取り付けられている。
男は暗い気持ちを切り払うかのように、大剣を振るう。
一心不乱に。
大剣からは火の粉が舞い散り、見る人が見れば篝火の前で行う儀式のようにも見えような景色。
一通りの剣撃の型は30年続けられたルーティーンなのだろう。
一片の迷いもなく、ひたすら無心に、流麗に剣筋が流れていく。
男はやつれてはいるが、その姿はどう見ても二十歳を少し過ぎた程度の青年でしかなかった。
どう見ても、30年前の魔王討伐に向かった張本人とは思えない男。
彼こそ『紅蓮の勇者』として君臨する、七大国同盟が1つ、中央中立都市ソルカ・セドラの王、その人である。