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『拝啓、新世界より』 Dear Sir, From the New World  作者: 小鳥遊椎菜
Section.2 幕開け
5/9

(2)

新皇紀12年7月14日。

 私はきっと、この日付を忘れることはないだろう。この日から、事が大きく動き出すこととなったのだから。

 朝9時10分過ぎ。執務室の内線電話が鳴った。

「木原長官ですか?こちら軍務・治安部ですが」

「はい、そうです。何かありましたか?」

「川崎支所から先ほど連絡がありまして、管轄内の高校から、生徒と連絡が取れない状態になっているとのことで・・・」

「わざわざそれを本庁に連絡するっていうことは、その生徒に何かあったのですか?」

「その音信不通の生徒、越境通学者なんですよ。しかも、今回で3人目らしいですよ」

 越境通学者。川崎の学校には、多摩川を越えて神奈川の学校に通っている生徒がいる。私たちは、そのような生徒を越境通学者と呼称しているのだ。

「3人目?前の2人についての報告は私は受けていないけれど?」

「学校側もただ単に登校拒否とかその程度に考えていたようなのですが、3人立て続けとなると何か事件事故ではないかということで・・・」

「わかりました、とにかく一度そちらに伺います。宮下部長はいますか?」

「はい、部長にはお伝えしておきます」


 軍務・治安部は行政区の防衛と区域内の治安維持を担当する部署である。一般的にいえば軍と警察の役割を果たす部署である。今回の事案は、そのうちの警察の事案ということになる。

「木原長官。お呼び建てしてすいません」

「とんでもないです。私を呼ぶくらいですから、緊急事態なのですよね?」

「はい、詳しくはこちらで」

 私はフロアの奥にある応接室に通された。

「こちらが、例の事案の資料となります」

 机の上には、複数の資料が並べられていた。

 最初に読んだのは、今回の件の時系列報告書であった。その内容をまとめるとこうなる。

 今回通報するきっかけとなった生徒の失踪は7月12日であった。失踪した生徒の名前は高原寿美。鈴木町高校2年生の生徒である。彼女は東京の雑色駅近くに住む越境通学者だった。成績は優秀、友人も多く特に問題を起こすような生徒ではなかったのだが、この日彼女は連絡もなしに学校を欠席した。登校していないことを不審に思った担当教諭が自宅に連絡をかけるも留守番電話にすらならず、生徒本人の携帯電話も電源が切られている旨の案内音声が流れるのみであった。担当教諭はただちに校長に相談した。

 校長は、以前に2人の生徒が不登校状態になっている旨の報告は受けていた。その2人の生徒も越境通学者であったため、各担当教諭に連絡を取るよう指示を出したが、高原と同様の状態である旨の報告を受けた。この2人の生徒はもともと不登校気味であり、担当教諭はまた不登校状態になっているものと判断し、校長には報告したものの、そこまでこの事を重大事項ととらえていなかった。校長は越境通学者が、この2週間で3人連絡が取れなくなるのは異常事態と判断、最寄りの川崎警察署に通報することを決めた。

 翌13日に校長は直接川崎警察署にいき、今回の件を報告、対応してもらえないかと相談したが、警察署では越境者のことまでは捜査できないと通報を受理することを拒否した。その代わり、行政区の軍務・治安部に問い合わせたほうがいいのではないかという提案を提示、警察を通じて軍務・治安部に通報、校長自身も神奈川行政区川崎支所に出向き、今回の経緯を説明した。受理した川崎支所は判断を仰ぐため、みなとみらいの本庁に報告を上げた。

 次に見たのは失踪した生徒の情報であった。

 まず最初に失踪したのは3年生の永田清太。東京・蒲田から通っていた生徒である。不登校気味で友達も少なく、学内では比較的孤立するタイプであったという。問題行動があったわけではないが、無断欠席することはたびたびあった。登校しなくなったのは6月19日からで、自宅の電話は留守番電話になったため、担当教諭はその留守番電話に要件を残し、詳細が分かり次第学校に折り返し電話をするようお願いしたという。その後、両親や本人からの連絡はなく、現在に至っている。

 2番目に失踪したのは2年生の峰原奈々。東京・田園調布から通っていた生徒である。彼女も不登校気味であった。家は資産家で、その裕福な育ちが生徒たちから見れば疎ましく見えたのか、学内ではたびたびいじめにあっていたという。そのため、突然登校拒否状態になり、数日間欠席することもしばしばあったという。登校しなくなったのは6月25日からであった。ただし、彼女の場合両親から連絡があるため、今回のように無連絡で欠席することに担当教諭は疑問を抱いたが、自宅にかけても留守番電話になるだけで、苦しい状態にある生徒の両親に連絡を催促するようなことをするのは厳しいと考え、校長に報告はしたものの、そこまで重大な事案としては報告しなかった。そして3番目に高原寿美が7月12日から登校しなくなったのだ。

「どう、お考えになりますか?」

 宮下は私の判断を仰ごうとしていた。

「この資料を読んだだけでは何もわからない。何せ、自国で起きていることではないですので。だけど、本国に通っていた越境通学者の身に何かがあった可能性があるのであれば、向こうの政府に一度問い合わせてみる必要はあるかもしれませんね。一先ずは、外交部にこの件を伝えて、向こうの政府にこの生徒たちの生存確認ならびに通学ができる状況なのかどうかの通告をこちらにするよう指示しますね。それで、向こうの出方を待ちましょう」

「わかりました。外交部への報告はこちらから致します」

「よろしくおねがいいたします」


 執務室に戻った私は、外交部部長の早川博信に内線をかけ、今回の件について報告・依頼をした。

 早川は私が外交部部長を務めていた時に、渉外課の課長をしていた。

「厄介なことになりそうだね」

「ええ、向こうが過剰に反応をしてこなければいいのですが・・・」

「しかし、何があったのだろうな。川崎駅で向こうは検問をしているわけだし」

「おそらくですが、向こうの国内で何か動きがあったとしか。直接確認することができないのがもどかしいです」

 私は両親が突如政府に拘束されたときのことを思い出した。普通に会えた両親に、理由もわからず離れ離れにされる。言葉で言い表しようのない、怒りとも悲しみとも言えない複雑な感情が、猛烈にわいてくる。

 さよならも言えず、別れること。

 そう考えれば、兄の突然の死もそうだった。でも、両親に対する思いは何か違う。それは、もしかしたら両親はどこかで生きているのかもしれないという思い、そして、何をして生きているのか、元気で無事に暮らしているのかどうか、それを心配する思いがあるからかもしれない。

 人は、わずかな希望があるとそこにしがみつきたくなる。両親に対しても、もしかしたら会えるかもしれない、また話ができるかもしれないという望みがある。それがかえって、私を苦しめるときがあるのだ。

 この思いとの向き合い方は、いつになってもわからない。わかりたくもない。

 この生徒の両親はどう思っているのか。

 いや、そもそも両親は無事なのかもわからない。

―――行政長官として、私は何ができるのかな?

 そんなことを思いながら、私は関係各所からの報告が上がるのを待つこととした。

 この翌日、外交部は外交ルートを通じて日本中央政府に対し当該案件の対象者3名の生存確認ならびに通学できるかどうかの状況報告をするよう要請。向こうは要請を受理し、対応すると返答した。

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