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第9話『首無の怪物』

 最初は地震かと思った。

 だが、地震とは明らかに揺れ方が違った。大きく揺れたのは最初の一度きりで、その後は不気味なほどに揺れが静まる。


 そして揺れが静まったにも関わらず、街からは次々と悲鳴が響いている。


 その悲鳴の理由は、街を振り向けば俺たちのいる河原からでもすぐに分かった。


 ――巨大な腕。


 地面から突如として生えたかのように、空に向かって巨大な黒い腕が伸びていたのだ。

 掌は民家を握りつぶせるほどに大きく、腕はどんな巨木よりも太い。


 時間移動も魔法の存在も俺にとってはただ事ではなかったが、今の状況はそれ以上にまずい気がした。直感で分かった。


「おいグレイ。あれ何だ?」

「わ、分かりませんよ。魔法……とは思いますけど」


 冷静に見れば今はまだ、ただのでかい腕が生えているだけである。最初の揺れ以外、何の実害があったようにも見えない。

 だというのに、悪寒と震えが止まらなかった。そのくらいあの黒い腕からは、禍々しい気配が漂っている。


 そのとき、動きがあった。

 まるで腕の持ち主が地底から這い出してくるかのように、今度は巨体の肩や背が覗き始めたのだ。もう一本の腕も地上に伸びてくる。やがて膝が顕わとなり、伸ばされたその足先が大地を踏みしめる。姿を現すのは、人間をそのまま大きくしたような黒い怪物だ。


 ――ただしその黒い巨人には、首から上がなかった。


「とにかく学院に逃げましょう。あの中なら安全なはずです」

「お、おう」


 俺の袖を引いてグレイが避難を促した。

 あれだけ堅牢な城壁を誇る学院だ。きっと防衛面も並大抵のものではないのだろう。


 それに、首無の巨人もただ立っているだけで暴れ出す気配もない。今のうちなら十分に学院へと逃げ込めるはずだ。


 俺とグレイは河原から学院の方角に向かって駆け出す。

 街の人々もその大半が学院の保護を求めて、同じ方角へ駆け出していた。


 嫌な予感がした。


 こういうときは本来、散り散りに逃げた方が得策なのだ。

 盗掘が官憲の追手から逃げるときも、まとまって逃げてしまえば一網打尽の目に遭うことが多い。その場の盗掘者がすべて別方向に逃げれば、追手も狙いを絞れずにだいたい全員が助かる。


 ――たとえばあの巨人が、避難する群衆に拳を叩き落としてきたら?


 そう思った瞬間、俺はすぐに踵を返していた。


「アランさん、どこ行くんですか! そっちは逆ですよ!?」

「やっぱり学院に向かうのはやめだ。こういうときは逆張りした方がいい。俺は逆に行く」


 よく見れば、目端の利きそうな商人などは人混みと反対方向に逃げていた。やはりどの時代にも修羅場の経験があるものは一定数いるようだ。


「学院に着けば絶対安全ですよ!?」

「着く前にやられたらどうする。こんなに群れて、上から攻撃でもされたら逃げようがない。身動きできなくなるくらいなら、遠くに走って距離を取った方がいい」

「じゃあ周りの人たちにもそのことを教えないと……」

「馬鹿いえ、パニックになるだけだ。押し合い圧し合いでそれこそ死人が出るぞ」


 それに、と俺は続ける。


「こいつらは放っておいても大丈夫だろ。あの学院にはファリアさんがいる。あの大英雄は目の前で誰も死なせなかったって伝承だから、きっと全員大丈夫なはずだ。俺は念のため逆に逃げるだけって話だよ」

「そ、そういえばそうですね! じゃ、私も逆に逃げます!」


 グレイは納得した様子だったが、これはあくまで説得の詭弁である。

 俺自身はもうその伝承をあまり信じていなかった。


 後世において歴史に嘘や虚飾が混じるということは、昨日からの実体験でよく分かった。この場で大勢の死者が出たことを、後の歴史が忘れ去っても何ら不思議はない。


 グレイとともに大通りの人混みから路地裏へと逃げ込む。学院と逆方向にルートを変え、巨人から一歩でも遠ざかるように走る。


「あ! 見てください! 迎撃が始まったみたいですよ!」


 グレイが興奮気味に学院を指差した。

 見れば、学院の塔の屋上に幾人もの人間が立っている。火砲らしきものが構えられているのも見えた。もしかするとファリアもあの中にいるのかもしれない。


「放て!」


 指揮官の怒号は遠く離れていてもよく響いた。

 同時に、文字どおりの集中砲火が巨人に向かって浴びせられる。

 俺の知っている時代の火砲砲撃と違って、炎や雷や水流が飛び交う摩訶不思議な総攻撃だったが、空気を震わせるその迫力が威力を雄弁に伝えてくる。


「うおぉ……っ。ファリアさん以外にも、あんなにすごい人が……!」


 グレイはすっかり足を止めて息を呑んでいた。

 しかしてその結果も現れる。黒い巨人はほとんど全身を消し飛ばされ、穴だらけの蜂の巣じみた姿になっていた。


 グレイが嬉しそうにぱちんと指を弾く。


「いぇい、見ましたかアランさん! あれが魔導学院の実力ですよ! 私も本来ならあの総攻撃の一員になるはずだったんですよ! あーっ惜しかったですねー! 入試のときに体調さえ悪くなけれなーっ!」

「うるせえ黙ってろ」


 嫌な予感はまだ少しも消えていなかった。

 その予感のとおりに、黒い巨人の身に異変が起こる。蜂の巣のようになっていた身が、みるみるうちに再生して元の姿を取り戻していったのだ。


「へんっ! 一度やられた奴が何度復活したって同じことですよ! さ、学院のみなさん! 今度は消し飛ばしちゃってくださーいっ! 頑張れーっ!」


 しかしめげた様子もなくグレイは声援を送っている。

 それに応えたというわけではないだろうが、学院の屋上では再び攻撃態勢を取っている様子だった。


 その瞬間。

 黒い巨人が学院に向けて掌をかざした。その掌から噴煙めいた黒い霧が漏れ出たかと思うと、


 ――津波のごとく広がった黒い霧が一瞬にして、避難する群衆と学院を呑み込んだ。


「え……?」


 グレイが放心状態になった。

 いいや、あまりにもあっけない出来事に、俺もすっかり足を止めてしまっていた。


 黒い霧はすぐに晴れる。


 しかし群衆たちは次々にその場で倒れ込み、攻撃姿勢にあった学院の屋上の者たちも倒れ伏していく。

 誰一人として動き出す者も、攻撃を続けようとする者もいない。のちの大英雄・ファリアですらも。


「嘘、そんな……」

「逃げるぞ」


 そう言って俺は走り出す。

 グレイに促したというよりも、どちらかといえば自分に言い聞かせるためだった。


「待ってください! みんな、無事のはずじゃなかったんですか……?」

「分からん。だけど歴史に文句言ったってしょうがないだろ。逃げないと俺たちも死ぬぞ」

「し、死んでません! よく見てください! みんなまだ生きてます!」


 確かに、崩れ落ちた人々はまだ微かにもがいていた。あの黒い霧がどんな攻撃だったのかは分からないが、命を奪うほどではなかったということだろう。


 だが、それがどうだというのだ。


 今から自分たちが舞い戻ったところで、一人か二人を担いで逃げるのが関の山だ。

 いいや、担いでいる間にあの怪物に見つかってしまえば、虫の如く潰されて終わりかもしれない。


 ここはどう考えても、見捨てて逃げるが賢明だ。

 しかし――


 俺の思考を待たずにグレイが吠えてくる。


「その杖! ファリアさんの使ってたすごい杖なんでしょう!? だったら届けに行きましょう! きっとそれがあれば、あの怪物をやっつけられるはずです!」

「馬鹿野郎! さっき使ってもらって駄目だったばっかりだろうが!」

「封印されてるかもって言ってたじゃないですか! こんな状況でなら使えるのかもしれません!」

「そんな賭けみたいなことができるか! いいからとっとと逃げ――あっ」


 そこで気付いた。

 誰もが崩れ落ち、ほとんど無音になってしまったこの場所で、俺たちの怒鳴り合う声ほど目立つものはないと。


 俺とグレイはおそるおそる黒い怪物の方を見た。


 ――まっすぐ、こちらに掌を向けていた。


「逃げるぞ!」

「はい!」


 同時にダッシュした瞬間、さきほどまで俺たちが口論していた場所を黒い霧が呑み込んだ。あと一秒逃げるのが遅れたら、避難民たちと同じくやられるところだった。


「てめえのせいで見つかったじゃねえかどうしてくれるんだ!」

「こっ、こうなったらもうその杖をファリアさんに届けて倒さないと駄目ですね。あんなのに狙われたら、もう逃げられませんよ」


 ある意味では正しかった。

 さっきは怪物の方も二人相手だからと黒い霧を少ししか放ってこなかったが、本気ならば学院丸ごとを呑み込める規模で攻撃できるのだ。

 あんなのからいつまでも逃げられるわけがない。なら倒すしかない。


 しかし、あの怪物の攻撃を掻い潜って杖を届けるのもまた不可能だ。


 ――ここまでか。


 そう思っていると、急に俺の身体が浮き上がった。

 いや、浮き上がったのではない。隣を走っていたグレイが、いきなり俺の身体を担ぎ上げたのだ。


「うぉっ!?」

「受け身だけはしっかり取ってくださいね」


 何をするつもりだ。

 そう尋ねる間もなく、グレイは俺を思い切り放り投げた。矢のように宙を舞った次の瞬間、クズ紙が山積みになっていたゴミ捨て場に俺の身が突き刺さる。


「ってぇ……」


 あの細腕でどこにこんな力があったのか。

 まさか、これが一度だけ成功したことがあるという腕力強化の魔法とやらか。


 こんな土壇場でグレイが魔法を使えるようになるとは予想外だったが、これは使える。


 この力を使って移動すれば、あの怪物の追跡を振り切ることも可能かもしれない。少なくとも今この投擲で、俺は巨人の視界から上手く逃れただろう。目どころか首もないのに視界があるのかは知らないが。


「おい。お前も早くこっちに」


 ゴミ捨て場の中で身を起こす。

 怪物に気づかれないよう声を押し殺し、グレイに向けて手招きを送る。


 が、そこには。


 すべての力を使い尽くしたかのように膝を付き、息を弾ませているグレイの姿があった。

 そして、それに向かって一歩ずつ近寄ってくる怪物の巨体も。


 何をしている。


 なぜ動けなくなるというのに、俺だけをこっちに投げた?


 巨人の掌がグレイに向く。

 そのとき彼女はほんの少しだけこちらに顔を向け、胸の前で弱弱しく拳を握った。


 ――見たか、と。

 ――どうだ、と。


 心の底から誇っているような、晴れやかな笑みだった。

 その唇が言葉を発さず『あとはよろしく』と動く。



 グレイの身に向けて黒い霧が放たれるのと、俺がゴミ捨て場から駆け出すのはほとんど同時だった。

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