猩緋国からの客人
「そうだね。……もうすぐ、雨も降りそうだ」
城壁の欄干にもたれながら、ラースが生返事をする。遠くに見える黒い雲は、まだこちらには来ないようだったが、それも時間の問題のようだった。
ダリスは溜め息をつく。
「せっかくの休みなのにな、これじゃ、出掛けられない……」
訓練の一環とはいえ、ほぼ何も起こらないと分かっている寝ずの番は、さすがな堪える。
うーんと伸びをしつつ、早く代わりの新人騎士が来ないものかと、ダリスとラースは項垂れた。
ここ、東の城壁の外は、田園地帯が広がっている。
比較的肥沃な東の土地は、山から流れてくる湧き水が豊富で、主に稲作が盛んだ。
少しずつ秋の気配が漂う今、緑の稲穂はその色を変えつつあった。
「もうすぐ秋が来るな~……」
朝日に照らされ始めた、その稲穂を見ながら、ぼそりとダリスが言う。
言いながらにやりと笑い、横目でラースを見た。
「……そだね」
なんだか嫌な予感がして、ラースは軽く警戒しつつ答えた。
それとなく顔を背け、ダリスから視線を逸らす。
幼なじみのダリスは、何か思い付くたびに問題ごとを吹っ掛けてくる。
嬉しそうな含み笑いをしている時には、特に注意が必要だ。
何かあったとき、大抵その尻拭いをするのは、ラースの仕事となるのだから。
「なぁなぁ。秋になるとさ、本が読みたくならねえ……?」
わざわざ視線を外し、そっぽを向いているというのに、ダリスはめげずに話しかけてくる。
ニッコリと笑いラースを覗き見てくるが、決して目を合わせてはいけない。今までの経験上、その八割は、とんでもないことになる。
面倒事には極力関わりたくない。なんとか話をはぐらかさなければ……。ラースは、自分の白金色の髪を軽く撫でつけながら、考えた。さて、どう逃げたものか。
短く切りそろえられたその髪は、毛先に少しクセがあって、緩くカーブを描いている。
完全な金髪はどこにでもいるが、ラースのように薄い色合いの白金色の髪は、エルダナでは珍しい。
……珍しいと言うよりか、本来大人にもなれば、薄い色合いの金髪はその色を濃くし、金……もしくは茶色に変化するものである。
しかし、大人になった今でもその色をとどめ、日に透かせば銀色に輝くその髪は、ラースくらいしかいない。白金……と言うより、銀髪に近い。
その上夢を見ているような、淡い萌黄色のその瞳には、少し黄色と濃いオレンジが混在していて、時としてその目は金色に輝いた。
その薄い髪色と、様々な色が混在する萌黄色のその目は、エルダナに言い伝えられた、忌み嫌われる存在……魔族のソレを彷彿とさせ、その異様な量の魔力量と相まって、ラースは幼い頃から腫れ物に触るような扱いを受けてきた。
それをラースは、恨んでいるわけじゃない。
腫れ物……と言っても、両親や親戚は優しかった。ただ世間がラースに近寄れなかった……ただ、それだけだ。それゆえ友と呼べるのは、今、傍にいるこのダリスをおいて他にはいない。
ゆっくりと明るくなっていく朝日に照らされて、その白金髪は黄金色に輝いた。
「……」
ダリスの視線が痛い……。
このままずっと、無視し続けるのにも限界がある。
ラースは、考えに考えた結果、別の話を振ることにした。
(そう言えばこの前、同僚の騎士が噂話をしていたっけ)
ふと思い立って、ラースはダリスに話し掛ける。
「……なぁ、ダリス。それはいいとして、猩緋国って、あの山の向こう側になるんだろう?」
唐突に話をはぐらかしながら、田園地帯の向こうにある森の更に奥、切り立った崖の方向を指差す。
崖はかなりの大きさを誇り、容易に越えられないばかりか、まるで堅固な国境となっていた。
「《それはいい》ってどういう事だよ……」
ダリスは唸る。
話をはぐらかそうと頑張る理由も分かるけどね……。ダリスはニヤリと笑う。けれどその事に、ラースは気づかない。
何故なら、顔を背けているから……。
「まぁ、良いけどさ。えっと何? 猩緋国? ……なんでまたそんな話を……。あぁ、そうだよ。山の向こう……と言うより、山も既に猩緋国の領土だぞ? お前、本っ当に地理苦手だよな……? よくそれで騎士になろうと思ったもんだ……」
呆れ返りつつも、ダリスは言葉を続ける。
「その国が近くにあるから、俺たち騎士団は、この東の城壁を警備しているわけで……。一応、友好国だけどな。でも、何があるか分かんないだろ? で? その竜人の治める国がどうかしたのか?」
興味深そうな目を光らせ、ラースを覗き見る。
ラースは少しムッとしつつ、口を開く。
「……。別に知らなかったわけじゃない。どの道、あの切り立った山の近くに、民家などないだろ? それくらい知ってるさ。その猩緋国。……そこから、珍しく旅人が来たって話を聞いたんだけど……」
言いながら、ラースはダリスの反応を見る。
ダリスはキョトンとしながらも、答えてくれた。
「あ? 旅人? そんなヤツいたか……? ん? あ、いや、いたな。前任の魔法師長だったセウ=クルーガー様だろ?」
「前魔法師長?」
ラースの質問に、ダリスは嬉しそうに笑いながら、城壁の欄干に肘をつく。
首を軽く傾け、その手のひらに頭をもたせ掛けながら、魅惑的に微笑んだ。
「あぁ、そうさ」
ニヤリと意味ありげに笑った。
「……」
その姿は、意外にも女性に人気があるらしい。ラースも何度か、ダリスを影から覗き見る女の子の姿を見かけている。
(まぁ、……分からなくもないけど……)
と、ラースは思う。
知的に細められる鳶色の瞳が、同性であるラースでさえも、美しいと思う事がある。異性であるならば、《その目に見つめられたい!》などと思うのだろうか? 優しいその色合いに、誰もが虜になる。
(……まぁ僕は、ゴメンだけどね)
特に今はそうだ。
清々しい鳶色の瞳……と言うよりも、今のラースの目に映るダリスの瞳は、まとわりつくようなネバつく樹液色の目……そんなところだ……。
絶対に何かを企んでいる……! ラースの直感が、そう告げていた。
「……」
ラースはダリスに、そんな嫌悪感を悟られないように、目を逸らす。
そんなラースを見て、ダリスはくすりと笑うと、先を続けた。
「猩緋国からあまり人は来ないけれど、国交はあるんだ。クルーガー様は彼の国の皇帝族の魔法指南役として、あの国に滞在してたからな。最近、帰国したという話を俺も聞いたよ」
言いながら、猩緋国のある東の空を見る。
ゆっくりと朝日が登って来た。
辺りが淡く光り出す。
「魔法指南役……って、皇帝族なら、相手は竜人なんだろう? ただの人間に竜人の指南役が勤まるのか?」
ラースは解せない! と言ったように顔をしかめ、疑問をそのまま口にする。
竜人と言えば、言っては悪いが魔獣とさほど変わらない。人ならざる者だ。
人間も少なからず、魔力を持ってはいるのだが、竜人と比べれば赤子同然なのである。
エルダナの元魔法師長と言っても所詮は人の子。
他の国民に比べれば魔力量は多いかもしれないが、そこは推して知るべし……。
そんな人間が指南役などとは、変な話である。
「うーん。俺もよくは知らない。なんせ、指南役として出向いたのは二、三十年前かららしくって、実際に滞在し始めたのが十年前って話だった。二、三十年前っつったら、俺たち生まれてないしな。顔も知らない。……魔力を使えると言うんだからあれだろ? 驚くほど長〜い髭を垂らして、三角のとんがり帽子を被って手にはぐねぐねの魔法の杖を持っているんだぜ、きっと!」
言いながら、ダリスはカラカラと笑った。
「……いったい、いつの時代だよ……」
ラースは呆れて肩を窄めた。
しかしそのような長い間、竜人と共に過ごした《人》に、ラースは興味を覚える。
要は、その数十年前に時折、猩緋国へと出向いているうちに、向こうが気に入った……と言うことなのだろう。
そこから十年の滞在。只事ではない。
(……竜人に気に入られるなんて、いったいどんな人なんだ……?)
考えれば考えるほど、不思議でならない。
そもそも竜人が、人の国を統治し始めたのですら、ありえない事なのだと、ラースは学んだ。その上、人一人に執着するなど……。
手を口にあて、ラースが考え込んでいると、ダリスが興味深そうに覗き込んで来る。
「……で? なんでいきなり猩緋国なんだ?」
ダリスが尋ねる。
鳶色の瞳……いや、樹液のようにネバつく瞳がニヤリと輝く。
(……あれ? 地雷踏んだか……?)
話をはぐらかすために振った話が、まさかのヒット……? 嬉しそうに微笑むダリスの顔に、ラースの背中に悪寒が走る。
ゴクリと唾を飲み込み、おずおずと話を続けた。
「……あ、いや……。猩緋国から入国するなら、ここを通ったのかなと」
と、そのまま疑問を投げ掛けた。
ラース達の今いる東門からは、問題の国との国境が見える。
国境と言っても、森である。
そのナルサの森はかなり広大で、魔獣が多くいると言われ、誰も近づこうとはしない。
そして、その先には切り立った崖。
先ほど話した猩緋国の山々が、険しくも連なっている。
そもそも、あの山々やナルサの森は、ただの人や馬が通れる場所ではない。しかし問題の猩緋国は、この魔獣はこびるナルサの森の向こう側ときている。
例え無事に森を抜けられたとしても、あの断崖絶壁をどのように越えるというのだろう? いったい、どうやって向こうへ行くのか? または、こちらへ来るのか、ラースには分からなかった。
しかも猩緋国と陸続きなのは、このナルサの森を横断する経路しか存在しない。そこからの帰国ともなれば、必ずこの東門を通るしかない。他には道はないはずなのだ。
それなのに、
東の門をくぐった者は、いない。──
「……」
ラースは黙り込む。
東門を守るのは、森から来る魔獣の侵入と、猩緋国からの侵略を防ぐためだとラースは思っていた。
思っていたからこそ、警備に当らない非番の日ですら、ラースは向こうからの気配には極力気をつけていた。
それなのに、そんな気配には気づきもしなかった。
(僕が気づけなかった……?)
いや、絶対に誰も来なかったと断言できる。
もちろん新人騎士ではあるが、魔力量には自信があった。
コントロールがほとんど効かないため、攻撃に関しては全く役には立たないが、こと守りに関しては自信がある。
そんなラースの目を誤魔化すのは、例え竜人であったとしても難しいはずだ。
うーん。と唸るラースを面白そうに見ながら、ダリスが言う。
「お前さ、なんで自分が他国からの侵入に気づかなかったんだろう、とか、思ってんだろ?」
ダリスがくくくと笑う。
「お前、転移門のこと忘れてるだろ」
ダリスに言われて思い出す。
「あ」
(転移門……!?)
「おいおい、前魔法師長だぜ? 普通の道使うわけないだろ?」
「……」
そう言えば、転移門なるものがあったとラースは思う。
下っぱなので、お世話になることもないが、上位貴族ともなれば転移門など、当たり前に使っているはずだ。険しい道だろうが、数日数ヶ月かかる道のりだろうが、あっという間に目的地に到着する。
(なんて羨ましい……)
一度使ってみたいものだ……とラースは思う。
けれど、転移門は確か、王宮内にあり、厳重に管理されている。ただのヒヨっ子が使えるような代物ではない。
(……残念だ)
ラースの心を読み取ったかのように、ダリスがたたみかける。
とても嬉しそうだ。
「転移門ほど大事にしなくても、魔方陣を使えば俺たちだって、目的地にひとっ飛び出来るんだぜ! ……だからさぁ」
満面の笑顔のダリス。
嬉しそうな顔で、ラースと肩を組んだ。嫌な予感が的中する。
おそらく『魔方陣』が話の鍵だったのだろう。
……あぁ……これは多分、話を元に戻してしまったなと、ラースは諦め肩を落とした。
遠くから、代わりの新人騎士が現れたが、ラースは喜ぶことが出来なかった。
× × × つづく× × ×