エルダナ王国
分厚い雲の筋が、山々の向こうに低くたなびいた。
黒や灰色のその雲の間から、うっすらと黄色の光が見え始める。
黄色の光は上へゆくほどに青く、紺色に垂れ込み、未だ夜が明けきれていないことを教えてくれた。
「そろそろ、交代の時間かな?」
くせっ毛の薄茶色のその前髪を掻き上げて、ダリスが伸びをしながら呟いた。
ダリスとラースは、今年から城壁の警備に配属された、新米騎士だ。
他国からの侵略など、ほとんど……と言うより、まったくないこのエルダナでは、城壁の警備と言えば、新人騎士の仕事と決まっていた。
万が一の時に備え、当然控え室には熟練の騎士が詰めてはいるのだが、その騎士たちが活躍する場など、このエルダナの治世が始まって以来、一度もない。
ほとんどお飾りの警備兵……と言っても過言ではないのだが、しかしだからと言って、警備を手薄にする訳にはいかないのが痛いところだ。
現にここは王都。
王が住まう都なのだから……。
エルダナは、それほど大きな国ではない。馬に乗って、不眠不休で十日も走ればもしかしたら一回り出来るのではないかと思うほど、小さな国だ。
けれど気候が安定しているために、農作物の収穫は、他に類を見ないほどの潤いをもたらしてくれている。
それなのに他国からの侵略がないのは、広大なナルサの森を挟んで、隣国である猩緋国と繋がっているからである。
猩緋国──。
竜人の治めるこの国は、隣国エルダナと友好国を築いている。
エルダナに何かあれば、最大の魔力を秘めていると言われる竜人が、黙ってはいない。……そんなところだ。
だから未だかつて、エルダナを攻め取ろうと思う国は存在しなかった。
そして、そんな猩緋国との国境近くにある、エルダナ王国の王都には、魔力が全てであるこの世界では珍しく、人族の王が暮らしている。
エルフや竜人、魔獣などの住むこの世界において、ほぼ《人族》だけで建国されたこのエルダナ王国は、ほかに類を見ない、珍しい国であると言っても過言ではない。
純粋に人だけで住まう国など、魔族が暴れたあの《灰の時代》より後は、ほとんど消えてしまった。弱い人間など、魔族のいい餌食だったのである。
隣国の猩緋国も、ほぼ人族の国なのだが、治めているモノは違う。先ほども言ったが、猩緋国の皇帝は、人の姿をしていると言えども、巨大な魔力を秘めるという、あの竜人である。
《人の国》があの《灰の時代》を生き残るには、魔力を多く持つ、別種族の力が必要だった。混血として子孫を残す者。共存する者。
そして、支配される者──。
そんな中で猩緋国は、支配される者として竜人の力を借り、生き延びる道を選んだ。
本来竜人は、他を好まず、己の欲望に忠実である生き物だった。
当然、そんな生き物が国を統治するなど、誰の目にも疑わしく映り、結局は喰われてしまうのだろうと、人々は怯え慄いた。
けれどどうしたことか、竜人たちは、なんの揺るぎもなく、ただ一筋に猩緋国の民を守り抜いたのである。人々は我が目を疑った。
実際のところ、《竜人の支配下に置かれる》とは名ばかりで、強大な魔力を持つ竜人に甲斐甲斐しく守られることとなり、猩緋国の人々は《魔力を全く持たない特殊な人間たち》であったのにも関わらず、自由な生き方を許され、それなりに豊かな生活を送れることになったのである。
不思議なことに竜人は、国を統治する興味などコレっぽっちもなかった。
ただ一途に民を想い、民の幸せのためにその頂点に君臨する……。
自由を好む竜人が、なぜそんな束縛される権力を手に入れようと思ったのか?
それは、気の遠くなるような年月を経た今でも、誰にも分からない。
それは、竜人のみぞ知る確固たる《想い》──。
人が好き……というわけではないのにも関わらず、この不可解な行動を取った竜人は、隣国であるエルダナにもその援助の手を伸ばした。
侵略される……! と身構えたエルダナの民の心配は杞憂に終わり、今に至る。
しかし、いくら友好国の盟約を取り交わしてると言っても、エルダナは力なき《人族》。対する竜人は、生き物全ての頂点に立ちうる、強き存在なのである。
いついかなる時に、竜人たちの気が変わるともしれない。警戒してし過ぎる……という事はないのである。
そんなこんなで、訓練の一環として、この国境近くの城門を新人騎士たちに守らせている。既にこれは慣例となっていて、《新人騎士に砦を守らせる!?》などと非難めいた事を言う者は、ただの一人もいない。
そんなだから、この城壁を今まさに警護している二人の騎士に、危機感など微塵もない。
手摺りに肘をつきながら、ぼんやりとこの後の休暇の計画を立てていた。
この二人だけではない。
寝ずの番を任された新人騎士のテンションは、誰もが低い。
× × × つづく× × ×