第8話『カッコ悪い偽物』
「アランさんでしたっけ? よ~く考えてみてくださいよぉ。時間移動なんて便利な魔法があるなら、この私が真っ先に試してるはずじゃないですか。そしてもう一回学院の入試を受け直して首席で突破してやるんです」
俺の話をいきなり完全否定しながら、己に都合のいい妄想を垂れ流すグレイ。
もちろんこちらも黙ってはいられない。
「うるせえ。てめえは受け直してもどうせ落第だろうが、黙って小間使いの仕事に戻ってろ」
売り言葉に買い言葉。グレイもすぐさま激昂する。
「何を言うんですか! 傾向と対策さえ掴んでいれば、あんな試験くらい本当は簡単に合格できたはずなんです!」
「そんな口は魔法で小鳥の一匹でも作れるようになってから言えよこの落ちこぼれ」
「誰が落ちこぼれですか! そっちは木の枝を売りつける詐欺師じゃないですか!」
「あぁっ!? なんだとこの燃えカス白髪女!」
至近距離で互いの胸倉を掴みながら睨み合う。
と、またしてもファリアが間に割り込んできた。きりっとした生真面目顔で、
「ですから、喧嘩はいけませんよお二方。手を出すのはやめましょう」
またしても毒気を抜かれた俺とグレイは、睨み合いながらも互いの胸倉から手を離す。
「きちんと仲直りされてくださいね? わたくしはそろそろ授業が始まるので失礼いたします。また用事があればいつでもお呼びください。いつでも力になりましょう」
そう言って会釈したファリアは、次の瞬間とんでもない動きを見せた。
河原の地面を踏みしめて跳躍したかと思うと、一っ跳びで空中を駆けて学院の方角へと跳び去って行ったのだ。
来るときに徒歩できた様子だったのは、道案内のグレイに合わせていただけだったらしい。
「けっ、いちいち自慢ったらしい移動の仕方ですね……。こっちだってやろうと思えばあのくらい……」
それを見てまたブツブツと文句を垂れ始めるグレイ。
これだけ汚い性根の持ち主が、なぜあの『本物』のファリアと混同されたのかまったく理解できない。
しばらく理由を考えてみる。
たとえばこの魔導都市『ヴァリア』の地名と、あの首席少女『ファリア』の名は響きも文字の綴りも似ている。
彼女個人の功績や名声が、都市全体の功績や名声にすり替わってしまった可能性はないだろうか。そして生まれた英雄伝説の空白に、目の前のインチキ少女の偽手紙が紛れ込んだと。
そんな間抜けな話があるだろうか。
あったとしてもおかしくはない気がする。世の中、意外と馬鹿なことがまかり通るものだ。
……と、そこまで推理してから思い出した。
「って! 結局お前のせいで詐欺師と思われたまま帰られちまったじゃねえか! 本当のこと話して杖を見てもらうつもりが……!」
「はぁ? 知りませんよそんなこと。だって時間移動なんて言い出すってことは、本当に詐欺だったんでしょう?」
俺はもう怒る気力すらなく、ぐしゃぐしゃと頭を掻いて静かに反論する。
「詐欺じゃねえよ。わざわざ木の枝を売りつけるなら、あんなお目の高い首席様じゃなくて、お前みたいな節穴のカモに売ってるよ」
「なるほど……そう言われてみれば一理ありますね」
ふむと頷いてから、グレイは「誰が節穴のカモですか!」とワンテンポ遅れて罵倒に気付いた。敢えて放置する。
「どうするかな。まあ、いつでもまた呼んでくれって言ってたし、適当なときにでも学院に行って……」
「あの」
そこで、グレイがやや落ち着いた様子でまた俺に近づいてきた。
「何だ?」
「その……詐欺ではないということは、時間移動というのは本当なんですか?」
「そうだよ。この杖を拾った瞬間、未来からこの時代に飛ばされたんだ」
ぱぁっとグレイの目が輝いた。
「なら! その杖もう一回貸してください! もしかしたら時間移動専用の杖なのかもしれません! 『時よ戻れ』って唱えたら、試験の日に戻れるかも!」
やっぱりこいつ節穴のカモだな、と思う。
ちょっと説明してやっただけで、あっさり信じ込んで杖に興味津々になりだした。
「ダメだ。貸すわけないだろ。お前がこの杖持ったまま試験の日なんかに戻ったら、商品の代金をどう徴収するんだ」
「そんな……」
地面に四つ足をついてうなだれるグレイ。だいたい、もし時間移動専用の杖という理屈だとしても、このポンコツグレイに使いこなせるとは思わない。
「……ん? 待ってくださいよ。わざわざ未来から来た人が、なんで真っ先に私なんかのところに来たんですか? というか、なんで私の名前を知ってたんですか?」
むくりとグレイが身を起こした。まずい、嫌なところに気付かれた。
「いや、それはだな……」
「もしかして未来にまで私の名前は伝わっているんですか? すごい杖を売り付ける相手として真っ先に思い浮かぶほど、有名な魔法使いになっているんですか? 私の勇名は何年先まで轟いているんですか? いやあ照れますねえ、将来的に偉人になるのが確定しちゃいましたかぁ」
馬鹿のくせに、自分に都合のいい発見のときだけ異様に勘が鋭い。
さらには「私のサインあげましょうか? 遠慮はいりませんよ?」などとまで調子に乗り出した。
さすがに俺もイラついてきたので、その鼻っ柱をくじいてやることにする。
「……ああ白状してやるよ。確かに未来の世界では、グレイ・フラーブは世界を滅びから救った大英雄だって伝えられてる」
「やっぱり!」
「だけどな、その伝承はたぶん大間違いだ。本当に世界を救った大英雄はさっきのファリアさんで、お前はただその逸話にタダ乗りしただけだよ。お前が田舎に送った手紙のせいで、本物の首席のファリアさんとお前――グレイがごちゃ混ぜになって歴史に残っちまったんだ」
一気にグレイの顔から威勢が消え去った。
「そ、そんなの分からないじゃないですか! もしかしたら、まだここから私が急成長して本当に主席になる可能性も……」
「本気であると思ってるのか?」
問い詰めると、グレイは薄汚れたエプロンの裾を掴んで押し黙った。
「未来の伝承じゃ、グレイは高潔で謙虚な人格者だったって言われてる。世界を救っても己が偉業を少しも誇らなかっってな。お前自身、自分がそんな性格だとは思ってないだろ」
大英雄として伝えられるグレイは、決して自分自身の偉業を誇らなかったとされている。
ただ唯一『手の届く範囲の者を誰一人失わなかった』ことだけを晩年まで誇った。同時に、手の届かなかった者たちへの謝罪と悔悟を述べながら。
自己顕示欲からは最もかけ離れた存在だ。
それとはまるで対照的な、自己顕示欲の塊みたいな目の前の少女に、俺は鼻で笑いかける。
「もしかすると、手紙が混同されたのは間違いじゃなくてわざとかもな? お前がこの後、いろんなところにホラ吹きまくってファリアさんの手柄を横取りしまくったんじゃないのか? そのくらいしないと、あれだけ未来で誤解されてるのが説明つかん」
「しません」
即座に短く返答がきた。
「そんなこと絶対にしません。他人の偉業を横取りなんて」
歯噛みしている気配があった。
少し俺は当惑した。こいつならそのくらい平気でやるかと思ったが、どうやら譲れぬ一線はあったようだ。
「分かりました。田舎に戻って、ぜんぶ嘘だったって白状して手紙を燃やします。それでいいんですね?」
「いや別に……俺はお前がどんな風に歴史で伝えられるかなんて知ったこっちゃない。勝手にしろよ」
「ならすぐに帰って燃やします」
まるで人が変わったようだ。
「どうしたんだ? あれだけ嘘吐きまくってたやつが、いきなり真人間みたいに……」
「あれは嘘じゃないです。予定を前倒して手紙に書いてただけです」
「それが嘘なんだろ」
「ちゃんと本当にする見込みはありました」
そう言ってグレイは学院を指差した。
「強い魔力を間近で浴び続ければ、魔術師としての才に覚醒しやすいんです。だから学院の小間使いで雇ってもらって、ファリアさんみたいに強い人たちの近くにいられるようにしたんです。本当に本気で、来年は主席になるつもりだったんです」
あの情けない雇われの状況にも、グレイなりの考えがあったというわけか。
「じゃあ、そうしろよ。俺は別にチクったりする気はない。足掻くなら好きにしろ」
「いいえ。そのせいでファリアさんの偉業を奪ってしまうようなら、そんなカッコ悪い真似はできません」
「……そうか」
わざわざ止める理由はない。
偽物の大英雄であるグレイにもはや利用価値はない。俺も、今後は杖の売りつけターゲットをファリアに切り替えていくだけだ。
「ところで」
「ん?」
ふいにグレイが話題を変えた。
「さっき、ファリアさんが『世界を滅びから救った』って言ってましたよね? これからそんな大事件が起こるんですか?」
「ああ。そのあたりの詳しい記録は歴史にもほとんど残ってないけどな。ただ、その大崩壊を招いた元凶の闇魔術師を最終的に打ち倒したのがグレイ――もといファリアさんだって伝えられてる」
「そうですか。あの人、やっぱりすごい人なんですね」
決めました、とグレイが手を叩く。
「そんな命がけの偉業を乗っ取るほど私も腐ってはいません。ちゃんと後世にあの人の名前が残るようにしてあげようじゃないですか」
「当たり前のことを言ってるだけなのに恩着せがましいな」
「偉人になるのを諦めるんですから、そのくらい誇らせてください」
グレイはえへんと胸を張ってから、「そうだ」ともう一度手を叩く。
「その大事件っていつごろ起こるんですか? 田舎に帰るとき、念のため両親にも注意しておこうと思うんですけど」
「そうだな。確かグレイが入学してすぐ世界を救う旅に出たって話だから……」
待て。
俺は目を見開いた。
『グレイが入学して間もない時期』
それはまさしく、今このときの時代ではないのか。
――直後、街全体を凄まじい揺れが襲った。