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7月28日。
この前日、私は見えない向こうの状況を知りたいと思い、越境通学している生徒に聞き取り調査を実施するよう捜査本部に指示をした。こちらから向こうの様子を探れない以上、こちらに来ている人間に聞けば、何かわかるのではないかと思ったからだ。
越境通学している生徒は、現状鈴木町高校全体で32名いた。
今、私は学校の応接室にいる。聞き取り調査に立ち会うためだ。
捜査官が、越境通学している生徒に質問を投げかける。
「些細なことでも構わない。何か、向こうで今までとは違ったことが起きていたら教えてほしいんだ。どうだろう、何かないかな?」
「変わったことといわれましても・・・私は特に・・・」
今聞き取りをしている生徒は池上から通っている女子生徒だ。
「例えば、ご近所で見慣れない人がいたとか、見慣れない車が通っていたとか・・・」
その言葉を投げかけられたとき、一瞬目が泳いだのが私は気になった。しかし、すぐにその目の泳ぎはなくなり「いいえ、私の周りではとくに」と答えた。
別の生徒にも、同じ質問を投げかけた。そして、同じような目の動きをする。しかしみな返答は同じだった。
「なかなか、有力な情報は得られなさそうですね」
成山次官が私に声をかけてきた。
「そうね、ただ、何も知らないわけでもなさそうだったわね」
「というと?」
「みんな、目が泳ぐ瞬間があるのよ。だけど、知らないって答えるの。でも、核心に迫るようなことではないけど、何か違和感を感じていることは事実かもしれないわ。それをうまく引き出せないかしら」
なるほど、という表情をしながら成山次官が聞く。
「そうだ、木原が聞いてみたらどうだ?身分を明かして」
早川が私に提案をする。
「それはどうしてですか?早川さん」
「木原が行政長官でそれなりに力のある人間だと思えば、何か話すかもしれない。今聞き取りをしている捜査官より、頼りになりそうだし、仮に口止めされているようなことでももしかしたら話してくれるかもしれない」
「力を持っている人間に話したほうが得策と考え、何かを話してくれるかもしれない、ということですね?」
「なるほど。私が長官であることを明かしたほうが、むしろ得策なのかもしれないと?」
「ああ、そうだ」
「やってみましょうよ、長官」
早川の提案を受け、私は先ほどの池上から通っている女子生徒と、応接室で一対一で話を聞くことにした。
「はじめまして。知っているかわからないけど、私はこちらの政府の行政長官をやっている木原小乃美といいます。いわば、ここ神奈川のトップです。何か困っていることとか、さっき言いづらかったこととかで私が力になれることがあれば、話してくれないかな?もちろん、秘密は必ず守るわ」
女子生徒は井原と名乗った。私が最初にそう切り出した時、彼女は少しうつむき加減にしていた。
「そうだ、少し私の話をしましょうか。私の家族に起きた話をね」
何を思ったのか、今でも私にはわからない。だけど、直感的に、私はこの子に自分の両親や兄に起きたことを話すことで何か話してくれるのではないか、と思い私の家族に起きた話をした。両親が突然理由もわからず逮捕され、今でも中央政府に拘束されその生死すら定かではないということ、兄が目の前で警察の銃弾に倒れ、突然永遠の別れになったこと。そして、私が今中央政府に対して抱いている思い。行政長官として、なすべきと思っていること。行政長官として、そんなことを話すことが果たして正しいのかわからなかったけど、私の本能のようなものがそうしろと強く命じていた気がした。
「木原さんの家族が、そんな目にあっていたのですか・・・」
井原は、少し意外そうな顔をしていた。
「驚いたの?」
「正直、驚きました。こうして、国のトップに立っている人が、そんなつらい思いをしていたなんて、想像だにしていませんでした。なんか、勝手なイメージですけど、権力が欲しいがためにトップまで登り詰めたようなイメージがあって・・・」
「確かに、そういうトップがいることは否定しない。だけど、私はそうじゃない。私のようなつらい思いをする人を一人でも減らしたい。そういう人が今後生まれないように、私はトップに立って、人々を守らなければならない。そう思って、私は行政長官という仕事をしているわ」
「そうですか・・・」
また、井原はうつむき加減になった。
しばらく、沈黙の時間が流れる。
「・・・あの、聞いてくれますか?」
沈黙を破ったのは、井原のほうだった。
「ええ、何かしら?」
「・・・実は、私の両親、今行方不明なんです」
顔を上げた彼女の眼には、涙が溜まっていた。
「家に帰ったら、『少し出かけてきます。帰りが遅くなるかもしれないけど、待っててね。あと、私たちが出かけていることは決して口外しないでね』という置手紙があって・・・。でも、一向に帰ってこないんです。連絡もつかなくて・・・」
「それはいつからなの?」
「3日くらい前です。でも、口外するなって書いてあるから、学校の先生にも言えなくて・・・私の両親にも、何かあったのでしょうか?」
すがるような表情で私のことを見つめてきた。胸が苦しくなる。
「今すぐには答えられない。だけど、何があったのか、調べることはできる。必ず、何があったのかは明らかにするわ。だから、今は私たちに力を貸してくれないかしら?」
「・・・はい、お願いいします!」
「ありがとう。私は席を外すけど、これからあなたの話を聞く人も、私と同じ行政区の人よ。私と同じく、秘密は守るし、あなたに身の危険が及ぶようなことはしない。そこは、私が約束する。だから、話してくれるね?」
こくりと、彼女はうなずいた。
私が話を聞いた後、彼女は1時間ほど話をしたという。誰にも相談できない苦しみ、それを一気に発散させるかの如く話していたという。
どれだけ、それが苦しいことか。私は政府から口止めされていたわけではないが、やはり理解してくれる知人はそういなかった。そういったなかで、兄が殺された直後、この行政区の独立運動をしていた岡本かずきの存在は大きかった。彼は兄と親しかったこともあり、私の悲しみに寄り添ってくれた。それだけで当時の私はとてもうれしかった。
「話、聞けました」
私の後、井原の話を聞いていた捜査官が私のところに来た。
「ありがとう、どうだった?」
「ええ、7月25日夕方から、彼女の両親は置手紙を残して行方不明となっていたようです。政府から口止めをされ、だれにも相談できなかったとも言っていましたね。両親がいなくなった後から、電車に乗る際や家の玄関口で誰かの視線を感じるようになったそうです。ただ、それが本当に見張られていたのかただの錯覚かどうかは定かではないようです。ご近所の方との交流はもともと少なかったため、近隣から何か言われるとか、そういうことはなかったようです」
「ただただ、孤独で過ごすか。自分には想像できないな」
早川がつぶやく。
「それと、越境通学者の中に、極端に口を閉ざすようになった生徒もいたと話していました。今順番に聞き取りをしていますが、全員が同じ状況にある可能性もありますね」
「彼女の両親の職業とか、そういうのは聞けました?」
「はい、彼女の父親は大手商社の営業マンですね。主に中国を相手にしていたようです。社内での成績も上々で、近いうちに昇進すると話していたようです。会社名までは覚えていないようです。母親は保育士だったようです。兄弟はいないみたいですね」
「そうですか。引き続き、お願いしますね」
「はい、わかりました」
そこへ、成山次官が戻ってきた。
「長官、ホテルの手配できました。駅前のビジネスホテル1棟、政府のほうで借り上げる形で対応しました。捜査員、つけておきますか?」
「ご苦労様、一応お願いね。あと、川崎駅の警備は厳重に。お願いね」
「了解いたしました」
「こちらで保護するのか?」
早川が尋ねてきた。
「ええ、帰宅したくない生徒が多くいるとのことで、高校側からの要請を受ける形で対応しました」
「そうか、やはり、大なり小なり脅威を感じている生徒が多いというわけだな」
この日は、32名いる生徒のうち、半数にあたる16名の生徒の聞き取りが終わった。
うち、井原のように両親が行方不明である生徒は10名。残り6名はそういったことはないと回答したという。
10名の生徒の両親は、いずれも共働き。ただし、職業はばらばらだった。共通点といえば、一流企業に勤めていて、それなりの地位にいるという点。行方不明になったのは1週間前からだった。日付はばらばらであるものの、ここ最近で行方をくらませていることも共通点として挙げられよう。
今回死亡した高原の話も出てきた。彼女の両親も彼女自身が欠席するようになった1週間くらい前から、両親が帰ってきていないような発言があったという。直接そう言っていたわけではないが、自分で夕飯を用意したという発言から、おそらくそうではないかという推測だ。
「なぜ、両親がさらわれたのか、そこがポイントになりそうですね。ただ、皆公務員ではない。なぜでしょうか?」
成山次官が報告書を読みながら、状況を整理する。
「わからないわね。でも、まだ全員の聞き取りが終わったわけじゃない。これから聞き取りをする生徒から、新しい情報があるかもしれない。それから検討しても遅くはないと思うわ」
「ですね。とにかく、今こちら側にいる生徒の安全はこちらで確保できる状況は作り出せましたからね。それだけでも、一歩前進といったところでしょうか?」
「ええ、そうね」
翌日。残りの生徒への聞き取り調査を行ったが、新しい情報は得られなかった。両親が行方不明になっている生徒が一定数いることが分かったことが判明した程度だった。