なんど殺したって、蘇る妹。
最初に、邪魔だと思ったのは祖父だった。
妻に一足はやく先立たれた祖父は、祖国と王家に心から忠誠を誓うような、昔ながらの古風なひとで。
よく悪戯が見つかっては、俺は妹に庇われていた。
祖父は、柔軟に対処するということができない。
その実直さゆえ、俺自身が隠し持つタチの悪い性質を、見抜いていたのだろう。
だから殺した。
祖父がいれば、俺はいつまでもイイコでいなければならない。そんなの真っ平御免だった。
幸い、祖父を殺すこと自体はそこまで難しくもなかった。
ちょうど家の近くでハチの巣の残骸を見つけたのだ。
その一かけらを採り、祖父の寝室に放つ。
それだけで、以前にも一度蜂に刺されたという祖父はあっさりと死んだ。
これで、俺が多少の火遊びをしていても、咎める者は誰も居なくなったわけだ。
次に邪魔になったのは、従姉妹のケイティだった。
近所に住んでいた彼女はおとなしい妹とは違って、よく遊んでくれと俺の裾を掴んだ。それが俺は心底不快だった。
なぜ、せっかくの休憩時間をこんな奴に割かなければならないのか。剣を使った遊びならまだ楽しいものの、ケイティが好むものといったら、人形遊びかお絵描きだ。
しかし、俺の両親はケイティと遊んでやりなさいと言うばかりで、ちっとも俺の意見など聞き入れない。
邪魔だな。
だから殺した。
隠れんぼをしようと提案して、ケイティを井戸に突き落とした。目撃者は誰もいない。
あとは、幼かった俺が泣き喚いて近くの使用人に縋りつけば完璧だった。ケイティは事故死として処理された。祖父の時と同じ、不幸な事故だと。
おかげで、この日から俺の休憩時間は誰にも邪魔されなくなった。
それから、暫くは自重して誰も殺さなかった。
殺すほど邪魔だと思う奴もいなかったからだ。
そして、俺が12になった時。今度は家庭教師が邪魔になった。
ちょうどこの頃だ。使用人を含め周りの女たちの、俺を見る目が変わりだしたのは。
こちらを品定めするような、まとわりつく視線。
次期当主である俺の、妻とまでとはいかずとも愛人になろうという浅ましい魂胆が透けて見える。
その家庭教師とて、例に漏れなかった。よほど自身の身体に自信があるらしく、彼女は勉強を口実にしては俺の身体に悪戯した。
俺も俺で、拒みはしなかった。
肉感的な身体に対する興奮はあったし、単純に興味があったから。
けれど、終わってしまえばこんなものかという程度でしかなかった。これなら、妹のバイオリン演奏でも聴いていた方がマシだ。
そうこうする内に、徐々に家庭教師は図に乗るようになった。まるで恋人だとでもいうように。
他人の所有物なんて冗談じゃない。邪魔だ。
だから殺した。
あまり宜しくない界隈の連中にわざわざ金を出し、彼女を消してもらった。
なにも殺さなくてもと思うだろうが、彼女が子供がどうのと言ってきたからには仕方なかったのだ。
流石に、この歳で父親になる気なんてない。
これ以降、俺は色んな女と寝るようになった。
それからも、俺はどんどん人を殺した。
陰で俺の悪口を叩いていた使用人のビリー。
爵位は下のくせに、俺よりも人気者の学友ポール。
婚約者がいるからと俺の誘いを断った、恥知らずな女カトリーヌ。
邪魔者を排除するたび、俺は昏い快感に酔いしれた。
どいつもこいつも。屑ばかりだ。
外見上は偽善者ぶりながらも、俺の覇道の邪魔をする。
俺は、建国以来つづく由緒正しい大貴族の次期当主なのだ。そこらへんの平民や成り上がり貴族とは違う。
青い血の流れた俺は、生きているだけで敬われるような存在でなければならない。
その邪魔をするような奴は、全員消し去ってやる。
だから。
口喧しい叔母も、気弱な叔父も。
仕事人間な父も、愛人にかまけてばかりの母も。
みんな殺した。
貴族も使用人も。女も男も。
誰であろうと平等に殺した。躊躇うことなどない。罪悪感すら湧かない。
俺は、生まれついての人でなしなのだろう。
この頃には、とっくに俺が普通の人間ではない、異常な怪物なのだと理解していた。
それでも、俺は己の信念を曲げる気はなかった。
邪魔、だな。
そう思ったのは、何人目だろうか。
殺してきた屑のことなど、もはや思い出せもしない。
そもそも、そんなことはどうでもいい。
邪魔だから、殺す。
気に入らないから、殺す。ただそれだけ。
それだけのはずだった。
それだけの
なのに
「おはようございます、お兄さま。」
にこりと、儚い笑みを浮かべる彼女。
まるで生きているだけで苦しいというような、薄幸さ。
その今にも消えてしまいそうな風貌を、見間違えるはずもない。
それは正真正銘、俺の妹だった。
昨日、たしかに俺がこの手で殺したはずの。
「どうか、いたしましたの?」
薔薇色の、形のいい唇がかすかに開く。
なにか、返事をしなければ。そう思うのに、声が出ない。
妹の口から飛び出す、鈴を転がすような愛らしい声はいつも通りだった。いつも通り、俺へ家族として親愛の情を示すだけだった。
その奇妙な事実がさらに不気味さを増している。
「お兄さま?」
美しい翡翠の瞳が、俺を捉えた。
頑固な祖父から俺を庇うくらい優しくて。
鬱陶しいケイティとは真逆に大人しくて。
身の程知らずな家庭教師とは違い、空気が読める。
出来すぎていると言えるほど、よくできた我が妹。
誰より、よく見知っているはずの。
俺のいもうと。
それなのに、そのはずなのに。
今、目の前で笑っている女はまるで別物に思えた。
「顔が真っ青ですわ。どこか痛いところでもおありになって?」
「い、いや。大丈夫さ、気にしないでくれ。」
あれは、夢だったのだろうか。
昨日、たしかに俺は妹のか細い首をへし折った…はずなのに。
俺の手の中でもがき苦しみ、その大きな瞳に涙を溜め、口から泡を吹いて痙攣した妹を、たしかにこの目で見たはずなのに。
実際、あの時に暴れた妹に引っ掻かれたキズは、未だこの手首に健在する。無数の赤い線は、昨夜の出来事が夢ではなかったことを示していた。
だとしたら、いま、俺の目の前にいるこの女は。
妹の形をしたこの女は、なんなんだろうか。
「ほんとうに?無理はなさらないで、お兄さま。」
ぴとり。
久々に触れられた指に、思わず悲鳴をあげそうになった。
氷のように、冷たい体温。
とても人間のものとは思えない。
やはり、幽霊なのだろうか。自分は今、妹の怨霊にでも取り憑かれているのだろうか。
冷たい指は、シャツの上から手首を撫でた。ちょうど、あのミミズ腫れのような引っ掻きキズのある場所を。
「あぁ、あぁ。勿論だとも。全く、無理なんてしていないから。お前も気にしないでくれ。」
手を振り払ったのは、ほとんど無意識だ。
妹は、そんな慇懃無礼な態度を取られたにも関わらず、特に気に障った様子もない。
まるでいつも通り。
いつもと変わらない光景だった。
「差し出がましいことを言って、ごめんなさい。」
「いいんだ。でも、今日は少し公務が滞っていてね。済まないが、もう切り上げるよ。」
「まだ何も召し上がっていませんのに?」
「本当に忙しくてね。」
「いいえ、とんでもありません。お仕事、頑張ってくださいね。」
今はただ、一刻でも早くこの場から離れたい。
妹が、柳のような眉を下げて、たおやかに微笑む。
まるで、ほんとうの本当に何もなかったかのように。
事実、周りの使用人は誰も、なんの違和感も覚えてないだろう。ましてや、この妹が昨日殺されたなどとは決して。
ずきり、とキズが痛む。
ひょっとしたら。
ぜんぶ、自分の妄想だったのだろうか。
このキズは、自分が付けてしまったもので。昨日は何もなく、ベッドで眠った。自分は、妹に手を掛けていないのではないか。
そんな馬鹿げた発想さえ、湧いてくる。
だって、そうとしか説明がつかない。
「あぁ、お兄さま。行かれる前に、どうぞ、これを。」
「なんだい、これは。」
手渡されたのは、紺碧色のちいさな瓶だった。
蓋を開けて見れば、白いクリームが入っている。
ヌメヌメとしたそれは、陽の光を受けて不気味に光っている。
「塗り薬ですわ。腕のキズが、早くよくなりますようにと。」
にこり、女は笑う。
その薄幸そうな笑みも。溶けてしまいそうな肌も。
すべて今まで通り。何一つ変わってはいない。
あの時折った首さえ、元どおりだ。
だが、これは違う。
本能で分かった。昨日までの、俺が殺したはずの妹ではないと。そんなわけ、あるはずない。
ただの人間が蘇るなんてこと。
あっていいはずがないのだから。
「どうなさいましたの。やっぱり、顔色が悪いわ。」
「なん、でもない。」
ついに声が震える。
視界が悪い。端の方に霧がかかって、よく見えない。
チカチカと瞬く視界は、いつの日かに経験した貧血とよく似ていた。
一体、どうしたっていうんだ。
これまで、何人も殺してきたじゃないか。
まさか、これくらいのことで動じるなんて。
らしくない。
そう思うのに、心臓の動悸が止まらない。
今まで、邪魔だと思う対象はぜんぶ殺すことで排除してきた。でも、いま目の前にいるコレは、それが通じない。
殺せない。
その事実が、何より恐ろしい。
「ほんとうに、なにもございませんの?」
すぐ耳元で、声がする。
どうして。さっきまで、テーブルの向こう側にいたはずじゃ。
なのに、妹は当然の顔をして、俺のすぐ傍らにいるのだ。
おかしい。どう考えても、こんなのおかしいのに。使用人たちは、誰も何も言わない。
いつもと同じ、直立不動で控えている。
俺が倒れているのに、いつもとおなじ。
「なにか、怖い夢でもご覧になった?それとも、なにか良くないものでもご覧になったとか。」
心の底から、心配しているのだと。そう言いたげに、妹の形をしたナニカは、声色を曇らせる。
僅かにしかめられた額さえ、完璧だった。
どこからどう見ても、ただ単に兄を案ずる妹そのままだ。
「大丈夫。大丈夫だから、あっちへ行ってくれ。」
「お兄さま、でも震えていらっしゃるわ。せめて、その訳をお聞かせになって。具合が悪いなら、お医者さまを呼びますから。」
「違う、大丈夫だから。放っておいてくれ、頼むよ。」
「お兄さま。でも…」
「いいから!!」
思わず、床に拳を叩きつける。
その瞬間。全身を、悪寒が走った。
不気味なほど、静まり返った部屋。
なにも聞こえなかった。
振り子時計の音も、使用人たちの息遣いも。いつもは、窓の外から五月蝿く囀っている小鳥の声さえ、なにも。
ジッと床を睨みつける。
顔をあげるのが、恐ろしかった。見たら最後、あの怪物に襲われてしまうような予感がした。
だれか。
だれでもいいから。なにか、言ってくれ。
コツ コツ コツ
コツ
…
…
…コツ。
「おにぃさま。」
足が、目の前で止まる。
心なしか、ほっそりとしたそれは青白く輝いている。
いま、この化け物は。どんな顔をして、俺を見下ろしているんだろうか。
「そこの者に、部屋まで送らせますわ。」
「…ぁ、あ…あぁ…わかった。」
喘ぐように頷くと同時に、妹の影が遠のく。
身体中を覆っていた、不吉な冷気が消えていくのを感じた。動悸が、徐々におさまっていく。
…やはり、この女は化け物なのだ。
背筋にべったりと張り付くシャツが、気持ち悪い。
帰ったら、すぐに着替えなければ。
「肩にお手をお掛けください。部屋まで、お運び申し上げます。」
先ほどまで突っ立ていた使用人のひとりが、そそくさと前に出て肩を貸す。それを拒むほどの気力は残っていなかったし、なにより今はその申し出が有難かった。
尻餅をつくような醜態を晒さないよう、慎重に肩に手を回す。
そして、そのまま一歩二歩。
歩き始めてみるけれど、いまいち現実感がない。
まるで痺れた足で綱渡りでもしてるみたいだ。足裏に、地面の感触が全く伝わらない。
それでも、この息の詰まる部屋にいつづけるよりマシだ。
俺は、必死で歩き続けた。
一歩、一歩、また一歩。
扉まで、あと数センチだ。
あと、一歩。
ほんの一歩で、此処から抜け出せる。
「ひとつ、申し上げたいことがありますの。」
首筋に掛かる吐息に、ゾッとした。
誰もいなかった後ろに、いる。あの女が。
後ろから俺のクビを見つめて、立っている。
「あまり、そう怖がりなさらないで。」
俺の、妹。
いつも俺の一歩後ろを歩いて、困ったような笑みを浮かべていた俺の妹。
幼い頃から、不思議なくらい出来すぎた俺の妹。
俺が殺した、俺のいもうと。
…なら、今は?
今、目の前にいるコレは。
「だいじょうぶ。昨日のことなら、私、ちぃっとも気にしていませんから。」
まるで今日の天気を確認するような気軽さで、彼女はわらう。
細い指が俺の頸動脈を撫でた。皮膚に、長い爪が食いこんで、鈍い痛みがじわじわと広がっていく。
ちょうど、あの日。俺が妹を殺したときのように。
「だから、お兄さま。これまで通り仲良くいたしましょう。」
今までだって、あんなに協力して差し上げたでしょう?
俺は、何も言えなかった。




