玉子サンドと王立図書館
ダリスと別れたあと、ラースは自室に戻って、シャワーを浴びた。
高等部に当たる騎士養成学校は、王立アムリル魔術学院の付属機関になる。
希望者のみを集めた、十六歳から十八歳が通うこのガルディア騎士養成学校では、五、六人での相部屋が基本となり、集団行動をみっちりしごかれる。卒業し騎士となると、やっと個人の部屋が割り当てられる。
現在ラースは十九歳。今年から個人部屋が与えられていた。
それまでは先ほど一緒にいたダリスと、ほかに四名の騎士見習いと共に寝食を共にしていた。しかし、騎士見習いと言っても楽ではない。
この六名のうち、三人が途中で脱落し、一名が飛び級で騎士となった。順当に進んだのはダリスとラースだけだった。
室内は意外と過ごしやすく、キッチン、トイレ、風呂、寝室と個別に部屋がもうけられている。寝室からはベランダが張り出しており、洗濯物を乾かすことも出来る。室内は意外に広い。
(去年までの生活とは、全然違う……)
ラースは初日、そう思って、この快適な生活を喜んだが、直ぐに個室が割り当てられた意味が分かった。勤務形態が一人一人違うのだ。
以前のように五、六人部屋になると、寝ている者、仕事から帰ってくる者、食事をする者……と、部屋の中が騒然とするに違いない。
その状況を緩和する為の一人部屋ではあったが、他人と過ごすことが苦手なラースにとっては、ありがたい環境の変化だった。
今の時間は朝の六時過ぎ。
すっかり夜は明けているはずなのだが、天気が悪く、あまり明るくない。
日の出の頃は、結構晴れていたのだが、徐々に雲が立ち込めて来て、今すぐにでも雨が降り出してきそうなほど、雨雲が厚く垂れ込んでいる。
図書館へ行くなら、雨が降らないうちがいいな……と思いながらも、夜勤明けの眠気には、どうしても勝てそうになかった。
ひとまず、少し眠ってから行こう……。
ラースはそう思い、欠伸を一つする。
「……寝るには、最適か……」
甘いものは眠気が飛ぶ、とダリスは言ったが、そんなことはないようだ。
薄暗い光の中、ぽすっとベッドに倒れ込むと、ラースはそのまま夢の世界へと誘われ、三時間ほど眠りこけたのだった。
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「……うー……ん。良く寝た……」
ふわぁっと欠伸をすると、大きく伸びをする。
時計の針は、九時を過ぎたところだった。
たくさん眠った気がするが、意外にも時間は経っていなくて、ラースは得した気分になる。
あまり眠ってはいないが、疲れはない。気分よく起き上がった。
「あぁ、そうだった。……図書館か……」
ダリスに頼まれていた、魔法陣の本のことを思い出す。
考えるだけで、頭が痛かった。
王城内にある王立図書館は、はっきり言って『危険』な存在なのである。
何故、ダリスが本を借りるだけのことをラースに頼むのか。
……理由は至って簡単で、『危険』だからである。
王立図書館は、王城の北側に位置している。
特殊な構造をしており、建物の中央には、とてつもなく大きな柱が立っていた。
正確に言えば、それは柱ではなく、《振り子》。
建物を突き破るように、その振り子は吊り下げられていて、地震が起こった時に、衝撃を吸収してくれるらしい。
実際、過去に起きた大きな地震の時も、この建物は倒れることなく難を逃れている。
王都の中でも、最古の建物だというこの建物は、文化遺産にもなっていて、現代の設計技術にも、おおいに貢献している。
……しかし。
と、ラースは唸る。
「吸収するのが、衝撃だけじゃないんだよなー……」
うんざりとした顔で、ラースは朝食を作り始めた。
今日の朝食は、軽く玉子サンドにしよう。
そう思いながら、コトコトと茹で玉子をつくる。
茹でる玉子は新しい物より、ちょっと古い物の方がツルリと殻が剥けるので、古い玉子から使う。
茹で玉子をフォークで潰して、マヨネーズと塩コショウを振りかける。
ちなみに、マヨネーズは多めが好みだ。
ふんわりとした柔らかいパンに、カラシバターを塗って玉子とレタスを挟む。
ちなみにカラシはマスタードではない。猩緋国で作られているカラシ……と言うものが、玉子サンドには一番合っていると、ラースは思う。
皿に盛って、和え物にトマトとブロッコリー。それからオレンジを用意する。飲み物は冷たい牛乳をコップに注いだ。
「さてと、何時から行くかな」
玉子サンドにパクつきながら、今日のスケジュールを立てた。
王立図書館の造りは複雑だ。
誰が考え出したのか、全て魔力で制御されている。
そしてその魔力は、図書館利用者の魔力を吸い上げ、補われている。
……それは、どういうことか。
まず、図書館の柱……いや、振り子には、びっしりと魔方陣が組み込まれている。耐震だけでなく、蔵書を守るための仕掛けがされているのだ。
湿気、乾燥、温度、光。それから盗難。
そのありとあらゆる全てを、図書館利用者の魔力を吸い上げ、この振り子に吸収される事によって、補っているのだ。吸収された魔力は、柱に描かれた魔法陣へと供給され、実行される。
事実上、図書館の管理者を必要としないこの王立図書館は、開館も閉館もない。何時でも誰でも、利用出来る仕組みになっている。
つまり、空調、照明、受付を利用者のみで維持しているのだ。
(……誰が考えたのか知らないけれど、これで倒れる人が出るんだよな……)
ラースは、うんざりする。要は詰め込みすぎ……なのだ。
確かに、何時でも利用出来るなど、本好きには嬉しい限りなのだが、如何せん魔力を吸われる。下手をすると魔力の枯渇で、死に至る。
いくら本好きと言っても、魔力の枯渇で死にたくはない。
図書館の運営など、億劫がらずに、人を雇えばいいのだ。
その分就職率は上がり、図書館の利用者も助かるに違いない。
図書館が安全ならば、毎日でも来たいと思う者も中にはいるはずだし、国民の知識が向上すれば、国の発展にも繋がる。
けれど、なぜか国は動こうとはしない。
頻繁に利用出来ないこの図書館のことを、問題視している割には、なんの手立ても講じないのだ。
なにか、裏でもあるのだろうか……?
しかしどう考えても、答えなど出るわけもないし、図書館の運営方針に口出し出来るほど、ラースはこの国に貢献しているわけでもない。
結果、ブツブツ言いつつ、図書館を利用する羽目になる。
魔力量の多いラースには無縁の事なのだが、時々魔力を吸われすぎて、倒れた者を救済する、図書館巡回なるものも、新人騎士の仕事として、組み込まれている。
利用者の少ない時間帯に巡回し、魔力を吸われ過ぎて倒れた人の人命救助を行う。
特に気温が暑い夏や、冬場に多い。空調のために大きな魔力が必要になるからだと思われる。
今は秋になり始めてるから、それほど魔力は要らないだろうとは思うが、魔力量の少ないダリスにとっては、危険な場所に違いない。
新人騎士の仕事として設定されてはいるが、魔力量の多い者とのバディを組んで、行動するのが義務付けられているくらいだ。
……本当に困った図書館なのである。
どうしても図書館を利用しなければならない時は、たいていみんな、寄り集まって訪れる。そう出来ない場合は、利用する時間を考えなくてはならない。
平日の……みんなが仕事に出ていたり、学生が授業に出ている午前中は、利用者が少ないので特に注意が必要だ。
出来るだけ人の多い、昼食の後や午後に行くのが望ましい。
しかしラースにとって困った事は、何も図書館の仕組みだけではない。
図書館を利用しようとする学生たちも、苦手な存在の一つなのである。むしろ、魔力を吸われる事よりも、こちらの方が問題なのである。
ラースは、左耳に付けられたイヤーカフにそっと触れる。
王城の関係者は全て、このイヤーカフが付けられ所属が視覚的に明らかにされる。
ラースが付けているのは騎士用のもので、銀の彫刻が施されたイヤーカフからドロップ型の濃い緑色の石が下がっている。
色は階級を表し、濃淡は魔力量を表している。
ちなみに、薬師は金の装飾のみ。魔法師は騎士と同じ銀の装飾に帯状の飾りが付いている。
学生にとって騎士は憧れの職業でもあるので、イヤーカフを付けていると、それだけで、羨望の眼差しを向けられることが多い。
容姿の色合いで嫌悪されやすいラースではあるが、こと学生においては、それが通用しない。
未熟が故に、ラースの持つその色合いの意味が分からず、嫌悪感をあまり感じないのかも知れない。
しかしその事が喜ばしいことなのだとは、ラースにはとても思えない。
羨望の眼差しだけなら問題はないが、時として話しかけられたり付きまとわれたりする事があるのである。
一度などは、何故か帰ったら室内にいたこともあった。
ここまで来ると、もう犯罪である。鬱陶しいこと甚だしい。
(……いっそ、これが外れればいいのに……っ)
そう思って、何度、耳の階級章を取ろうとした事だろう?
薄い色素を持つ、この容姿ですら目立つのに、こんなものを付けていたら、自由すら奪われかねない。
職務中ならいざ知らず、休暇中ですら外せないとは聞いていない。ラースはギリギリと歯噛みするが、そんなモノ何の役にもたちはしない。
イヤーカフの階級章は、どんなに引っ張っても取れないし、壊れもしない。どんな仕組みになってるのか、ラースには不思議だった。
「仕方ない。朝のうちにサッさと済ませてしまおう……」
呟いて、テキパキと食事を済ませると、慌ただしく後片付けをする。その後、さっさと出かける準備を始めた。
今ならまだ、学生も大人も、学校や仕事に終われ、図書館の利用は少ないに違いない。
少なくとも昼食時間までには、頼まれた本を見つけ出し、この部屋へ戻ってきたい。
ラースは椅子に掛けた上着を掴むと、駆け足で外に出た。
× × × つづく× × ×