魔法陣の本と不思議な少年。
外に出ると、まだ雨は降ってはいなかった。
厚く垂れ込めた雲は、重苦しい湿気を撒き散らしてはいたが、まだ降り出す力はないようだ。
ラースはホッとして、先を急ぐ。
雨に降られれば、本を借りたとしても濡らしてしまう危険性がある。そのような事にならないよう、一応の備えはして来たが、ゆったりと構えている余裕もない。昼食時間になれば、図書館の利用者も、現れるのではと思われた。
国の要である王城は、北を背に建っている。
王立図書館はその背の部分にある。広々とした敷地を誇り、外の芝生にはカフェテラスがあった。そのずっと先の西側には、ラースの母校である王立アムリル魔術学院が控えている。
図書館の建物の周りを守るように、銀杏の木が植えられていて、少しだけ黄色に色づいた部分が見えた。
どれがそうなのかはラースには分からないが、銀杏の他、コブシの木も植えられていて、春になれば真っ白い花が咲き誇り、辺りは夢の世界のように淡く儚げに白く輝く。
ラースはその風景が好きで、春先になれば人気のない時間を選んで来ることもあったが、今は秋のなり始め。
今はそのなりをひそめ、秋の彩りに染まり始めていた。
図書館は今、ラースが狙った通り人影はない。
ホッと安堵の溜め息をついて、ラースは図書館の入口の扉に立つ。歴史的な図書館だけあって、その扉も重厚な造りになっていた。
魔力を吸いとられる覚悟を決めて、ラースは重たい扉に手をかけ、力いっぱい引っ張った。
──ひやり……。
「……!」
フワリとした冷気を感じ、一瞬目を見張る。
……誰かいる!?
館内の魔力分配は、盗難と建物維持に重きをおくので、空調は二の次になる。そのため、その日初めて図書館に入る時は、ほとんど空調はきいていない。
けれど今日は違う。
これは誰かが先に、利用しているということである。
(まさか、倒れていないよな……?)
ラースは眉をしかめる。
騎士団による巡回は、まだ先だ。倒れているとなると、介抱しなくてはならない。
(……今日、本を借りるのは、無理か)
そんな風に思った。
ラースは気を取り直して、図書館の中央に設置された巨体な柱を見る。
利用者の魔力は、そこに集められるので、目を凝らせば何処から魔力を吸いとってるのかが、ひと目で分かる。
一度利用者の状況を確認してから、次の行動を考えようと、ラースは計画を立て直す。
(あそこか……)
一応の目星を付けて、壁際の螺旋階段を昇り始めた。
図書館は筒型の巨大な吹き抜けになっていて、本は全て壁の棚に所狭しと並んでいる。
所々にあるフロアに沿って、螺旋状の階段が伸びていて、ちょっと変わった造りだ。
フロアには机や椅子、ソファー等くつろげる空間になっているが、魔力を吸われ続けながら、くつろげる奴なんかいるものかと、学生の頃は誰もが悪態を付いていた……。
思い出しながら、ラースは懐かしく思う。
あの頃も、そんなに仲のいい者はいなくて、今と変わらずダリスと共に過ごしていたが、それはそれで楽しかった。
ダリスを中心に、それなりのグループが出来上がり、ラースはそのグループの中で少し浮きつつも、みんなと遊んだ。
誰が一番最初に、図書館のてっぺんまで登れるか……を競い合った事もある。
もちろん室内ではなく、室外からだ。所々に設置された窓に手をかけ、王城よりも遥かに高いこの図書館をみんなで登った。
《落ちれば大怪我だけでは、済まないのですよっ!》と、当時学園で教鞭を取っていたラースの母、クリスティーヌに見つかって、しこたま怒られた。
(見つからないはずは、ないのにね……)
思い出しても笑いが込み上げる。
結局、ラース以外、誰もてっぺんには辿りつけなかった。
一人見渡す図書館の屋根からの景色は、格別だった。
(……けれど、自分は一人なのだと実感してしまって、高さよりも孤独感が、怖かったんだっけ……)
そんな事まで思い出して、ラースは頭を振る。
(いやいや、今はそんな事はどうでもいい……)
今は図書館利用者の状況確認が、最優先である。
キリッと前を向くと、ラースは利用者がいると思われるフロアへ、足早に向かった。
三つ目のフロアに、問題の人はいた。
倒れてはいない。けれど……。
(え、……竜人?)
ラースは目を見張る。
確実に、人ではない存在が、そこにはいた。
ラースは、竜人を見たことがない。が、恐らく間違いないだろうと思う。
人とは違い、耳が長く尖っている。前に見た、エルフとはのソレとは形が違う。
耳の下の部分がコウモリの羽のように、ヒダがあった。
「……」
ラースは言葉をなくし、まじまじとその竜人を見る。
こんな人種は見たことも聞いたことがなかったが、今朝のダリスとの会話で猩緋国からの入国者がいると聞いていたから、特に疑問は湧かなかった。
年は十三、四歳と言ったところだろうか?
まだ幼い、子どもの風貌を残している。
漆黒の長い髪を飾り紐で束ね、左肩の前に垂らしている。
肌は褐色で、長い睫毛を伏せ、本を見ていた。少女だろうか? いや、少年のようである。線は細いが、それなりにガッシリとした体型をしていた。
「……あ、」
ラースが見ていることに気付き、相手が顔を上げる。
飾り紐に付いた鈴が、チリンと小さな音をたてた。
その時になって、見とれていた自分に気づいて、ラースは焦る。
咄嗟に、目線だけをずらしたが、もう遅い。
少年はハッと驚いた顔をしたが、直ぐにニッコリ笑い挨拶をしてくれた。
「おはようございます」
爽やかな可愛らしい、良く通る声だった。
言われてラースも、戸惑いながら言葉を返す。
「あ、あぁ、おはよう。……君は……その、大丈夫なの……?」
思わず質問をしてしまい、口に手を当てる。
(話しかけてしまった……)
人と関わりたくないと思っているのに、自分から話しかけている。
そんな自分に驚いた。
極力、人と関わらないようにするどころか、会わないようにもしていたラースなのだ。
見知らぬ人物に、こんなにも自然に話しかけた記憶は、生まれてこの方一度もない。
(どうしたというんだ。僕は……)
自分の行動に戸惑い、ひどく動揺する。
目の前の竜人は暫くキョトンとした様子だったが、すぐに意味が分かったようで、ふわりと可愛らしく微笑みながら答えを返してきた。
「あぁ、……大丈夫ですよ。俺、魔力量は多いから」
言われてラースは納得する。
(それもそうだよね、……おそらく彼は、竜人だろうし。魔力は当然、人より多いよね……)
と改めて思いつつ、ラースも言葉を返す。
「それなら良かった。でも、あまり長居しないように気を付けてね?」
にこりと微笑む。
「はい……!」
相手は嬉しそうに微笑み返してくれた。
「……」
こんなにも自然に、誰かに微笑むことが出来るなんて、自分ども知らなかった……。
ラースは妙なところで、新発見をする。
「ご心配してくださり、ありがとうございます」
目の前の人物は、こてりと首を傾け満面の笑顔でそう答えると、再び本に向かった。
澄んだアクアマリンのその瞳は、真剣に本を見ているが、褐色の長い耳は嬉しそうにパタパタと動いていた。
心配されたのが、よほど嬉しかったのかも知れない。
(……可愛い)
感情を素直に見せるその姿に、ラースは共感が持てた。
自分もこうであれば良いのに……とすら思う。
(人を見ると何故だか、警戒してしまうんだよね……)
はぁ、と溜め息をつきながら、そんな事を思う。
(それより本、……魔法陣の本は……と)
キョロキョロと、今日の目的の物を探した。
何はともあれ、倒れているわけではなかったから、本当に良かった。ホッと胸を撫で下ろす。
もしも倒れていたら、ひと騒動だったに違いない。ましてや竜人など、明らかにエルダナの人間ではない。何かあれば、国際問題に発展する……。
早いところ目的の本を見つけて、自分の部屋に戻ろう。ラースは、気持ちを切り替え、そう思った。
探している本は、丁度この辺りのようだ。
魔法関係の本がずらりと並んでいる。
「ええっと、……魔方陣……魔方陣っと……」
指で、本棚の本をなぞりながら、ラースは目的の本を探す。
けれど一通り見たのだが、見当たらない。
所々に抜き取られ、貸し出された形跡がある。これは困ったぞ、誰かが借りて行ったのかもしれない。
魔方陣の本は、利用頻度が高いものの一つなので、その可能性は大いにあった。
「うーん……」
さて、どうしたものか。
ラースは口元に手を当てて、暫し考えてる。
──ポポポポンッ!!
「!?」
いきなり後ろから派手な音が炸裂する。
ラースは身を強ばらせ、素早く後ろを振り向く!
思わず腰に下げた剣に手を乗せた。
「……あ、ごめんなさい」
すると、先ほどの少年が焦った顔でこちらを向いていた。
ラースが剣に手を伸ばしているのを見て、驚き、耳を伏せて震え始める。
「あ。ごめん、そんなつもりじゃない」
慌てて剣から手を離したが、よほど怖かったのか、少年の震えは止まらない。ブルブル震えて、今にも泣きそうだった。
「あー……大丈夫。大丈夫だから、何もしない……」
ラースが近づくと、少年はビクッと身を引き攣らせ、必死になって、テーブルの上のものを隠している。動きがなんだかおかしかった。
「あ。……あの、その……す、すみません。こんなに音が響くとは思わなかったもので……っ」
哀れなほどに垂れた長い耳が、ブルブルと震えている。
必死に隠そうとしている、そのテーブルの上を覗いて見ると、そこにちょこんと召喚獣が乗っていた。
「あ……」
思わず声が出る。
机の上には、魔法陣の本と、それから召喚獣。
それも、1、2、3、4……
「な……っ、六体!?」
召喚された魔物は、……六体。
絶句するラース。
「あ、あの……」
竜人の少年は、耳をこれでもかと言うほどに垂らして、小刻みに震えた。
あまりの恐怖に、両耳の耳端を持って、涙目になっている。どうすればいいのか、分からない様子だった。
流石に規格外のことを仕出かした自覚があるようで、言い訳を考えているのか、目が忙しなくさ迷った。瞬きをしたその瞬間、ぽたり……と涙がひとしずく少年の膝に落ち、すぐに消えていく。
「……」
ラースは目を見張る。
普通一般的に考えて、召喚獣は一度に六体も出すことは出来ない。
せいぜい二体……魔力が多い者でも、三体が限界である。
テーブルの召喚獣はどれも小型のものだが、小型だからと言って、魔力がいらないというわけでもない。
魔獣の力量によっては、大型のものより、小型のもののほうが魔力を使う場合だってある。
ましてやここは『危険』な図書館なのである。
召喚魔法陣の本を見たから……と言って、すぐに実行する者など未だかつていなかった。
確かに図書館内で、《召喚獣を出してはいけない》などという決まりはない。
不備があれば、その都度、図書館の中央にある振り子が、即時問題を排除する仕組みになっているのだから……。
「……」
ラースは少年を見る。
哀れな程に震えてはいるが、顔色はいい。
魔力枯渇に至る雰囲気すらない。
魔力を吸い上げる、この図書館にいながら、顔色一つ変えずに召喚してしまった。その上、騒いでしまい怒られる! ……そう怯えているその姿は、普通では考えれない。
魔力枯渇で倒れることなど、微塵も心配してはいなかったのだろう。
(一体どんな魔力量をしているんだ……)
ラースは言葉を失う。
呆れ返る意外に、何が出来ると言うのか……。
ちらりとラースは少年の読んでいた本を見た。召喚獣を出していると言うのならば、見ている本は魔法陣の本に違いなかった。
「……っ、」
ラースは少年に向き直り、コホンと咳払いを一つすると、おもむろに訊ねる。
「……ええっと、まず、君は何処の誰なのか、聞いてもいいかな?」
ラースは、言葉を慎重に探りながら、少年に語り掛ける。
人付き合いを極力避けていたものだから、こんな時にどう話せばいいのか、あまりよく分からない。
(ただ、……)
彼を逃がす訳にはいかない。
「……ああの、俺……」
何故なら、少年が今見ている本が、まさしくラースの探していたものだったからだ。
(それに……)
彼は、召喚が得意そうだ──。
ラースは目を細める。
(どうにかして、召喚のコツを聞き出せないだろうか……?)
そんな思いで、その時のラースは頭がいっぱいだったのである。
× × × つづく× × ×