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『拝啓、新世界より』 Dear Sir, From the New World  作者: 小鳥遊椎菜
Section.1 私の生きる世界
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(2)

 私が行政長官に就任したのは今から約3年前の新皇紀9年4月である。行政長官は選挙制で、私が当選した年から任期は5年とされた。

 反政府運動が実を結び、新皇紀元年1月に横浜を中心に、旧神奈川県を支配する新国家神奈川行政区が誕生した。ほかの行政区も同じ日付で独立を宣言、成立している。

 当時私はまだ14歳だったが、運動の中心メンバーであった岡本かずきが私のことをスカウトしてくれ、入省することとなったのである。入省最初の配属は外交部情報記録課であった。理由は私が英語を得意としていたことらしい。当時、神奈川行政区は独立国家として国際的に承認を得られるよう岡本を中心に各国に働きかけている最中であった。各行政区は単位が小さいこと、また中央政府打倒という同じ目的を志していたことから、連合国家としての体を取ることとし、諸外国との外交上の代表として、軍事力も有する神奈川行政区が代表を務めることとなったという背景がある。その諸外国とのやりとりを記録し、保存するのが最初の仕事だった。

 各国は当初行政区の連合国家をなかなか国家としてみなしてくれなかった。それもそのはずである。ある意味では、ただ単に反政府組織が勝手に独立しただけであり、また日本全土を支配しているわけではない。しかし、その後中央政府が私の両親を含む多くの国民を理由なしに拘束していたこと、未だその国民が解放されておらず、中央政府もその事実を隠していることが広報部の働きにより国際的に明るみにされ、諸外国の態度が変化した。新皇紀2年4月に行政区連合国家は日本の新しい国家として容認され、国連への加盟も果たしたのである。

 私はその過程を記録員として見てきたこともあり、そのキャリアを買われ、翌年4月に外交部渉外課に異動、外交関係継続に尽力した。担当したのは欧州各国とロシアであった。その仕事をしていくうちに、一度欧州で法制度を学びたいと思い、フランスの在外公館に異動する形で新皇紀6年4月パリに留学することとなった。

 パリでは多くのことを学んだ。自由とは何か、民主主義とは何か。それらが成立する歴史を、その歴史の舞台の一部となった土地で学んだことは大きな刺激となった。正直言って、自由を勝ち取るのに多くの血が流れたことを私はまったく認識していなかった。最初から当たり前に与えられていたものであり、それがあることが当然のことと思っていたからである。でも、それはどんでもない間違いであった。今の形になるまでに、多くの人の犠牲があり、そのおかげで今の私たちがいることを思い知らされた。

―――そんなことも知らずに、私はこれまで生きてきたのか。

 新皇紀8年4月。フランスから帰国後外交部渉外課課長に着任、6月には外交部長に着任した。帰国してから見える景色はまったく違った。

―――自分は今、こうして街にいる人たちの自由を、生活を守るべき立場にある人間であり、長い時間をかけ多くの犠牲のもとに成立している今の世界を、守らなければならない立場にいるんだ・・・!

 そう思うと、自然とやりたいことが見えてきた。

 私はそれまで、失った家族を取り戻すためだけに、この行政区で仕事をし、その糸口をつかみたい。その思いだけで仕事をしてきた。でも、過去の歴史を学ぶ中で、そういった私怨を越えて、自分のような思いをする人を、将来一人でも減らそうと努力してきた人々が存在し、そうした人たちの犠牲のもとにこの世界が成り立っていることをしってからは、行政区での仕事に対する思いも大きく変化した。

―――私は、先頭に立って将来への貢献をしたい

 その思いから、行政長官選挙に立候補した。そして、多くの人が私のことを応援してくれ、翌年には行政区のトップに立つことになった。


「小乃美、何怖い顔してるの?」

 成美から声をかけられた。

「いや、別に怖い顔してるつもりは・・・」

「これだから・・・。小乃美は少しまじめすぎるよ。オフの時はしっかりオフにならないと、もたないよ」

「でも私行政長官だからさ、常に構えてないと。今はある意味常に戦時状態。いつ中央政府が私たちを攻めてくるかわからないのよ?そんな状態で私がオフになるわけいかないでしょ」

「その責任感は立派だと思うけど、人間には限度があるの。常に緊張していたら、いつか持たなくなるよ。休むことも大事大事」

 私は決してまじめな人間だとは思わない。まじめじゃないからこそ、責任ある仕事を背負っている間は、気を抜いてはいけない。そう思って生きている。ただ、そういう姿勢が、第三者からはまじめな人間に見えるのだろう。

―――長官、ちょっと怖いですよ

 省内で私がよく言われる言葉だ。自分に対し厳しく律している面が、外に出てしまっているのだろう。その時点で、私はまだまだだなと思う。相手にはそうしているように見えなくても、自分の中ではきちんと自分を律することができている。それが私の理想とするリーダー像だからだ。

「おまたせしました。本日のランチ『デミグラスオムライス』です」

 店員が、注文した料理を持ってきてくれた。デミグラスソースのおいしい香りが、私の鼻をかすめた。

「きた~!この店の名物料理!小乃美も好きでしょ?」

「ええ、そうよ」

「じゃあ、いっただっきまーす!」

 私もオムライスを口に含む。おいしい、と思うと同時に、なつかしいと思う味だった。昔、よく母が作ってくれた料理。

「おいしいわね」

 そういうと同時に、私の目には涙が浮かんだ。

「小乃美・・・?」

 成美が心配そうに私の顔を見る。

「大丈夫よ、ちょっと昔のことを思い出してね・・・家族のことをね」

「そっか。おいしいなら、よかった。小乃美をつれてきて、よかったよ」

 成美は私の家族に何があったのかを知る数少ない友人である。きっと、私に気を使ってくれたのだろう、その言葉だけで私の反応を受け止めてくれた。

 そんな成美の対応にまた、私は感謝した。


 夜、私は高島にある自宅に帰った。ベランダからは、横浜ベイブリッジが見える。

―――兄さん、今日も私はあなたが命を落としてまで作ってくれたこの国を、無事に守れましたよ。明日もまた、こうして兄さんに笑顔で報告できるといいな

 兄の位牌の前で、今日も長官として、妹としての定時報告を行った。

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